上高地

1月はかなり忙しくてブログが書けなかった。
その忙しい仕事をなんとか終わらせて上高地に行ってきた。
冬は上高地は釜トンネルで通行止めなり、一般の観光客は入れない。
この時期の上高地に入るには釜トンネルから雪に埋まった車道を歩かなければならない。
冬山装備でのスノートレッキングである。

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     中央道を松本へ 途中、八ヶ岳が見えるが嘘のように雪が少ない。
 日本海側は大雪だが太平洋側は雪が少ないのだろう

安房峠への道の途中にある中の湯温泉に泊まり、
翌朝、そこの送迎サービスで釜トンネルの入口まで送ってもらい出発。
1.3キロの登り勾配のトンネルを抜けると上高地に続く雪の世界が始まる。
その先にあるもうひとつのトンネルを抜け、歩き続けると大正池が現れ、
大正池ホテルに着く。ここまで約1時間。
上高地のホテルはみな11月15日で営業を終えて冬季休業になるので、
当然ここも閉まっている。

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 釜トンネルの入り口
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 トンネルを抜けると雪の世界が始まる
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 大正池
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 大正池ホテル

ここから先は普通なら田代湿原に入り、雪に覆われた湿原と森のなかのルートを
河童橋目指してゆくのだが、中の湯で聞いた話では、昨年の大雨でそのルートが流され
通行禁止になっているので車道をそのまま河童橋へ行ってほしいとのこと。
素直に従い、そのまま車道を進む。
こちらのルートはつまらないかなと思ったのだが、無雪期に沢渡からのシャトルバスの
車窓から見る風景とは全然違う雪の世界が広がり、こちらのルートも悪くないなと思った。
車道は雪に埋もれているので雪の森のなかを歩いてゆくという感じである。
そのうち左側の木の間に赤い建物が見えてくる。帝国ホテル。ここも冬季休業中。
その先をしばらく行くと上高地バスターミナルに着く。ターミナルのところは
雪原になっている。

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 こんな感じでひたすら雪のなかを歩く
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 冬季休業中の帝国ホテル
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  上高地バスターミナル

その先に河童橋がある。
釜トンネルから2時間20分だった。
人気のない冬の上高地は雪に埋もれた異世界のように見える。
観光客のいる時期の明るい上高地を知っているので余計そういう気がするのだろう。
残念ながら天気は曇りで河童橋から穂高連峰を見ることは出来ない。
岳沢の下の方が見えるだけである。
橋の上から南を見るとそれでも焼岳が見えた。
去年、あの頂上直下でホワイトアウトになり引き返した。
岳沢の方に少し行って持ってきたテルモスのお茶とパンで昼食。
先の方にトレースはなく、岳沢湿原の方に人は入っていないのだろう。

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 河童橋
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 南を向くと焼岳が見える
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  明神・横尾へはこの谷をゆく

食事を終え、ここから引き返す。
今回は河童橋から明神まで行ってみようと思っていたのだが、
ガスっていて景色は見えないし、さらに雪も降ってきた。
来た道を戻り、途中、大正池の湖畔に下りてみて、そのあとは雪の車道を釜トンネルへ。
ここに来る度に思うのだが、雪景色のなかにトンネルの口がぼかりと現れると、
異世界から娑婆に戻る口のように見える。
黄泉比良坂の入り口もこんな感じだろうか(^^;
中の湯に戻り、翌日ロビーから穂高の吊尾根を眺めて横浜に帰った。
ここ数年毎年この時期に来ているのだが、なぜかいつも帰る日が一番天気がいい(^^;;

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 大正池 モノクロの世界
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 娑婆への入り口がぽかりと口を開けている
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 翌朝、中の湯温泉のロビーから穂高連峰 吊尾根が見える
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 中の湯温泉

鍋割山

晩秋というのか初冬というのか、そんな丹沢の鍋割山を歩いてきた。
東名の伊勢原道ができて丹沢は近くなった。家から1時間で表丹沢の登山口の大倉に着く。
大倉の公営の駐車場、ネットでは8時からとなっているが、
行ってみると8時前から入れる。むしろ8時過ぎに行っていたら一杯だったかもしれず、
ネットの情報っていい加減なものである。
なにやら若い人たちが一杯いる。塔の岳とか鍋割山を目指しているらしく、
そちらの方にぞろぞろと人がゆく。
今って登山ブームなのか?(^^;

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    大倉のレストハウスの前、この写真撮ったときは人が少なくなってた

かつて、鍋割山に登るには登山訓練所のある二俣まで車で入れたのだが、
今は西山林道が一般車通行止めになり、大倉から歩かなければならない。
しかし、その道もなにやら昔と違って林道に入るまで随分回り道をする。
そのあとはひたすら林道を歩き二俣に着く。
若い頃の記憶の二俣とはだいぶ違う。
前は車を停められた辺りも木が生えたのだろうか狭くなっている気がした。
ここから後沢乗越に登り尾根に出る。
あとはその尾根を辿れば鍋割山である。

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  二又
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  西山林道 紅葉が綺麗
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  後沢乗越

葉の落ちた木々の尾根を登る。ところどころから富士山が見える。今日は天気がいい。
そうやって登ってゆくと山頂に出る。
山頂に着いて、えっ!? と思った。
山頂にある鍋割山荘、その入り口からずらりと人が並んでいる。50人はいるだろうか。
鍋割山の鍋割山荘、そこの名物の鍋焼きうどん、それを食べようという行列だということは
すぐに理解できたが、かつて、フツーに鍋割山に登り、フツーに空いている鍋割山荘に
入ってフツーにテーブルに座って鍋焼きうどんを食べていた人間には、
50人はいそうな行列を違和感なくしては見られなかった。
ひさしぶりの鍋焼きうどんはすぐに諦め、
頂上で富士山を眺めながら非常食の一口羊羹をひとつ食べて下山した。
実は今日は朝飯も食べていない。大倉で食べられるだろうと思って行ったら、
店が変わっていて何も食べられず、とりあえず非常食の一口羊羹ひとつ食べて
登ってきたのである。朝飯と昼飯がそれぞれ小さな非常食の一口羊羹ひとつだけ。
思わぬダイエット登山をしてしまった。

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  鍋割山頂からの富士山
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  鍋割山荘 この行列が写真の外の右の方にずっと続いていた

登ってきた道を下山して西山林道を下る。
周囲の黄葉が綺麗だ。
今日は結構歩いた、食うものを食っていないせいかかなり疲れて大倉に戻る。
3時に大倉に着き、朝はやっていなかったレストハウスでうどんを食べる。
今日初めてのまともな食事、美味しかった。

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  下山途中から 海が見える
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  大倉に3時に下山して今日初めてのまともな食事

奈良 大台ケ原 2

朝、洞川温泉を出発して大台ケ原に向かう。
カーナビの案内に従って走ってゆくのだが、山の中に入り道はどんどん細くなる。
走ってゆくと、みたらい渓谷という紅葉の綺麗な渓谷があったりするのだが、
対向車がきたらすれ違いができないような細い谷沿いの道がどこまでも続く。
そのうち弥山の登山口というのが出てきて、そのあたりからようやく
細いけれどもすれ違いできるところが少しふえたかなというくらいの道になる。
さらに走ってゆくと変な看板があった。
道路工事を告げる看板で8時半から12時までと午後も同じように時間指定で
通行止めという看板。
えっ!  なにこれ!?
カーブの番号らしきものが書いてあって、その番号のところから通行止めらしいのだが、
初めてここに来た者にはその番号のカーブがどこにあるのかさっぱり分からん。
カーナビを見ると、あと数キロでもう少し太い道に出そうである。
その手前なのか、その先なのか?
というか、この先通行止めで、さっき延々と走ってきたあの細い道を引き返すのか? 
という絶望に近い感覚(^^;
嫌なものから目を背ける気持ちでその先に進む…。
何キロ走っただろうか、コーナーを回った向こうの少しひろくなったところに
通行止めのコーンが並べられ誘導係が停まれと合図していた。
その誘導係のおじさんが運転席の方にやってきて、
「工事やっていまして8時半から12時まで通行止めです」と言う。
時計を見ると8時40分くらい。
マジですか…。
笑うしかない(^^;;
ここから引き返したら凄い時間かかるよね、待ってるしかないかなとか、
半分諦めの笑顔でおじさんと話していたら、
同情してくれたのか向こうに行って工事監督に話してくれて、
「1時間くらいでとりあえず一度通れるようにします」とのこと。
そのあと1時間、そのおじさんといろいろ話して過ごした。
周囲は国道とは名ばかりの酷道309号沿いの紅葉の谷なのだが、
おじさんに言わせると今年の紅葉は遅くてイマイチであるらしい。
他にもいろいろ、柿の葉寿司はひょうたろうが一番美味しいとか、
今日走ってきた、みたらい渓谷はこの辺で一番の紅葉の名所だとか、
昨日もここで仕事していて、ふと気づいたら狐が足元までやってきて、
話しかけたら逃げて行ったとか、面白い話を聞かせてくれた。
ちなみにそのおじさん、大台ケ原の駐車場の誘導係もやるらしく、
紅葉の季節は平日でも早い時間に一杯になり、道路に1キロくらい
縦列駐車の列ができるらしい。
1時間後、おじさんに礼を言ってとりあえず通してくれた道を走って、
やっとの思いで太い道に出る。

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  通行止め

おじさんの話ではこれから大台ケ原に行っても車は停められないだろうし、
そもそも昼からは雨の予報である。
足止めで時間が遅くなっているので大台ケ原は諦め、今日の泊まりの信貴山の方に向かう。
そもそもカーナビの案内を信じたのがいけなかったのだろう。
あるいは最短距離を案内したのかもしれないが、その道は国道ならぬ酷道だった。
少し遠回りでも太い道を走っていった方が早く着けたのだろう。
このまま泊まりのホテルに行くのは時間が早いので、奈良から山越えして大阪に入り、
楠木正成が立て籠もって戦った千早城に行ってみる。
ここも結構山奥である。金剛山の登山口の駐車場に車を停めて20分ほど山道を登ると
千早神社がある。ここが千早城の三の丸あたりであったらしい。
神社の後ろの方、金剛山に続く登山道から脇の方に登ってゆくと石垣があった。
その辺が千早城の一番高いあたりだろうが、天守というような広さではなく、
物見の櫓でもあったのかなというくらいの広さである。
戦国時代より前、鎌倉時代末の山城なので、そもそも天守などないのである。
楠木一族の緊急時の避難所兼砦のような存在として下赤坂城、上赤坂城、千早城が
あったのだろう。幕府軍がここにひきつれられている間に倒幕の旗は各地にあがり、
鎌倉幕府は滅ぶ。700年前のことである。
そこから信貴山に向かう。
信貴山の朝護孫子寺で信貴山縁起絵巻の特別公開をやっている。
今日は信貴山の温泉に泊まる。

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  千早神社
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  千早城の一番高いところの石垣


奈良 大台ケ原

大台ケ原、奈良県と三重県の境にある台地状の山塊である。
ニホンオオカミが最後まで生き残っていたという東吉野よりさらに山奥。
百名山のひとつでもあり、今年最後の登山ということで出かけた。
いかんせん、ちょっと遠いので車で登山口の下の温泉まで行き、
翌日、山を登るという予定。
横浜から東名、東名阪と走り継いで途中、伊賀上野城に立ち寄る。
徳川家康の伊賀越えとか伊賀忍者とかで有名な伊賀の城である。
最後は藤堂高虎が入り築城したが、大坂の陣で豊臣氏が滅び、
あまり必要がなくなって、建設中に暴風雨で倒壊した天守閣は再建されないまま
終わったらしい。いま立っている天守閣は戦前に再建されたものである。
天守閣と内堀との間には高石垣という石垣があるが、名前の通りこれが結構高い。

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     伊賀上野城
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  高石垣

横浜から延々と走り大台ケ原の近くの洞川温泉へ。
今夜はここで泊まる。
とりあえず温泉に入り汗を流し、夕食のあとちょっと歩いてみる。
道の両側に温泉宿と日本古来の民間薬である陀羅尼助の製造販売をしている店が
並んでいる、ちょっと変わった雰囲気の温泉街である。
日が暮れた通りには灯りが並び落ち着いた家並みはなかなか風情がある。
明日は早く出発して大台ケ原の登山口に行かなければならないので、
今日は早く寝る。

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  洞川温泉




大山の七味

家の七味がきれた。

七味といえば浅草のやげん堀、京都の清水坂、長野の善光寺あたりが有名だが、

丹沢の大山の参道でも売っているのを思い出した。

おじいちゃんおばあちゃんがやっているテントみたいな店で週末や休日だけ店を開く。

足慣らしがてら大山登って七味を買ってこようと思い立ち、

朝早く電車で秦野、そこからバスで50分でヤビツ峠。

ヤビツ峠にきたのって久しぶりだ。

若いころ、丹沢といえば沢登りにくるところだった。

大山周辺も葛葉川とか大山川とか割と簡単な沢があって楽しめるところである。

だんだん難しい沢を志向するようになると西丹沢の方に目がいって、

ヤビツ峠とか大山のあたりはあまり行かなくなった。


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  ヤビツ峠の登山口

ヤビツ峠からイタツミ尾根を登り頂上を目指す。

右には木立ちの間から時々相模湾が見え、左は表丹沢の山並みが見える。

景色のいいところで、このイタツミ尾根は結構気持ちのいいルートである。

ゆっくり登ったが1時間20分で大山の頂上着。

まだコースタイムくらいでは登れるんだと安心した。


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  イタツミ尾根

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  大山山頂の阿夫利神社奥社

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  頂上から相模湾

大山の頂上は人が多いので簡単に昼飯を食べてすぐに下山開始。

今日は七味を買うついでに大山に登っただけなのですたすたと降りる。

阿夫利神社の下社まで1時間で下山、そこから大山寺を経て30分で参道まで下った。


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  阿夫利神社下社

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  下社からの眺めもいい

参道を行くと七味の店があった。今日は開いている。

大辛、特辛、一味を売っていて、大辛を試食させてもらったが、それほど辛くない。

一味は最初甘さを感じるのだが、そのあとすぐに辛さがくる。

材料は全部自家製でかなり昔から店をやっているらしい。

七味というのは香りを楽しむんだと言われ、特辛と一味を買った。

ブレンドもしてくれるらしい。

写真を撮らせてもらい、おじいちゃんおばあちゃんに礼を言ってバス停にくだる。

バス停に着くとすぐに伊勢原行きのバスが来て3時半には家に着いた。

天気も良くて七味を買うついでの大山登山も楽しかった。


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  大山参道の七味唐辛子の店

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  特辛と一味を購入

ザイル祭

山岳会の現役とOBが年に一度集まるザイル祭。

かつては裏丹沢の神の川ヒュッテで開いていたが、神の川ヒュッテが使えなくなり、

山梨の方で開いていたこともあるが、昨年から表丹沢のどんぐり山荘を使うようになった。

山登りを始めた頃、はじめての沢登りをしたのが表丹沢。

水無川の本谷や勘七の沢、源次郎沢など、初級から中級の日帰りで登れる沢があり、

このあたりの沢を登って技術を身につけ、

上越やアルプスのより大きな谷を登りに行った。

自分達にとって表丹沢はそういう場所である。

夕方、大倉のバス停のすぐそばのどんぐり山荘に集まり、宴会開始。

現役とOB25人くらい集まっただろうか。

SNSの時代、山登りをする若者はネットでつながるようになり、

山岳会には人が集まらなくなってきた。

かつて先鋭的に活動していた山岳会が会員の高齢化で活動が変容していたり、

山岳会というもの自体が過去のものになりつつあるのかもしれない。

そんなこんなの時代ではあるが、

若い頃ともに山を登った仲間とひさしぶりに会うのはやはり楽しい。

鹿児島から駆け付けた仲間も加え夕方から飲み始めて宴会は日付けが変わるまで。

飲んで話して楽しい時間を過ごした。

それにしてもみな歳をとった。

病気の話などが多くなるのは仕方ないのであろう。

疲れた者から三々五々眠り、翌朝、鳥のさえずりで目を覚ます。

宴会の片づけをして朝食を食べ、全員で記念写真を撮って、

そのあとはこりもせず朝から再び飲み始める者もあり、

思い出話に花を咲かせる者もあり、

寝不足解消に帰るまで寝る者もあり、

そんな感じでそれぞれ過ごし、

来年の再会を約束して帰路に着いた。

ちなみに新東名ができたので表丹沢から横浜に1時間で帰ってしまう。

若い頃とは違い便利になったものである。


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  どんぐり山荘

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