短歌結社の全国大会、今年は島根の松江。
全国大会は例によって一般公開のブログラムだけ参加する。
出席者が多すぎて不完全燃焼に終わるのが見えている歌会の方には参加しない。
溜まったマイルで出雲空港。
空港からバスで松江、そこから山陰線の各駅停車で揖屋に行く。
ちなみに山陰線の各駅停車は二両編成でドアはボタンを押さないと開かない。
鉄道の旅がしたくなるような電車だ。
松江から二駅目の揖屋は静かな出雲の田舎である。
駅前にも特別なものはなにもない。
地図を見ながらそこから歩く。
道を曲がり小さな川を渡り小学校の脇を通ると国道9号に出る。
そこを渡り、しばらく行った先の二又を右に入ると目的の場所に着く。
伊賦夜坂。
日本神話の黄泉比良坂、その原型になった坂である。
周囲に家も建っていて、どうということのない山道の入り口である。
国道から右に入るのだが、黄泉比良坂は左という案内がある。
これは車で行く場合は中海側の駐車場に行くため。
伊賦夜坂の入り口、以前、反対側から歩いたときは手前左の土地に家があった。
伊賦夜坂、黄泉比良坂の入り口
そこに入り、森のなかをしばらく登ると下り坂になり、坂の向こう側に出る。
向こう側には鳥居と大きな岩と黄泉比良坂の案内がある。
いつ頃からか亡き人への手紙を届けるというポストが置かれ。
毎年かなりの手紙が入れられるらしい。
駐車場もあって車で来られるようになっている。
黄泉の国に続く坂にしては割とあっさり抜けてしまうのだが、
どうなんだろう、古代、海はもっと内陸に入っていて、
揖屋から伊賦夜の坂を抜けると海はかなり近かったのではないか。
そしてその海、現在の中海の向こうの弓ヶ浜半島は古代では陸続きではなく、
夜見の島という島だった。
今でも弓ヶ浜半島には夜見(ヨミ)という地名が残っている。
森のなかの坂を登り、反対側に下る
反対側、岩と案内板と亡き人への手紙を入れるポストがある。
地本の人の話ではこの岩はあとから置かれたものらしく、最初からあった
ものではない。千引の岩ということなのだろうが、だとしたら置く場所が
逆である。黄泉比良坂の入り口すなわちこの世の側はおそらく揖屋の側、
そちらにあるはずのもの。
整備するとき駐車場の作れる中海側に作ったのでそうなったのだろう。
ここからは私の推測だが、古代、伊賦夜坂を越えた中海側、あるいは夜見の島は
葬送の地だったのではなかろうか。
伊賦夜坂は死者を送る古代の葬送の道だったのではないか?
それが黄泉比良坂の神話の原型になったのではないか、
そんな気がするのである。
海に続いていたであろう道は今は谷沿いの田園の道である。
古代、伊賦夜坂をくだると海はすぐそこだったのではなかろうか。
山陰線の下をくぐり揖屋の方に戻るとその先に揖夜神社がある。
黄泉比良坂をくだり会いにきた伊邪那岐と千引の岩で決別した伊邪那美を祀っている。
静かな出雲らしい神社である。
結構マニアックな場所なので観光客はあまり来ない。
揖夜神社は昔から婦人病に霊験があると言われ、そういう参拝者が多かったらしい。
恐ろしい力のあるものを鎮魂し、その異形の力にあやかる。
日本には古代からそういう信仰がある。
菅原道真の怨霊を鎮め、学問の神として崇める。
平将門を鎮め、神田明神で厄除けを祈る。
それと同じである。
黄泉の国に自分を迎えにきた愛する夫に醜い姿を見られ、
千引の岩の別れで日に千人を殺すと呪った伊邪那美、
その怒りと悲しみを鎮魂し、あるいは封印する。
そして原初の女の異形の力を崇め、病の治癒を祈る。
そういう信仰が古代から揖夜神社には長くあった。
揖夜神社 古くは伊布夜の社 建立時期も定かでないが出雲国造の時代には既にあった。
境内の荒神 仏教が入る以前の神だが、以前来て最初に見たとき八岐大蛇を連想した。
それにしても伊邪那美を鎮魂し封印したのはいつの時代なのだろう。
神話の原型は弥生の頃だろうか。
3000年~2000年前から現代まで黄泉比良坂の原型になった伊賦夜坂は同じ場所にあり、
今も住宅地に続いているということか。
それも出雲らしくて凄い。
揖屋の駅に戻り、二両電車の各駅停車で松江へ。
まだ時間があったので宍道湖まで歩き、全国大会の会場のホテルに向かった。
長くなるので全国大会についてはまた後で。
宍道湖
全国大会前に昼食、歌会の前には一杯飲んで戦闘態勢に切り替えるのだが、
今回は歌会はなし。しかし、黄泉の国に行ってきたのだから、
やはり禊ぎの酒は飲まないといけない。


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