NHK短歌を読んでいたら河野裕子の歌があった。
木いちごの緑葉照れる木造の階段教室に初めて逢ひき
/ 『桜森』
河野裕子が生涯の親友となる人との大学での出会いを回想している歌だが、
読んでいてふと思った。
河野裕子の回想の場所は階段教室の中? あるいは外? どっちだ?
「階段教室に初めて逢ひき」という表現からは階段教室のなかで出会っているシーンを
思い浮かべるわけだが、
「木造の階段教室」という表現からは木造の階段教室の講義棟を外から見ている
感じがある。
「木いちごの緑葉」はどこから見ているのか?
木いちごはそんなに背が高くなる木ではない、せいぜい1~2mか。
階段教室の内側を回想しているなら教室の窓から木いちごを見下ろしているのだろう。
建物の外側にいるなら、建物の脇に植わっている木いちごを見ているわけである。
「木造の」とわざわざ言っているところからすると、
河野裕子は木造の階段教室の講義棟を外から見て詠っているような気がする。
建物のほとりには木いちごの緑の葉が日に照っている。
そしてその回想は、建物の外から階段教室のなかへとめぐっていく。
人がなにかを回想するとき、ただひとつのシーンだけを思い出すのではない。
映画のタイタニックの一番最後のシーンのように回想は自由に駆け巡るのである。
ほとりに木いちごの茂る建物の外から、そして階段教室のなかへ、
河野裕子の回想を少し追っかけてみた。
アーチェリーの射場に植えた木苺(ラズベリー)
植えて2年ほどだが、そんなに大きくならない。
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