台湾三日目は台湾新幹線で台南へ。
ネットで前もってチケットを購入して当日、駅の窓口で受け取る。
台湾に何度も行っている知人に聞いて、ちょっと面倒なのかと思っていたが、
どうということもなくスムーズだった。
台北から台南まで1時間半。
車窓の眺めは割と変化に乏しいという感じがしたが、
台南に行くのはゼーランディア城を訪ねるためである。
オランダの東インド会社が17世紀、台湾に作った貿易の拠点。
最初、オランダはマカオを占領しようとしたがポルトガルの抵抗にあい断念した。
台湾海峡の澎湖諸島に拠点をつくるがこれも清に撤去を求められ、
結局、台湾に拠点を作った。それがゼーランディア城である。
1627年、朱印船の船長・浜田弥兵衛がオランダが課した10%の関税に反発し、
総督ノイツを捕らえて人質にし長崎まで連れてきて関税を撤廃させ、
台湾を自由貿易地にした。その現場。
日本が引きこもりしていなかった時代の話である。
台南に着き駅からタクシーでホテルへ。
チェックインすると日本語の話せるスタッフがいたので、
安平古堡(ゼーランディア城)に行くにはどう行くのが一番いいか聞いたら、
バスでも行けるが時間がかかるのでタクシーが一番いいと言う。
200元くらいというので、とりあえずタクシーを呼んでもらい、部屋に荷物を置いて
すぐに出発。ホテルからまっすぐな道を走って4時に安平古堡に到着、170元だった。
ちなみに史跡公園の入場は5時までだった。
史跡はそれほど広くはなく、オランダの時代の古い城壁と砲台が残っていて、
あとは小さな展示館があるくらいのものである。
ゼーランディア城の時代は周囲は海だったのだが、今は埋め立てられて海は
少し遠くなっている。展示館の資料を見ながら、オランダ人はよく地球の裏側まで
やってきて商売をしようとしたもんだなと感心した。
海の向こうに目を向けた西洋と、鎖国あるいは海禁政策をとった東洋。
この違いはどこからきたのかなと思った。
城内には鄭成功の銅像が立っている。
1662年、清によって大陸を追われた明の遺臣・鄭成功はゼーランディア城を攻め落とし、
ここを安平城と改名し鄭氏政権の王城にする。
鄭成功はここで大陸への反攻を企図し、当時の徳川幕府にも派兵を要請したりしたが、
結局1683年、清により安平城は攻め落とされ、鄭氏による清への抵抗は終わる。
近松門左衛門の「国姓爺合戦」はこのあたりの話を題材にしている。
ちなみに鄭成功の母親は日本人であり弟は日本人として日本で暮らした。
台湾の南の端に日本ともかかわりのある古い城跡があることを、
あまり日本人は知らないかもしれない。
ホテルには結局歩いて戻った。
タクシーで帰るつもりだったのだが、真っすぐな一本道だったので歩いても
帰れそうな気がしてそのまますたすたと歩き、
途中、祭りの行列と出会ったりしながら1時間でホテルに着いた。
翌日、のんびりチェックアウトして再び新幹線で台北に戻り、
一晩過ごしてから帰国した。
10年以上前に訪れて2度目の台湾だったが、
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