あと少し飛べば百万年前の空 かのメデューサに魅入られた身は

                           / 『海の琥珀』岡部史

 

岡部史の歌集『海の琥珀』のなかの一首。

この一首だけではわかりにくいかもしれない。この歌のある一連の最初の歌は、

 

凍てつく夜プロシアの沖に流れ着き琥珀はうすく潮の息吐く

 

北海沿岸に打ち寄せる琥珀は古代のバルト海沿岸に繁茂していた針葉樹の樹液が

固化したものである。

そのなかには虫が閉じ込められていることがある。

樹液に捉えられて動けなくなった虫は数万年の時を経て虫入りの琥珀になった。

あと少し飛べば百万年前の空を飛んだはず。

しかしその虫は樹液に捉えられた。

目の合ったものを石に変えるというギリシア神話のメデューサ。

そのメデューサに魅入られたように虫は琥珀になった。

この歌が琥珀の歌の一連のなかの一首ということを知らなくても、

なにがしかの鑑賞はできる気がする。

ちなみに、この『海の琥珀』の一連を読んだとき思い出したのは、

しばらく前に読んだバリー・カンリフの『ギリシャ人ピュテアスの大航海』。

2300年前、ブリテン島がローマ帝国に組み入れられるより数百年前、

琥珀のもたらされる北の海を旅したギリシャ人の物語である。

ローマ帝国による支配がまだ成立していない地域だったが、

野蛮がすべてを支配していたわけではない。

交易ルートが存在し、その交易をなりわいとする人たちが既に存在していた。

ピュテアスはその交易ルートを使って未知の北の世界を旅した。

未知の世界を旅した冒険者。

その遥かな北の世界から琥珀はもたらされた。

その世界を詠った歌に出会ったのは新鮮な驚きだった。


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   射場の彼岸花が咲いた