京都2日目、ホテルをチェックアウトしてバスで栂の尾へ。
市内を抜けて高雄方面の山の中、50分くらいで着く。
京都と小浜をつなぐ周山街道の途中なので、もとは小さな宿場町だったのだろう。
ちなみに周山街道は朽木・花折を通る鯖街道とは別ルートの鯖街道、
西の鯖街道ともよばれる。
ここに世界遺産の高山寺がある。
近くに紅葉の綺麗な神護寺があり、そこには行ったことがあるのだが、
高山寺は行ったことがなかったので行ってみた。

栂の尾 山あいで家もそう多くは建っていない
高山寺へ登る
バス停から山を登っていくと境内に出る。
4年前の台風でかなりの被害を受け、その復旧工事を長くやっていたらしい。
実際、かなり太い切り株が沢山あり、おそらく台風で倒れたのであろう。
これらの大木があった頃は鬱蒼とした境内だったのに違いない。
国宝の石水院に入る。
受け付けを通り、渡り廊下でつながっている離れが石水院。
広縁に善財童子の小さな像がある。
紅葉は既にほとんど終わっているのだが、部屋から見る風景がともかく美しい。
高山寺が所有する鳥獣人物戯画の複製も展示されている。本物は博物館である。
ここは人の少ない時に行くのがいい。
離れの座敷から紅葉あるいは冬景色、春の若葉を眺めたら素晴らしいだろう。
石水院を出て境内を歩いてみる。
大木が倒れ掛かった金堂も修理されているが、いずれも割と小ぶりである。
木が倒れて少なくなり明るくなった境内はちょっと殺風景にも見える。
緑に覆われた古刹というもとの姿に戻るには何十年もかかるのかもしれない。
いずれにしろ寺としては決して大きくはないので見て歩くと結構早く終わる。
ここに来るなら近くの神護寺とかとセットで歩くのがいいだろう。

石水院 善財童子 向こう側が鮮やかな紅葉だといい絵になるが、既に紅葉は終わり。
石水院 人の少ないときに行くのがいい。
金堂 割と小さい
バス停に戻り再び京都市内へ。
思ったより早く市内に戻ってきたので、テキトーに歩くことにする。
四条河原町から賀茂川を渡り花見小路を通り建仁寺の境内を抜けて六道の辻、
平家が全盛を誇った跡の六波羅を通って方広寺、豊国神社、国立博物館の脇を通り、
七条通りにでれば向かいは三十三間堂である。
このなかで方広寺は以前、テキトーに歩いていて偶然見つけたのだが、
豊臣家が家康を呪詛したという「国家安康」の鐘があった方広寺である。
当時はかなり大きな寺で隣の豊国神社や国立博物館のあたりまで境内だったらしいのだが、
今は小さな寺になっている。
その時はテキトーに歩いていて、ふと鐘楼の石段に座って話をしている二人の女子高生が
目にとまった。変な意味ではなく若く健康的な彼女たちの姿に目がいったわけだが、
その後ろの大きな鐘に気づいた。
こんな小さな寺にこんな大きな鐘? と思ったのである。
女子高生たちが去ってから鐘のところに行ってみた。
「国家安康」の方広寺の鐘と気付いた。
家康が豊臣家を滅ぼすためにイチャモンつけたわけだが、
その鐘の現物が今も残っているとは知らなかったので驚いたのだった。
ホントに呪詛されていると思ったら鐘を溶かしてしまいそうだが、
それをしなかったのは家康本人もイチャモンだと分かっていたのだろう。
ひさしぶりに方広寺の鐘を見て、そのあと三十三間堂を見、七条通りを歩いて京都駅。
幸い天気も良くてぶらり京都歩きを楽しめた。
駅で土産と今夜の夕飯の鯖寿司を買って新幹線に乗った。
花見小路
建仁寺

六道の辻 昔、この辻から東側の鳥辺野は都の葬送の地だった。
俗界と冥界の境が六道の辻。
京都の路地
方広寺の鐘楼
方広寺の鐘 左上白く囲われているところに「君臣豊楽」「国家安康」の銘文がある。
方広寺の本堂
方広寺の隣、豊国神社 祀られているのは豊臣秀吉。
三十三間堂に入る前にうぞうすいで昼飯
三十三間堂 ここで通し矢をする。


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