今年最後の歌会は湘南歌会。
コロナの感染拡大で開催するのかどうか心配して問い合わせたら、
出席者が6人以下の場合は開催するかどうか検討しますとのことだったので、
塔を創設した高安国世は「歌会はふたりいれば出来る」と言っていたそうだと返信した。
それが効果あったのかどうか知らないが、当日は出席者5人での歌会(^^;
で、気になった歌。
例によって誌面発表前なのでここには出せないが、
マスクをしないで歩いてくる男女が楽しそうに笑っている 羨ましくはない筈なのだ
そんな歌意の歌。
情景は分かりやすい。
向こうからマスクをしていない男女が楽しそうに笑いながら歩いてくる、
それを見ている自分、羨ましくはない筈なのだが…。
つまり、羨ましいのである。
およそ短歌を詠む人間というのは屈折しているので羨ましいと素直には言わない。
「羨ましくはない筈なのだ」と持ってまわった言い方をする(^^;;
ま、屈折している方が人間の心理の襞は見えるわけで、
羨ましくない、コロナの時代にこんな楽しそうにしやがって、しかもマスクも
しないなんてこいつらにはモラルもないのか、でも、彼女結構可愛いし…、
いや、羨ましくはない…い、いや、羨ましくは…。
その辺の心理の襞が見えるようで面白い(^^;;;
ただ、ひとつ気になったのは、あと何年かして新型コロナが過去のものになったとき、
この歌は通用するんだろうか…。
それはふと思ったのだが、どうなんだろう、人はみな時代のなかで生きている。
表現として普遍的かという話はあると思うが、
その時代その時代で、詠っていくしかないのではなかろうか…。
そんなことを思いつつ、出席者5人、詠草10首の小さな歌会は3時には終了。
5人以上の飲み会はやめろと国が言うので素直に帰った。
最後まで新型コロナに振り回された一年だったような気がする。
来年もしばらくはこの状況が続くだろう。
歌会が開けないなら開けないで、自分ひとりでも短歌に向き合ってやっていこうと思う。



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