バンザイクリフはサイパン島の最北端。
サイバン戦の最後、追い詰められた多くの日本兵と民間人がここで死んだ。
逃げる民間人が崖から飛び降りる白黒の映像は、
たぶん、多くの人が見たことがあるだろう。
その悲惨さについては今さらここに書かない。
ひとつ気になったことがある。
幾つかの慰霊碑とともに忠魂碑が建っている。
というか、この忠魂碑が中心的存在として建っている。
2005年、天皇がここを訪れた。
忠魂碑の傍らにはそのときの歌も刻まれている。
バンザイクリフ
私は違和感を覚えた。
軍人のための碑なら「忠魂碑」は分かる。
必ずしも封建的な意味での忠義ではなく、義務を果たしたというニュアンスがある。
しかし、ここでは多くの民間人が死んでいる。
彼等は天皇への忠義で死んだのではない。
崖から海に飛び降りた民間人達は国や天皇への忠義のために飛び込んだのではない。
彼等は生きたかったのだ。
それがなぜ、「忠魂碑」?
「慰霊碑」あるいは「鎮魂の塔」ではいけないのか?
バンザイクリフに立ち、かつて多くの人達が死んだ岬を見、忠魂碑を見上げたとき、
最初に抱いたのはその疑問だった。
彼等、民間人の死をこういう言葉で鎮魂するのか?
愚劣なウヨクでもなく、幼稚なサヨクでもないつもりだが、
愛国や平和を語る人達は、こういうさりげない疑問を抱かないのだろうか?
海は限りなく青かった。
忠魂碑
バンザイクリフから戻り、東海岸のバードアイランドを見たりしてから、
西海岸沿いの道を南に戻る。
左ハンドル・右側通行もやってみればどうということもない。
割と早く適応して、ガラパンの市街地も普通に運転。
ただ、日本とアメリカは運転ルールが違うので、スクールバスが来たときとかは気を付け
なければならない。スクールバスが停まったら反対側の車線も含めて他の車はすべて停止。
バードアイランド サイパンの東側の海は深い紺青の色をしている
バードアイランドから先、カラベラケーブに続く道、
現在、カラベラケーブは立ち入り禁止。
カラベラケーブへ続く道で見かけたパパイヤ
マッピ山のネッタイチョウは撮りそこねたが、
これはカラベラケーブへの道にいたナンヨウショウビン?
ガラパンのアメリカ記念公園に立ち寄り、そこに車を止めて昼飯を食べ、そのあとも運転。
再び空港の方に行き。ガイドブックの大まかな地図を頼りに、空港の近くに残っている
旧日本軍の戦車や建物の跡を訪ねてみる。
ちょっと分かりにくかったが、空港を回り込むようにして目的地到着。
97式中戦車の残骸や、錆びついた一式速射砲、対空機銃があった。
建物は発電所の跡と防空壕と弾薬庫。
97式中戦車を見たが、かなり小さい。
二人並んで車内に座ったらかなり窮屈だったのではなかろうか。
「こんな小さい戦車で戦っていたのか...」と思った。
向こうにサイパン国際空港の管制塔が見えるところに、戦争の跡が残っている。
他に人は誰もおらず、観光地というより、忘れられた戦跡という感じ。
97式中戦車
一式速射砲と対空機銃、向こうに弾薬庫の跡が見える
別の97式中戦車、側面に砲撃を受けたのか穴があいている
対空機銃 向こうに見えるのはサイパン国際空港の管制塔
そのあとは、島の東側の死の谷に近い洞窟にある聖母マリア像を見に行ったりして、
夕方までサイパンを走り回る。
ちなみに地元チャモロの人達の信仰を集めているという聖母マリア像は洞窟というか、
大きな岩の下にあり、地図を見て車で走ってゆくとちょっと分かりにくい。
探していてほんの少し通り過ぎたのだが、目付きの鋭いお兄さん達が闘鶏をやっていて、
そこにいたお婆ちゃんに聖母マリア像の場所を聞いたら、「あっちだ」と教えてくれた。
島の東側、ちょっと辺鄙なところにある聖母マリア像
小さな島なので一日かけると島を二回りぐらいできる。
充分に左ハンドル・右側通行の練習をしてガラパンのハーツに戻って車を返し、
土産を買い、ビールを飲んで晩飯を食い、昨日同様、マッサージの客引きの女の子達に
笑顔でノーサンキューを繰り返し、ホテルに戻った。
明日はもう帰国する。
短いサイパン旅行だったが、目的だった左ハンドル・右側通行の運転はバッチリ。
それなりにいろいろ見たし、いろいろ思うところもあって、
いい旅だったと思う。


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