2026年06月

総会

年に一度の税理士会支部の総会。

今年はもうひとりの監事が監査報告を担当するので出番はなし。

暇を持て余しながら会場に座っていたら、

議案説明のあとで会場から質問が出た。

ただ、聞いていてちょっと首を傾げた。

支部が出す支払調書が届かなかったので申告のときに困った、

担当部長からはなんの説明もないが、どういうスタンスで仕事をしているのか?

という内容の質問で、そのあと、担当部長と担当副支部長が説明していたが、

総会で議案を審議しているわけである。

当然、質問は議案の内容についての質問であるべきではないのか?

しかし、その質問は議案とは全く関係なかった。

議案と全く関係ない質問は普段の例会ですればいいのである。

総会でそういう質問が次々と出たら議案審議ができなくなる。

本来なら司会が、議案について質問してくださいと促して質問を変えさせる

べきだったのではないかと思う。

それに、これはそのあとの休憩のとき他の会員も言っていたが、

質問というより質問に名を借りたクレーム

クレームも健全なクレームなら遠慮することはないわけで、

それもやはり普段の例会で言うなり、直接、担当者に言えばいいのである。

普段の例会は会員に情報を伝えるだけでなく、会員の声を聞く場でもあるはずだ。

それを総会でそういうことをするのはどうなんだろうと思ったわけである。

来年からは、質問は議案についての質問に限定すると、

前もって示すべきなんじゃなかろうか。

そんなこと思いつつ、総会は無事終了した。


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  射場のホタルブクロが咲いた

松江から鳥取、岡山

短歌結社の全国大会、一般公開のプログラムだけ参加して、

翌日は松江を歩く。

泊まったホテルから松江城の堀沿いに歩いて武家屋敷のあったあたりを歩いていくと、

小泉八雲記念館がある。

小泉八雲は明治の時代、ついこの前まで国を閉ざしていた極東の国にやってきて、

英語教師をし、大学で教え、多くの著作を残した。

彼が『怪談』を書かなかったら、我々は子供のとき、どういう形で

「耳なし芳一」や「雪女」の話を聞いたのだろう。

記念館の隣りが小泉八雲が住んだ旧宅。小さいながら綺麗な庭のある旧武家屋敷である。


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  小泉八雲記念館 武家屋敷の並びにある
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 小泉八雲の旧居
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 小さいながら感じの良い庭がある

このあと一日遅れで島根に来た息子と松江城で合流し、

尼子氏の拠点だった月山冨田城を見て三朝温泉で泊まった。

ちなみに三朝温泉は今回泊まった温泉のなかで一番良かった。


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 松江城
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 昼飯は出雲蕎麦
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 尼子氏の拠点だった月山富田城
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 上に登るとこんな感じ 山中鹿之助はここからの風景を見たのであろう

翌日は鳥取に行き、そこから岡山に入り、5世紀初めの頃の吉備の国の王墓なのであろう

巨大古墳の造山古墳を見に行った。


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 鳥取城の石垣、日本でここだけの丸い石垣がある。
 ちなみにこれは下の石垣の上に石垣を増築したら構造上無理があったらしく、
 ここの部分がせり出してきたのでそれを修理補強して丸くなったらしい。
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 鳥取のすなば珈琲 鳥取砂丘の砂を使って焙煎する砂焼き珈琲なんだそうで、
 美味しかった。以前、鳥取の知事が「鳥取にはスタバはないが日本一の砂場がある」と
 ギャグを言ったのをもらって鳥取の御当地珈琲チェーン「すなば珈琲」が出来たらしい。
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 造山古墳 ビジターセンターからの写真。正面が後円部分、前方部分は左。
 雨が降っていたので古墳には登らなかった。

吉備の国の王墓なのであろう、というのは、被葬者について記録がなにも残っていない

のである。宮内庁の陵墓にも指定されていないので、天皇家と関わりのあるものとは

認識されていないのであろう。しかしながらヤマトの天皇の陵墓に匹敵する巨大古墳、

日本で4番目に大きい古墳である。

それが記録が残っていないというのは、

ヤマトと吉備の間でかなりの戦いがあったのかもしれない。

実際、日本書紀には吉備の乱が記録されている。

夕方、台風が近づいていたが無事に飛行機は飛んで、岡山空港から羽田に戻った。





全国大会 島根

全国大会の会場は宍道湖のほとりのホテルで、会場の外の受付のあたりからは

宍道湖が綺麗に見えた。参加者は200人くらいだったのかな?

京都や東京あたりで開く大会と比べると地方での大会はこじんまりとした感じはある。

物価高の昨今、交通費もかかるので仕方ない。


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 会場からの宍道湖

一般公開のプログラムの最初は「歌集の空間を楽しむ」という吉川宏志と花山多佳子に

よる鼎談。アンソロジーで読む場合と歌集で読む場合の違い、歌集は名歌・秀歌だけが

並ぶわけではなく、何気ない歌が入っていることの良さがある、という話はその通り

だろう。確かに、一連の中に何気ない歌が入っていることでその歌群が良くなるという

ことは当たり前にある。

鼎談のあとは「わたしたちの第一歌集 時代と社会の中で」という題の座談会。

出席者がそれぞれの第一歌集について話をし、裏話などもあって面白かった。

なかでも座談会の司会をした澤村斉美の話が良かった。

もともと話が上手いのだが、話の内容も一番あったような気がする。

彼女の第一歌集は『夏鴉』。2008年出版の現代短歌新人賞などを取った歌集だが、

なぜか結社に入って数年しか経っていない自分にも批評会の招待状がきて、

行ってみたら錚々たる顔ぶれの評者達の話していることが殆ど理解できず、

力の差を見せつけられた気がして、

そのあとの懇親会には出ないで悄然として帰ってきたのを覚えている。


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 座談会

最後の挨拶は永田和宏、この人も相変わらず話が上手い。

挨拶のなかで、若い時に好きな歌集を一冊書き写したという話をして、

歌集を書き写したことがありますか? と会場に問うたら数人、手を挙げて、

永田さん「えっいるの!?」と驚いていた。

実はその時に手を挙げなかったが、自分も歌集一冊書き写したことがある。

自分の場合はワードで書き写した。

ワードじゃ駄目か?

一首一首手書きで書き写すくらいの熱がないと駄目かな?(^^;

初日のプログラムが終わり、そのあとは懇親会。

懇親会には出ないので、しばらく知った会員と話をして会場を出、

20分ほど歩いて宿泊するホテルに入った。


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 夕飯はひとりで飲みに出かけた。地魚の刺身と地ビール。
 

伊賦夜坂 黄泉比良坂

短歌結社の全国大会、今年は島根の松江。

全国大会は例によって一般公開のブログラムだけ参加する。

出席者が多すぎて不完全燃焼に終わるのが見えている歌会の方には参加しない。

溜まったマイルで出雲空港。

空港からバスで松江、そこから山陰線の各駅停車で揖屋に行く。

ちなみに山陰線の各駅停車は二両編成でドアはボタンを押さないと開かない。

鉄道の旅がしたくなるような電車だ。

松江から二駅目の揖屋は静かな出雲の田舎である。

駅前にも特別なものはなにもない。

地図を見ながらそこから歩く。

道を曲がり小さな川を渡り小学校の脇を通ると国道9号に出る。

そこを渡り、しばらく行った先の二又を右に入ると目的の場所に着く。

伊賦夜坂。

日本神話の黄泉比良坂、その原型になった坂である。

周囲に家も建っていて、どうということのない山道の入り口である。


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 国道から右に入るのだが、黄泉比良坂は左という案内がある。
 これは車で行く場合は中海側の駐車場に行くため。
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 伊賦夜坂の入り口、以前、反対側から歩いたときは手前左の土地に家があった。
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 伊賦夜坂、黄泉比良坂の入り口

そこに入り、森のなかをしばらく登ると下り坂になり、坂の向こう側に出る。

向こう側には鳥居と大きな岩と黄泉比良坂の案内がある。

いつ頃からか亡き人への手紙を届けるというポストが置かれ。

毎年かなりの手紙が入れられるらしい。

駐車場もあって車で来られるようになっている。

黄泉の国に続く坂にしては割とあっさり抜けてしまうのだが、

どうなんだろう、古代、海はもっと内陸に入っていて、

揖屋から伊賦夜の坂を抜けると海はかなり近かったのではないか。

そしてその海、現在の中海の向こうの弓ヶ浜半島は古代では陸続きではなく、

夜見の島という島だった。

今でも弓ヶ浜半島には夜見(ヨミ)という地名が残っている。


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 森のなかの坂を登り、反対側に下る
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 反対側、岩と案内板と亡き人への手紙を入れるポストがある。
 地本の人の話ではこの岩はあとから置かれたものらしく、最初からあった
 ものではない。千引の岩ということなのだろうが、だとしたら置く場所が
 逆である。黄泉比良坂の入り口すなわちこの世の側はおそらく揖屋の側、
 そちらにあるはずのもの。
 整備するとき駐車場の作れる中海側に作ったのでそうなったのだろう。

ここからは私の推測だが、古代、伊賦夜坂を越えた中海側、あるいは夜見の島は

葬送の地だったのではなかろうか。

伊賦夜坂は死者を送る古代の葬送の道だったのではないか?

それが黄泉比良坂の神話の原型になったのではないか、

そんな気がするのである。

海に続いていたであろう道は今は谷沿いの田園の道である。


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 古代、伊賦夜坂をくだると海はすぐそこだったのではなかろうか。

山陰線の下をくぐり揖屋の方に戻るとその先に揖夜神社がある。

黄泉比良坂をくだり会いにきた伊邪那岐と千引の岩で決別した伊邪那美を祀っている。

静かな出雲らしい神社である。

結構マニアックな場所なので観光客はあまり来ない。

揖夜神社は昔から婦人病に霊験があると言われ、そういう参拝者が多かったらしい。

恐ろしい力のあるものを鎮魂し、その異形の力にあやかる。

日本には古代からそういう信仰がある。

菅原道真の怨霊を鎮め、学問の神として崇める。

平将門を鎮め、神田明神で厄除けを祈る。

それと同じである。

黄泉の国に自分を迎えにきた愛する夫に醜い姿を見られ、

千引の岩の別れで日に千人を殺すと呪った伊邪那美、

その怒りと悲しみを鎮魂し、あるいは封印する。

そして原初の女の異形の力を崇め、病の治癒を祈る。

そういう信仰が古代から揖夜神社には長くあった。


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 揖夜神社 古くは伊布夜の社 建立時期も定かでないが出雲国造の時代には既にあった。
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 境内の荒神 仏教が入る以前の神だが、以前来て最初に見たとき八岐大蛇を連想した。

それにしても伊邪那美を鎮魂し封印したのはいつの時代なのだろう。

神話の原型は弥生の頃だろうか。

3000年~2000年前から現代まで黄泉比良坂の原型になった伊賦夜坂は同じ場所にあり、

今も住宅地に続いているということか。

それも出雲らしくて凄い。

揖屋の駅に戻り、二両電車の各駅停車で松江へ。

まだ時間があったので宍道湖まで歩き、全国大会の会場のホテルに向かった。

長くなるので全国大会についてはまた後で。


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 宍道湖
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 全国大会前に昼食、歌会の前には一杯飲んで戦闘態勢に切り替えるのだが、
 今回は歌会はなし。しかし、黄泉の国に行ってきたのだから、
 やはり禊ぎの酒は飲まないといけない。

 

 

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