一年振りに福島の歌会に行ってきた。
花咲か爺ではないが、桜が咲く季節になると福島に行く。
歌会のついでに桜を見に行くのである。
というか、桜のついでに歌会かな…。
ま、そんなこと言うと福島の歌会の人に怒られるので、
あくまでも建前は歌会のついでに桜である(^^;
横浜を6時過ぎに出てシビックで東北道すっ飛ばして福島についたのが10時半。
桜の季節ということだろうか、東北道が割と車走っていて時間かかった。
福島駅の駅ビルで土産を買って横浜に送り、昼飯を食べて午後1時に会場へ。
福島駅前、「ミニ花見山」の展示、桜が咲いている

歌会前の昼食、禊の酒を一杯ひっかけて戦闘モードに切り替えて歌会へ行く
出席者は8人。今回は連作の歌会。1人5首くらいの連作を出しての歌会なので、
8人でも40首くらいあるわけで、時間を考えながらの歌会になった。
いずれの作品もなかなか面白くて、いい歌会だったのだが、
結社の選者でもある梶原さい子の連作が良かった。
短歌の批評は、その歌の良いところあるいは歌の問題点を理由を示して分析し、
それを言語化して、その歌の鑑賞を他者と共有、あるいは議論できるように
することである気がするのだが、
現実の歌会ではえてして、理由を示したくてもそれをうまく言語化できないことが
ままあるわけである。
例えば、梶原さい子の連作のなかの一首、
風の日の・・・道を急ぎつつ・・・春に研がれている
というような歌について(発表前なので一部変えて、一部・・・にしている)。
三句の「急ぎつつ」が気になると発言したのだが、
「自分がこの歌を作ったとしたら、この言葉が最後まで気になる気がする」という
理由にならないような理由を言っていた、というか、気になる理由をうまく言語化
できないでいるのである。
で、歌会が終わってあらためて読み直してみると、
この歌に続く連作の最後の歌にも「風」が出てくるのだが、
この連作のなかで問題の歌の初句の「風」は無視できない言葉であり、
一方、三句の「急ぎつつ」は「春に研がれている」につながりやすく、
むしろ、連作のなかで大切な「風」を微妙に邪魔しないだろうか。
「急ぎつつ」「春に研がれている」のではなく。
「風の日の」「春に研がれている」のではないのだろうか。
もちろん、これは私が感じたことであり、
梶原さい子の表現しようとしたこととは違うかもしれない。
そういうところの意見を戦わせるのが歌会だと思うのだが、
自分に力が足らず、言語化できないまま意見を戦わすことが出来なかったのは残念だった。
それにしても今回の梶原さい子の連作は歌会のなかで1ランク上という感じだった。
さらなる彼女の活躍を期待している。
歌会のあとは懇親会、
そのあとは飯坂線で飯坂温泉へ。先に飯坂に行っていた息子と合流し夜の飯坂で再び一杯。
歌会風景

夜の飯坂温泉
翌日は東北道沿いに、二本松城、白河小峰城の桜を見て横浜に帰った。
去年は三春の滝桜を見に行ったが、今回は息子の百名城めぐりに付き合うついでの

白河小峰城と桜










