2025年09月

退職金課税の改正

顧問先の社長から電話がかかってきた。

「今年の税制改正で退職金の課税変わったんですか!?

「令和7年の税制改正で変わったのは確定拠出年金を先に受け取った場合ですよ、

そちらの会社では関係ないでしょ」

「小規模企業共済を受け取った場合も同じ扱いだって、知り合いの社長から聞いたんです。

税理士さんにそう言われたって。私も小規模企業共済受け取ってますよ、

関係ありませんか?

とりあえず来客中だったので、一度、電話を切りあとでかけ直したのだが、

令和7年の税制改正での退職金課税の改正は、

確定拠出年金の老齢一時金を、会社から「退職金を受け取る年の前年以前4年以内」に

受け取った場合の退職所得控除の重複期間の調整を、

「退職金を受け取る年の前年以前9年以内」に延長するというもの。

今までは5年経過していれば調整計算が不要だったのが10年経過しなければ

調整計算をしなければならなくなったので、それだけ税負担は増えるわけである。

働き方改革で定年を70まで延長しようという動きがあり、

確定拠出年金の老齢一時金は60から受け取れるので、

受け取ってから退職金を受け取る70までの10年間について、

退職所得控除の重複期間の調整が必要ということで改正された。

つまり、確定拠出年金の老齢一時金を受け取ってから会社の退職金を受け取る場合に

ついての改正であって、小規模企業共済は確定拠出年金とは別のものであり、

今回の10年への延長には関係なく、

従来通り、複数の退職金を受け取った場合の退職所得控除の調整期間は5年のままである。

知り合いの社長さんのところの顧問税理士、この辺を混同したらしい。

ま、この辺いろいろ複雑だけどね

しかし、その年の税制改正の内容についてはその顧問税理士さん、

もう少し押さえておいた方がいいね。

そうしてもらえれば、こちらも他の話をしているときに、

いきなり焦ったような電話をもらわないで済むというものである(^^;


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  アーチェリーの射場の彼岸花が咲いた

ウズベキスタン・タジキスタン 5

サマルカンド4日目、夕方の列車でタシケントに戻る。

それまでどこに行くという予定もなく過ごす。

なんとなく歩いていると、交通規制がされていた。

なんだろうと思って見ていると、自転車競技をやっている。

競技用のウェアを着ているので体のラインがはっきりするわけで、

走ってくる選手を見ていて女性の選手がいることに気付いた。

ここサマルカンドから270k南に行けばアフガニスタンである。

女性の権利が否定されているアフガニスタンでは、

ああいう体のラインがはっきりするような服を着ることはできるのだろうか。

ウズベキスタンは世俗主義の国である。

あるいは宗教を否定したソ連時代の影響が大きいのかもしれないが、

街中でもあまりコーランは聞こえてこない。

270kといえば日本なら東京と名古屋の距離である。

日本に当てはめれば、東京に生まれた女性と名古屋に生まれた女性が、

その生まれた場所ゆえに全く違う環境で全く違う人生を生きることになるのである。

その不条理はなんなのだろう。

サマルカンドの街を疾走していく女性の選手を見ながら、そんなことを考えた。

そのあと、少し日の陰ったレギスタン広場に座り込んでぼんやりとマドラサを眺める。

サマルカンドでの過ごし方はこれが一番いい。

なにをするでもなく、有料エリアの外の広場の敷石の上に座って、

マドラサが三つ並んでいる風景をぼんやりと眺めていると、気持ちがいい。

思えば遠くへ来たもんだ、そんな気持ちになれる。


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  レギスタン広場、こんなふうに座ってぼっーとしているのが一番いい。

夕方、サマルカンドから列車でタシケントに移動してホテルに入る。

最終日、深夜の飛行機で帰国するので、それまでの時間ホテルに荷物を預けてタシケント

の街を歩く。暑いなか歩いたのでこれが結構きつかった。

そのあとタクシーで空港に行き帰国。

帰国前にタシケント国際空港で土産を買ったのだが、これが失敗だった。

なぜか空港の店の価格はみなユーロ表示。

その国の首都の国際空港である。普通なら自国通貨とドル表示とかしそうであるが、

ここはユーロ表示のみ。買い物するときはユーロをスムに換算するのだが、

土産を買ってから気付いた。どうもレートがおかしい。

銀行以外で両替するとかなりの両替手数料がとられるということか…?

20%くらいの両替手数料と考えると計算がほぼ合う。

高すぎだろ(^^;

ネットにはタシケント国際空港の土産屋が充実していてとてもいい、などと書かれて

いるが、土産は市中で買った方がいい。ただでさえ市中より高く、

しかも高い両替手数料がかかるらしい空港の土産屋で買わなくていい。

たいてい帰国する人は使わなかった現地通貨を空港の土産屋で使い切ろうとするわけで、

そういう観光客から両替手数料で稼ごうというわけか?

もうひとつ言えば、空港や駅のような公的なところに入っている店は怪しい。

空港タクシーはぼったくりだったし、お釣りをごまかすのもそういう公的なところに

入っている店だった。旧社会主義国の名残りかもしれない。

そんなこんなで楽しい、しかし気の抜けない、そんな中央アジアの旅を終えて日本に帰った。


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 タシケントのナヴォイ劇場。シベリア抑留の日本兵捕虜が建設にかかわった
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 ナヴォイ劇場の横の鈴懸の道 タシケントもサマルカンドも胡桃と鈴懸が多い
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 タシケントのティムール公園のティムール像 かってはスターリンの像があった
 

 

ウズベキスタン・タジキスタン4  タジキスタン

サマルカンド3日目、日帰りで隣国のタジキスタンに行ってきた。

現地ツアーを使って車で国境へ、ここで荷物検査、出国審査、入国審査とやって、

歩いて国境を越える。

タジキスタン側に入ると客引きが沢山いて声をかけてくるが、

なんとか現地ツアーのタジキスタン側のドライバーと会えて車に乗る。

タジキスタンといえばパミール高原が浮かぶが日帰りでは行けないので、

近場の通称セブンレイクといわれるファン山脈の渓谷に向かう。

ウズヘキスタンはどこまでも茶色い大地が広がる平野の多い国だが、

隣りのタジキスタンは平野は国土の7%、あとの93%は山である。

車は古代都市のあったパンジケントを抜けて山の方に向かってゆき、

やがて道は禿山に囲まれた渓谷にはいってゆく。

ここから南に200k行けばアフガニスタンである。

テレビの映像に出てきたムジャヒディンが潜んでいる荒々しい岩だらけの大地、

まさにそれと同じ風景が広がっている。

かなり走って最初の湖が出てきた。ここで標高1500m

一番上の七つ目の湖は標高2400mであるらしい。

ひとつひとつの湖は決して大きくはない。

禿山の荒々しい渓谷に湖がつらなっている。

途中の道はかなりダートで対向車来たらどうするんだ? 落ちたらイチコロだ、という感じ

のところもあるが、一昨年行ったヒマラヤのそれと比べれば安心して走れる道である。

一番上の標高2400mの湖でしばらくのんびりする。

見ていると湖面の感じが向こうからまるで生き物のように変わってくる。

たぶん風で湖面の感じが変わるのであろう。なんともいえない感じだ。

しばらくぼっーと湖を眺め、下にくだって途中の湖のほとりにあった建物で昼食を摂る。


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 岩だらけの渓谷を走る
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 最初の湖
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 この車で走った
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 何番目の湖だったか?
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  四番目か五番目か? の湖
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  一番上の湖
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 下に降りる途中、途中には道沿いに小さな集落もある。
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 途中の湖のほとりで昼食。食べているのはポロフ。ピラフの原型になった料理。
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 山羊がいたので写真を撮った。拡大して探すとどこかに山羊がいる。

そのあと渓谷から平野に戻り古代都市ペンジケントの遺跡を見に行く。

かつて繁栄したシルクロードの古代都市。

ソグド人が築いた都市で5世紀には歴史にあらわれる。

しかし、8世紀の末、この都市は放棄される。

進出してきたアラブの圧力で街は放棄されたらしい。

ペンジケントもサマルカンドの旧都城も丘の上である。

防衛上は丘の上の方が有利かもしれないが、水源を絶たれれば終わりである。

古代都市ペンジケントもそうやって放棄されたのかもしれない。

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 ペンジケントの遺跡 このままではたまに降る雨で消えるだろう。
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 建物らしく見えるのは復元されたもの。

最後にサラズム遺跡。

20世紀になってから発見された遺跡で5000年前に溯る遺跡。世界遺産である。

メソポタミアやエジプトの文明と同時期に、

中央アジアのステップに古代都市が生まれていた。

農耕と交易、鉱業生産の拠点でもあったらしい。

遺跡からは身長170㎝の女性の骨が出ている。

きらびやかな装飾を纏い殉葬者とともに葬られたその骨は、

遺跡址の博物館に展示されていて、サラズムの王女、と名付けられているらしい。

博物館にはその復元像もある。

タジキスタンは世界最貧国のひとつである。

遺跡保存の予算も少ないのだろう。ペンジケントの遺跡も風化してゆくままである。

それと比べればホラズムの遺跡はまだ保存されている方なのかもしれないが、

5000年前、このステップにどういう古代都市がありどういう生活があったのか、

荒野で思いを馳せるしかない。


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 サラズム遺跡の入り口
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 ペンジケントと違いまがりなりにも屋根で保護されている。
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 サラズムの王女の墓の跡
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 古代都市の跡は荒野があるのみ

夕方、国境に戻り主国審査・入国審査をやって再びウズベキスタンに入る。

サマルカンドに戻り夕食を食べて外に出たら、

レギスタンの前の道路がホコ天になっていて、凄い人出だ。

身動きできないくらいの人出でなんだろうと思ったら、

レギスタンの上でドローンのショーが始まった。

しばらくそれを見てホテルに戻った。

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  凄い人出で、なんだ? なんだ? という感じ
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 ドローンショーが始まった

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   国旗かな
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 玄奘三蔵か?   彼はサマルカンドに来たはず

ウズベキスタン・タジキスタン3  サマルカンド

サマルカンド2日目。

今日はシャーヒ・ズィンダ廟へ行ってみる。

レギスタンからイスラム・カリモフ通りを歩いていくとアフラシャブの丘が見えてくる。

その突き当りを右に少しいけばシャーヒ・ズィンダ廟である。

昨日のぼったくりドライバーが「Very Far Very Far」と何度も言っていたが、

なにがVery Farだ、30分くらいで着いてしまった。

ちなみにアフラシャブの丘だがシャーヒ・ズィンダへ歩きながら丘を見上げると、

大部分が墓地になっている。アフラシャブの丘はチンギス・ハーンに滅ぼされるまでは

サマルカンドの旧都城があった場所らしいが、その後は葬送の場所になったのだろうか。

その丘の一角にあるシャーヒ・ズィンダ廟は、ティムールの一族やその将軍達が

葬られている墓所である。


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 向こうに見えるのがアフラシャブの丘
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 シャーヒ・ズィンダ廟の入り口

門を入ると階段がある。

天国への階段と呼ばれているらしく、登るときに階段の数を数えて帰りに数えて

数が一致すれば天国へ行けるそうだ。ぼけていなければ一致するはずである(^^;

階段を登り門をくぐると青いタイル張りの廟が道の両側に並ぶ。

青の都サマルカンドといわれるサマルカンドブルー。

道の真ん中でポーズを取って写真を撮って動こうとしない中国人の観光客が鬱陶しく、

彼女たちがいなくなったときを見計らって写真を撮る。

奥へ進んでゆくと青い廟や未完成で青いタイルを張っていない廟などいろいろあり、

一番奥は両側も突き当りも青いタイルの廟である。

なかを見られるところもあって入ってみるが、ここもやはり装飾が美しい。

通路の長椅子に座ってしばく眺める。観光客が途切れた時は静か。

シャーヒ・ズィンダ廟は青い死者の街である。

廟を出てウルグベク天文台に向かう。


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 天国への階段
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 シャーヒ・ズィンダ廟
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 廟の一番奥
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 中はこんなふうになっている

アフラシャブの丘に沿って北東へ歩くのだが、途中、断崖になっている丘の斜面に

幾つもの穴が開いているのに気が付いた。

モンゴル軍に破壊される前はサマルカンドの旧都城があった場所というが、

その遺構なのか?  あるいは古い時代の墓かもしれないと思った。

ウルグ・ベク天文台までは少し遠かったが、ここも歩いていける範囲。

入口にティムール朝の四代目の王であり同時に天文学者だったウルグ・ベクの銅像がある。

天文台の遺跡は地下に巨大な溝状のものが作られていて、向こう側に窓があるので、

大抵の人はその窓から星を観測したのかと思うかもしれないが、そうではなく、

ここには地下部分も含めて高さ40mの巨大な六分儀が設置されていたのである。

周囲にはそれを囲む建物があって、まさに天文台だった。

今残っているのは地下構造の部分だけである。

ウルグ・ベクはここで星を観察し一年の長さを現代との誤差1分という正確さで計算した。

しかし、ウルグ・ベクの死後すぐにこの天文台は保守的なイスラム教徒達に破壊される。

日本では室町時代、応仁の乱より前の話である。


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 アフラシォブの丘 わかりにくいかもしれないが幾つも穴が掘られている
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 ウルグ・ベクの像
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 ウルグ・ベク天文台。昔は巨大な六分儀とそれを囲む建物があったが、
 今は地下構造物を保護する建物があるだけ
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 残っている地下構造物、ここに巨大な六分儀があった

天文台を出てアフラシャブの丘を北から南に抜けるようにして戻る。

チンギス・ハンに破壊される前はサマルカンドの都城だったというアフラシャブの丘だが、

今は茶色い丘で途中にアフラシャブ博物館がある。

博物館に立ち寄り発掘された壁画などを見て市街に戻る。

途中のバザールで買い物と昼飯、ビールで乾いた喉を潤す。

その後ホテルでひと休みし、夕方、食事がてら出かけてライトアップの時間に合わせて

レギスタンの中に入る。中から見たライトアップも綺麗だった。


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 バザールでの昼飯、シャシリク
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 なかから見たレギスタンのライトアップ

ウズベキスタン・タジキスタン2  サマルカンド

タシケントから特急で2時間半くらいでサマルカンド。

シルクロードのほぼ真ん中、紀元前10世紀あたりからソグド人の交易都市として

歴史にあらわれる。その後繁栄を続けるがチンギス・ハンのモンゴル軍に徹底的に

破壊された。その後、そのモンゴルの血をひくティムールによって再建される。

タシケント駅では荷物検査とかいろいろあって面倒とネットには書いてあったので

早めに駅に行ったのだが、荷物検査も簡単で列車に乗るときも駅員はたいして切符の

確認していないみたいで、いたってスムーズだった。

時間通りに出発し、どこまでも広い茶色い平らな土地を延々と走ってゆく。

時々、地平線の向こうの空が茶色く見えるのは砂漠の砂嵐だろうか。

かつてこの茶色い平野を隊商が行き来していたのである。

サマルカンドが近づくあたりから地面に起伏が見えてくるが、

見える山はすべて禿山である。

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  こんな大地が延々と続く

サマルカンド駅に着き、タクシーを探すが、

例によって客引きのドライバーが、〇〇と〇〇を案内するとか言ってくる。

案内などいらないのである。レギスタン広場に行けばホテルまで歩いていけるから

それだけでいいのだが、かなりしつこい。

レギスタンに行くだけでいいと大きな声で言ったら「10ドル」だと言う。

かなり高いと思ったので「2ドル」と答えると、相手は「8ドル」と言ってきた。

それだけならまだしも、案内するからどうのこうのといつまでもしつこい。

いい加減頭にきて「もういい、うるせんだよ!」と日本語で怒鳴って歩き始めるが

追っかけてくる。すったもんだの末にレギスタン広場まで4ドル。

もっとも最後まで5ドルと言い張ってはいたが(^^:

つまり、ぼったくりタクシーも怒鳴りつければ4ドルくらいでレギスタンまで行く。

ちなみにこれを読んで、同じことやって失敗した人がいても責任はとらない(^^;;


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  サマルカンド駅
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  ちなみにこれがタシケント-サマルカンド間の特急アフラシャブ号
 これは帰りのタシケント駅で撮ったもの。ちなみに駅や空港は撮影禁止。
 でもみんな撮ってたよな...。

とりあえず昼飯を食べてからレギスタン広場に入る。

広場の向こうに三つのマドラサが建っていて、

有料で入るところとの境に柵があり、その前まで金を払わなくても入れる。

とりあえず広場の一角に座り込んでレギスタンを眺める。

えらく遠いところまで来たなそんな気がした。

実際はアフリカとか南米とかもっと遠いところにも行っているのだが、

中央アジアは初めてだったのでそんなふうに感じたのだろうか。

そのあと、入場料を払ってなかに入り、美しいイスラム建築を眺める。

かつてマドラサ(イスラムの神学校)だった建物も内側に入ると小さな部屋の

ひとつひとつが土産物屋になっている。たまに「コンニチワ」と日本語で

話しかけてくる店員もいる。ひととおり眺めて広場から歩いてゆけるところにある

ホテルにチェックインし、しばらく休憩してからグル・アミール廟に行く。


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 レギスタン広場
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 イスラムらしいタイルの装飾に覆われている。
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 ウルグ・ベク・マドラサの内側
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 ウルグ・ヘク・マドラサの内側を反対方向から

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  ティラ・コリ・マドラサの入り口
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 すべての区画が土産物屋になっているわけではなく、祈りの場もある。

グル・アミール。チンギス・ハンによって破壊されたサマルカンドを再建し、

既に滅びていたモンゴル帝国の西半分を再統一したティムールの墓がここにある。

霊廟のなかに入ると石の棺のようなものがいくつも並んでいる。

そのなかにひとつだけ黒いものがあるのだが、それがティムールの墓標で、

実際に埋葬されているのはその地下3mあたりらしい。

周囲の壁はイスラムらしい装飾に覆われていて綺麗である。

ティムールは明への遠征の途中で病死してここに葬られた。

彼がモンゴル帝国の再統一を夢見ていたのかどうかは知らないが、

明の永楽帝はティムールの帝国と戦わずに済んだ。運が良かったのかもしれない。

夕方、風に吹かれてレギスタン広場に座ってボッーとしていたら、

日が暮れてからライトアップが始まった。

暗闇に浮かび上がったマドラサは次々と色が変わり綺麗だ。

終わるまでボッーと座っていた。


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 グル・アミール廟の入り口
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 グル・アミール廟
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 霊廟のなか。中央の黒い墓標の下にティムールの墓がある。
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 装飾が美しい
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 レギスタン広場のライトアップ
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ウズベキスタン・タジキスタン

少し遅い夏休みでウズベキスタンとタジキスタンに行ってきた。

シルクロードの真ん中サマルカンドのあたりがウズベキスタンである。

成田から仁川で乗り換えてウズベキスタンの首都タシケント。

仁川からは7時間半で思ったより近い。

タシケントに着いたのは夜8時過ぎ。

両替をして空港タクシーでホテルに向かう。

ちなみに空港からそれほど遠くないタシケント中央駅近くのホテルまでで

空港タクシーは168000スム。

ネットでは空港タクシーが一番簡単とか安心とか書いてあるので、

たいして疑いもなく使ったが、あとで市内のタクシー料金がなんとなく分かってくると、

この空港タクシー、結構ぼったくりである。

ちなみに、我々がタシケントから帰国するときのホテルから空港へのタクシー代は

33000スムだった。

しかも空港タクシー、カウンターで釣り2000スム誤魔化した。

すぐに気付いたが日本円で24円くらいで、少額の釣りはこんなふうに省略するのかなと

思ったので何も言わなかったが、市内の民間の店では釣りはちゃんと支払っていた。

空港タクシーは価格交渉しなくていいから簡単かもしれないが、

あまり使わない方がいいかもしれない。どうりで我々が行ったとき、

他の人達は殆ど空港タクシーのカウンターの前を素通りしていた。

たぶん一番いいのは配車アプリのタクシー、その次にホテルの送迎サービスだろう。


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  成田から出発
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 仁川での乗り継ぎ時間5時間。飲んでるしかない。

ホテルに着いてチェックインしようとすると、

フロントでパソコン画面を調べていたホテルマン、「No Booking

!?  「マジ!?」思わず日本語で聞いてしまった。

Booking.comから取ったはずだが、ホテルマンが言うにはBooking.comからの予約が

入っていないと。時間は既に夜の10時である。

唖然としつつジタバタしてもしょうがないので、付近のホテルを幾つか聞いてタクシー

を呼んでもらう。幸い向かった一軒目で部屋が空いていてその日の宿を確保できた。

これも後日談があり、日本に帰国してからメールを調べてみると、

宿泊当日の午後1時過ぎにそのホテルから「オーバーブッキングしていました。

申し訳ありません宿泊はキャンセルします」というメールが入っていた。

こちらは既に飛行機に乗っている時間である。

タシケントのManor Hotel やってくれるよ。

ホテルの側のオーバーブッキングである。

それが分かっていれば、空いているホテルを探させてタクシー代も払わせて当然だろうが、

フロントの説明は「Booking.comからの予約が入っていない」だった。

この件については今現在、Booking.comとの間でやり取りをしている。

なにはともあれ宿を確保してウズベキスタンの最初の夜を無事に過ごした。

なにやら前途多難を感じつつ、翌朝、タシケント中央駅から特急列車でサマルカンドへ。

長くなるので続きはあとで。


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 タシケント駅での朝食、これでひとり440円くらい。

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