『中東 世界の中心の歴史』(2024年11月初版発行)を読んだ。
著者のジャンピエール・フィリユはパリ政治学院の教授。中東の近現代史が専門。
フランス外務省で中東政策を担当したのち学者に転じた。
日本人は、中東というとイスラム教の世界で豊かな産油国がある、くらいの
大雑把な認識が主流のような気がする。
中国史のように多くの歴史小説などで触れる世界ではなく、
遠い砂の世界のように漠然としている。
過激派のテロの影響もあり、宗教でなぜそこまで対立するのか、宗教が根っこに
あるから対立は消えないとか、やおよろずの神々の国の人間はえてしてそんなふう
に思うわけである。
しかし、本当に宗教があるから、あるいは宗教だけで対立しているのか?
パレスチナの問題はなぜあそこまで破滅的にこじれてしまったのか?
以前から疑問に思っていたとき、本屋でこの本を見つけた。
ローマ帝国の東西分割から現代までの1600年の中東の歴史、
三つの大陸の交差点、文明の発祥地とその交易路の中心であり、
三つの一神教の発祥地である中東について、
西側中心史観を脱却して描き出されている。
十字軍の時代にしても宗教を越えて共通の敵と戦うことは当たり前にあったわけで、
キリスト教とイスラム教の対立という西欧的あるいは紋切型の歴史観では理解できない
ことがあるわけである。
本書はそういう日本人には馴染みの薄い中東の歴史を紐解いてゆく。
歴史を学ぶということはその歴史の延長線上に未来を見るということである。
化学兵器を使うのはレッドラインだとオバマはシリアのアサドに示したが、
実際、アサドが自国民に対し化学兵器を使ったとき、
アメリカは結局なにもしなかった。
それを見たプーチンが、西側は結局座視するだろうと踏んでクリミアを併合した。
現在のウクライナの戦争は、
プーチンがオバマを見切ったとき既に芽を吹いていたと言っていいのかもしれない。
同じことはトランプについてもいえるだろう。
オバマの戦略的忍耐もトランプのディールも、
相手への間違ったメッセージになるかもしれない、あるいはなったのかもしれない。
そう思うとき、ウクライナについてもパレスチナについても、あるいは暗澹とした
未来しか当面は描けないのかもしれない。
ひさしぶりに読み応えのある一冊だった。



