友人の写真展に行ってきた。
「アジア・太平洋の戦跡訪問」写真展。
お茶の水のシェイクスピア・ギャラリーで6月14日~6月22日で開催。
お父さんが近衛師団で従軍したということで、
太平洋戦争の戦跡を訪ね慰霊をしているという友人。
一緒にガダルカナルとインパールに行った。
会場はお茶の水の駅から歩いて10分くらい、ビルの一階の小さな会場。
共通の知り合いの仲間達と待ち合わせて会場に行くと本人が迎えてくれて、
最初に目に入ったのがインパールの写真。
何年か前、その友人と一緒にインパール、コヒマ等、日本軍が戦った跡を訪ねたのだが、
あぁ、この慰霊碑あったなと思った。
写真はその後、彼が再びインパールに行ったときに撮ったものらしく、
私の記憶より少し綺麗になっていたが、慰霊碑そのものはそんなに変わっていない。
激戦地のひとつコヒマの風景も見覚えがあった。
インパールそのものはマニプールだが、
日本軍がビルマから山岳地帯を突破したのはその東のナガランド。
我々が行くしばらく前まで外国人は入れなったところだ。
ナガの人達はモンゴロイドで我々日本人によく似ている。
私自身、インパールの空港で地元のナガ族に間違えられた。
ナガランドのあたりはインドからの分離独立運動もあったりして、
行動中、自動小銃を持ったインド軍の兵隊が結構目に付き、
この地域の不安定さは感じられた。
インパール 左上の写真が慰霊碑
その次にあったのはガダルカナル。
ルンガ飛行場(ヘンダーソン飛行場)を奪還しようとした一木支隊が壊滅した
イル川の写真があった。
戦いのあとのこの海岸で砂に半分埋もれた日本兵の写真を小学生の時に本で見たことが
あったのだが、まさか将来、自分がその現場に行くとは思っていなかった。
イル川は小さな川で日本兵が突撃した砂浜は狭い砂浜だった。
一木支隊は飛行場に突入すべくここから夜襲をかけたのだが、
当然、アメリカ軍は照明弾で周囲を照らしただろう。
なんの遮蔽物もない狭い砂浜である。
しかも、私は小さなイル川の対岸に行ってみたが、少し高くなっていて、
そこに機関銃を添えておけば引き金を引くだけで、
遮蔽物のない砂浜を突撃してくる日本兵をなぎ倒せただろう。
近代戦を戦えない日本軍。
そういう評価を受けたのが現場を見てよくわかった。
兵士達のために言うが、
近代戦を戦えなかったのは兵士ではない、指揮官である。
ガタルカナル
イル川の写真
ガタルカナルの戦争博物館、日本軍の重砲。
ちなみに、この写真に自分も写っている。
コレヒドールやタイ、インド国民軍のチャンドラ・ボースの写真などいろいろあって、
その写真の説明をひとつひとつしてもらい、しばし歓談ののち会場を後にした。
それにしてもつくづくと思うのだが、あの人のエネルギーは凄い。
一緒にガダルカナルとインパールに行って、なんとなく分かるわけだが、
あのエネルギーは凄いね(^^;
歳とってもあのエネルギーあったら大丈夫だよ。
これからも頑張ってください(^^
そういえば、ザンビアに誘われたのだった。
インパールの戦いのとき、イギリスは植民地の兵隊も動員したわけで、
ザンビアのアフリカ兵もインパール戦に参加している。
その関係で向こうに戦争博物館があるらしく、
その戦争博物館から誘われているんだそうな。
ザンビアね…。
そういえばキリマンジャロ以来、アフリカ行ってないな,,,。
ビクトリアフォールとかザンビアだっけ。