2025年06月

「アジア・太平洋の戦跡訪問」写真展

友人の写真展に行ってきた。

「アジア・太平洋の戦跡訪問」写真展。

お茶の水のシェイクスピア・ギャラリーで614日~622日で開催。

お父さんが近衛師団で従軍したということで、

太平洋戦争の戦跡を訪ね慰霊をしているという友人。

一緒にガダルカナルとインパールに行った。

会場はお茶の水の駅から歩いて10分くらい、ビルの一階の小さな会場。

共通の知り合いの仲間達と待ち合わせて会場に行くと本人が迎えてくれて、

展示している写真の説明をしてくれた。


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  会場入り口

最初に目に入ったのがインパールの写真。

何年か前、その友人と一緒にインパール、コヒマ等、日本軍が戦った跡を訪ねたのだが、

あぁ、この慰霊碑あったなと思った。

写真はその後、彼が再びインパールに行ったときに撮ったものらしく、

私の記憶より少し綺麗になっていたが、慰霊碑そのものはそんなに変わっていない。

激戦地のひとつコヒマの風景も見覚えがあった。

インパールそのものはマニプールだが、

日本軍がビルマから山岳地帯を突破したのはその東のナガランド。

我々が行くしばらく前まで外国人は入れなったところだ。

ナガの人達はモンゴロイドで我々日本人によく似ている。

私自身、インパールの空港で地元のナガ族に間違えられた。

ナガランドのあたりはインドからの分離独立運動もあったりして、

行動中、自動小銃を持ったインド軍の兵隊が結構目に付き、

この地域の不安定さは感じられた。


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 インパール 左上の写真が慰霊碑

その次にあったのはガダルカナル。

ルンガ飛行場(ヘンダーソン飛行場)を奪還しようとした一木支隊が壊滅した

イル川の写真があった。

戦いのあとのこの海岸で砂に半分埋もれた日本兵の写真を小学生の時に本で見たことが

あったのだが、まさか将来、自分がその現場に行くとは思っていなかった。

イル川は小さな川で日本兵が突撃した砂浜は狭い砂浜だった。

一木支隊は飛行場に突入すべくここから夜襲をかけたのだが、

当然、アメリカ軍は照明弾で周囲を照らしただろう。

なんの遮蔽物もない狭い砂浜である。

しかも、私は小さなイル川の対岸に行ってみたが、少し高くなっていて、

そこに機関銃を添えておけば引き金を引くだけで、

遮蔽物のない砂浜を突撃してくる日本兵をなぎ倒せただろう。

近代戦を戦えない日本軍。

そういう評価を受けたのが現場を見てよくわかった。

兵士達のために言うが、

近代戦を戦えなかったのは兵士ではない、指揮官である。


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 ガタルカナル
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 イル川の写真
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 ガタルカナルの戦争博物館、日本軍の重砲。
 ちなみに、この写真に自分も写っている。

コレヒドールやタイ、インド国民軍のチャンドラ・ボースの写真などいろいろあって、

その写真の説明をひとつひとつしてもらい、しばし歓談ののち会場を後にした。

それにしてもつくづくと思うのだが、あの人のエネルギーは凄い。

一緒にガダルカナルとインパールに行って、なんとなく分かるわけだが、

あのエネルギーは凄いね(^^;

歳とってもあのエネルギーあったら大丈夫だよ。

これからも頑張ってください(^^

そういえば、ザンビアに誘われたのだった。

インパールの戦いのとき、イギリスは植民地の兵隊も動員したわけで、

ザンビアのアフリカ兵もインパール戦に参加している。

その関係で向こうに戦争博物館があるらしく、

その戦争博物館から誘われているんだそうな。

ザンビアね

そういえばキリマンジャロ以来、アフリカ行ってないな,,,

ビクトリアフォールとかザンビアだっけ。

ひさしぶりにアフリカ行ってもいいかな


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  帰るときに会場入り口で本人と。
 エネルギー凄いです。頑張ってください。

霧ヶ峰 車山 八島湿原 トレッキング

霧ヶ峰から車山、そこから八島湿原を歩いてきた。

このあたりは北の美ヶ原とともに、本州の中央高地の一角で、

登山というより高原のトレッキングという感じのルート。

霧ヶ峰自然保護センターの駐車場に車を停め、高原状のなだらかな尾根を車山へ登る。

カッコウの声がよく聞こえ、レンゲツツジの橙色の花が綺麗である。

それにしても梅雨の晴れ間というのか、梅雨がどこかに行ってしまったというのか、

暑い(^^;


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     霧ヶ峰から車山へ
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 レンゲツツジが咲いてる

車山肩に45分ほどで着き、そこから気象観測ドームの見える車山へ。

高原からの眺めは良くて歩いていて気分がいい。

車山の頂上は反対側のスキー場のリフトを使って登ってくる観光客が大勢いるので、

写真だけ撮って八島湿原方面への道に進む。

蝶々深山との鞍部にある車山湿原はコバイケイソウの白い花が沢山咲いていて綺麗だ。

ここもカッコウの啼き声がよく聞こえた。

蝶々深山に軽く登り直し、そこから物見岩、八島湿原がよく見え、のんびり昼飯でも

食べるのにいいところだ。


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 車山肩から車山
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 車山山頂
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 車山から蝶々深山
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 物見岩と八島湿原

鳥の囀りを聞きながら八島湿原に下り、湿原の縁を歩いて霧ヶ峰に戻る。

八島湿原沿いの道を歩いていたとき、向こう右側に見える山の斜面に、

なにか人工的なものを感じるなと気になって、写真を撮った。

あとで調べてみたら、旧御射山遺跡という鎌倉時代に信濃・甲斐・関東の武士が

集まり諏訪大明神に奉納する笠懸、相撲、武者競馬などの試合をした場所らしい。

多いときは十万人の人が集まったらしく、鎌倉時代のオリンピア競技みたいな

もんだったんだろうか。

このあと、少し登り返す感じで霧ヶ峰自然保護センターの駐車場に戻った。

行動時間は4時間45分。

ピークを目指さず、高原をこんなふうにトレッキングするのも楽しい。

少し遅い昼食を摂って今日の泊まりの石和温泉に向かった。


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 八島湿原

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 八島湿原から霧ヶ峰へ
 右の森が途中で切れている山、左側の草の斜面に微かな段状の跡がある、
 というか、そういう感じがしたので写真を撮った。そこが旧御射山遺跡。

ザイル祭

忙しくてしばらくブログが書けなかった。

先週のことだが、山岳会のザイル祭に行ってきた。

かつては裏丹沢の神の川ヒュッテでやっていて、

年に一度、山岳会の現役とOBが集まって宴会をし、飲んだ次の日は近くにある

山の神に行って一年の山行の無事を祈った。

神の川ヒュッテが経営者が変わったりして使いにくくなり、

その後幾つかのところを転々として、数年前から表丹沢の登山口大倉の

どんぐり山荘で開くようになった。

近くに高速のスマートインターが出来て、家から1時間で行けるので便利である。

夕方、三々五々集まって宴会開始。

懐かしい山談義に花が咲く。なんでも8月あたり現役が知床岬に行くらしい。

羅臼の先の相泊から海岸沿いに歩いていくのだが、しっかりした道があるわけではなく、

潮が引いたときに浅瀬を突破したり、海岸の崖を高巻いたりして、

二泊か三泊くらいで行けるんじゃなかろうか。

ヒグマの生息地帯なのでそれだけはくれぐれも注意しなければならない。

ただ、登山者のテントを揺らしたりということはあったらしいが、

食われた人は今のところはいないらしい。

知床岬はかつて自分も行こうとしたことがある。

GWの時期、残雪を利用して羅臼岳から知床岬まで歩けないかと思ったのだが、

知床岬から再び登り返して戻らないといけないので日程的に無理で、天候もあって、

結局、羅臼岳に登り、そこから岬に続く稜線をサシルイ岳へ歩いただけで帰ってきた。

羅臼平にテントを張ったがGWの知床は本州の厳冬期と変わらなかった。

あのとき、羅臼岳の頂上から見たオホーツク海の青い海原は今でも目に浮かぶ。

それはそれとして、今回、わざわざ九州から来たOBがいるのだが、

彼が今回来ていない別のOBと会いたいということで電話して、

明日、横浜で飲もうという話になった。

マジかよ…(^^;

今夜、ザイル祭で飲んで泊まって、明日の日曜、家に帰ってからまた横浜で

集まって飲もうと…?

なぜか自分も行くことになり、翌日ザイル祭が終わって家に帰ってから再び横浜の野毛へ。

桜木町で待ち合わせしていると、昨日来られなかったOBが来た。

20数年振りかな

実は、彼には会って謝りたいことがあったのだ。

会のなかで意見が対立したことがあり、そのとき妙に熱くなって言い合ってしまった。

それ以来、彼は会に出てこなくなった。

そのときのことを「あの時はすまなかった」と一言謝ると彼は笑ってこたえてくれた。

心にひっかかっていたことは20数年経っているからといってそのままにしたくない。

彼と和解できて良かった。

その夜は若いころ山岳会の集会のあとで飲み歩いた野毛で楽しく飲んで過ごした。

二日間、山の仲間と飲み過ごした週末だった。しばらく休肝しよう(^^;;

 

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 大倉のどんぐり山荘

 

総会

税理士会支部の総会。

監事をやらされているので出席しないわけにいかない。

半年に一回、会計監査と業務監査をして総会で監査報告をする。

それが監事の仕事。

ま、監査報告と言っても議案書の監査報告文を読み上げるだけである。

書いてあるものを読み上げるだけというのもつまらないもので、

「議案書の監査報告に書かれていますのでお読みください。以上、報告します」とか

一度でいいから簡単に済ませてみたいのだが、

たぶん、それやったら顰蹙買うんだろうな…(^^;


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   総会風景

議案審議が順調に進んでもう終わりと思ったら、会場から質問が出た。

ある部の来期の予算についての質問。

いやな質問だなと思った。

監査のときにちょっと問題になった部分。

しかし、執行部がうまく説明して質問者もあっけなく納得して終了。

総会が終わると懇親会があるのだが、出席しないで帰る。

この頃、支部の懇親会のようなものはパスすることにしている。

若い頃親しかった税理士仲間もひとり減りふたり減りしてきたし、

それに、必要以上には顔を出さないようにしていれば、

そのうち役員選挙で落としてくれるだろう。

もう支部の仕事はいろいろやってきた。そろそろ御役御免にして欲しい。

支部の活動も若い人達が頑張ってくれればいいのである。

懇親会はパスして会場のホテルを出、そのあとは馴染みの蕎麦屋で軽く一杯。

入れてあった白州、少し日にちがあいたが無事を確認。

ちょっといい気分になって家に帰った。


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  白州の無事を確認 しばらく御無沙汰だったが取っておいてくれた。

全国大会

短歌結社の年に一度の全国大会。

昨年までは夏に開催されていたのだが大雨とか異常気象的なものが増えて、

とうとう昨年は京都での大会が台風直撃で他の地域からの参加者が飛行機飛ばなくて

行けなかったという事態になり、今年から時期を変えて開催することになった。

いつもの通り、一般公開のプログラムだけ参加。

全国大会そのものは一泊二日で歌会をやったりするのだが、

出席者が多すぎて一首一首についてじっくり批評できない。

ま、年に一度会員が集まって親睦を深めると思えばいいのだろうが、

不完全燃焼の歌会に出たいとは思わないので、

一般公開の講演とか対談とか、そういうものだけを聞きにいくことにしている。

山下公園の近くの会場に行くと建物の入り口に永田淳と永田紅がいた。

なんでこんなところにいるんだ?  この二人が会場の案内してるの?  と思ったのだが、

あとになって考えたら、一般公開のブログラムの前半、永田和宏との対談の相手の

馬場あき子がタクシーで来るのを迎えに出ていたんだろう。

会場に入ると知ってる顔が何人かいて話しかけられたのだが、

「ああ、どうも久しぶりです、歌会に出ていなくてすみません」とか、

「地元での開催だけど、忙しくて手伝いしていなくて」とか、

不良会員なので謝ってばかりだ(^^;

面倒くさいので知ってる顔を避けるようにして歩く(^^;;

実際、昨年は歌会には2回しか出ていない。

忙しいから仕方ないのだが

ただ、白状してしまうと、歌会に出ない状態が続くとそれに慣れてしまい、

出ていくのが面倒になる

これはちと良くないなと自分でも自覚している。

今年はもう少し歌会に出られるようにしたいと思っている。というか、思ってはいる(^^;;;

会場の一番後ろの方に座ったが出席者はかなり多そうである。

プログラムの前半は永田和宏と馬場あき子の対談。

これが面白かった。

現代短歌を牽引してきた歌人達の青春が浮かぶような話で、

昔は短歌の話をしているとすぐに「外に出ろ!」と喧嘩になったらしいが、

今はみな分別? があっておとなしいのである。

対談で出た話ではないが、田中康夫の「なんとなく、クリスタル」あたりからだろうか、

青春は恥ずかしいものみたいに言われるようになった。

しかし、青春といういささか無様でみっともない時期を通過して人は大人になる

のであって、青春が否定されるようになってから、

器用で小奇麗になった代わりにつまらなくなった人間が増えた気がする。

だから、歌人達の青春の話は面白かった。

それにしても馬場あき子は凄い。

話はうまいし、受け答えも鮮やかである。

しばらく前まで「かりん」の主宰をし、「鬼の研究」などの著作でも有名である。

御年97歳。

人によって年の取り方は違うがそれにしても凄い。

話を聞いているうちに「このオバチャン、バケモノだな」と思った(^^;


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   永田和宏と馬場あき子の対談

対談のあとは、大森静香、竹内亮、森山緋紗、なみの亜子による、

新仮名から旧かなへ、という座談会。

引用されている一首一首についての話も内容があり、この座談会も面白かった。

1時から4時半までのプログラムを終え、

来年の全国大会でまた会いましょうという閉会の挨拶を聞いて会場を出た。

来年は島根で開催するらしい。

さてさて来年はどうしようか、また講演だけ聞きに神話の国・出雲まで行くか


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 大会が終わってから、みなとみらいまでぷらふらと歩いて帰った

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