2025年04月

日光白根山

ゴールデンウィーク前半、日光白根山に行ってきた。
丸沼高原スキー場のロープウェイで山頂駅へ。
天気が良くて正面に白根山がでんと聳えている。
鳥居をくぐって10時に出発、樹林のなかの雪道を登る。
白根山の山腹を右へ右へ巻いてゆくような感じで何度も雪の沢を横断する。
何回目かの沢の横断のとき、視野の端に黒いものがふっとあらわれた。
そちらに顔を向けて足を止めた次の瞬間、目の前30㎝くらいのところを拳大の石が
ビュッーと落ちてゆき、下の斜面にぶつかり大きな音をたてて転がっていった。
落ちてきたときはまったく音がしなかった。
休憩を終え歩き始めてしばらくのことだったので、
あと数秒早く休憩を切り上げていたら頭を直撃していたのかもしれない。
落ちてくるときに音がすればわかるのだが、音もなく落ちて来る落石は怖い。
そのあとは沢を横断する度に沢の上の様子を窺い足早に渡った。

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    ロープウェイから日光白根山

そうやって登り続け、山腹のトラバースから直上にルートが変わってしばらくすると
森林限界を越え、頂上直下の雪の斜面が見えてくる。
それを越えて雪の消えたところを少し行けば白根山火口の奥白根神社のピークに出る。
ここまで2時間半。
それほど大きくはない火口の向こう側に岩のごつごつした2578mの山頂がある。
奥白根神社のピークからは10分かかるかかからないかである。
実は、今回の登山の数日前から腰が痛くなっていた。
幸い行動中は腰に違和感は感じなかったが、それを気にしながらの登山。
それともうひと気にしていたのはロープウェイの終了時間16時。
ロープウェイが終わってしまうと直線のロープウエェイで15分くらいかかるところを
1時間以上かけて歩いて降りなければならない。
今日の泊まりは関越トンネルの向こうの越後湯沢、あまり遅くなるのは嫌なのだ。
10時スタートだったので、登り3時間でタイムアップにしようと思っていた。
通常、登り3時間のところを下るのに3時間はかからないが、
痛い腰で下山に時間がかかればロープウェイの最終に間に合わなくなるかもしれない。
あと10分で山頂に行き昼飯を食っていると3時間を過ぎる。
先に山頂に行っていた息子に手を振って戻って来いと合図して、戻ってきた息子と
あんぱん一個で昼飯を済ませて下山をはじめた。
ま、白根山の山頂は冬に二回行っているのでそれほど執着もなく、白根山は初めての
息子が登ったことでよしとした。

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 山頂下の雪の斜面
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 奥白根神社のピーク
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 ピークから男体山と中禅寺湖

下山は教科書通りにアイゼンを着けて雪の斜面を下る他の登山者を横目に、
アイゼンなしのキックステップでしゃかしゃかと降りて思ったよりスムーズだった。
幸い腰が痛くなることもなく1時間半で山頂駅に着いた。
結果としては腰もロープウェイの最終時間も余計な心配だったわけで、
下山してから、あと10分なら山頂まで行けばよかったかなとか、
考えて由無いことを考えるわけだが、ま、仕方ない(^^;
その腰痛だが、行動中は大丈夫だったのだが、下山後かなり痛くなり、
このブログを書いている今も痛い。明日あたり医者に行ってこようと思っている(^^;;
下山後は桜満開の沼田からやはり桜満開の越後湯沢へ。
温泉で腰を温め、夜は居酒屋で美味しい日本酒を楽しんだ。

歌会

ひさしぶりに歌会に出席。
出席者6人の小さな歌会だった。
以前は毎月複数の歌会に出ていたが仕事が忙しくなったり他の用事が増えたりして、
去年は2回、今年は初めての歌会である。
題詠と自由詠のなかにそれぞれ報告の歌があった。
「入」の題詠の方、誌面発表前なのでここには出せないが、
風の強い春の彼岸の入り、燐の火もガスの火もつかなくて線香を置いてきた。
そんな歌意の歌。
読んでそのまま、こうなって、こうなって、こうなったと報告しているような歌であり、
読者に響いてくるものがない。
一方、自由詠の方の報告の歌は、
令和〇年〇月〇日午前1時となりの部屋からプレスリーの歌が聞こえてきた。
という歌意の歌。
この歌は事実だけを報告しているのだが、
それを読んだとき、ふふっ(^^;とする感じがある。
「大変だな…、そのあとどうなったんだろ?」みたいな。
両方とも報告している歌なのだが、
令和〇年云々の歌は事実だけを提示して、あとは読者に委ねている。
事実だけを提示することで、読者になにかを感じさせる、想起させる、あるいは考えさせる、
そういうことが出来るわけで、この歌はそういう点で成功しているのだろう。
一方、題詠の方の風が強くて火がつかなくて線香を置いてきた、という歌は、
読者に委ねるものはなく、すべて報告し説明している。
読者は報告を聞いて、はあ、そうですか、で終わってしまう。
もう少し読者に委ねる部分がないと歌はうまくいかないんじゃなかろうか。
ところで、「燐の火」ってなに?
たぶん「燐寸」(マッチ)の省略なんだろうがちょっと省略きついだろう。
歌会後の作者の弁でもやはり燐寸の省略だったのだが、
今の燐寸って燐寸の頭の燃える部分に「燐」は使ってないんじゃないのかな?
「燐」を使っていたのは昔の映画とかで靴底でこすると発火する燐寸じゃないのか?
つまり今の燐寸が燃えている火は「燐の火」ではない。
昔、「燐」を使っていたからマッチが「燐寸」になったわけだけど、
この省略はどうなんだろ。
墓場で「燐の火」というとついつい人魂を思い浮かべてしまうわけで、
いっそ、人魂もマッチもつかぬ風の火に線香を・・・とか作った方が歌が面白く
なりそうだが、科学的には人魂も燐が燃えているわけではないらしい。
ひさしぶりの歌会は和気藹々とした雰囲気で人が少ない分、一首一首をじっくり
批評できていい歌会だった。
去年は2回しか歌会に出られなかったが、
できれば今年はもう少し出席したいと思っている。


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     テーブルからタケノコが生えているわけではない。
 アーチェリーの射場で採れたタケノコ、ちょっとこんなふうに並べて撮ってみた。

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  で、そのタケノコで青椒肉絲を作り、ラーメンに乗せて青椒肉絲麺。美味しかった(^^

金継ぎ依頼 北陸2

金継ぎを頼んでそのあとは金沢へ。
金沢城の桜は場所によって違ったが五分咲きくらい?
二回ほど来たことがあるのでさくっと桜を眺めて七尾に向かう。
家族から、金沢に行くなら普段使いの器を買ってきてくれと頼まれていて、
同じ買うなら地震で影響受けたところで買った方が少しでも応援になるかと、
七尾に向かったのである。

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 金沢城の桜

金沢あたりは地震の影響はなさそうだが七尾あたりからは地震の影響があるみたいで、
立ち寄った漆器店も仮店舗での営業だった。
輪島塗と山中塗、九谷焼などが置いてあったが、
気に入ったのは山中塗。
どうも優雅な輪島塗より木の地を生かした山中塗の方が自分の好みには合っている。
ということで、山中塗の汁椀と九谷のマグカップを購入。
ちなみに息子は輪島塗のぐい呑みを買っていた。

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 普段使いに買った山中塗の汁椀 木の木目が生かされていて気に入った。

そのあとは富山の氷見へ。
氷見の温泉に泊まり、夕飯は氷見の美味しい寿司を食おうというわけで、
ネットで調べた「すしやの城光」にホテルから歩いて行く。
海岸沿いの道を歩いていくのだが、ブルーシートのかかった家が結構目に付く。
「危険」と書かれた張り紙のされた家もあり、壊れた家を取り壊したらしい更地もある。
地震の影響がかなりあるようだ。

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 ホテルの窓からの氷見の街並み。
 ここから見える範囲では地震の影響は見えないが、
 北の海岸沿いの道を歩いていくとブルーシートで覆われた家が目に付くようになる。

寒い中20分ほど歩いて城光に着く。
カウンターに座り、刺身をつまみに酒を飲み暖まってから寿司を頼む。
醤油を使わずに食べる寿司でなかなか美味しい。握りも小さすぎず大きすぎず程よい。
寿司を食べながら大将から氷見の町のことも聞く。
やはり地震の影響でこのあとも取り壊す家が増えるそうで、人も減るだろうということ。
復興はまだ遠いようである。三陸の地震との違い、なんなんだろう。

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 すしやの城光
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 飲みながら食べているので、なんの寿司だったか忘れた。
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 これもなんの寿司だったか忘れた。美味しかったことだけは覚えてる(^^;

美味しい寿司を食べ、タクシーを呼んでもらってホテルに戻り、
温泉で暖まってゆっくりと寝る。
翌日は日本海沿いに親知らずを通り新潟に入り、上杉謙信の居城・春日山城を訪ね、
まだ雪深い妙高の横を抜け、3日間の北陸の旅を終えて関東に戻った。

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    上杉謙信の居城 春日山城 名前のとおり山城。
 しかし、城域は麓の方にかなり広く広がっていて下の方に柵や堀がある。
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 春日山城から見た越後の山と平野

金継ぎ依頼 北陸

やってしまった…。
息子が就職して初めてもらった給料で買ってくれたバカラのロックグラス。
酔って割ってしまった…。
なんというアホな親爺だ…。

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     やってしまった...。

破片は揃っているので金継ぎで直せないかとネットで調べてみた。
陶器の金継ぎはたくさん出てくるのだが、ガラスの金継ぎは少ない。
それと趣味の延長で金継ぎ教室みたいなのをやっているようなところもありそうだ。
そのなかで目にとまったのが加賀の山中温泉の金継ぎ工房・八木。
とりあえず割れたグラスの写真をラインで送って問い合わせしてみると、
修理できるとの返事があった。
金継ぎ、プラチナ継ぎ、銀継ぎの見積もりも出してもらい頼むことにした。
郵送してくださいとのことだったのだが、
割れてピラー状になった部分が送るときに雑に扱われると粉々になりそうな気がする。
破片があれば金継ぎできるんだろうが粉々になってしまっては難しいんじゃなかろうか?
で、持っていくことにした。
場所が山中温泉なのだから温泉に泊まりがてら行けばいい。
息子にそう言ったら、「その金で新しいのを買った方が安いんじゃないの?」
とえらく健全なことを言う。
息子よ、人生は健全なばかりでは面白くないのだ(^^;
ということで3月の仕事が終わったところで出かけた。
横浜から加賀の山中温泉まで530k。
東名から名神、北陸道と走って福井、ここで一乗谷に立ち寄る。
戦国の時代、越前を支配した朝倉氏の拠点として栄えた一乗谷。
京都から戦乱を逃れた貴族や僧侶もやってきて北陸の小京都と呼ばれたが、
織田信長に滅ぼされ一乗谷は灰燼に帰した。
その後、田畑となり遺跡は土に埋もれていたが、
現在は発掘されて国の特別史跡に指定されている。
一乗谷川の両側に広がる遺跡はまだ春浅く小雨がやんだあとでちょっと寒々しい感じ。
街並みが復元されているエリアを歩いたあと川を渡り高いところから遺跡を見下ろして
みる。結構ひろい範囲に街並みが広がっていたのだろうが今は田園風景である。

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  一乗谷遺跡の街並みが復元されているエリア
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  川を渡って復元エリアを眺める
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  この辺に朝倉氏の館があった
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  堀と向こうに見えるのが唐門

一乗谷から山中温泉へ、源泉かけ流しの湯でのんびりして一泊。
翌朝、金継ぎ工房を訪ねる。
ホテルから車でほんの数分、電話番号をカーナビに入れて行ってみるが普通の住宅が
あるだけで分からない。よく見るとそのうちの一件の玄関に「ぬしや」という看板があり、建物の一角が作業場になっているようだった。玄関のチャイムを鳴らして場所を確認し、
割れたロックグラスを預ける。修理の依頼が多いらしく3か月くらいかかるということ。
修理が終わったら連絡をもらって代金の振り込み後に郵送してもらう。
3か月後を楽しみにしてそのあとは金沢に向かった。

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 「ぬしや」あるいは金継ぎ工房「八木」
 お父さんが山中塗の塗り、息子さんが金継ぎをやっているらしい。
 大きな看板が出ているわけではないので初めて行くとわかりにくい。
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