2024年12月

餅つき

アーチェリーの射場恒例の年末の餅つき。
幸い天気も良く、重たい臼や蒸し器を運んで準備。
蒸し器でもち米を蒸してそれを臼で搗く。
一方では囲炉裏に火を起こし、雑煮の支度。
射場が営業を終え、それ以降はクラブを立ち上げて有志で運営してきたが、
今年一年も楽しく続けることが出来た。
いい仲間に恵まれたことが大きいだろう。
搗いた餅を、あんこ、きなこ、おろし、雑煮で食べる。

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    臼の準備
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 蒸し器でもち米を蒸す
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 餅つき、交代で搗くのだが結構疲れる

搗きたての餅というのは柔らかくて本当に美味しい。
スーパーで売ってる切り餅なんて食べる気がしなくなる。
臼で三回、餅を搗き、皆で食べたあと最後の三回目の臼は
射場のオーナー家族の正月用の伸し餅にする。
食べ終わったあとは腹ごなしにコースを回る。
コースの銀杏もすっかり葉が落ちている。
来年もこの射場でアーチェリーをして、タケノコを掘って、自然薯作って、
囲炉裏で焼き芋作って、キャンプもして楽しもう。
仕事は仕事で頑張って、遊びは遊びで楽しむ。
いい遊びが出来ないヤツにいい仕事は出来ない、これ信念(^^;
さ、来年も頑張ろう(^^

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  45mの射ちおろし

今年のブログへの書き込みは今日で終わりです。
また来年、お目にかかります。
それでは良い年をお迎えください。

さくっと台湾 2

台湾三日目は台湾新幹線で台南へ。
ネットで前もってチケットを購入して当日、駅の窓口で受け取る。
台湾に何度も行っている知人に聞いて、ちょっと面倒なのかと思っていたが、
どうということもなくスムーズだった。
台北から台南まで1時間半。
車窓の眺めは割と変化に乏しいという感じがしたが、
地形が複雑な日本が変化に富んでいるということなのだろう。

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  台南駅

台南に行くのはゼーランディア城を訪ねるためである。
オランダの東インド会社が17世紀、台湾に作った貿易の拠点。
最初、オランダはマカオを占領しようとしたがポルトガルの抵抗にあい断念した。
台湾海峡の澎湖諸島に拠点をつくるがこれも清に撤去を求められ、
結局、台湾に拠点を作った。それがゼーランディア城である。
1627年、朱印船の船長・浜田弥兵衛がオランダが課した10%の関税に反発し、
総督ノイツを捕らえて人質にし長崎まで連れてきて関税を撤廃させ、
台湾を自由貿易地にした。その現場。
日本が引きこもりしていなかった時代の話である。
台南に着き駅からタクシーでホテルへ。
チェックインすると日本語の話せるスタッフがいたので、
安平古堡(ゼーランディア城)に行くにはどう行くのが一番いいか聞いたら、
バスでも行けるが時間がかかるのでタクシーが一番いいと言う。
200元くらいというので、とりあえずタクシーを呼んでもらい、部屋に荷物を置いて
すぐに出発。ホテルからまっすぐな道を走って4時に安平古堡に到着、170元だった。
ちなみに史跡公園の入場は5時までだった。
史跡はそれほど広くはなく、オランダの時代の古い城壁と砲台が残っていて、
あとは小さな展示館があるくらいのものである。
ゼーランディア城の時代は周囲は海だったのだが、今は埋め立てられて海は
少し遠くなっている。展示館の資料を見ながら、オランダ人はよく地球の裏側まで
やってきて商売をしようとしたもんだなと感心した。
海の向こうに目を向けた西洋と、鎖国あるいは海禁政策をとった東洋。
この違いはどこからきたのかなと思った。
城内には鄭成功の銅像が立っている。
1662年、清によって大陸を追われた明の遺臣・鄭成功はゼーランディア城を攻め落とし、
ここを安平城と改名し鄭氏政権の王城にする。
鄭成功はここで大陸への反攻を企図し、当時の徳川幕府にも派兵を要請したりしたが、
結局1683年、清により安平城は攻め落とされ、鄭氏による清への抵抗は終わる。
近松門左衛門の「国姓爺合戦」はこのあたりの話を題材にしている。
ちなみに鄭成功の母親は日本人であり弟は日本人として日本で暮らした。
台湾の南の端に日本ともかかわりのある古い城跡があることを、
あまり日本人は知らないかもしれない。
ホテルには結局歩いて戻った。
タクシーで帰るつもりだったのだが、真っすぐな一本道だったので歩いても
帰れそうな気がしてそのまますたすたと歩き、
途中、祭りの行列と出会ったりしながら1時間でホテルに着いた。
翌日、のんびりチェックアウトして再び新幹線で台北に戻り、
一晩過ごしてから帰国した。
10年以上前に訪れて2度目の台湾だったが、
相変わらず行きやすくて楽しい近場の海外である。

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  ゼーランディア城 安平古堡
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 レンガ造りの城壁
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 ガジュマルの木が多い
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  砲台
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 鄭成功の銅像
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 帰り道で出会ったお祭り
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 台南の夜 神農街
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 夕食の火鍋 辛かった
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 台北に戻り、その日の夕食は寧夏夜市
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 日本に帰国 写真を拡大すると富士山が見える

さくっと台湾

さくっと台湾に行ってきた。
本当は去年行ったヒマラヤトレッキングに再び行きたかったのだが、
日程の都合で今年は行けなかった。
で、代わりにどこか行こうというわけで台湾。
台湾は10年以上前に行ったことがある。今回が2回目。
夕方、台北の松山空港に着きタクシーでホテルへ。
翌日、午前中は故宮博物院、午後は九份に行った。
故宮博物院はMRTで士林に行き、そこから路線バスで行く。
10年以上前来たときはバス料金は後払いだったが、今は前払いに変っていた。
故宮博物院の展示物は割と小さいものが多い。
国民党が内戦に負けて台湾に逃げてくるときに北京の故宮博物院にあるものを持って
きたわけだが、慌てて逃げるときなので小さなものしか運べなかったわけである。
そのなかでも有名なのが翡翠で作った白菜。
もともとの翡翠の色をうまく使って白菜を見事に掘りだしているわけだが、
貴重な翡翠を使うのである。フツーならもっと高貴なイメージのものを作りそうだが、
庶民の食べ物である白菜を作ったのが凄い。
あるいはこれを作った職人は翡翠の原石のなかに白菜を見たのだろうか。

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    故宮博物院
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  中央が翡翠白菜

再び路線バスで士林に戻りMRTで台北駅。
午後からはツアーで九份に行く。
ツアーを使わなくても行くのは簡単である。バスやタクシーを使えばいい。
ただ、九份は帰りが大変なのだ。
台湾でも有名な観光地である九份。
観光客が多くて帰りのバスはかなり待たされるだろうし、
タクシーもつかまえられるかどうか分からない。
だから九份は日帰りのバスツアーを使う。帰りの足の確保が目的なので安いツアーで充分。
我々が使ったのは午後からの半日ツアーで1人5000円しない。
台北駅から出発して1時間弱で九份。
残念ながら雨。
ガイドの話では九份は1年365日のうち300日雨が降るそうで、
雨の多いところなので仕方ない。
下の駐車場から九份の有名な階段の道を登る。結構急である。
九份が金の鉱山だったころ、台湾で初めて作られた映画館とか、
「千と千尋の神隠し」に出てくる湯屋のモデルになったという阿妹茶楼もこの階段沿いにある。
ちなみに、実際には湯屋のモデルになっていないらしい。
宮崎駿は九份に行ったことがない、阿妹茶楼って知らないと言ったそうである。

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  九份の階段の道
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  金の鉱山だった時代の映画館
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  階段の道が続く
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  阿妹茶楼

階段の途中には何本か横道が入っていてその道沿いに店が並んでいる。
食べ物と雑貨の店が多いので、食べ歩きが好きな向きには九份は楽しいところだろう。
あまり食べ歩きには興味ないので途中の店で中華をつまみにビールを飲み、
あとはお茶を買ったり阿妹茶楼でお茶を飲んで過ごしてバスに戻る。
現地3時間くらいの短いツアーだったが、それくらいで充分である。
帰りは士林夜市で降ろしてもらい、夜市で夕食を食べてホテルに戻った。
長くなるので続きはまたあとで。

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  帰りの駐車場から夜の九份
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  台湾最大の夜市 士林夜市

研修会

税理士会の研修会、ちなみに税理士は年36時間以上の研修を義務づけられている。
新型コロナの間、税務調査はあまりおこなわれなかったが、
コロナが収束してきて税務調査は活発化している。
今回はその税務調査について事例を検討する研修会。
3つの事例を検討したのだが、いずれも内容的には面白い事例。
そのなかで目にとまったのが、
原告代表者の個人的な飲食費を交際費に計上していて否認された事例。
原告の会社社長A。ひいきのホステスがいたみたいで、そのホステスの在籍している
クラブに頻繁に同伴出勤やアフターを繰り返していたらしい。
で、ほとんどが1人飲みなのだが、それを交際費に計上していた。
税務調査でそれを否認されたのだが、
その辺の経緯がなかなか面白い。
顧問税理士かなり頑張っていて、税務調査での交際費以外の指摘事項については
それをひっくり返したのだが、Aはそれでも気に入らなかったらしく、
途中からこの税理士に報酬を支払わなくなったらしい。
最終的には顧問税理士とAとの間で報酬支払の民事訴訟をおこされてAは負けて
いるのだが、ま、Aはかなり癖の強い経営者だったんだろうな…。
そのAをかなり怒らせたのが税務署の調査官であったらしく、
よせばいいのに、ひいきのホステスの写真を示しながらAの奥さん(会社の取締役)にも
説明を求めなければならないとか迫ったらしい。
強引に責めれば根を上げると思ったのかもしれないが、
むしろAを怒らせて税務調査では終わらず訴訟までいった。
顧問税理士が指摘事項をかなりひっくり返すことが出来たのも、
あるいは調査に強引さがあったのがひとつの理由かもしれない。
その辺の経緯の面白さは面白さとして、
重加算税の課税要件についての検討も勉強になった。
確かに税務調査の現場にいると、
重加算税を取ることが調査官の成績になっているのかどうかは知らないが、
調査官が安易に重加算税を持ち出す傾向はある。
というか、調査官に言われるままになる税理士が結構いるんだろうな…。
だから調査官が安易になるのである。
そういう調査官を見ていると、Aの怒りが多少分からなくもない(^^;
ま、Aがしたことの是非は別として、正当な怒りは必要である。
ひいきのホステスとの飲み代を経費にしていた経営者への怒りは必要だし、
よせばいいのに、奥さんに話すぞみたいな脅し方をした調査官への怒りも必要である。
そういう怒りは立派に国民の権利だ。
面白い研修だった。

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    研修会風景

鍋割山

晩秋というのか初冬というのか、そんな丹沢の鍋割山を歩いてきた。
東名の伊勢原道ができて丹沢は近くなった。家から1時間で表丹沢の登山口の大倉に着く。
大倉の公営の駐車場、ネットでは8時からとなっているが、
行ってみると8時前から入れる。むしろ8時過ぎに行っていたら一杯だったかもしれず、
ネットの情報っていい加減なものである。
なにやら若い人たちが一杯いる。塔の岳とか鍋割山を目指しているらしく、
そちらの方にぞろぞろと人がゆく。
今って登山ブームなのか?(^^;

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    大倉のレストハウスの前、この写真撮ったときは人が少なくなってた

かつて、鍋割山に登るには登山訓練所のある二俣まで車で入れたのだが、
今は西山林道が一般車通行止めになり、大倉から歩かなければならない。
しかし、その道もなにやら昔と違って林道に入るまで随分回り道をする。
そのあとはひたすら林道を歩き二俣に着く。
若い頃の記憶の二俣とはだいぶ違う。
前は車を停められた辺りも木が生えたのだろうか狭くなっている気がした。
ここから後沢乗越に登り尾根に出る。
あとはその尾根を辿れば鍋割山である。

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  二又
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  西山林道 紅葉が綺麗
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  後沢乗越

葉の落ちた木々の尾根を登る。ところどころから富士山が見える。今日は天気がいい。
そうやって登ってゆくと山頂に出る。
山頂に着いて、えっ!? と思った。
山頂にある鍋割山荘、その入り口からずらりと人が並んでいる。50人はいるだろうか。
鍋割山の鍋割山荘、そこの名物の鍋焼きうどん、それを食べようという行列だということは
すぐに理解できたが、かつて、フツーに鍋割山に登り、フツーに空いている鍋割山荘に
入ってフツーにテーブルに座って鍋焼きうどんを食べていた人間には、
50人はいそうな行列を違和感なくしては見られなかった。
ひさしぶりの鍋焼きうどんはすぐに諦め、
頂上で富士山を眺めながら非常食の一口羊羹をひとつ食べて下山した。
実は今日は朝飯も食べていない。大倉で食べられるだろうと思って行ったら、
店が変わっていて何も食べられず、とりあえず非常食の一口羊羹ひとつ食べて
登ってきたのである。朝飯と昼飯がそれぞれ小さな非常食の一口羊羹ひとつだけ。
思わぬダイエット登山をしてしまった。

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  鍋割山頂からの富士山
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  鍋割山荘 この行列が写真の外の右の方にずっと続いていた

登ってきた道を下山して西山林道を下る。
周囲の黄葉が綺麗だ。
今日は結構歩いた、食うものを食っていないせいかかなり疲れて大倉に戻る。
3時に大倉に着き、朝はやっていなかったレストハウスでうどんを食べる。
今日初めてのまともな食事、美味しかった。

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  下山途中から 海が見える
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  大倉に3時に下山して今日初めてのまともな食事

下見

確定申告を依頼されている顧客とシニアレジデンスの下見に行ってきた。
シニアレジデンス、いわゆるサービス付き高齢者住宅で医療・介護・日々の食事等の
サービスが充実した施設である。
その物件への送迎バスが出ている駅で待ち合わせ。
顧客は高齢のご婦人。数年前にご主人を亡くされ自宅でひとりで暮らしているが、
いずれ体が動かなくなったときのためにシニアレジデンスとの契約を考えている。
シャトルバスで到着したのは完成して日の浅い綺麗なレジデンスだった。
受付で手続きをして部屋を見る。
1LDKで高齢者の夫婦やひとり暮らしには充分な広さである。
キッチンはIHで火は使えないがスペース的には問題ない。
ウォークインクローゼットもついていて収納も割とある。
ベランダからは湘南の海が見える。
購入ではなく、これから先の賃料を一括して支払う形の契約だが、
それでも4000万を超える。
1Fにはレストランがあり食事ができるのだが、その食事代は別個。
契約時に支払う費用のほかに光熱費や食事代などで月に25万くらいかかりそうだ。
風呂は1Fに大浴場があり、毎日3時以降好きな時に入れる。
認知症などになって自分のことを自分でできなくなった場合は、
レジデンス内の別の部屋に移ることになるが退去は求められない。
その辺の契約内容も確認。
そのご婦人とは、これから任意後見契約を結び見守ってゆくことになる。
見守り契約・財産管理委任契約・任意後見契約・死後事務委任契約・遺言執行人。
一連の契約を公正証書で作り万全を期す。
信頼され頼まれた以上、応えなければならない。
長い見守りが始まる。

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 公孫樹の黄葉


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