2024年11月

加賀美アーチェリー

アーチェリーの射場仲間と山梨の加賀美アーチェリーに行ってきた。
ここ数年、毎年恒例で出かけてアーチェリーで汗を流したあとは石和あたりに泊まり、
皆でわいわい酒を飲んで温泉に入り楽しんでいる。
朝、射場に集合して出発。圏央道から中央道を経て山梨へ。
10時前に到着、向こうには甲府盆地と八ヶ岳が見える。
天気が良くて風もなくアーチェリー日和である。

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     高速を降りて途中のコンビニへ。向こうに少し雪をかぶった南アルプスが見える
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  加賀美アーチェリー 向こうの山は八ヶ岳

用意をして早速コースに入る。
ここのコースは広々とした自然林のなかで黄葉が美しくて気持ちいいのだが、
コースにはその落ち葉がたくさん積もっていて、
斜面だとこれが結構滑るので気を付けながら歩く。
林のなかの的を射ちながらコースを歩いてゆく。
射ちあげとか射ちおろしの多いコースで難しいのだが面白い。

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  コースの入り口にあるツリーハウスのある木
  何度行ってもどこからツリーハウスに登るのか分からん。

午前中にINコースを回り、昼食を食べてからOUTコースへ。
ここのOUTは的までの距離表示のないアンマークで、
自分で距離を目測して射つのが面白いのだが、
行ってみると、あれ!?  距離表示がある?
最近、ここのコースで大会があったらしく、
その大会のためにアンマークのコースに距離表示をしたらしい。
あとで、加賀美アーチェリーのHPを見てみたら、
「時期によりアンマーク」と書いてあったので、いずれまたアンマークに戻し、
大会等があれば必要に応じて距離表示をするのかもしれない。
いずれにしろ加賀美のコースの魅力は他の射場にはないアンマークなのだから、
復活させて欲しいものである。
アンマークが射てなかったのはちょっと残念だったのだが、
今までアンマークだったコースにつけられた距離表示であらためて的を見ると、
「ここ、40mとなっているけど、アンマークだったら45m以上に見えるよな」とか、
目測との違いがはっきり分かって、それはそれで興味深かった。

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 林を歩き向こうの的を射つ
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 INを射ち終えてクラブハウスで昼食、これは練習場。
 11月の末で日向と日陰で全然気温が違う。日陰にいると結構寒い。
 つくづく日の当たる人生を生きたいと思った(^^;
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    OUTのコース 広々とした感じがするのでそれも的までの距離感に影響する
 写真を拡大すると向こうに的が見える
  
黄葉の自然林のなかを歩き、アーチェリーを楽しんでそのあとは温泉へ。
普段は近くの石和温泉に行くのだが、今回は石和の先の川浦温泉に宿を取っている。
武田信玄の家臣の山県昌景の子孫がやっているという山県館。
部屋も良くて雰囲気も良く、なかなかいいところだったが、温泉がちょっとぬるめかな。
エレベーターで笛吹川の縁まで降りる信玄公岩風呂は雰囲気のある露天風呂だが、
夜は照明が少ないので入りに行くのは覚悟がいりそうだ。
仲居さんの愛想も良くて仲間とわいわい酒を飲みながら夕食を食べ、
そのあとは部屋で飲む。
楽しい時間を過ごして10時には寝て、翌朝また温泉に入り横浜に帰った。

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 山県館
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 山県館のオリジナルの日本酒 祖先の山県昌景がラベルになっている

103万の壁

103万の壁というのが最近よく聞こえてくる。
そういう分野で仕事をしている人間としては違和感は否めない。
この前の選挙で「働く人たちの手取りを増やす」という某政党の主張から
始まったわけだが、103万の壁というのは主婦にとっては配偶者特別控除が出きて以来、
あまり意味はない。本人の収入にも税金がかかるようになるが、103万を
多少超えるくらいではたいした税金ではない。
現在、103万の壁が関係するのは親の扶養に入っている学生のアルバイトだろう。
苦学している学生を支援するのは当然だし、その親も支援できた方がいいのである。
しかし、最初に出てきた「働く人たちの手取りを増やす」ということとは、
多少ずれているような気がする。
壁のために働く日数を抑制するのが問題なら、
税金よりむしろ社会保険の方でそれが大きい。
106万の壁、130万の壁というのがそれだが、
106万の壁については厚生労働省が出した試案は、壁の撤廃にはならないだろう。
現状の従業員51人以上という条件を撤廃し、さらに働く人の保険料負担を減らす
ために、保険料の会社負担を9割に増やすというのであれば、
中小企業はパートも含め人の採用に慎重にならざるを得なくなる。
人手不足でも社会保険の負担が大きすぎて人を雇えないという話も出てくるだろう。
経済にいい影響を与えるはずがない。
103万とか106万とかはなくしてしまい、
130万の壁で統一するか、あるいはそれももう少し引き上げるか、
財源の問題はあるんだろうがその辺が妥当なのだろうか。
いずれにしろ「働く人たちの手取りを増やす」というのは、
給料から引く税金や社会保険料を減らすということで実現するのではなく、
収入そのものが増えるように国の政策で考えなければならないことであるはずだ。
103万とか106万とか130万とか、数字だけにスポットが当てられ、
どうも話がずれていっているような気がするのである。


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  アーチェリーの射場の銀杏が黄葉した

奈良 3

信貴山の朝護孫子寺には国宝の信貴山縁起絵巻がある。
といっても本物は奈良国立博物館に寄贈されていて、
普段、朝護孫子寺にあるのは複製である。
信貴山縁起絵巻は「飛倉の巻」「延喜加持の巻」「尼君の巻」の三巻からなるが、
今回、その中の「延喜加持の巻」の本物が特別公開されているので見に行った。
朝、信貴山温泉のホテルから少し行った先の橋を渡り朝護孫子寺の境内に入る。
本堂に行くと奈良盆地の雲海が見えた。
そのあと本堂の隣にある霊宝館に行く。
信貴山縁起絵巻の「延喜加持の巻」は他の巻と比べて色が残っているようだ。
空を駆ける護法童子がなかなかかっこいい。
「飛倉の巻」と「尼君の巻」は複製が展示されているのだが、
鉢が倉を飛ばす発想はなにやらSF的だし、東大寺で一晩過ごす尼君の描き方は
現代の漫画の描き方に通じるものがありそうで面白い。
900年前に描かれた絵巻物だが、
新鮮な感覚というものに時代の古い新しいは関係なさそうである。

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     信貴山から奈良盆地の雲海

信貴山から奈良盆地にくだり、薬師寺に向かう。
途中立ち寄った大和郡山城から薬師寺のふたつの塔が見えた。
薬師寺の東塔は修復工事のため10年以上大きな覆いに囲まれていたのだが、
その工事が去年終わり、やっと以前の薬師寺の姿に戻った。
で、そのあと薬師寺の駐車場に入ったところで強い雨が降ってきた。
仕方ないのでしばらく車の中で様子を見ていたのだが、
スマホで見ていると警報も出たらしく、さらに横殴りの大雨になった。
これはダメだなと車の中で昼寝。
ときどき雨雲レーダーを見ていると雨雲の濃い部分がだんだん離れてゆく。
1時間半ほどたったら小雨に変ったので薬師寺の境内に入った。

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  大和郡山城から薬師寺方面、拡大すると薬師寺のふたつの塔が見える
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  強雨というより豪雨、しばらく車のなかで様子を見る

東塔と西塔、以前と同じふたつの塔の薬師寺。
ずいぶん久しぶりにこの風景を見る。
それにしても奈良の寺は気持ちがいい。
平城京の時代、まだ人口が少なかったので広い土地を使えたのだろうが、
京都と比べて奈良の寺は広やかである。

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  修復が終わった薬師寺の東塔
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  以前の姿に戻った薬師寺

そのあと奈良公園の近くのホテルに入り、夕食はならまちに食べに行く。
ただ、残念ながらどの店も予約で一杯。
夕食難民になったような気分で歩き回ってやっと見つけた店で食事をし、
もちいどのセンター街のバーでウイスキーを飲み、いい気分でホテルに戻った。

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  このバーボンが美味しかった

翌日、横浜に帰る前に興福寺へ。昨日までとはうって変わった青空である。
猿沢の池から見る興福寺の五重塔は工事の大きな囲いに覆われていた。
薬師寺の工事が終わったと思ったら今度は興福寺である。
当分、奈良の定番の風景である猿沢の池からの興福寺の五重塔は見られない。
境内に入り国宝館に向かう。
阿修羅と八部衆の仏像が好きなのである。
奈良に来ると必ずここにきて阿修羅の前に立ち、
心の中で「阿修羅、おまえに会いきた」とつぶやいている。
もちろん声にはださない。
阿修羅の前で声に出してそういうことを言ってるヤツがいたら、
間違いなく危ないヤツである(^^;
別に危ないヤツなのではなく、
この世の果てを見てきたような阿修羅の憂いを帯びた眼差しに惹かれているのである。
国宝館を出て東向き商店街の果物屋で土産の柿を買い、奈良の旅を終えて横浜に帰った。
ちなみにここで買った奈良の柿は美味しかった。

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  猿沢の池からの眺め 興福寺の五重塔が覆われている
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  阿修羅に会いに行ってきた

奈良 大台ケ原 2

朝、洞川温泉を出発して大台ケ原に向かう。
カーナビの案内に従って走ってゆくのだが、山の中に入り道はどんどん細くなる。
走ってゆくと、みたらい渓谷という紅葉の綺麗な渓谷があったりするのだが、
対向車がきたらすれ違いができないような細い谷沿いの道がどこまでも続く。
そのうち弥山の登山口というのが出てきて、そのあたりからようやく
細いけれどもすれ違いできるところが少しふえたかなというくらいの道になる。
さらに走ってゆくと変な看板があった。
道路工事を告げる看板で8時半から12時までと午後も同じように時間指定で
通行止めという看板。
えっ!  なにこれ!?
カーブの番号らしきものが書いてあって、その番号のところから通行止めらしいのだが、
初めてここに来た者にはその番号のカーブがどこにあるのかさっぱり分からん。
カーナビを見ると、あと数キロでもう少し太い道に出そうである。
その手前なのか、その先なのか?
というか、この先通行止めで、さっき延々と走ってきたあの細い道を引き返すのか? 
という絶望に近い感覚(^^;
嫌なものから目を背ける気持ちでその先に進む…。
何キロ走っただろうか、コーナーを回った向こうの少しひろくなったところに
通行止めのコーンが並べられ誘導係が停まれと合図していた。
その誘導係のおじさんが運転席の方にやってきて、
「工事やっていまして8時半から12時まで通行止めです」と言う。
時計を見ると8時40分くらい。
マジですか…。
笑うしかない(^^;;
ここから引き返したら凄い時間かかるよね、待ってるしかないかなとか、
半分諦めの笑顔でおじさんと話していたら、
同情してくれたのか向こうに行って工事監督に話してくれて、
「1時間くらいでとりあえず一度通れるようにします」とのこと。
そのあと1時間、そのおじさんといろいろ話して過ごした。
周囲は国道とは名ばかりの酷道309号沿いの紅葉の谷なのだが、
おじさんに言わせると今年の紅葉は遅くてイマイチであるらしい。
他にもいろいろ、柿の葉寿司はひょうたろうが一番美味しいとか、
今日走ってきた、みたらい渓谷はこの辺で一番の紅葉の名所だとか、
昨日もここで仕事していて、ふと気づいたら狐が足元までやってきて、
話しかけたら逃げて行ったとか、面白い話を聞かせてくれた。
ちなみにそのおじさん、大台ケ原の駐車場の誘導係もやるらしく、
紅葉の季節は平日でも早い時間に一杯になり、道路に1キロくらい
縦列駐車の列ができるらしい。
1時間後、おじさんに礼を言ってとりあえず通してくれた道を走って、
やっとの思いで太い道に出る。

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  通行止め

おじさんの話ではこれから大台ケ原に行っても車は停められないだろうし、
そもそも昼からは雨の予報である。
足止めで時間が遅くなっているので大台ケ原は諦め、今日の泊まりの信貴山の方に向かう。
そもそもカーナビの案内を信じたのがいけなかったのだろう。
あるいは最短距離を案内したのかもしれないが、その道は国道ならぬ酷道だった。
少し遠回りでも太い道を走っていった方が早く着けたのだろう。
このまま泊まりのホテルに行くのは時間が早いので、奈良から山越えして大阪に入り、
楠木正成が立て籠もって戦った千早城に行ってみる。
ここも結構山奥である。金剛山の登山口の駐車場に車を停めて20分ほど山道を登ると
千早神社がある。ここが千早城の三の丸あたりであったらしい。
神社の後ろの方、金剛山に続く登山道から脇の方に登ってゆくと石垣があった。
その辺が千早城の一番高いあたりだろうが、天守というような広さではなく、
物見の櫓でもあったのかなというくらいの広さである。
戦国時代より前、鎌倉時代末の山城なので、そもそも天守などないのである。
楠木一族の緊急時の避難所兼砦のような存在として下赤坂城、上赤坂城、千早城が
あったのだろう。幕府軍がここにひきつれられている間に倒幕の旗は各地にあがり、
鎌倉幕府は滅ぶ。700年前のことである。
そこから信貴山に向かう。
信貴山の朝護孫子寺で信貴山縁起絵巻の特別公開をやっている。
今日は信貴山の温泉に泊まる。

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  千早神社
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  千早城の一番高いところの石垣


奈良 大台ケ原

大台ケ原、奈良県と三重県の境にある台地状の山塊である。
ニホンオオカミが最後まで生き残っていたという東吉野よりさらに山奥。
百名山のひとつでもあり、今年最後の登山ということで出かけた。
いかんせん、ちょっと遠いので車で登山口の下の温泉まで行き、
翌日、山を登るという予定。
横浜から東名、東名阪と走り継いで途中、伊賀上野城に立ち寄る。
徳川家康の伊賀越えとか伊賀忍者とかで有名な伊賀の城である。
最後は藤堂高虎が入り築城したが、大坂の陣で豊臣氏が滅び、
あまり必要がなくなって、建設中に暴風雨で倒壊した天守閣は再建されないまま
終わったらしい。いま立っている天守閣は戦前に再建されたものである。
天守閣と内堀との間には高石垣という石垣があるが、名前の通りこれが結構高い。

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     伊賀上野城
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  高石垣

横浜から延々と走り大台ケ原の近くの洞川温泉へ。
今夜はここで泊まる。
とりあえず温泉に入り汗を流し、夕食のあとちょっと歩いてみる。
道の両側に温泉宿と日本古来の民間薬である陀羅尼助の製造販売をしている店が
並んでいる、ちょっと変わった雰囲気の温泉街である。
日が暮れた通りには灯りが並び落ち着いた家並みはなかなか風情がある。
明日は早く出発して大台ケ原の登山口に行かなければならないので、
今日は早く寝る。

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  洞川温泉




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