2024年07月

カンボジア 4

カンボジア3日目、今夜の飛行機で日本に帰る。

今日はシェムリアップ市内をトゥクトゥクで回ることにする。

まずはアンコール博物館。

10年前に来たときもあったはずなのだが、入ったことはなかった。

割と綺麗な建物でカンボジアとアンコールワットの歴史が展示されている。

展示室内は撮影禁止。ホールや廊下に展示してあるものしか写真には撮れない。

市内にはシアヌーク博物館もあるのだが、運転手に聞くとアンコール博物館と

展示しているものはたいして変わらないというので戦争博物館へ。


DSC_2025
  アンコール博物館

DSC_2021
  ホールとかしか写真は撮れない

カンボジアはベトナム戦争がもう終わるあたりから内戦が始まった。

勝利したのはポル・ポトの率いるクメール・ルージュ。

ポル・ポト自身はフランスに留学した秀才である。

しかし彼は原始共産制の実現を目指して知識層や技術者・教師もすべて殺した。

彼の理想社会に必要なのは愚民だった。

このとき殺されたカンボジア人は国民の25%200万人が犠牲になった。

この虐殺はベトナムの介入で終わる。

戦争博物館は屋外に戦闘機や戦車・大砲が展示されている。

すべてUSSR、旧ソ連製である。

敷地内に小さな展示家屋があり、そのなかには地雷についての展示があった。

ベトナムの枯葉剤、ラオスの不発弾、カンボジアの地雷はインドシナ戦争が

この地域に今も残している深い傷跡である。


DSC_2027
  ミグ戦闘機

DSC_2028
  対空機関砲

DSC_2029
  戦車

DSC_2033
  水陸両用の兵員輸送車が多かった。

DSC_2034
  地雷とその被害の展示

このあと、知り合いに紹介してもらったラーメン屋・宮崎で昼食。

あまり海外で日本のラーメンとか食べないのだが、折角の紹介なので食べに行った。

結構おいしかった。シェムリアップ在住の日本人が食べにくるようで普通に日本語が

聞こえてくる。ちなみにビールは中ジョッキ1ドル。

昨日夕食を食べたパブストリートでは3ドルから4ドルだった。

これが地元の本来の価格なのであろう。

パブストリートとかは観光客向けの観光客価格の店が並んでいるところ。

それにはっきり言ってあまり美味くない。雰囲気で飲みに行くところである。


DSC_2036
  シェムリアップのラーメン宮崎 美味しかった。

このあとオールドマーケットで土産を買い、3時くらいに宿に戻った。

知り合いのゲストハウスなので融通をきかせてもらい、出発直前まで部屋を

使えて、シャワーを浴びて着替えることが出来たのは助かった。

着替えてさっぱりして知り合いに礼を言って空港に向かう。

ちなみに「また来ますと言ってほんとに来たのは関野さんだけです」と言われた(^^;

シェムリアップ・アンコール国際空港からハノイ、乗り継ぎして成田。

五泊六日の短い旅だったが楽しかった。


DSC_2038
  シェムリアップ・アンコール国際空港

カンボジア 3

カンボジアに着いて2日目、

今回の旅はスケジュールを殆ど決めていなかったので、ゆきあたりばったり。

とりあえず昨日は行ったことのなかったコー・ケー遺跡群に行った。

今日は10年前に行ったアンコールワットを再び訪れることにした。

10年前、始めてアンコールワットを訪れたとき、

遺跡の一部は修復中で無粋なブルーシートに覆われていたが、

それでも異質な古代の文明の遺跡はインパクトがあった。

そのときは乾季だったのだが、今回は雨季。

10年前と違い、遺跡の周囲の緑がとても鮮やかである。

気温は日本と比べて特に高いわけではないが湿度が凄い。

低温サウナに入ったままのような気分でアンコールワットへの橋を渡る。

シーズンオフで平日ということも関係あるのだろうか、今日は空いてる。

空いているのはいいのだが、低温サウナ状態で汗だくである。


DSC_1956
  アンコールワットへ

DSC_1961
 10年前とこの辺は変わらない

アンコールワットのなかに入り、回廊のレリーフを見て歩く。

戦車や象に乗って戦っているレリーフが回廊の壁一面に彫られている。

それを見ながら内側に入ると塔の上に登る階段があり行列している。

そういえば10年前も行列があった。一番上まで行くと確かに景色はいいが、

修学旅行らしい一団がいて足の踏み場もないような混雑だった。

そんなことを思い出しつつ、今回はパス。こんな汗だくでさらに階段を登ろうと

いう気にならない。

建物の外に出て店が並んでいるところでペットボトルを買う。

ともかく水分とらないと倒れそうである。

カンボジアは現地通貨が信用なくてドルの方が通用するので、

外人観光客に対しては水のペットボトルは1ドル。現地の人が買うときはもっと安い

はずだが、これくらいは仕方ない。

お茶は2ドルで2本で4ドル。高いと言ったら1ドルの水を1本サービスしてくれた。

10年前は子供の物売りが大勢いたのだが、今日は見かけない。

平日で学校に行っているのか、10年経って経済的に発展していなくなったのか。


DSC_1967
 ま、こんな感じかな

DSC_1964
  レリーフが一杯

DSC_1968
  こちらもレリーフ

DSC_1970
  雨季は遺跡の緑が濃い

DSC_1972
  こんな感じで水も溜まっている

DSC_1975
  お猿さんもいます

アンコールワットを出て待っていたトゥクトゥクに乗りアンコールトムへ。

トゥクトゥクが走り出すと風が気持ちいい。低温サウナから抜け出せたようで、

ああ、もうどこにも行かなくていいからこのまま走っていてくれという気分になる。

アンコールトムに入るには門を通り抜けるのだが、10年前はトゥクトゥクに乗った

まま通り抜けられたが、今回はトゥクトゥクを降りて歩いて橋を渡り門を潜り、

向こうでまたトゥクトゥクに乗らないといけない。

10年の間にいろいろ変わったのだろう。

寺院の横から入るような感じでアンコールトムに入る。

10年前、確かこういうところ歩いたなということを思いつつ、遺跡のなかを歩く。

ここもレリーフが美しい。バイヨンの塔の人面はあんな感じだっただろうか

遺跡を出るところでお猿さんが座っていて、近づいてきたと思ったら、持っていた

パンフレットをおもむろに掴み、ページを器用に開けてガブッと噛り付いた。

ページの間を少し齧り取って向こうに行ったがパンフレットって美味しいんだろうか?(^^;


DSC_1979
  トゥクトゥクで移動

DSC_1981
  アンコールトムの橋 

DSC_1982
 アンコールトム
DSC_1983
 船のレリーフ
DSC_1985
 バイヨン
DSC_1988
 バイヨン

そのあと幾つかの遺跡を回り、というか、熱中症一歩手前の状態になりなから、

「ここ、前にも来たよな」とか「10年前見たからいい、パス」とか、

そんな感じで見て回る。

しかし、アンコールワット。何回来てもいい場所である。

一回や二回で見尽くすことのできる場所じゃない。

それは分かっているのだが、

いかんせん、熱中症一歩手前の人間にはどうすることも出来ん(^^;;

このあと、遺跡を回って宿に戻り、ひと休みしていると案の定というか、

スコールが激しく降ってきた。

雨季は4時過ぎにはスコールが来ると思って間違いない。

それが1時間ほど続き、そのあとどのくらいで落ち着くか、という感じ。

夜はナイトマーケットに行って食事。

パブストリートもさすがにシーズンオフなのか空いていた。


DSC_1989
 ともかく遺跡が次々と出てくる

DSC_1993
 左側の木は10年前は枯れていなかった気がする
DSC_1998
 どこだっけ?  東メボン?
DSC_2009
  何か所も遺跡を回ってるともはやどこか分からん
DSC_2011
 タ・プローム
DSC_2016
 こちらもタ・プローム
DSC_2017
 同じ木の反対側
DSC_2019
 今日の夕飯
DSC_2020
 シェムリアップのパブストリート

 

 

 

 

 

カンボジア 2

コー・ケー遺跡群はシェムリアップの北東100k、アンコールワットより古い都城と

して築かれた遺跡だが、都城として使われた期間は短かったらしい。

今はジャングルのなかにある。

シェムリアップから遠いのでトゥクトゥクでは行けず車をチャーター。

市街を抜けカンボジアの農村風景のなかを走る。

昔のままの高床式の建物があり、

ところどころの道端では10年前にも見たペットボトルのガソリンスタンドがある。

走り続けベンメリアの脇を通ってさらに北東へ。

このベンメリアも印象的な廃墟の遺跡である。

車で2時間かかってようやくコー・ケーに着く。

オフィスがあってそこで入場券を買い、さらに車で進むと道は途中途中の遺跡を

巡るように続いている。

最初にあったのがプラサット・プラム。

3基の塔が並び、熱帯のジャングルの木がそこに巻き付いている。

かつて栄えた文明が自然の力に屈服しやがて姿を消してゆく、

その最後の姿のような廃墟である。

ふと足元を見ると花が咲いていた。

小さな雑草だが、ランのような花。

この花はほかの遺跡にも沢山咲いていた。

雨季のカンボジアは乾季と違いこういう花を見ることが出来る。


DSC_1888
  プラサット・ブラム

DSC_1893
 熱帯の木が巻き付いている。

DSC_1896
 足元に咲いていたランのような花

次に車を停めたのはブラサット・ダムレイ。

四方に石の象がいる遺跡だが、形を残しているのはひとつだけで、

あとは鼻が欠けてしまっていたり、下に落ちてしまっていたりする。

ここに限らず遺跡が崩れないよう補強をしているのだが、

いかんせん予算が足りないのだろう。このままでは崩れて失われてゆく遺跡が

多いような気がする。

ここにも足元にランのような花を咲かせている雑草があった。


DSC_1899
 プラサット・ダムレイ
DSC_1906
 壊れていない象はこのひとつだけ


次にあったのがプラサット・チュラップ。

崩れた塔の内側が黒い遺跡。

不思議な印象がある。

さらに進むと道の途中途中に既に崩れてしまった小さな遺跡があり、

そういうのをいちいち停まっていると何時間かかるか分からないので、

テキトーに車から見るだけで通り過ぎる。

そのあともひとつふたつと遺跡があり、

なかには崩れかかった塔のなかに大きな円筒があるものがある。

運転手にあれはなんだと聞くと「リンガ」だと言う。

リンガってなに? と聞くと、男根のことだった。

農耕社会では生殖と豊穣の祈りとして男根崇拝があったわけで、

それは古今東西に共通し日本にもある。


DSC_1912
 プラサット・チュラップ
DSC_1921
 リンガのある遺跡


最後に一番大きなプラサット・トム、プラサット・プラン。

ここは入口に店が並んでいて人もそれなりに多い。

進んでいくと最初にあるのがプラサット・トム。

崩れた回廊があり、そこを進んでいくと向こうにプラサット・プランが見えてくる。

いわゆるコー・ケーのピラミッドである。

36mの高さがあるらしく裏に回ると階段が付いていて一番上まで登ることが出来る。

試しに登ってみたが、上から見渡せば周囲すべてジャングルである。

かっては街が広がり人々が住んでいたのかもしれないが、今は熱帯の自然に

呑み込まれている。

このコー・ケーのピラミッドの一番上にもかつて大きなリンガがあったらしい。

日本の男根崇拝はアニミズムの伝統を残した土俗のものだが、

ここでは国家レベルの信仰として都城の真ん中のピラミッドの天辺に

巨大なリンガ(男根)があったのである。

なんか凄いなと思った(^^;

プラサット・トムの入り口に戻り、

そのなかの店の一軒でとりあえず冷たいビールで渇きを癒して昼食。

しばらくのんびりとして再び2時間かけてシェリアップに戻った。

コー・ケー遺跡群。

シェムリアップから少し遠いが一見の価値のある遺跡群である。


DSC_1927
 プラサット・トム
DSC_1928
 プラサット・トムの崩れた回廊
DSC_1930
 向こうにプラサット・ブラムが見えてきた。
DSC_1932
 プラサット・プラム  コー・ケーのピラミッド
DSC_1938
 天辺に登るとこんな感じ。周囲はジャングル
DSC_1942
 下におりて違う角度から。確かにピラミッドである。
DSC_1947
 プラサット・トムの入り口の店で昼食。カンボジア料理は美味しい
DSC_1948
 昼食中の足元は猫の群れ

カンボジア

ハノイからカンボジアのシェムリアップまで飛行機で1時間半。

10年前行ったときには市街に近いところに空港があったのだが、

その後、シェムリアップ・アンコール国際空港が新しく作られ、

作られたのはいいが、この空港、シェムリアップの市街から45k離れていて、

市内まで車で1時間ほどかかる。はっきり言って不便になった。

イミグレーションを通過して空港の外に出て左に行くとタクシーチケットの販売所がある。

そこでチケットを買うのだが、市内まで35ドルの定額である。

乗ったタクシーの運転手は

「帰りのタクシー、自分を呼んでくれれば25ドルでいい。10ドルは中国人に取られて

しまうんだ」と言っていた。

シェムリアップ・アンコール国際空港は中国の資本により作られたが、

完成後も中国企業が55年間運営する権利を持っている。

中国が世界中でやっている支援の裏側で港湾や鉄道・空港の権利を手にする方法である。

シェムリアップに住む知り合いが「カンボジアは政府は親中だが国民は中国が嫌いだ」と

言っていたが、運転手の「空港に取られる」ではなく「チャイニーズに取られる」という

言い方が、なんとなくそれを反映しているような気がした。

シェムリアップに住む知り合いは「かぐや姫」という食堂兼ゲストハウスをやっている

のだが、到着したのは随分遅くなって夜の10時くらい。電気が消えて入口が閉まっていて、

一瞬、入れないのかと思ったが鍵はかかっていなかった。

入ると知り合いが出てきて、ちょっとホッとした。

会うのは10年ぶり、しばし歓談。

ちなみにゲストハウスの宿泊代は115ドル。

シェムリアップの宿泊代の相場から考えても安い。

ただ、泊まりに行く人は蚊取線香を持って行った方がいいかな(^^;

食堂の方は今は客があまり入らず、カンボジア人の養子の家族がやっているキッチンカーが

家族の仕事の中心になっているらしい。

もう遅いのでとりあえず部屋に入りシャワーを浴びて寝た。

翌朝、どういう予定かと聞かれたが、なんにも考えていなかったので、

とりあえず行ったことのないコーケー遺跡群に行くことにする。

100kほど離れているのでトゥクトゥクでは行けず車をチャーターしてもらう。

長くなるので続きはあとで。


DSC_1953
 今は仕事の中心になっているキッチンカー。
 夕方、市内の川沿いで店を開くらしい。
DSC_1883
 コーケー遺跡群へ

 

 

ベトナム 2

たいして下調べもしないでやってきたベトナム。

ホテルでスマホで調べてタンロン遺跡に行ってみる。

タンロン皇城ともいわれベトナムの歴代の王朝が居城としたらしい。

ホテルを出て見当をつけて歩いてゆく。

途中に軍事基地があってそれを回りこまないと行けないのが面倒である。

途中、路面電車が走っていたところがあり、店の鼻先を電車が走ってゆく観光地に

なっているらしい。

DSC_1854
  路面電車のレール

大使館などがある通りを歩いていくと先の方にホーチミン廟が見えた。

間違えたなと思い、大使館の警備をしている警官に聞いてみると、

身振り手振りとベトナム語で、

「ここを行くと交差点がある。そこを左にゆけばタンロンだ」と教えてくれた。

ベトナム語はさっぱり分からないが、たぶんそういうことを言ったんだろうと思い、

その通りに行ってみるとタンロンに着いた。

広い敷地のなかを歩いていくと瑞門がある。

瑞門の脇から入ってゆくと、幾つかの建物がありいろいろな展示がある。

その中のひとつに入ってみると会議室のような部屋があり、名札が並んでいる。

その名札の中に、ヴォー・グエン・ザップを見つけた。

あっ!  と思った。

そうだ、ここはベトナム戦争のとき、北ベトナム軍の司令部があったのだ。

ベトナム戦争は私の中学高校の時代、リアルタイムの戦争だった。

新聞にはベトナム戦争の記事が載っていたし、悲惨な写真もたくさんあった。

サイゴンが陥落するとき大統領官邸に北ベトナム軍の戦車が突入する映像も

その日のニュースで見た。

ヴォー・グエン・ザップ。

フランス植民地からの独立戦争ではディエンビエンフーでフランス軍を敗北させ、

その後、ベトナム戦争では北ベトナム軍総司令官として戦った。

彼は士官学校で学んでいない。

独学で学びベトナム軍を指揮し、幾つもの戦場で勝利をもたらし、

「赤いナボレオン」と言われた。

彼は2013年に亡くなったが日本の新聞には小さな記事が載っていた。

年老いた彼は「孫はドラえもんに夢中で戦争の話は聞いてくれない」と笑っていたそうだ。

ヴォー・グエン・ザップはここに座っていたのか

なんにも調べないでベトナムにやってきて、思わぬものを見つけたような気分だった。


DSC_1861
  タンロン遺跡 瑞門

DSC_1864
  北ベトナム軍総司令部

DSC_1865
  ヴォー・グエン・ザップはここに座っていた

DSC_1866
  案内があった。右から2人目がヴォー・グエン・ザップ
DSC_1868
  地下の通路

タンロンを出て旧市街に戻る。途中、タンロンの北門があるのだが、結構大きい。

少し遅い昼飯を食べ、荷物を預けてあるホテルに戻り送迎サービスで空港に向かった。

ちなみに空港まで30万ドン。空港からのエアポートタクシーは50万ドンだったから、

ハノイの空港と市内のアクセスはタクシー使うよりホテルの送迎サービスの方が安い。

夕方の飛行機でカンボジアのシェムリアップに向かった。


DSC_1878
  昼飯で飲んだベトナムの赤米で作った酒。美味しかった。

 

ベトナム

7月の暑い盛り、ベトナムとカンボジアに行ってきた。

カンボジアのシェムリアップに知り合いがいて、

10年前に訪ねたときに「また来ます」と言って帰ってきた。

それから10年経ってしまった。

また来ますと言った以上、行かねばならんなと気になっていたので、

今回カンボジアへ、ついでにベトナムという感じで行ってきた。

成田からハノイ。

ノイバイ空港からタクシーで旧市街のホテルへ。

ネットで取ったホテルだが、行ってみると入口が随分小さく、

「え!? ここ?」と思ったが、

ま、結果としては家族経営らしい小さいながらちゃんとしたホテルだった。


DSC_1826
  ハノイ ノイバイ国際空港

DSC_1828
  真ん中の日よけの簾? がかかっているのが泊まったホテル。
 最初は入口にバイクが並べられていて、どこから入るの? という感じだった。
 ちなみに宿泊費は2人1泊で6400円ほど。

部屋に荷物を置いて早速出かけてみる。

ホテルに来る途中で見えたロンビエン橋に取り合えず行ってみる。

歩道にはバイクが停まったり人が座って食事していたり、車道は車とバイクがどんどん

走ってくるし、交差点は信号もついていないので歩きにくいのだが、

ホテルの部屋に置いてあった注意書きに書いてあった、

「ゆっくり歩く。ドライバーを見る。後ろにさがらない」を頭に入れて

歩いているうちにだんだんコツが掴めてきた。

一番大切なのは「後ろにさがらない」ことであるらしい。

ロンビエン橋はフランスの植民地時代に作られた橋で、ベトナム戦争のとき

何度も爆撃されたらしいが、今も現役の橋として使われている。

優美と言われた橋もさすがに古くなってトラス構造の鉄骨はだいぶ錆びている。

長い橋なのでとりあえず少し歩いてみて途中から引き返してきた。

そのあとは旧市街を歩いて夕飯。ホアンキエム湖の方に行ってみるが、

ハノイの景勝地という割には井の頭公園の池みたいで、どうということもなかった。


DSC_1832
  ロンビエン橋

DSC_1842
  ホアンキエム湖


ビールを飲みながら夕飯。

今回の海外、航空券と宿泊を取ったあとは仕事が忙しく、支度をしたのは出発前夜。

ほとんどなにも調べず、どこに行こうという予定もなく出かけてきた。

そんな調子でなぜ海外に行くのかと問われれば、漂泊の魂とどめ難く、としか言えない。

明日の夕方の飛行機でカンボジアに行くのだが、それまでハノイでどう過ごすかも

決めていない。食べながら調べてみると明日の月曜は博物館などは休みである。

う~ん、とりあえず今日は疲れているので食事がすんだらホテルに戻って寝る。

明日のことは明日考えればいい。


DSC_1849
  ベトナムのローカルな食事であるらしい

DSC_1851
  主食はフォー
 

アーカイブ