確定申告が始まった。

税理士になりたての頃は、税理士会でやっている無料相談に引っ張り出され、

相談者の話を聞きながらせっせと申告書を書いたものである。

まだ電子申告など始まっておらず紙の申告書の時代。

当時は医療費控除の下限も5万円だったので還付の申告が多かった。

相談者が多く相談会場の外まで行列が出来て会場はいささか殺気立っていた。

担当部長が会場を整理しようとして押すな押すなの混乱のなか税理士バッジをなくして

しまったと言っていたのを覚えている。

なかにはろくに資料を持ってこないであーだこーだと言う不届き者もいて、

仕方ないからそういうのは追い返すのだが、

そういうことをしていたら税理士仲間から「あいつは一日に一人は追い返す」と言われた。

当たり前だ。不届き者の申告書なんか作るか。

そういう無料相談で、随分驚いたことがある。

私の前に座った女性の相談者。

ひと目見てすぐに気付いた。

同じ小学校の同じクラスにいた女性だった。

小学校の近くの市営住宅に住んでいた少女。

税理士になりたてだから向こうも30そこそこだったはずだが、

ひと目見て気付くくらいに面影は残っていた。

旦那さんの年末調整をしていない源泉徴収票を持ってきて、

会社の方から自分で申告するように言われたというのが相談の内容。

源泉徴収票は手書きで住所も書いていない。

本来しなければならない年末調整をせず、こんな源泉徴収票を渡して、

自分で申告しろという会社というのは、決していい勤め先ではあるまい。

私は黙ってその源泉徴収票を受け取り、

相談票に書いてある住所をその源泉徴収票に書き込み、

そのまま黙って申告書を作った。

還付になった申告に彼女は喜び、笑顔で礼を言って帰っていった。

私は父親の仕事の関係で小学校を5回転校している。

彼女と同じクラスだった小学校も6年の一学期で転校した。

その後、父親の仕事の関係で大学生のときに横浜に帰ってきたが、

小学生のときの友達がどこでどうしているのかは分からなかったし、

特に知ろうともしなかった。

小学生で5回の転校って子供には結構負担大きいのである。

親しくなった友達とある日突然分かれることになる。

失った者は覚えている。

その学校でどういうことがあったか、どういう友達がいたか。

しかし、失わなかった者はたぶん覚えていないだろう。

だから私は黙って彼女の旦那さんの申告書を書いた。

可愛かった少女がどういう暮らしをしているのか、余計なことを考えても

しょうがない。私は会場を出てゆく彼女を黙って見送った。


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  河津桜が咲いた