2023年10月

米作り

山岳会の後輩が新潟の十日町に移住して米作りをしている。

今年で10年になるらしい。

移住して米作りを習い、米を出荷できるようになってから買うようになった。

父親が新潟出身のせいか米だけは親の代から新潟の魚沼の米屋から取り寄せて

いたのだが、

こう言ってはなんだが、

それまで買っていた魚沼の米屋の米との味の違いははっきり分かった。

炊飯器をあけたときの香りがあきらかに違った。

しかし、そんなことはどうでもいい。

移住して一から米作りを始めたのだ、

長く米を作っている魚沼の農家に太刀打ちできないのは当たり前である。

米を作り続けていい米を作ってくれればいいのだ。

そう思って今年も米を注文した。

 しかし、今年の米作りは大変だったらしい。

夏の異常な暑さで米が枯れたりして、

以前は魚沼といえば取れる米はほとんど一等米だったのだが、

米どころの魚沼で今年は一等米がほんの少ししか取れなかったらしい。

地球温暖化の影響は机上の計算より早く来る気がする。

農家が営農を諦める諦めないの判断は学者の判断より早いのではないのか。

作る人間がいなくなれば農業は衰退するのだ。

食料危機は思っているより早く来るかもしれない。

それはそれとして、魚沼は思い入れのある土地である。

若い頃、残雪の奥利根の山を歩いて十字峡から下山した野中の里は、

梅と桃と桜がいっぺんに咲いていて、桃源郷というのはこういうところかと思った。

子供達を連れて毎年ゴールデンウィークにキャンブしていたのも魚沼である。

そういう魚沼で米作りをしている山岳会の後輩を応援したいと思う↓

                            正屋 (masaya-tanokura.jp)

 
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   新米60k送ってもらったときのパンフレット。
頑張って米作りをして欲しい。

瀬谷フェスティバル

毎年秋、横浜市の各区でおこなわれる区民祭りの一環として、

瀬谷区で開催されるのが瀬谷フェスティバル。

米軍の瀬谷通信施設跡地の広い原っぱが会場で毎年数万人の来場者がくる。

フード系の出店のほかに市内で活動しているいろいろな団体がブースを出す。

税理士会でも税金と成年後見の相談のブースを出すのだが、

成年後見の相談員をできる会員は少ないので、

ひさしぶりに引っ張り出された。

前日の天気予報では午前中は雨。

以前、担当の部長をやっていたので知っているのだが、

瀬谷通信施設跡地の会場は文字通りの原っぱで下は土。

雨が降ると足元はぐちゃぐちゃになる。

以前も台風が来たとき、フェスティバルの当日は台風が通り過ぎて晴れる予報だったが、

会場がぐちゃぐちゃということで中止になったことがある。

今回もこの予報だと中止? と思っていたのだが、

当日の朝7時にHP確認すると開催するという。

フェスティバルは10時から。

スタッフはそれ以前に集合なのだが、

朝、所要があってその時間には行けない、10時過ぎくらいには会場に着けるという

ことで了承はとってある。

雨降るなか出かけて瀬谷駅から会場までシャトルバスが出るのでそれに乗った。

これなら10時には着けるなと思って座席に座ったところで携帯が鳴った。

会場にいる担当部長から、

「会場ぐちゃぐちゃで、雨降ってるなか相談会やっても相談者や相談員が体調くずす

といけないので、支部独自で中止することにしました」

マジもっと早く知らせてよ…(^^;

まだ発車していなかったので、急いでバスから降りた。

ま、会場に行ってみて、ちょっと状況悪いなと思ったのだろう。

自分は少し遅れていくということだったから瀬谷駅から引き返したけど、

他のスタッフは早く来てブースの設営をしたりしていたはず。

それをまた片づけての撤収になるはずで、大変というのか不運というのか…(^^;;

税務署長が朝、挨拶に来るという話だったから、署長が来るまで撤収するわけにも

いかなかったんだろうな…(^^;;;

もっと早く知らせてくれよと思いつつ、自分もかつてその部の部長をやっていたから、

担当部長の立場は分からなくもない。

いずれにせよ、せっかくの日曜、雨のなか瀬谷まで出かけてとんぼがえりで帰ってきた。

ま、今日は家で普段できない片づけとかをしよう。


333140b7 瀬谷

  8年前の瀬谷フェスティバル。
 着ぐるみは東京地方税理士会のユルキャラのトッチー君。
 2027年に瀬谷通信施設跡地で開かれる花博の工事が始まるので、
 来年の瀬谷フェスティバルは他の会場になるらしい。
 

捨てたほうの

捨てたほうの人生の続き思いつつ大きな鯵を背開きにする

                         / 王生令子

 

王生令子の第一歌集『夕暮れの瞼』のなかの一首。

たいていの人に、あの時、ああしていればということがあるだろう。

違う人生があったかもしれない、

そういう思いを抱く時がある。

鯵を背開きにするのはアジフライでも作っているのだろうか。

鯵を捌きながら、ふと、あの時のことを思う。

あの時、違う選択をしていたら、違う人生、違う愛、違う家族があったかもしれない。

そんなことを思いながら、今の家族のために鯵を背開きにしている。

今の幸せが決して平面ではなく、

たいていの人はその奥にいろいろなものを抱えている。

当たり前といえば当たり前のことなのだが、そんなことを思う。

歌集には詠い放つような歌が並ぶ。

そのせいか、歌集を読み続けたとき結句の単調さを感じなくもない。

試しに、無作為に開いたページの歌の結句を並べてみると、

 うちわを持って

 毛布をかぶる

 ごはんを作る

 ああ、腹が立つ

 名前をなくす

 男になりたい

詠い放ち、一首の余韻とかはあまり気にしていないような感じがする。

それを吐き出さなければ己が苦しい、吐き出すことで己が救われる。

それが表現の本質であるわけだが、一方、その吐き出したものをさらに詩として

昇華することで短歌は生まれるのではないかとも思うわけで。

歌集を読んで、その昇華は充分だったのか?

あるいはこれが作者のスタイルということでいいのだろうか?

作者の力は感じつつ、その辺はちょっと気になった。

それはそれとしてこの歌集、出版は202111月である。

歌集を頂いてから2年、忙しさにかまけて机に積んだままだった(^^;

遅ればせながら頂いた歌集を順番に読んでいるということで、

作者の方、許してくださいませ(^^;;


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  アーチェリーの射場、左の幾又にも分かれた桜の老木の折れた枝の処分。
  上の枝に引っ掛かったままぶら下がっていて、人が下にいるときに落ちてくれば
  大変なことになるので、なんとか工夫して引き摺り下ろして処分した。
  山を管理して射場を維持するのは大仕事である。

  

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