2023年09月

インボイス

101日から消費税のインボイス制度がスタートする。

その支払いに幾らの消費税が含まれているか明確にするのがインボイス。

消費税の把握を正確にし、申告の適正化を図る、のが主な目的。

それはいいのだが、免税事業者はインボイスを発行できないということで、

取引から排除されるかもしれない。

インボイスを受けとれなければ仕事を出す方はその支払いに含まれる消費税を

自分の申告のときに引けなくなる。つまり、それだけ消費税の納税額が増える。

当然、仕事を出す方はインボイスを出してくれるところに仕事を出すようになる。

免税事業者に仕事はこなくなる。

先日、フリーランス等の人達が集まって、

インボイス制度反対の署名を財務省に提出し記者会見をしていた。

正直言って、今更か? と思った。

インボイス反対の意見は同じである。

しかし、声を挙げるなら挙げるべき時というものがある。

法律というのはある日突然作られるのではない。

法案が出て国会で審議され議決を経て法律は作られる。

なぜ、その時に声を挙げない?

危機が目の前に来なければ気が付かないということか?

もっと早く気が付けという話だ。

フリーランス、自由に生きるというのは楽ではない。

自由には飢え死にする自由もある。

自由に生きられるのはそういう恐怖に向き合うことが出来る人間だけだ。

目の前に来なければ危機を認識できないという向きは、

あまり自由には生きられないかもしれない。

いずれにしろ、小規模な免税事業者がインボイス発行を余儀なくされ、

今まで申告しなくて済んでいた消費税の申告をし、納税をしなければならないというのは、

大きな負担なのである。

免税事業者に限らず事業者全体が経理・税務の事務が煩雑になりそれが大きな

負担になるだろう。

なんのためのインボイスなのか

現場の一人としては、国の政策に疑問を感じなくはない。

ま、免税事業者が発行事業者を選択することで国の税収は増えるんだろうが


DSC_1006

 射場の紅白の彼岸花

岡城

阿蘇から大分の竹田へ。ここに岡城がある。

戦国時代、大友氏の一族の志賀氏の居城として築かれた山城。

薩摩の島津氏が九州制圧を目前にしたとき、志賀親次はここに籠城、

島津義弘は3万の兵を率いて押し寄せるが岡城を落とせず、

押さえの兵を置いて豊後平定に向かう。

島津義弘が落とせないと見切りをつけた城。

確かに歩いてみると、攻めるに攻められない城という気がしてくる。

阿蘇山の噴火で噴出した溶岩で出来た岩山の上に築かれた城である。

まとまった兵で攻められるのは大手門・西の丸の正面だけである。

ここですら狭い。

他は谷に挟まれた断崖の上に石垣が築かれている。到底攻めのぼれない。

しかも、本丸の北側の清水谷を見たとき、うぅ~ん、と唸った。

急峻な谷の上に石垣が築かれていてここから攻め上るのは無理である。

地形を上手く使って築城されていて、谷の向こうの尾根も城域である。

つまり、谷の奥に入ってくれば谷の両側から攻撃される。

こちら側からは攻めのぼれない。

もし水が足りなくなれば城からは谷に降りて水を汲めそうだ。


DSC_0961
 駐車場から岡城大手門へ

DSC_0962~3
 大手門
DSC_0966
 岡城の城域
DSC_0967
 大野川の側
DSC_0969
 太鼓櫓跡 
DSC_0971
 清水谷側

どうしてもこの城を落とすのなら、兵糧が尽きるまで囲むか内通者を作るしかない。

先月、白山の帰りに立ち寄った七尾城は織田の援軍が間に合わず落ちた。

岡城は豊臣の援軍が来るまで持ちこたえた。

援軍が期待できない籠城戦はありえないわけだが、

それにしても岡城はそうやすやすと落ちない城だったろう。

岡城の城跡を歩いていて、以前行ったペルーのインカの遺跡を思い出した。

石の遺跡。

スケールは違うのだが、その美しさがちょっと共通するところがある。

城跡には滝廉太郎の銅像がある。

滝廉太郎の「荒城の月」は岡城がモデルと言われている。

確かに作曲したとき、彼が少年期を過ごした竹田の石垣のみが残る岡城は

イメージのなかにあっただろう。

ただ、「荒城の月」は作詞は土井晩翠なので作詞の時点では岡城は関係ない。

しかし、「荒城」という言葉は岡城をよくあらわしている。


DSC_0973
 滝廉太郎の銅像

DSC_0974
 本丸跡
DSC_0979
 阿蘇山の噴火の溶岩の岩山の上に石垣が築かれている
DSC_0985
 大分を抜けて関門海峡 右が九州、左が本

阿蘇山

短歌結社の全国大会に出、夜は博多の屋台で飲んで、翌日は阿蘇山へ。

車を飛ばし、いささか寝不足感はあるが11時に登山口の仙酔峡に到着。

昼過ぎから雨という予報で、確かに登山口から見上げる空はどんよりとしている。

予定では仙酔峡から高岳に登り、そこから中岳を経て火口の縁に出、そちらから仙酔峡に

おりてくるラウンドのコースを考えていたのだが、この天気では雨で途中から引き返す

かもしれない。ならば降らないうちにせめて火口の縁までだけでも行こうということで、

予定のラウンドコースを逆に歩くことにする。これなら火口の縁まで1時間くらいで

行ける。登り始めるといきなりポツリポツリと降ってくる。

先月の白山も雨で登れなかった。連敗か?と思いつつ登る。

昔、ロープウェイがあったコースで登山道はなだらかで歩きやすい。

ポツリポツリと降っていた雨もなんとなくやんで、

登り続けて1時間ほどで火口東展望所に着く。


DSC_0934

 仙酔峡からの登山道

斜面から稜線に立つと目の前に噴煙をあげる阿蘇の火口が現れる。

なんというか、巨大な砂の蟻地獄のような異質な世界である。

火口の縁から少し下の噴火時の避難シェルターで昼飯を摂り、

空模様を見ながら中岳へ向かう。

一見遠く見えるのだが、登ってみると割と近い。

頂上で振り返ると先ほどの阿蘇の火口が広がっている。

南には尾根が続いていて人が歩いているのが見える。

東には高岳が見える。

広やかな風景である。

高岳を越えて仙酔峡に下るつもりだったが雷が鳴り始めた。

こんなところで雷に打たれるのは嫌なので中岳から素直に下山。

しばらく降りていると後ろから若い女性が走ってやってきた。

元気そうなので先に行ってもらおうと道を譲ろうとすると、

彼女立ち止まってスマホの自動通訳で「この道はどこに行きますか?」と聞く。

「仙酔峡」と答えると、スマホで調べていたが出てこなかったらしい。

再び自動通訳で「草千里に行けますか?」と聞く。

ちなみに彼女が喋っているのは中国語。

仙酔峡に下りて草千里に行かなければならないと伝えると、

彼女、了解したらしく、Back! と言う。

Back?  戻る?  どこから来たんだこの子?

空を指さして Rain,,,,maybe,,,,Where did you come from? と聞くと、

スマホで辿ってきたルートを見せてくれるのだが、こちらも阿蘇は初めてなので

よく分からないが、どうも、さっき頂上から見えた南に続いている尾根らしい。

高岳の方に戻るのなら天気悪くなったら危ないんじゃないかと思ったが、

南の方に行くなら降りられそうな気がした。

彼女、元気な声で、 I  Back  Nice to meet you と言って頂上に向かい、

風の又三郎のごとく走り去って行った。

トレイルランで火口から走ってきたと思うのだが、草千里には登山道は続いていない。

戻って正解だったのだろう。

海外からやってきて、良くわからない山のなかを走るわけである。

たいしたものだ。元気なオネーチャンだった。

登ってきた道を降りて仙酔峡に戻り、片づけをしていると雨が強くなってきた。

いいタイミングで下山できた。

今日は仙酔峡温泉に泊まり、明日は大分の方に行ってみる。


DSC_0935
 火口東展望所からの眺め

DSC_0944
 同じく火口東展望所から

DSC_0950
 中岳の頂上

全国大会

短歌結社の全国大会、今年は福岡。

2日間の日程で開かれるのだが、いつもの通り初日の一般公開のプログラムだけ参加する。

2日目は会員限定で歌会などが開かれるのだが、歌会としては参加者が多すぎて

不完全燃焼になるのは目に見えているので参加しない。

会場は福岡国際会議場。

最初のプログラムは「推し歌合」。

歌合わせというのは大抵は自分達の歌を相手方の歌と競い合わせて批評し優劣を判定する

のだが、「推し歌合」というのは、どうやら、自分の歌ではなく自分の推したい歌を出して

歌合わせをするらしい。

で、対戦1回目の歌がこれ

 

 赤組  妻も母もわがなしえざる生なして阿蘇の高菜を食みをり今宵 /黒瀬珂攔

 

 白組  めちゃくちゃを止せば老人になりそうでときに食ふ夜半のとんこつラーメン

                                 /大松達知

いずれもいい歌である。

優劣つけがたく最初の会場での参加者全員での札上げでの判定は白よりやや赤が多かった。

ちなみに私は赤を上げた。その後の批評だが赤白それぞれ3人の出席者がいい批評を

するのだが、白組の女性陣2人があるいは酒をあまり飲まない人だろうか、ちょっと

酒飲みの気持ちがわかっていないなという批評が気になった。そのせいか、それぞれの

批評が終わったあとの最終の判定は圧倒的に赤。

歌合わせは歌の良し悪しだけでなく、出席者の批評がものを言う。いい批評があれば

そちらに流れるのである。そういう意味でもう少し相手方の歌へのツッコミがあっても

良かったと思うのだが、出席者全員紳士淑女で、そういうツッコミはちょっと少なかった。

自分のように、なにかあれば噛みついてやろう突っ込んでやろうと思っている人間には

ちょっと物足りない(^^;

歌合わせのあとは「短歌における口語と文語」というテーマでの対談とディスカッション。

口語、文語のそれぞれの特徴、それが歌にもたらす印象とか、日本語はモダリティーの

豊富な言語であるとか、吉川宏志と栗木京子の対談は面白かったし、

若い人たちのディスカッションも参加者全員話し上手で面白かった。

最近の若い人はものおじしないで話すからいい。

結社の会員数は1100人を越えているらしいが、新型コロナ以来、大会の参加者は

少ないような気がする。ZOOMで歌会が出来るようになったりもして、

新型コロナは結社と会員のつながりも多少変えたかもしれない。


DSC_0917
 歌合わせ 

DSC_0920
 吉川宏志と栗木京子の対談

初日のプログラム終了後、ひさしぶりに会った人たちとちょっと挨拶をして、

そのあとは夕食を食べに博多の屋台に出かける。

中州に屋台が多いらしいが観光客向けで高いという話なので渡辺通りへ。

博多の屋台の案内の本をコピーしたのがあったのだが、どうもその案内ほどには

屋台が出ていない。あるいは新型コロナで屋台も少なくなったのだろうか?

確かにソーシャルディスタンスで間隔あけて座ったら屋台は経営成立しないだろう。

少なくなったのかもしれない屋台はみな混んでいるのだが、

まだ時間が早かったので空いている
ところを見つけて座る。

博多の屋台は初めてだったが、

屋台の主と気軽に話が出来、隣の客との距離も近くて話しやすい。

その辺、屋台によって違うのだろうが、座った屋台が当たりだったかもしれない。

テキーラの置いてある屋台で、テキーラ3杯くらいおかわり、

いい気分で夜の博多の街を歩いてホテルに向かった。

明日は阿蘇山に登りにいく。


DSC_0923
 18時から営業という屋台が多いらしい。この時点では空いていたが、
 このあとはどこも客で一杯だった。

DSC_0926
 右側の屋台で飲んでいた
 

辛夷の花芽

三月、桜よりひと足早く花を咲かせて春を告げる辛夷。

辛夷は花の終わったあと七月には新しい花芽ができ、

そのまま越冬して翌年に花を咲かせる。

その辛夷の花芽が今年は少しおかしい。

例年だとそれなりの大きさになり微かな和毛に包まれている。

それが今年は小さくて和毛もなく、ところどころ日焼けしたように茶色くなっている。

どういうことなんだろうか?

あるいは今年の夏の異常高温で花芽が影響を受けているのだろうか?

そうだとすると、来年、この街の辛夷は咲くのだろうか?

温暖化の影響についてあるいは多くの人は、

嫌なものを見ないようにしているのかもしれない。

温暖化が進むということを、夏がだんだん暑くなる、その延長線程度に考えて

いるのかもしれない。暑いなの延長線でなんとか終わるくらいに。

しかし、そうではないのかもしれない。

人間はクーラーの効いた部屋で暑い夏を過ごせばいいかもしれないが、

植物も動物も温暖化の速さに適応しきれないかもしれない。

いつかデッドラインを迎えるのかもしれない。

そこまでは、今年は暑いね、で済んでも、デッドラインを迎えたとき、

我々を取り巻く自然環境は劇的に変わるのかもしれない。

そのとき、人間社会はどうなるのだろう。

飢餓は温暖化でゆっくりやってくるわけではないかもしれない。

植物が適応できなくなったとき、暑さで作物の出来ないひと夏があれば、

世界は飢餓に覆われるだろう。

デッドラインはゆっくりとはやって来ない、どこかで突然やつてくるのではないか?

去年とまるで違う辛夷の花芽を見て、

来年、この街の辛夷は咲くのだろうか?  その先は?

そんなことを思った。


DSC_2011
 去年7月の辛夷の花芽 ふっくらとして綺麗

DSC_0907
 同じ木の今年8月の辛夷の花芽、あきらかに小さい
こぶし
 ちょっと見にくいが、花芽が日焼けしたように部分的に茶色くなっている 

雲は過去

雲は過去 等高線をすみやかに越えて来るなり影従えて

                        / 沢田麻佐子

 

沢田麻佐子の第一歌集『レンズ雲』の巻頭の歌。

この雲は稜線を越えて流れ落ちる滝雲のような雲ではなく、

もっと高いところを流れてゆく雲であろう。

山の斜面に落ちたその雲の影は山の起伏を軽々と越えてゆく。

爽やかな歌である。

ところで初句の「雲は過去」はどういう意味だろう?

読んだときの掴みとして機能しているのは明らかだが、では意味は?

強いて読めば、作者は雲に追憶を見ているとも読めるのかもしれないが、

別に無理に読まなくていい気がする。

分からないものは分からないままでいい。

最近、歌を読んでてそう思うようになった。

かつてはなんとかして読み取ろうと思った。

しかし、無理して意味を読み取ろうとしていると、

そこから感じ取れるものを見失うような気がする。

詩というのはそこが一番大切なのではなかろうか。

読者それぞれが「雲は過去」からなにかを感じ取ればいいのであって、

無理して意味を考えなくていい。そんな気がするのである。


DSC_0909

 

アーカイブ