2023年08月

七尾城

夏休み最終日、和倉温泉から帰る途中、七尾城に立ち寄った。

なんでも日本五大山城のひとつなんだそうで難攻不落を誇ったらしい。

車で走っていくとどんどん山に登っていく。

「随分、平野と離れてるな」と思った。

結構登って本丸の下の駐車場に着く。

ボランティアのガイドがいて、いろいろ説明してくれる。

標高300mの城山に本丸があり、二の丸、三の丸、桜馬場、屋敷跡などが周囲に広がる。

地形を利用した山上の城郭である。

能登畠山氏が築城したらしいが、最初は砦くらいのもので、麓の七尾府中に守護館が

あったというから、有事の避難所くらいのものだったのだろう。

それがその後拡張され、守護館そのものも七尾城に移ったらしい。

ガイドさんの説明を聞きながら少し歩くと石垣が見えてきた。

森の中に数段の石垣があり、その向こうに本丸の石垣が見える。

この山の上にこれだけの石垣を巡らせた城、ガイドは難攻不落の城と言っていたが、

説明を聞きながら、攻める必要のない城だと思った。

これだけ麓の平野と離れていれば、城を囲んでおけば平野は支配できる。

囲んでいればいずれ飢える。飢えて城から出てくればその方が戦いやすいはずである。

説明してくれたガイドに礼を言って本丸に登る。

駐車場からはほんの5分くらいである。

本丸の石垣の端の階段を登ると広くなったところに出る。

昔はここに本丸があったのだろうが、今は石碑と小さな神社があるだけである。

石垣の上に立つと麓の七尾市街と能登湾、その向こうに能登島が見える。

上杉謙信がこの城を攻め落としたとき、ここからの景色を見てその絶景に感嘆したという。


DSC_0906
 本丸下の駐車場 ボランティアのガイドがいる

DSC_0898
 最初に見えてくる石垣
DSC_0899
 本丸の石垣
DSC_0900
 石垣の上からの眺め

1577
年、上杉に攻められて七尾城は陥落する。

難攻不落の城だったが、囲まれて飢えた。麓の住民も含んだ多数の籠城者を抱え、

糞尿も処理できず、城内には糞尿が山となって溜まった。そして疫病が発生。

城主の畠山義隆もそれで死んだらしい。そして重臣の寝返りで落城した。

山城というのは、もともとは有事の避難所として作られたのだろう。

上杉が攻めたとき、麓の住民も城に入っていたというのは、避難所としての機能が

まだ残っていたのだろうか。

戦いがまだ大規模でなかった時代は、山城に立て籠もって戦えば、囲んだ方もそう

長くは戦えなかっただろう。軍隊の組織化がまだ未熟だった頃、兵糧は自前だし、

兵士は春は田植えをしなければならず秋は稲刈りをしなければならないのである。

長く陣取っていられない敵を山城で防ぎ、折を見て高いところから襲う戦い方は

有効だったはずだ。しかし、戦国後期、戦いが大規模になり、兵農分離が進むと、

大規模な軍隊が長期に戦うことが出来るようになった。

籠城戦は長期化し、援軍のあてがない限り山城での籠城は不利になった。

山城はその有効性を失い平城が主流になる。

上杉謙信が七尾城を攻めたときに詠んだという漢詩がある。

 

 霜は軍営に満ち秋気清し

 数行の過鴈 月三更

 越山併せ得たり能州の景

 さもあらばあれ家郷の遠征を憶ふは

 

さて、夏休みは終わりだ。これから530k走って横浜に帰る。


DSC_0901
 本丸跡に立つ石碑

DSC_0904
 本丸跡の神社
 

白山から和倉温泉

片山津から金沢へ。金沢城近くの駐車場に車を停め兼六園に向かう。

かなり暑い。

しばらく歩いてすぐに汗だくである。

兼六園は日本三名園のひとつ、雪吊りの風景が有名だが、やはりそういう季節の方が

いいのかな、夏はゆだる(^^;

海外からの観光客が大勢いるが、彼らは日本は暑い国だというイメージ持って国に

帰るんだろうな。兼六園から道路ひとつ隔てて金沢城がある。

加賀百万石の城だけあって大きな城である。

1602年に落雷により天守閣が焼失してから再建されていないので、

江戸時代を通して天守閣のない城だった。

広い芝生があって、広やかな城だなと思う人もいるかもしれないが、

金沢城に限らず、現存する日本の城はそこにあった政庁などの建物群がなくなり、

芝生の広場に変わってしまっているところが多いので、それで広やかに見えるのである。

どうでもいいのだが、この暑さでその芝生の広場が日差しを遮るもののない空間に

なっている。強い日差しに焼かれながら城を出て近江町市場へ。


DSC_0865
  兼六園

DSC_0868
 兼六園の向こうが金沢城
DSC_0869
 金沢城 河北門
DSC_0872
 金沢城 五十間長屋

近江町市場は金沢の台所、京都で言えば錦市場みたいなところである。

いろいろな店が並んでいるが目に付くのは海産物の店。

店先で生のウニが立ち食いできるところもあって美味しそうだった。ひとつ700円。

ここで名物の海鮮丼で昼飯。

そのあと、ひがし茶屋街へ。

金沢には三っつの茶屋街が残っているらしいが、そのなかで一番大きな茶屋街で、

石畳みの道に江戸時代の雰囲気が残る格子戸の建物が並び、

重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。

いわゆる映えスポットなのだが、

歩いていて3年前、新型コロナの直前に行った雲南の麗江を思い出した。


DSC_0876
 近江町市場

DSC_0879
 市場内
DSC_0878
 昼食の海鮮丼


趣きのある街並みを楽しんだあとタクシーを拾って金沢城近くの駐車場に戻り、

和倉温泉に向かった。途中、能登半島の西側、日本で唯一、波打ち際を走れる

砂浜の道、千里浜なぎさロードウェイを走る。

8kにわたって波打ち際を走れる道、気分がいい。

この砂浜の道、夏の一時期は道路交通法の適用を受ける公道になるらしい。

和倉温泉に到着して温泉で汗を流し、

夕食はいつものように地元の美味しそうな店を探す。

刺身とのどぐろの焼き魚と寿司を食べてホテルに戻った。


DSC_0885
 千里浜なぎさドライブウェイ

DSC_0888
 波打ち際を走るのは気持ちがいい、スタックにさえ注意すれば(^^;;
DSC_0891
 和倉温泉から能登湾の夕暮れ
DSC_0892
 和倉温泉歩いていたら正体不明の一角があった

DSC_0893
 まずは刺身と日本酒

DSC_0895
 のどぐろの焼き魚

DSC_0896
 能登の海の幸の寿司

加賀白山

お盆は仕事をしていたので、遅い夏休みを取り、加賀白山に行ってきた。

白山2702m、北陸地方の最高峰。

さすがに少し遠くて横浜から登山口の別当出合まで8時間前後かかりそうである。

早朝4時に出発。東名を走っていくと天気が怪しくなり途中からかなりの雨になる。

ひどいところは雨と霧と水しぶきで前が見えないような状態で50kの速度制限。

それでもなんとか1145分に別当出合に到着。されど雨(^^;

参ったな~と思いつつ、下山してくる人たちに上の状況を聞いてみると、

「上に行くと雨と風が強くなって途中から下りてきました」とか、そんな話ばかり。

明日の天気が期待できれば南竜山荘まで登って明日頂上を目指すのだが、

スマホで天気予報調べていると、どうも明日も天気は悪そうである。

結局、登山は諦める。

8時間近く走ってきての登山断念はちょっと厳しいが、雨と風のなか登っても

しょうがないし、明日は下山してから能登の和倉温泉まで行く予定。

午後2時には下山していたいので、午前中しばらく山小屋で天気の様子をみる

というわけにもいかないのである。

南竜山荘に電話して予約をキャンセル。

山小屋は天候不良でのキャンセルの場合はたいていキャンセル料かからない。

DSC_0845
 白山 別当出合の登山口 このときは雨はこやみだった


それはいいのだが、今日の泊まるところを探さなければならない。

とりあえず山中温泉に行ってみようということで走ってきた道を引き返す。

下におりてくると雨もそれほど降っていないのだが、山の方を振り向くと相変わらず

黒い雲に覆われている。山中温泉が近づいたあたりでどうもカーナビの案内がおかしい

なと思ったら、設定がおかしかったらしく、気付いたら目の前が片山津温泉だった。

ま、温泉に泊まれればどこでもいいので、そのまま片山津温泉に行き、

交差点のところで目に付いたホテルで部屋が空いているか聞いてみたら

空いているとのことで、すんなり今夜の宿は確保。

片山津温泉というのは柴山潟のほとりの温泉である。

片山津という名前からして昔は湊だったのだろう。

いわゆるラグーンである。

あるいは北前船の時代は日本海から交易船が来ていたのかもしれないが、

今は柴山潟という潟湖のほとりの温泉である。

夜、8月は毎晩湖畔で花火を打ち上げているらしく、飲んでいたら花火の音が

聞こえたので、湖のほとりの夏祭りの会場に行ってみた。

40代くらいのグループが一生懸命歌っていた。

若くなくても頑張ってるヤツって嫌いじゃない。

スビッツの歌を聞きながら花火を見上げる。

明日は金沢に行きそこから和倉温泉に行こうと思っている。


DSC_0848
 ホテルからの柴山潟

DSC_0850
 片山津温泉の配湯所、ここから各ホテルに温泉を配湯する。
DSC_0853
 飲んでたら花火の音が聞こえた
DSC_0852
 柴山潟湖畔での夏祭り
DSC_0857
 花火を見上げる

顔合わせ会

税理士会の支部と税務署の顔合わせ会。

税務署は毎年7月に人事異動がある。

毎年かなりの異動があって署員の三分の一くらいは入れ替わるだろうか。

で、新しい署長以下幹部と支部との顔合わせをこの時期にやる。

部屋に入ってきた税務署の幹部達、全員黒いスーツを着ていた。

男も女もほぼ同じような黒いスーツ。

それに対し税理士会の方はスーツ着ているのは数えるほどで、大部分がワイシャツ。

一列に座ったの見たら署長以下申し合わせたように全員マスク。

税理士会の方は大部分マスクなし。

全員が同じような黒いスーツ着てたのが妙に目についたのだが、前もこうだったかな?

たまたまだったのかね?  あるいは税務署内って同調圧力強いんだろうか?(^^;

顔合わせ会は30分ほどでそのあと立食での懇親会。

昔からそうなのだが、普段、支部の活動にあまり出てこないのに、

税務署との顔合わせ会とそのあとの懇親会だけはしっかり出て来るという税理士もいる。

そういう税理士はふと気づくと懇親会で仲良さそうに税務署の幹部と話している。

税務署と仲良くするとなにかいいことあるんだろうか?(^^;;

昔は確定申告の忙しいときに税務署に陣中見舞いと称してマグロを持っていく税理士が

いたらしいが、今はそういうのはないだろう。

いずれにしろ自分みたいに、必要とあれば税務署だろうと国だろうと戦うのが税理士だと

思っている人間にはいささか違和感がある。

長く税理士やってて思うのは、別に仲良くしてもしなくても変わらないなということ。

というか、それで変わるようでは困るのである。

税理士も国税専門官もともにプロである。

必要以上に仲良くしなくてもいいし不必要に嫌う必要もない。

プロはプロらしく仕事で勝負すればいい。

ま、いろんな税理士さんいるから、それはそれで別にいいのだが、

自分はそんなふうに思うわけである。

暑い盛りにちょっと気になったので書いてみた。


DSC_0821

 

アーカイブ