2023年06月

茗荷の花

死がそこに待つてゐるならもう少し茗荷の花も食べてよかつた

                         /河野裕子『蝉声』

 

NHK短歌の6月号を読んでいたら、河野裕子のこの歌への山崎聡子の批評が

出ていた。批評というか紹介ということなのかもしれないが、

どうもそれが物足りなかったので、ちょっと書いてみる。

まず、山崎聡子はこう書いている。

「茗荷といえば、あの濃厚な匂いの夏野菜を思い浮かべますが、その花は白く可憐で、

咲く前の蕾が食用にされます。美しい花を食べてしまうのは躊躇されますが、死が

近づいているのであれば、その美しい花弁ごと自分のものにしても良かったのかも

しれない。茗荷の花が咲き、夏の終わりが近づくなか、作者はそんな思いを抱いた

のでしょうか。茗荷の花「も」という助詞が後悔を数えているようにも読み取れ、

なんとも胸が締め付けられる一首です」

山崎聡子の批評を否定するつもりはなく、いい批評だと思う。

ただ、ちょっと物足りないと思ったのは、

死がそこに待っているなら茗荷の花も食べてよかった、と詠っているのは、

食べると物忘れがひどくなるという茗荷も、死がもうそこにやって来ているのなら、

忘れてしまうことなど気にしないで食べればよかった

そういう死を自覚した作者の諦めの気持ちと、

死を前にしてなお幾何かのユーモア、

そういうものがあるのではないだろうか、

というか、そういう作者の心情を読み取りたい気がするのである。

山崎聡子の批評は「茗荷の花」に着目したということかもしれないが、

どうも読んでいると、茗荷の花は普通は食べないものというような感じに読めてしまう。

実際には、茗荷は花が咲いてからも食べられて、茗荷本体と一緒に花を刻んて使ったり、

花を酢漬けにしたり、フツーに食べられるものである。

そういうことを知っていると、

美しい花を自分のものにしてしまえばよかったというのが、

ちょっと皮相な読みに思えてしまう。

『蝉声』には茗荷の花の歌がほかにもいくつかあり、

それをよむと河野裕子も茗荷の花を食べている。

もっと素朴に、もっと食べればよかった、忘れるなんて気にしないで、

と思っているのかもしれない。

その辺がちょっと物足りなかったので書いてみた次第である。


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  以前、アーチェリーの射場で取った茗荷の花。
茗荷が取れるのはもうしばらくしてから、花はそのあとである。

 

 

ザイル祭

山岳会のザイル祭に行ってきた。

ザイル祭というのは山岳会の現役とOBが一年に一度山小屋に集まり、

宴会をして翌朝、山の神にその年の山行の無事を祈願するといううちの山岳会の行事。

私が会に入ったころは裏丹沢の神の川ヒュッテで毎年開いていたのだが、

やがてヒュッテの所有者が変わり、林道が崩れて入れなくなったりもして、

山梨の方の山小屋に変更してその後も続けてきた。

OBになって、会に出てゆくことも少なくなり、

仲間の一人が毎年五月くらいに山岳会の仲間を自宅に呼んでBQをしていたので、

忙しさにかまけてそちらのBQの方に行って会の仲間と会い、

ザイル祭はパスということが多くなっていたのだが、

その仲間が死んでしまい、もうBQで集まることもなくなった。

先日、会のメーリングリストにザイル祭の案内があり、いろいろメールを読んでいたら、

今回は結構古いOBの参加が多いみたいで、今回のザイル祭に行かないと、

もう会うことなく今生の別れになる人もいるような気がしてきて(^^;

ひさしぶりに参加することにした。

場所は丹沢の大倉のどんぐり山荘。

今回初めて使う場所だが、第二東名の秦野丹沢スマートインターができて、

アクセスがかなり良くなった場所である。

丹沢の大倉は表丹沢の登山の起点で、かつて10代の終わり、

この表丹沢の沢を登ったのが、その後の沢登りや岩登りを中心とした登山のスタートだった。

土曜の午前中仕事をして、昼過ぎに出かける。

到着するともう殆どのメンバーが集まっていて宴会の準備中。

どんぐり山荘は昔の農家の母屋と離れを宿泊棟にしたような山小屋で、

宿泊代は2食付きで7,150円。

ま、リーズナブルといったところか。

それにしてもみんな歳を取った(^^;;

元気だった兄ちゃん姉ちゃんが、おじさんおばさんに変わっているし、

さらに上の代のOBにいたっては最早なにを言わんか、である(^^;;;

夕方から宴会をはじめ、昔の山登りの思い出話が尽きることがない。

そのまま深夜までもつれこみ、疲れた人から順番に布団に入って寝るという感じ。

備え付けのBQの道具もあったので、

次にここでザイル祭をやるならBQも楽しみたいものである。

翌日の日曜は用事があったので、朝6時に起きている仲間達に挨拶して車で帰る。

第二東名も東名も空いていて横浜の家まで45分で帰った。

何年も会っていなかったOBとも会え、楽しいひと時を過ごせた。

山の仲間というのはいいもんである。


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  どんぐり山荘 右の黄色い建物の一階が食堂、
  宿泊棟は奥の古い農家の母屋と離れ。
  向こうに見える山は表丹沢。

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  いかにも農家という宿泊棟のなかで宴会の準備

総会

税理士会の支部の総会。新型コロナが収束してきたので

以前と同じ通常の形での開催になった。

監事をしているので監査報告をしなければならず、

さぼるわけにいかなくて出席。

ま、監査報告といっても監査報告書を読み上げるだけである。

以前からそうなのだが委任状出席が多く、本人出席は50~60人くらいかな。

総会の最初の方で物故会員への黙祷がある。

総会の一週間くらい前、知っている会員の訃報が入り驚いたのだった。

まだ死ぬような歳ではなく今年に入ってからも支部の会合で顔を見ていた。

彼が支部長のとき、私は部長をやっていて、任期が終わるときに部員たちの

慰労会を開くことにした。

当時、部の予算を慰労会などの酒を飲む会合に使うのには制限があったのだが、

毎月の部会でのお茶代を節約してそれを慰労会の費用の一部に充当するつもりでいた。

ところが支部長に待ったをかけられた。

「使わなかった予算を使うだけですよ、問題ないでしょ」

「いや、ダメだ。酒を飲む会合は参加者の会費でやってくれ」

「もう会費なしって言っちゃいました」

「訂正してください。そうしてくれれば私も祝儀を持っていくから」

「一度会費なしと言ったものを、やはり会費出せと言うようなことはしません。

ならば私が全部出します。支部の金使わなければ文句ないでしょ」

「強情だな、全く

そんなやり取りがあり、結局、慰労会は部長の自腹ですることになった。

別に支部長と喧嘩したつもりもなく、その後もフツーに話していたのだが、

ほかのこともあって一部の人は役員の間に不協和音があると言っていたらしい。

そんなつもり全くなかったんだけどな、筋を通したつもりだけなんだが…(^^;

そのあとも電車でばったり会ったりすれば仲良く話していた。

急な訃報に驚いた。

昨年はほかにも私より若い人の訃報があり、

総会のあとは懇親会があるのだが、

なんか、寂しくなってしまい酒を飲む気にならず、懇親会には出ないで帰った。

会場のホテルの外に出るとまだ明るい。

駅への道、六月の明るい夕べはちょっと気持ちよかった。

うん、寂しくなったと思っててもしょうがないな。

もう少し胸張って頑張ってみよう。


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  総会風景

 

伊豆の下田に住む友人を訪ねてきた。

下田のリゾートマンションに住んで毎日温泉に入れる生活をしている。

毎日仕事に追われている身としては羨ましい限りである。

以前は年に一度は泊まりに行っていたのだが、

新型コロナでここ3年ほどは行っていなかった。

コロナも収まってきたのでひさしぶりに訪ねてみた。

前線の影響で午前中まで雨が降っていたが昼にはあがり、それから出発。

東名の長泉沼津から伊豆縦貫道を走り、途中、浄蓮の滝に立ち寄る。

駐車場から滝まで降りてみると凄かった。

雨はやんでいたがそれまでの雨でかなり水量が増え、轟音をたてて水が落ちている。

こんな浄蓮の滝みたのは初めてである。

滝の下の川も茶色い濁流になって流れている。

川や滝は水量の多寡でまったく違う顔を見せる。

若い頃、北アルプスの黒部の源流を二度登ったが、

一度目は水量が少なくて楽に登ったが、二度目は水量が多く厳しい遡行だった。

それにしても増水した浄蓮の滝はちょっと凄い。

石川さゆりの「天城越え」にも出てくる浄蓮の滝だが、

これだけ迫力あると、隠しきれない移り香もなにもすっ飛ばされそうである。

こんな天気の時に滝を見にくる人はいないようで、

誰もいない増水した滝と茶色い濁流に向き合っていると、ふいと吞み込まれそうで、

そうそうに駐車場に戻った。

そのあと天城越えを走って下田。3年ぶりに会った友人とどうということもない

話をし、温泉に入り、楽しい時間を過ごした。


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  増水した浄蓮の滝

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 ちなみに増水していない普段の常連の滝はこんな感じ

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  翌日の下田公園、紫陽花が沢山咲いている。

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  下田公園から下田港

ふるさとのカギ

「ふるさとのカギ」とやさしき母の文字まだ帰る家ありしころなり

                            /吉田恵子

 

作者の第六歌集『常磐線特急ひたち』のなかの一首。

ふるさとの家のカギではなく「ふるさとのカギ」という表現がいい。

抽斗か文箱か、そういうところにしまってある小さな鍵が、

遠いふるさととの繋がりの象徴のように思われる。

作者がそのカギを見たのは、まだふるさとの家があった頃なのだろう。

しかし、もうその家はない。

あるいは母も亡くなっているのかもしれない。

喪失感が伝わってくる。

二句から三句にかけてイ音で締まり、四句がア音で始まり歌がゆるやかになる。

その辺の言葉の響きもいい。

歌会に出すと「やさしき」が少し安易とか言われるかもしれないが、

私はそれほど気にならなかった。

素直に詠っていい歌は素直に詠えばいい。

ちなみに作者のふるさとは福島の双葉町である。

東日本大震災の原発事故で喪われたふるさとである。

歌集にはそのふるさとや原発への思いも詠われている。

この歌集を頂いたのは2年近く前。

忙しさにかまけてなかなか頂いた歌集を読めず、

礼も伝えられないでいることが心残りなのではある。



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    先週の日曜、アーチェリーの射場での真竹のタケノコの収穫。
 孟宗のタケノコと同じように茹でてあく抜きして食べる。
 なかなか美味しい。スーパーではあまり売っていない初夏のタケノコ。

中央アルプス駒ケ根

今年最後の残雪を踏みたくて中央アルプスの駒ヶ岳に行く予定だった。

駒ヶ岳ロープウェイで千畳敷にあがれば残雪の世界があるかなと。

ところが台風2号の影響で大雨。

山に登るどころの話ではないわけだが、麓の早川温泉の宿泊を取ってあったので、

とりあえず温泉だけ行こうということで出かけた。

中央道は大雨で50キロ規制。

50キロで走っているといつ着くか分からないので90キロくらいで走るわけだが、

大型トラックを追い抜くときは水しぶきで一瞬この世が見えなくなる。

大雨警報が出ているときに出かけるのって少し変かなと思いつつ走っていると、

中央道は伊那から先は大雨で通行止め。

伊那で降りて天竜川沿いの道を走ったのだが、

増水した天竜川ちょっと凄かった。川幅は目いっぱい広がっているし、

橋脚のあたりは濁流が渦巻いている。

通りがかりの人間は「凄いな」と思って通り過ぎるだけなのだが、

周囲に住んでいる人は結構怖いのではなかろうか。

ちなみにこの日の天竜川は氾濫注意水位になっていたらしい。

途中から天竜川を離れ木曽駒の麓、駒ケ根の早川温泉へ。

とりあえず無事に着けばあとは温泉入って酒飲んで寝るだけである(^^;


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  増水した天竜川
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  とりあえず温泉入って飯食って酒のんで寝るしかない

翌朝、台風が通り過ぎ、ホテルの窓からは南アルプスの山なみが見える。

鋸、甲斐駒、手前に大きく千丈、その右に北岳。

北アルプスと比べると行くことの少なかった南アルプスだが、

甲斐駒の奥壁とか北岳のバットレスとか、若い頃の思い出はそれなりにある。

もう時間的に登山は出来ないのだが、とりあえずロープウェイで千畳敷まで行こうかと

思い、スマホで調べてみると駒ヶ岳ロープウェイは運行中止。

大雨やんでも安全確認とかいろいろあるのだろう。

結局この日、ロープウェイは動かなかった。


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 南アルプス 左から鋸、甲斐駒、大きいのが千丈、その右に北岳

仕方ないので近くにあるマルスウイスキーのマルス信州蒸留所へ行く。

ここで売っているウイスキーはなかなか旨い。

山に登れないので酒を買いにいくというのもなんではあるが、

ウイスキーを仕入れ、そのあとは光前寺へ。

光苔と早太郎で有名な寺。

光苔は参道の石垣を注意して覗いていると石と石の隙間に光っている。

早太郎は、昔々、田畑を荒らされないよう人身御供に出されていた娘の身代わりになって、

怪物のヒヒを退治したという山犬。

退治したあと早太郎は光前寺に帰ってきてひと声吠えて死んだそうな。

光前寺には700年前に死んだ山犬の墓がある。

そのあと駒ケ根の名物という明治亭のソースかつ丼を食べて横浜に帰った。

昨日の大雨が嘘のようないい天気だった。


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 翌日、天気が回復して中央アルプスが見えたが残雪はかなり少ない

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  マルスウイスキーの信州蒸留所

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  光前寺の参道、ここの石垣の隙間にヒカリゴケがある。

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  明治亭のソースかつ丼 馬刺しも柔らかくて美味い

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