2023年03月

闇が来るまで

たんぽぽの綿毛を吹きぬ幾本もいくほんもふく闇が来るまで

                          / 田口朝子

 

田口朝子の第一歌集『朝の光の中に』のなかの一首。

子供の頃、たんぽぽの綿毛を吹いた記憶はたいていの人にあるだろう。

綿毛を吹いて遊んでいるうちに夕暮れになってゆく。

そんな子供の頃の記憶がよみがえってくる。

ただ夕暮れになるというのではなく、

そのさきに異界があるような、

そんな不思議な感じがある。

「日が暮れるまで」でなく「夜が来るまで」でなく「闇が来るまで」。

その言葉の選択がいいのだろう。

それと、この歌「吹きぬ幾本も」は漢字で「いくほんもふく」はかなである。

同じ漢字が連なるのを避けたのだと思うが、

この辺の工夫はどうだろう。確かに同じ漢字が連なるのは煩いが、

前半は漢字、後半はかなというのが少し工夫が見えてしまっている気はする。

もうひと工夫できるのかもしれない。

ところでこの歌集を頂いたのは一昨年の六月。

頂いた歌集が読む時間のないまま積んであるのだが、

なんとか仕事の合間に読もうと頑張っている。

確定申告も終わり、ようやく短歌と向き合う時間が少しとれるようになってきた。

もっともこのあと五月になればまた法人の三月決算の申告で仕事に追われるのだが。


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  アーチェリーの射場、今年初めてのタケノコの収穫。
 小ぶりだが鶏冠の黄色いいいタケノコ。

 

賃上げ

何年か前、こういうことがあった。

某大手食品メーカーの工場に下請けで入っていた会社。

ある日、工場の担当者に言われた。

「そちらで従業員に支払っている給料だけの金額で今後やってくれ」

もちろん、その会社は断った。

当たり前である。

従業員に支払う給料のほかに、社会保険の会社負担、仕事で必要な工具器具、交通費、

通信費、もろもろ、多くの経費がかかるのである。

それはどうするのか?

はなから無理な要求をしてくるのは、断らせて取引を切るつもりとか、

あるいは値下げのために最初に厳しい要求をするとか、そういうことがあるわけだが、

会社がその話を断ったあとも、仕事を切られもせず値下げもされなかった。

その担当者、なにを考えてそんなことを言い出したのであろう。

仕事のできない担当者が下請けに対する優越的地位を濫用して無理なコストダウンを

迫り、自分の成績にしたかった、つまりはそういうことなのだと思うが、

それにしても要求が無理すぎる。

春闘の季節、大企業では賃金アップが軒並みである。

物価高のなかで実質賃金がアップしなければ人は働き続けられないし、

賃金を増やさなければ有能な人材は集まらない、という危機感が企業を動かしている。

問題は中小企業である。

中小企業の賃金アップは難しい。

中小企業は賃金をアップしたくないのではない。

取引先から請負金額を叩かれている中小企業にとって賃金アップは難しい。

それを思うと、春闘で満額回答などの大企業の賃金アップのニュースを見ていると、

なんともやりきれない気持ちになる。

大企業の福利厚生は充実しているし、オフィスにしろなんにしろ金をかけている。

その余裕を少しは下請けに回したらどうなのかと思う。

日本の経済を支えているのは中小企業である。

大企業も下請け業者が存在しなければ仕事をやっていけない。

ならば、自分たちの給料だけでなく、もう少し下請けを大切にしたらどうなんだ?

下請け業者を叩くだけ叩くことをしていれば、いずれ下請け業者の仕事の質は落ちる。

賃金を増やせない下請けに有能な人材は集まらず技術の継承も難しくなる。

大企業だけ賃金を増やしてもダメなのである。

労働者の70%は中小企業で働いている。

大企業には下請けの中小企業の賃上げを可能にする責任がある。

中小企業も賃上げできるようにしなければ格差は拡大し、社会は分断する。

それがなにをもたらすか、そのくらいのことはもう分かるはずだ。


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  通っているアーチェリーの射場の枝垂れ桜 

射場

フィールドアーチェリーは山野のなかのコースに12の的があって、

歩きながらその的を射って点数の合計で競う。

それぞれの的には射つ場所から的までの距離の表示の杭があるのだが、

昔は巻尺とかでその距離を測ったわけである。

しかし、巻尺だと必ずしも正確ではないわけで、

今はレーザーの測距離計があるので測ってみようということになった。

建築用の測距離計を使うと1mm単位まで正確に測れるようで、

射場仲間が仕事で使っているのを持ってきて測ってくれた。

それに従って距離表示の杭の打ち直し。

ここまで書いて白状するが、私はその杭の打ち直しに参加していない。

距離を測って杭の打ち直しをしたのは11日の土曜日、

確定申告真っ只中で土曜日も仕事をしていた。

ということで、杭の打ち直しをしていただいた皆さん、ご苦労様です。

翌日曜日の12日、射会に参加して杭を射ち直してくれたコースを回る。

だいたいのところは今までのところと変わらないが、

場所によっては1mくらい変わっているところもある。

時は春、射場のあんずの花は咲いていたし、足元にはハナニラの花が咲いていた。

桜もひとつふたつと花が綻び始めていた。

確定申告真っ最中の春の一日、射場でのんびりと楽しみ、

焚火を囲んで他愛ない話をして帰ってきた。

さあ、確定申告の申告期限まであと3日。最後の追い込みである。


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 レーザー測距離計、1mm単位まで測れる

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 こんな感じで測って杭の打ち直し

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  巻き尺で測ったのとは多少の差異あり

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  なかには1m違っていたところもあった。測りなおしたのが右の青い杭。
 測り直す前は左の小さな穴。20mのつもりが19mで射っていた。

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 これは5mの差異があったわけではない。
 20mのところに25mの杭を打ったアホがいたという話。

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 春の射会

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  こんなふうに射つ

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 桜が咲き始めた

漬物の石

はるさめの音をこもらせぬれてゆく母のつかひし漬物の石

                         / 北島邦夫

 

母は亡くなっているのであろう。

母の使っていた漬物石は今は庭に置かれている。

その漬物石に春の静かな雨が降っている。

はるさめの音をこもらせ、というのが、漬物石に音が吸われてゆくような、

なんともいえない感じがある。

作者の第二歌集『北島の島』のなかの一首。

集中には亡くなった母を詠う一連があり、その最初に出てくる歌である。

母への思いが静かに伝わってくる。

ちなみに、この歌は割とオーソドックスだが、

この作者、歳に似合わず柔軟な発想の歌を詠う。

歌会で何度か、その柔軟さに感心させられたことがある。

集中にもやはりそういう歌がある。

 

トンビ消して純粋青天こさへても其は冷酷な空ではないか

 

歌会でこの歌を読んだときは「面白い歌詠うやついるな~」と思った。

空に飛んでいる鳶を消してみて純粋な青天を思い浮かべてみても、

それは本来の青空ではない、なにか冷酷な空ではないか、そんな歌意の歌であるが、

「純粋」という言葉はなにやら意味のあり過ぎるような言葉で、

そういう言葉を青天に付ける発想がちょっとフツーから外れてる(^^;

しかし、当たり前に詠っていても当たり前の歌にしかならないわけで、

この作者の発想の柔軟さにはちょっと学びたいなと思っているのである。


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  こぶしが咲き始めた

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