名古屋城は徳川家康が天下普請で作った城である。
泊まったホテルから歩いていくと途中に水のない外堀がある。
ここからさらに歩くので本来の城の規模はかなり大きな城である。
築城の頃は豊臣との戦いに備えてそれだけの軍勢を収容できるスペースが必要だった
のだろうし、その後も尾張徳川家の居城として睨みをきかす存在だったのだろう。
家康はそういう大きな城を外様大名の負担で作らせたわけである。
正門から入ると向こうに天守が見える。さらに進むと本丸御殿がある。
最初は初代尾張藩主・徳川義直の住まいだったが、
その後、将軍が上洛するときに宿泊する場所として使われた。
本丸御殿と天守閣
藩主の祝いの膳の復元
本丸御殿の襖絵 撮影はOKだがフラッシュは禁止
天守閣
五層の天守は耐震性の問題で現在は入れなくなっていて外から見るしかない。
二の丸のあたりは庭園になっている。
織田信長の時代の那古屋城はこの二の丸のあたりにあった。
今年のNHKの大河ドラマの主人公は徳川家康。
それもあるのか観光客はそれなりに多い。
そういえば、昨夜ホテルで見た「どうする家康」はひどかった(^^;
NHKの大河ドラマはドラマであって歴史の事実ではないわけだが、
それにしても作りすぎだろ~。
大高城から家康がひとりで逃げ出す設定も作り物のドラマなら別に構わないが、
ひとりで逃げるなら金ピカの鎧着ていかないでしょ。
目立って落ち武者狩りにやられるだろ。
石田三成だって百姓に化けて逃げただろうが。
本多忠勝は元服前から近習として家康に仕えていたんじゃないの?
なにあの家康の知らない忠勝という男が彗星のごとく出現したような登場の仕方?
ドラマは作り話だから別にいいんだけど、
そろそろNHKも大河ドラマの冒頭に
「これはフィクションであり歴史的事実ではありません」というテロップ流すべきだよな。
荒唐無稽なドラマはドラマとして、
惨めな人質生活から一国の主になった家康。
どうもあまり好きではないが、どんな男であったのだろう。
忍耐と慎重さと要所での決断が家康という男を生き残らせた気がする。
そんなことを思いながら名古屋城を見て歩いた。
そのあと少し遠いが街歩きは嫌いではないので名古屋駅まで歩き、
土産を買って新幹線で横浜に帰った。