2022年12月

歌集『Turf』

金木犀甘くにほへるその下に今日の工事の残材を捨つ

                        / 小林真代

 

建設業を生業とする作者の歌。

一日の仕事を終え、金木犀の香る下に残材を捨てる。

廃材の処理業者のところに持ち込むのか、

あるいは建設現場の一角にとりあえず廃材を集めておき、

あとで産廃業者が収集に来るのか、

いずれにしろ、ただそれだけの歌であるが、

日々の仕事の何気ない場面が味わい深い。

上手く作ろうとしない、綺麗に詠もうとしないところがこの作者らしい。

女性でこういう現場の歌を詠う人は少ないかもしれない。

この作者とは歌会で一緒になったことがある。

その歌会で私は彼女の歌に一票入れた。

夢のなかで母のクローゼットに入ったらそのなかの服のなんと絢爛豪華、

とかいうアホみたいな歌だったのだが、

およそ短歌で「絢爛豪華」なんて言葉を使うようなヤツは滅多にいない。

そういう言葉をあえて使ってくるのが面白いと思い一票入れたのだった。

その後、結社の新人賞を取った。

やはり力のある作者だった。

歌集『Turf』のなかにはほかにも良い歌が多い。

 

初めての試合は小林VS小林うちの子は負けたほうの小林

警戒区域へ修理業者の同行が許可され我はどこまでゆけるか

儲け話どこかにないかとぼやく人に大工が真面目に除染を勧む

自分のことばかりしてゐし一日の日記書くときひとをおもひぬ

これからもいい歌を詠ってほしいと思う。



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  今朝の河口湖

 

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今年一年ありがとうございました。

来年もよろしくお願いいたします。

それでは良い年をお迎えください。

 

 

餅つき

毎年恒例のアーチェリーの射場での餅つき。

通っていた射場の恒例の行事だったのだが、

その射場が営業終了し、有志でクラブを立ち上げて射場の自主管理を開始、

いつまで続けられるかという声もあったが今年も一年が終わり、

無事に餅つきを開くことが出来た。

前日から支度をし、当日も重い臼や蒸し器を射場に運び上げ餅つきの開始。

まずは糯米を蒸し、臼に移して杵でこねる。ひと通りこねてから餅を搗く。

普段あまり顔を出せない人や会員の家族も交え交代で餅を搗き、

あんこ、きなこ、おろし、ずんだ、磯辺で食べる。

今年亡くなった食堂経営のKさんのご家族も来ていた。

福山雅治が売れないころ通っていた食堂とのことで、今でもファンの聖地であるらしく、

若い頃の福山雅治も食べたんだろう焼売の差し入れを頂いた。


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  焚火をつけて餅つきの支度

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  まず蒸した糯米をこねる
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  餅つき開始
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  せっせと搗く
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  搗きあがった餅を食べる
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  きなこ、ずんだ、あんこ、おろし、磯辺
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  福山雅治ファンの聖地の食堂の焼売

焚火に鍋をかけ汁を作り、二回目に搗いた餅は雑煮にして食べる。

搗きたての餅は柔らかくてついつい食べ過ぎてしまう。

今日は夕飯はいらないかな~(^^;

射場のオーナー家の正月用にもうひと臼搗いて餅つきは終わり。

腹ごなしにコースを一回り。

射場の銀杏はすっかり葉が落ちていた。

冬枯れのコースを回り的を射つ。

今年もいろいろあった。

来年はどうなのだろう。

コロナとか戦争とかいろいろある時代にめぐり合わせたものだが、

それでも来年は今年よりもいい年になると信じたい。

仲間との話も弾み、楽しい一日だった。


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  交代で餅を搗く
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  焚火で汁の出来上がり
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  雑煮も美味い
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  餅つきの上には無患子の黄色い実が沢山なっている。

京都・奈良 2

京都2日目、ホテルをチェックアウトしてバスで栂の尾へ。

市内を抜けて高雄方面の山の中、50分くらいで着く。

京都と小浜をつなぐ周山街道の途中なので、もとは小さな宿場町だったのだろう。

ちなみに周山街道は朽木・花折を通る鯖街道とは別ルートの鯖街道、

西の鯖街道ともよばれる。

ここに世界遺産の高山寺がある。

近くに紅葉の綺麗な神護寺があり、そこには行ったことがあるのだが、

高山寺は行ったことがなかったので行ってみた。


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  栂の尾 山あいで家もそう多くは建っていない
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  高山寺へ登る

バス停から山を登っていくと境内に出る。

4年前の台風でかなりの被害を受け、その復旧工事を長くやっていたらしい。

実際、かなり太い切り株が沢山あり、おそらく台風で倒れたのであろう。

これらの大木があった頃は鬱蒼とした境内だったのに違いない。

国宝の石水院に入る。

受け付けを通り、渡り廊下でつながっている離れが石水院。

広縁に善財童子の小さな像がある。

紅葉は既にほとんど終わっているのだが、部屋から見る風景がともかく美しい。

高山寺が所有する鳥獣人物戯画の複製も展示されている。本物は博物館である。

ここは人の少ない時に行くのがいい。

離れの座敷から紅葉あるいは冬景色、春の若葉を眺めたら素晴らしいだろう。

石水院を出て境内を歩いてみる。

大木が倒れ掛かった金堂も修理されているが、いずれも割と小ぶりである。

木が倒れて少なくなり明るくなった境内はちょっと殺風景にも見える。

緑に覆われた古刹というもとの姿に戻るには何十年もかかるのかもしれない。

いずれにしろ寺としては決して大きくはないので見て歩くと結構早く終わる。

ここに来るなら近くの神護寺とかとセットで歩くのがいいだろう。


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  石水院 善財童子 向こう側が鮮やかな紅葉だといい絵になるが、既に紅葉は終わり。
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  石水院 人の少ないときに行くのがいい。
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  金堂 割と小さい


バス停に戻り再び京都市内へ。

思ったより早く市内に戻ってきたので、テキトーに歩くことにする。

四条河原町から賀茂川を渡り花見小路を通り建仁寺の境内を抜けて六道の辻、

平家が全盛を誇った跡の六波羅を通って方広寺、豊国神社、国立博物館の脇を通り、

七条通りにでれば向かいは三十三間堂である。

このなかで方広寺は以前、テキトーに歩いていて偶然見つけたのだが、

豊臣家が家康を呪詛したという「国家安康」の鐘があった方広寺である。

当時はかなり大きな寺で隣の豊国神社や国立博物館のあたりまで境内だったらしいのだが、

今は小さな寺になっている。

その時はテキトーに歩いていて、ふと鐘楼の石段に座って話をしている二人の女子高生が

目にとまった。変な意味ではなく若く健康的な彼女たちの姿に目がいったわけだが、

その後ろの大きな鐘に気づいた。

こんな小さな寺にこんな大きな鐘? と思ったのである。

女子高生たちが去ってから鐘のところに行ってみた。

「国家安康」の方広寺の鐘と気付いた。

家康が豊臣家を滅ぼすためにイチャモンつけたわけだが、

その鐘の現物が今も残っているとは知らなかったので驚いたのだった。

ホントに呪詛されていると思ったら鐘を溶かしてしまいそうだが、

それをしなかったのは家康本人もイチャモンだと分かっていたのだろう。

ひさしぶりに方広寺の鐘を見て、そのあと三十三間堂を見、七条通りを歩いて京都駅。

幸い天気も良くてぶらり京都歩きを楽しめた。

駅で土産と今夜の夕飯の鯖寿司を買って新幹線に乗った。


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  花見小路
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  建仁寺

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  六道の辻 昔、この辻から東側の鳥辺野は都の葬送の地だった。
 俗界と冥界の境が六道の辻。
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  京都の路地
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  方広寺の鐘楼
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  方広寺の鐘 左上白く囲われているところに「君臣豊楽」「国家安康」の銘文がある。
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  方広寺の本堂
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  方広寺の隣、豊国神社 祀られているのは豊臣秀吉。
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  三十三間堂に入る前にうぞうすいで昼飯
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  三十三間堂 ここで通し矢をする。

京都・奈良

京都・奈良に行ってきた。

一年に一度は行きたいという場所が何か所かあるのだが、

京都はそういう場所のひとつ。

9月に短歌結社のシンポジウムがあって行っているのだが、

どうもイマイチ不完全燃焼感があった。

シンポジウムが終わってから結社の知った顔数人で飲んでいたのだが、

全国チェーンの居酒屋。

う~んやはり京都に行ったら晩飯は先斗町あたりで一杯ひっかけてというのがいい。

なんで、わざわざ京都まで行って、どこにでもあるようなチェーン店の居酒屋?(^^;

風情もなにもあったもんじゃない。

ということで不完全燃焼感を払拭すべく今年中に再度、京都へ。

で、ついでにしばらく行っていない奈良に足を延ばした。

早い新幹線に乗って京都で近鉄に乗り換え、奈良。

まだ時間が早いので東向商店街から餅飯殿センター街を抜けて奈良町に行ってみる。

朝の人通りの少ないセンター街にはなぜかサイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」

が流れていた。奈良町界隈は昔の家並みがあって風情のあるところである。

テキトーに歩いて興福寺へ。

ここの国宝館にある八部衆が好きなのである。

仏像を見るのなら京都より奈良である。

奈良には素晴らしい仏像が沢山ある。

修復の終わった中金堂や五重塔を眺め国宝館へ。


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   奈良町界隈
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  猿沢の池
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  興福寺 中金堂 何年もかかった修復が終わり大きな覆いがとれた
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  興福寺 五重の塔

幸い空いていてスムーズに見ることが出来た。

やや薄暗い部屋に並ぶ八部衆。

その中央にいるのが阿修羅。

美しい仏像である。

いつの頃からだろう、仏像を見て美しいと思うようになったのは。

阿修羅の眼差しにはこの世の果てを見てきたような悲しみがある。

大抵の仏像は人の姿はしていても理想化されたりして人間らしくはないのだが、

興福寺の八部衆は人間らしい姿をしている。

天平の昔、光明皇后が八部衆の仏像を作らせたとき、

仏師の前には八部衆の姿をした少年達のモデルが立っていたのではなかろうか?

そんな気がしてくるほど人間らしい。


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  阿修羅像 国宝館の売店で買ったポストカードの写真

このあと春日大社、東大寺と回る。

奈良の寺や神社は敷地が広いのでひと通り歩くだけでも時間がかかる。

まだこの列島の人口が少なかった古代に作られた都なので、

土地を広く使えたのだろう。それが奈良の広やかな風景を作っている。

二時過ぎまで歩いて再び近鉄に乗り京都へ。


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  春日大社
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  春日大社 本殿
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  東大寺
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  東大寺 二月堂
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  二月堂からの眺め

とりあえずホテルにチェックインして少し休んでから先斗町に出かける。

四条通は凄い人だった。

海外からの観光客も多く、新型コロナで落ち込んでいた観光が回復してきたのを

目の当たりにする感じ、それくらいの人人人・・・。

先斗町も賑わっているようで、満席で入れない店が多く、ようやく入った店で

とりあえず一杯ひっかけ、ビール、焼酎、ハイボールと飲みながら夕食を摂る。

やはり、こうでなきゃいけない。

せっかく京都まできて全国チェーンの居酒屋で夕食をすませちゃいけないよ(^^;;

飲んでいい気分になって歩いてホテルに帰り、

途中のコンビニで買ったカンチューハイを飲みながらテレビで「鬼滅の刃無限列車」を

見て寝た。明日は栂ノ尾の方に行こうと思っている。


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  鴨川から南座方面
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  先斗町
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  夕食 

ベドウィンの焚火

宇宙よりベドウィンの焚火見えるというその火を囲む人らはろけし

                              /小山美保子


小山美保子の第一歌集『灯台守になりたかったよ』のなかの一首。

人工衛星の地上分解能、なかには10㎝のものも捉えることが出来るものがあるらしいから、

ベドウィンが砂漠でしている焚火も見ることが出来るのかもしれない。

遥かな宇宙から見るベドウィンの焚火。

その話を聞き、遥かな砂漠で焚火を囲む人等に思いを馳せる。

現代文明は遥かな地の些細なものを見ることが出来るわけだが、

その遥かな地にも我等と同じ人間がいて、

しかし彼等は我等とは異質な世界の住人なのである。

あらためてそういうことを思う。

そして作者には、その遥かな人達への眼差しがある。

飛行機などの移動手段が発達し世界は近くなったという。

しかし、世界はまだ充分に遥かだ。



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  横浜ビジネスパークのクリスマスツリー

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