2022年11月

加賀美アーチェリー

射場の仲間と加賀美アーチェリーに行ってきた。

山梨の笛吹市、御坂山塊の山梨側にある射場。

4月頃に行くと途中の一宮御坂あたりに一面の桃が咲いていて美しく、秋の紅葉もいい。

そして、なによりアンマークドのコースが面白い射場である。

フィールドアーチェリーはコースを回って12の的を射ち、その点数で競うわけだが、

通常は射つ位置から的までの距離の表示が出ている。

アンマークドにはそれがなく、目測で的までの距離を測って射つわけである。

これがなかなか難しい。

木々の間に的があったり、あるいは広々とした野の向こうに的があったり、

周囲の状況次第で見え方が違うのである。

射ってみて、えっ! そんなに遠いの!?  近いの!?  ということになるわけである。

しかも、この射場の怖いところは、射ち損じて的を外すと、的の周囲の石に矢が

当たって矢が壊れたり、あるいは的の向こうの谷のなかに飛んでいってしまい、

行方不明になったり。およそアーチャーを苦しめるのを楽しんでいるのかと思う

ような射場なのだが、そのスリルもまた楽しくてはまってしまう射場なのである。

朝、横浜を出て東名から山中湖へ。

桃の咲いている季節なら中央高速から行くのだが、紅葉の季節なので富士五湖から

若彦トンネルを抜けて峠越えで射場に向かう。

天気も良く景色の綺麗な道なのだが、当日、富士山マラソンをやっていて、

交通規制があるのでその前に通過しなければならず、綺麗な風景の写真を撮れなかった。


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 東名、足柄SAからの富士山

射場に着いて、午前中は通常の距離表示のあるコースを回る。

広い射場でコースも起伏に富んでいる。変化に富んでいて面白いのだが、

通っている横浜の射場のコースの倍くらいの時間がかかり、ちょっとハードである。

午後は距離表示のないアンマークド。

ひとつひとつの的を目測で距離を測り射つわけだが、なかなか難しく、

みな、いつものような余計なお喋りをしないで真剣に射っている。

紅葉の終わりかけた広い森のなかを弓を楽しみながら歩く、

向こうには雪をうっすら被った八ヶ岳が見える。

なにやら贅沢な時間を過ごしているような気がしてくる。


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射場のクラブハウスと左に遠く見える山は八ヶ岳

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  練習場
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  コース入り口にある木登りしなければ入れないツリーハウス

アーチェリーを楽しんだあとは石和温泉へ。

疲れた体を温泉で癒し、酒と食事を楽しんだあと部屋でワールドカップの試合を見、

そのあとはカラオケ、さらに部屋に戻り飲みなおす。

翌日は睡眠時間少なかったはずだが、普通の時間に起きて朝風呂。

みんな、よくこんな元気あるよね(^^;

人間、好きなことやっていると疲れないのかね?

しっかり楽しんだ週末だった。

今度は桃の咲く季節に行きたいと思っている。


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  射ちおろし、的が見えるかな。
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  紅葉の終わりかけた森のなかのコースを的を射ちながら歩く

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  八ヶ岳が見える

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  アンマークド、20mか25mくらいか...
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  的、遠くないか...
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 宿泊した石和温泉のホテルの窓から南アルプス

恒河沙

恒河沙の単位のなかをひたすらに歩を進めいる三蔵法師

                         /『無限遠点』北辻一展

 

北辻一展の第一歌集『無限遠点』を読んでいて目に留まった歌。

短歌を読むとき、あまり意味を気にしないで読むようにしている。

意味よりも一首を読んだときに感じるもの響いてくるものを大切にしたいと思っている。

この歌も意味を考えると分からなくなりそうだが、

とりあえず最初読んだときにふと目に留まったのである。

恒河沙(ごうがしゃ)とは数の単位で1052乗。

ちなみに兆は1012乗だが、

イーロン・マスクの資産が27兆円だと聞かされても、27兆円って幾ら? という感じで、

実感としては全然分からん。それよりはるかに多い1恒河沙ってどのくらいの数?

考えても分からんわけで、つまり無限に近いような途方もない数なんだろう。

そこまで多い数になると、単なる数の単位というのを越えて、

無限の遥かさのようなものを感じる言葉である。

さて、この歌どう読むのだろう。

三蔵法師は玄奘三蔵のことだろう。

唐の時代、仏典を求め西域からヒンズークシュ山脈を越えインドに向かった。

ナーランダー僧院などで学び、16年後、多くの仏典を携えて帰国。

玄奘が国禁を犯して国を出たのは27歳のときである。

彼には先達がいる。

法顕。玄奘より230年前、タクラマカン砂漠を越えインドに向かった。

「上に飛鳥なく、下に走獣なし。但だ死人の枯骨を以って、慓幟と為すのみ」

ただの旅ではなく死と隣り合わせの厳しい旅であることは法顕の書き残したものが

示している。それでも青年は遥かな旅に出た。

学びたいという一心かもしれず、遥かなものへの希求だったのかもしれぬ。

それは若者でなければできないことであり、特権である。

玄奘は遥かな旅に出た、インドへひたすら歩き続けた。

ちなみに恒河沙の恒河とはサンスクリット語でガンジス川(ガンガー)のことである。

彼は文字通り、恒河に向かい歩き続けた。

すべての人は遥かな日々のなかのおのれの時間を生きている。

法顕も玄奘もあるいはこの歌の作者も、

恒河沙という単位で象徴される遥かな日々のなかのおのれの時間を歩き続けるのである。

『無限遠点』

若者らしいみずみずしさを感じる歌集である。


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  コンパウンド弓 60m射ちおろし 的が見えるかな 

 

足尾銅山

男体山から下山し中禅寺湖畔の温泉で一泊。

日光というと戦場ヶ原の上の湯元の濁り湯がいいのだが、

ここの濁り湯もなかなか良かった。

翌日は日足トンネルを越えて足尾へ。

車がすれ違えないくらいの細い峠道でつながっていた日光と足尾は

日足トンネルが出来たことで深くつながるようになり、

銅山の閉山で過疎化していた足尾は平成の大合併で日光市の一部になる。

実際、走ってみると、いろは坂をくだり足尾の町まで40分くらいで、

かつて渡良瀬川のどんづまりの山の中の鉱山という印象だった足尾は、

日光からこんなに近いのかと感心する。

足尾の町中にある足尾銅山観光に立ち寄り、そこの観光案内所で足尾精錬所の場所を

教えてもらう。足尾銅山観光は足尾銅山の坑道の一部をテーマパーク化したもので、

それはそれで面白いのだが、今は廃墟となっている足尾銅山精錬所の跡を訪ねて

みたかったのである。

足尾の町を走り抜け、谷の奥の方に向かう。

道沿いには人が住んでいる家と廃屋が並んでいる。

そういう家並み自体が観光資源になりそうだが、

それはそこに住んでいない人間の視点ではあろう。

しばらく行くと川の向こうに精錬所の跡があった。

廃墟となった工場、タンク、煙突が残っている。

銅の精錬と同時に硫酸の精錬もやっていてそのプラントの廃墟があるはずなのだが、

それは工場の上の一段高くなっているところにあるらしく、

川のこちらの道路からは見えなかった。

かつてこの精錬所から出た排煙が足尾の山をハゲ山に変えた。

渡良瀬川には精錬の鉱毒が流れ、多くの人が苦しんだ。

足尾の鉱毒に苦しむ人々を救おうとした田中正造は、

そのためにすべての資産を費やした。

今、ハゲ山となった周囲の山は植樹が進められているが、

それでもなお荒涼とした雰囲気がある。

その山の方から石の崩れる音がして振り仰ぐとカモシカがいた。

なにもかもが過ぎ去ったあとの廃墟は美しかった。

静かな廃墟をあとにして足尾から紅葉の渡良瀬渓谷を走り桐生に出、

北関東自動車道から関越道に入り横浜に帰った。


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  精錬所の跡 上の赤いタンクの向こうに硫酸精錬のブラントの廃墟があるはず。
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  かつて4本あった大煙突も今は1本しか残っていない。 

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   精錬所と古河橋 すべて立ち入り禁止。

男体山

日光の男体山、中禅寺湖のほとりに聳える成層火山である。

最後の噴火が7000年前で分類上は活火山になるらしい。

782年に勝道上人が初登頂したということになっているが、

マタギはそれ以前から登っていたのではなかろうか。

山で狩りをしながら、ちょっくら一番上まで行ってみようかと考えたマタギが

いない方がおかしい気がする。

勝道上人が残雪期に登っているのも、

雪のある時期に狩りをするマタギに登山の技術を習ったのではないか。

それはそれとして、

早朝に横浜を出て9時前に二荒山神社到着。

登山者用の駐車場に車を停め、

山全体が二荒山神社の御神体なので登拝料1000円を支払って登り始める。

歩きにくい階段を登り、さらに森のなかを登り続けると林道に出る。ここが三合目。

しばらく林道を歩いて四合目から再び登山道に入る。

土の登山道が石の積み重なったような登山道に変わり、急登をさらに登り続ける。

振り返ると紅葉した梢の向こうに中禅寺湖の湖面が見える。


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  二荒山神社 この門をくぐって登山開始
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  中禅寺湖が見える

さらに急登を登ると森林限界を越え、ざれた斜面の向こうに頂上稜線に建っている

二荒山神社奥宮が見えてくる。その左には二荒山大神の像が立っていて、

そのさらに左の向こうには古代から祭祀が行われた山頂遺跡が見える。

富士山と同じ成層火山なので広い荒涼とした頂上である。

最高地点は奥宮の100mくらい右の方の岩の突き出たあたり、

そこが男体山2486mの頂上で、なぜか大きな刀のようなものが立っている。

霧がかかったり晴れたりという天気だったのだが、

日頃のおこないがいいので、頂上に着いたときには霧が晴れ展望が広がった。

眼下には中禅寺湖と戦場ヶ原、その戦場ヶ原の向こうの高い山は日光白根であろう。

その北側には会津駒も見える。さらに太郎山、女峰山、那須へ紅葉した地面の起伏が

続いている。まるで紅葉の真ん中にあるような頂上である。


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  頂上から中禅寺湖と戦場ヶ原、右の一番高い山が日光白根山
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  男体山の頂上 なぜか大きな刀が立っている

しばらく展望を楽しむが再び霧が流れてきて寒くなってきたので下に降りる。

森林限界まで下って木々の間に座り昼食を摂る。

吹きっさらしの頂上と違ってそれほど寒くない。

そのままくだって二荒山神社に戻ったのは4時過ぎ。

車に戻って後片付けをしながらふと見ると中禅寺湖に淡い夕陽が差していた。


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  中禅寺湖 夕景

 

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