2022年09月

京都 醍醐寺

豊臣秀吉の花見で有名な京都の醍醐寺。

花見の季節ではないが、京都での河野裕子記念シンポジウムの翌日、訪ねてみた。

創建は9世紀であるらしいが、もともと上醍醐が修験道の霊場として栄え、

やがて下醍醐の伽藍が作られ、寺院として拡大していったらしい。

泊まったホテルをチェックアウトしてさくっと八坂神社、

そこから知恩院・青蓮院が並ぶ道を抜けて三条通りに出る。

名刹が並ぶ感じの良い道なのだがともかく暑い。

途中、三条白川の橋を渡る。

川沿いに歩けば祇園白川、東京や横浜と比べて京都は市街地の川の水面が近い。

それが趣きのある風景にもなるわけだが、

温暖化で大雨が増える時代、この水面の近さは京都にとって危険な気がする。


DSC_2107

  三条白川 川沿いに行けば祇園白川である

三条通りで地下鉄東西線に乗り醍醐、そこから山の方に15分ほど歩けば醍醐寺である。

総門から入ると三宝院がある。

安土桃山時代の襖絵と庭園が美しい。

秀吉の醍醐の花見でも主要な会場のひとつになったらしい。

三宝院を出てさらに参道を行くと仁王像のある山門がある。

その先の参道だが、両側の木が伐採されていて境内の外の住宅地まで見通せて、

なにやら荒れた感じがある。

あとで案内を読んで知ったのだが、平成30年の台風で参道の両側にあった森の木が

殆ど倒れてしまったらしい。これから植樹して森を復活させる計画らしい。


DSC_2108

  醍醐寺 向こうに見えるのが総門
DSC_2110
  三宝院
DSC_2113
  襖絵が美しい
DSC_2114
  三宝院の庭園
DSC_2119
  山門の先の参道
DSC_2126
  平成30年の台風で参道両側の森の木が殆ど倒れたという案内

歩いていくと金堂に出る。かなり古い建物で傷みが目に付く。

ここから南側は開けていて五重塔が見える。

ここで、おかしい?  と思った。

金堂から南を見ると門があるが、方角からしてそれが南大門のはずである。

昔は南大門から入り正面に金堂があり、右に五重塔があったのではないか?

普通の伽藍の配置ならそうなるはずだ。

あとで調べてみたら総門の先にあった山門の仁王像は最初は南大門にあったというから、

今、寺の入り口として使われている総門と山門は本来は寺の脇の門だったのだろう。

あるいはそちらの方向に駅ができたから寺の正門になったということか?

時代とともに寺の入り口も変わるのであろう。

それはそれとしていずれにしろ敷地の広い寺である。

さらに上に行くと幾つかの伽藍があり、その先に動物園のゾーンを分けるような

ゲートがあった。醍醐寺はこの上の上醍醐が修験道の霊場であったことから始まる

わけだが、上醍醐まではここからさらに一時間の山登りである。

この日の京都は35度の猛暑。

ここで挫けて引き返した(^^;

ま、帰る時間もあるから一時間かけて山登りもなかなか出来ないわけで仕方ないのだが。

それにしても暑い一日だった。

秀吉は上醍醐で花見をしたらしいのだが、結局その辺は行けなかった。

この暑さでは仕方ない。行ってたら暑さで倒れたかもしれぬ(^^;;

汗をぬぐうハンカチはびっちょりで、ふうふういいながらもと来た道を戻る。



DSC_2121

  金堂
DSC_2122
  金堂から五重塔
DSC_2124
  五重塔、京都で一番古い五重塔であるらしい。国宝。
DSC_2125
  上醍醐へはここから1時間の山登り、
 猛暑のこの日、この先に行く人はさしあたり見えなかった。


醍醐の駅に戻り冷房の効いた地下鉄で京都駅に向かい、

土産を買って横浜に帰った。

一年に一度は行きたいと思っている京都。

河野裕子さんの話も聞けて有意義な週末だった。


DSC_2128

   京都からの帰りはいつもその日の夕飯に、いづうの鯖寿司を買って帰るのだが、
  買ったときに違和感あった。新幹線の車内で見たら小さくなつてる...。
  物価高のおり、価格を据え置くために小さくしたんだろうな...。

 

河野裕子記念シンポジウム

河野裕子記念シンポジウム。

現代女流歌人を代表するひとり河野裕子さんが2010年に亡くなり、

本来は没後10年ということで2020年に開催されるはずだったが、

新型コロナのために延期になりようやく今年開かれた。

河野裕子さんのご主人の永田和宏と同じ結社の花山多佳子の講演、

続けて、澤村斉美、小林信也、永田紅の3人の鼎談というスケジュールだった。

永田さんは大学で長く教授をやっただけあって話が巧い。

裕子さんの遺骨は亡くなってから12年納骨されることなく、

ずっと永田・河野夫婦が暮らした家にあったらしい。

今年になって、裕子さんの生前ふたりでよく歩いていた東山の法然院を訪ねたら、

そこにあった「老いらくの恋」で有名な歌人の川田順の墓が

墓じまいされてなくなっていたそうだ。

それを見た永田和宏は、ここなら裕子の墓を作ってもいい、と思ったそうで、

衝動的に墓を買ったとのこと。

法然院は銀閣寺から哲学の道に入ったあたりにある寺で、静かな趣きのある寺である。

あそこに裕子さんは眠ることになったのかと思った。

自分も知っている寺であることが少し嬉しかった。

短歌結社に入り、何度か河野裕子さんに歌を採ってもらった。

まだ短歌を始めたばかりの私にとってそれは励みになった。

それから数年、裕子さんが亡くなり、偲ぶ会が京都で開かれ、

それが終わり会場に人が少なくなったとき、

私は会場の一番前に飾られていた裕子さんの大きな写真に歩み寄った。

裕子さんはいい顔をしていた。

話を聞きながら、そういういろいろなことを思い出した。

次の花山多佳子さんの講演も面白かった。

何度も聞いた話だが裕子さんは「人の熱気のあるところに行け」と仰っていたが、

それに触れて、短歌というのは自分ひとりで作っていても行きづまるところがあって、

人に触れることで歌がふくらむという話。

なるほど、確かにそうかもしれない。

仕事に追われ、短歌にさける時間もなく歌会もあまり出られない。

ひとりで短歌を作っていると、確かに行き詰まりは感じるところで、

今回のシンポジウムのようなものがあると凄いいい刺激になる。

最後の鼎談も面白かった。

澤村斉美さんが司会をしていたが、進行がうまく話自体もいい話をしていた。

いろいろ内輪の話のようなものもあって面白かった。


DSC_2096

  会場風景

シンポジウムが終わったあと、知った顔で軽く飲んで短歌の話に興じ、

そのあとそれぞれの宿泊先のホテルに向かった。

新型コロナのため、以前の短歌結社の全国大会のように、ひとつのホテルに

まとめて泊まって、ということをしていない、今回、宿泊はすべて参加者個々で

取っている。明日は全体歌会があるのだが、私はシンポジウムだけの参加で、

明日は京都見物をして帰るつもりだ。

夜、泊まっているホテルから鴨川に行ってみた。

今日は中秋の名月。

鴨川はかなりの人出で、土手には今まで見たことないくらい大勢の若いカップルが

座っていた。若さが羨ましい夜の鴨川だった。


DSC_2100

  鴨川のうえの中秋の名月

ヒスイ海岸

フォッサマグナにある糸魚川。

活発な地殻活動でいろいろな鉱石が生まれ、

それが侵食により川をくだり細かくなり海に流れる。

糸魚川のヒスイ海岸はそういう石が波で打ち寄せられる海岸のひとつで、

姫川が運んだヒスイや、その他もろもろの石を拾うことが出来る。

前から行ってみたいと思っていたので、

遅い夏休み、雨飾山に登ったついでに県境を越え糸魚川に泊まり、訪ねてみた。

海岸沿いの国道8号を走り少し行けば「ヒスイ海岸」の看板がある。

国道沿いのどうということない海岸で、

夏はヒスイ海岸海水浴場という小さな海水浴場になるらしい。

この海岸に姫川が運んだヒスイが流れ着く。

道路沿いの細長い駐車スベースに車を停め、海岸に行ってみる。


DSC_2074

  ヒスイを運ぶ姫川の流れ

そう大きくもない海岸で本来は砂浜なのであろう、

その砂の上に波で打ち寄せられた石が沢山ある、そういう感じの海岸である。

何人か石を拾っている人がいる。

常連もいるらしく、長靴を履いて拾う道具を手に真剣な顔をして探している人もいる。

とりあえず歩いてみてヒスイを探す。

ついつい緑色の石を探すのだが、ヒスイというのは緑色に限らない。

白とか紫とか黒いのもあるらしく、実際探すときは白っぽい石を探した方がいいらしい。

同じように探している人と話してみると、

退職して京都からヒスイを探しにきた人とか、

若い女性がひとりでヒスイを探しにきていたりとか、

いろいろである。

結構はまる人がいるらしい。


DSC_2078

  ヒスイ海岸
DSC_2079
  そう広くはない海岸、このあと石を拾うのに夢中で海岸の写真を撮り忘れた(^^;

沼河比売の神話は古代、この地で産したヒスイが交易により縄文期弥生期のこの列島の

あちこちに伝わったことを背景にしている。

ヒスイは古代の記憶とつながる石である。

無心に探す。

気が付くと朝きて昼まで石を拾っていた。

そのあと昼食をとり近くのフォッサマグナミュージアムに行ってみた。

拾った石の鑑定をしてもらえると聞いていたのだが、

鑑定は週末だけでしかも希望者が多いので抽選なんだそうだ。

鑑定はしてもらえなかったが、糸魚川の海岸で拾える石の展示があり、

そのうちのいくつかは拾った石によく似ていた。

どうもヒスイでないものが殆どのようなのだが、

そういう石もそれはそれでそれぞれ綺麗で、

ちょっとヒスイ海岸にはまりそうな気がしている(^^;;

とりあえず石を研磨する道具を買ってみようと思っている。

自分の手の中で何気ない石が宝石のように煌めいてきたら嬉しい気がする。


DSC_2081

   拾ってきた石。右下のは軟玉(ネフライト)かな? その左の白いなかに薄い緑の
 斑点があるのが、あるいはヒスイかと思っているのだが...。 

 

 

雨飾山

ちょっと遅い夏休み、プライベートで山梨に行く用事があったので、

それが終わってから長野と新潟の県境の雨飾高原キャンプ場へ。

着いたのは夜7時過ぎで、車から出たら天の川が見えた。

近頃都会では天の川は見えない。

何年か前、長野と愛知の県境あたりのキャンプ場に星を見に行ったことがあるが、

日本で天の川を見るのはそれ以来である。

その夜はキャンプ場の駐車場で車中泊。

翌朝、コンロで湯を沸かし簡単に朝食をすませて出発する。

キャンプ場からしばらく行ったところから登り始め、一時間ほどで荒菅沢に出る。

沢の上の方には雪渓が残り、この辺でようやく雨飾山の頂上が見える。

結構、岩っぽい山である。


DSC_2054

  荒菅沢

天気が良く、荒菅沢からの急登を汗かきながら登る。

足下にはトリカブト、ヤマハハコ、リンドウなどの花がある。

急登が終わると笹平。

ここから緩やかな尾根を行き最後の斜面を登れば雨飾山の頂上である。

ほぼコースタイムで頂上に着く。

長野側のピークに頂上の標識があり、新潟側のピークには新潟の方を向いた石の仏が

幾つか並んでいる。

天気に恵まれたので、周囲の眺めはほしいままである。

北アルプスの山並み、日本海と糸魚川のあたり、登ってきた笹平の女神の横顔。

あっちは妙高戸隠のあたりかな

DSC_2061
  ヤマハハコ
DSC_2063
  笹平から雨飾山の頂上
DSC_2067
  雨飾山の頂上、向こうは北アルプス
DSC_2066
  頂上から日本海、糸魚川が見える。
DSC_2068
  笹平、笹のなかの登山道のラインが「女神の横顔」に見えると言われている。

頂上で軽食をとり下山開始。

この下山が結構疲れた。

なにしろ急登の山なので、その急登を下ろうとすると、

いつものようにしゃかしゃかと下れないのである。

そんなふうに下ろうものなら、たちまち岩でゴツゴツの急な登山道で転げて

怪我をしそうである。

どうしても慎重に下る。これって膝のあたりの筋肉に結構くる。

結局、登りと同じくらいの時間がかかってようやくキャンプ場の車に着いた。

心肺機能的には疲れていないのだが、足の筋肉は結構疲労していた。

それにしても久しぶりの車中泊での登山。

天の川も見られて楽しかった。

もう一度、若い頃のように登ってみたいなという気分になれた。

その日は下山後、糸魚川温泉へ。

温泉でゆっくり休養し、翌日は以前から行きたいと思っていたヒスイ海岸に向かった。


DSC_2070

  新潟側のピークに並ぶ石仏はみな新潟の方を向いている

DSC_2073
  トリカブトとサラシナショウマ

アーカイブ