2022年07月

歌会

ひさしぶりに湘南歌会。4月以来かな?

例によって気になった歌。

誌面発表前なのでここには出せないが、

茶色くうねる流れに潜むもの白粉花を掲げてゆく、

そんな歌意の歌。

選歌ではひとりしか採っていなかったが、いい歌である。

大雨で増水し激しく流れる川。

岸に生えていたのであろう白粉花が激しい水流に根こそぎにされ株ごと流されてゆく。

濁った川を流されてゆく鮮やかな赤い白粉花。

それは流れに潜む川の神が掲げてゆくようだ

情景が浮かぶし発想もいい。

いい歌なのだが、どうも引っ掛かった。

濁った流れに潜むなにものか、川の神、水神、あるいはそれ以外のもの。

そのなにものかが根こそぎの白粉花を篝火のように掲げてゆく。

このシーンを思い起こさせるには上句がおとなしいというのか、ありきたりというのか。

そんな気がした。

岸に生えていた白粉花を根こそぎにして流してゆく増水した川。

もう少しそういう川の描写が欲しい気がする。

「うねる」という言葉は、大きくゆっくりとした動きをイメージさせる気がするのである。

「海がうねる」にしても「道がうねる」にしても、

激しい流れ、激しい曲折ではない気がする。

明治の時代、ヨーロッパから招かれた治水技師が日本の川を見て、

「日本の川は川ではない、滝だ」と言ったという。

そういう日本の川の、しかも最近の豪雨で増水し激しく流れる川。

「うねる」にしてももっと激しくうねっているような、そんな感じがするのだが、

どうも、上句がそういう川を描写しきれていない気がした。

確かに上句だけの字数の制限はあるわけで、難しい気はするのだが

じゃ、自分ならどう推敲するかと歌会の最中、考えていたのだが、やはり難しい。

ま、自分では難しいと思っても、しゃあしゃあと批評するのが歌会ではある(^^;

ところで「白粉花」という花の名前もこの歌のなかでは面白い。

漢字は「白粉花」で「白」が目につく。

実際の白粉花は「赤」「黄」「白」がある。

しかし、この歌のなかでこの白粉花は間違いなく赤い花である。

川の神が掲げてゆく篝火のような赤い白粉花でなければならぬ。

そういう情景を思い起こさせる歌として、上句が力不足の気がするのである。

暑い盛りの湘南歌会、いろいろ言い合って楽しんで、

歌会のあとは軽く一杯飲みながら短歌の話で盛り上がった。

やはり歌会は楽しい。

コロナが相変わらず広がっているが、こういう場は大切にしたい(^^


DSC_2011

  公園で見つけた辛夷の花芽と子供のカマキリ。
こぶしは7月くらいに花芽をつけ、そのまま年を越して翌年の春に咲く。
花芽で過ごす期間がかなり長い。 

 

 

お別れの会

アーチェリーの常連仲間が今年、癌で亡くなった。

仕出し屋兼食堂を経営していた人で、

お別れの会をその食堂でやろうということになった。

福山雅治がまだ売れなくて金がなかった頃、

たまにご飯を食べに来ていた食堂とかでテレビでも紹介された。

ということで福山雅治ファンには結構知られている聖地みたいな店らしい。

ちなみに福山雅治ファンの間では、彼が売れない頃にここで食べていた

アジフライが人気なのだそうだ。

そう大きな店ではなく、雰囲気は町の小さな定食屋である。

訪れると、大学の同じアーチェリー部で知り合ったという奥さんとお子さん達が

迎えてくれた。ご主人が亡くなったあとも仕出し屋と昼の営業だけは続けることに

したそうで、家族で切り盛りしている。

我々のためにそうしておいてくれたのだろうが、

店の一角に、旦那さんの遺影と花が置かれ、その横に遺骨もあった。

そろそろ四十九日なのだが、納骨は8月あたりにするそうだ。

遺影は晩年の誕生日の度に家族が写真を撮ってくれていたそうで、いい顔をしていた。

2時間ほど奥さんとご家族と常連仲間で思い出話に花を咲かせながら、

楽しく食事をして酒を飲んだ。

気の置けない射場の常連仲間なので、しまいには、

「あの人、アーチェリーへただったよね~」とか、

懐かしんでいるのかけなしているのか分からないような話になる(^^;

話をしていて羨ましくなった。

死んでから、こんなふうに和気藹々と人が集まってくれる。

そういうふうに生きられた人は幸せなのだろう。

自分のときはどうだろう、そんなことを思った。

会を終えて帰るとき、奥さんもお子さん達も店の外まで送ってくれた。

「射場に遊びに来てください。旦那さん、射場のタケノコいっぱい採って、

店の料理に使っていたみたいだから、是非、タケノコを採りにきてください」

そんな話をして散会した。


DSC_1988
 福山雅治ファンには聖地であるらしい小さな食堂  
DSC_1990
 思い出話に花を咲かせながら飲んで食べる
DSC_1993
 生前、一緒にアーチェリーを楽しんだ射場の山ユリが咲いた。

八海山

八海山に行ってきた。

子供達が小さかった頃、ゴールデンウィークは魚沼の五十沢キャンプ場で過ごしていた。

そのとき、八海山はロープウェイを使って何度か登りに行った。

残雪を踏んで若いころ歩いていた上越の山並みの一角を歩けるのが嬉しかったのである。

ひさしぶりにその八海山を登ってみようと思った。

朝、9時過ぎに八海山ロープウェイに着。

天気がイマイチで、山の上の方は雲に覆われているがとりあえず出発。

残雪期と違って、森と藪のなかに続く登山道を歩く。

全山トンボに覆われているのか、歩いても歩いても身の巡りにトンボが沢山いる。

トンボはいいのだが、たまに大きな虻がよってくるのが鬱陶しい。

八海山は残雪期は何度も来ているが、無雪期はあまり登っていない。

こんな感じなんだなと思いながら、黙々と歩く、

尾根を登り続けて1時間で女人堂。

しばらく休憩していたら、ガスが上がってきて視界が消え、雨が降ってきた。

これは今日はダメだなと思い、

素直に下山してロープウェイ駅に着いて振り向いたら、

ガスが晴れて八海山の稜線が雲の下に見える。

結局そのあと、山の上の方は降ったり降られたりという感じだったようだが、

なにやら雨に降られたというより、山にフラレタような感じ(^^;

登山としては残念だったが、女人堂まで1時間で行けて少し安心した。

しばらく山に行けていなかったので、歩けるかどうか心配だったのだ(^^;;


DSC_1964
  八海山ロープウェイ

DSC_1968
  越後駒がガスの間から見えた

DSC_1969
  女人堂

DSC_1970

  女人堂から頂上方面
DSC_1976
  数分後にはガスで見えなくなって雨が降ってきた。
DSC_1979
  ロープウェイ駅まで降りてきたら稜線が見えた。
DSC_1982
  ニッコウキスゲの群落

今夜の宿泊は越後湯沢。

温泉で汗を流し、しばらく休憩してから夕飯に出かける。

越後湯沢では居酒屋の「五郎」が気に入っている。

いろいろ日本酒も置いているし料理も美味い。

髭の親爺がやっているのだが、どこで修行したのか料理に品がある。

温泉街で泊まるときは夕飯なしで泊まり、

こんなふうに地元の美味しい店を探すのが楽しい。

若い頃、毎年のように登った上越、越後の山。

思い入れのある地で飲む酒は美味しい。


DSC_1986

  「五郎」のトマトのオーブン焼き、酒は〆張鶴
 

 

更正の請求

国税局の分室から電話があった。

4月にやった更正の請求について、還付しますとの連絡。

本人死亡後、勤めていた会社の給与計算を代行していた会社が年末調整を間違えた

ということで、再計算後の源泉徴収票を送ってきたのはいいが、

会社の方では、亡くなった人に還付できないので、

自分で更正の請求をしてくれと言ってきた。

ところが源泉徴収票には再計算後の税額が書かれており、

源泉徴収表を見る限り再計算による差額は既に会社から還付されている形になってしまい、

これでは困ると給与計算の代行会社に電話しても、全く対応してくれず、

仕方ないので、事の経緯の説明書を添付して更正の請求をした。

電話してきた国税局の担当者、

「説明書で内容は理解できましたので還付します。

しかし、本来は会社が還付するべきものですね」

と言っていた。

その通りなのである。

一番悪いのは勤めていた会社である。

本人が死亡しているのなら本人の相続人に還付すればいいのであり、

それをせず、しかも、給与計算代行会社に丸投げで、

源泉徴収義務者としての義務を果たさなかった。

給与計算代行会社も、送られてきた手紙のなかに「不明な点があれば連絡ください」という

メールアドレスはあったが、そこにメールしてもなんの回答もなかったし、

電話すれば、会社を通してくださいの一点張りでひどい対応だった。

今回の依頼人というか、亡くなった本人は実は山岳会で30年以上付き合った仲間だった。

彼の生前、その給与計算代行会社については、ちらりと聞いていた。

「うちの会社、給与計算アウトソーシングしてんだけど、全然ダメなんだよ。

取っ替えた方がいいって、社長に言ってんだけどね

そう言っていた。

たぶん、給与計算の間違いが多かったのだろう。

HP調べてみると、北海道に本社のある会社で上場していて、結構あっちこっちの

給与計算を代行しているらしい。

年末調整間違えるところが給与計算の代行ね

上場企業ってのもたいしたことないなと、しみじみ思った。

いずれにしろ、肝心の源泉徴収票が再計算の差額還付済みのものになってしまって

いるので、更正の請求が棄却されたら、どう対応しようかと思っていたので、

国税局の担当者が内容を理解してくれて良かった。

そういえば、毎年、確定申告が終わったあたりに、あいつの家に山岳会の仲間が

集まりバーベキューをやっていた。

あいつが死んでもう2年くらいになるのかな

良かったな、おまえの税金、奥さんのところに帰ってくるよ。


DSC_1952

 アーチェリーの射場のムラサキカタビラ 

アーカイブ