2021年10月

さくら

さくらが死んだ。

ゴールデンレトリバー、13歳。

前脚の膝に腫瘍ができて同じところを3回手術した。

再発を繰り返し、最後は、もうこれ以上は手術できないと言われた。

膝の外側に異様に膨らんだ腫瘍を毎日消毒して化膿止めの薬を塗ってやることしか

出来なかった。腫瘍が大きくなり歩行も困難になり、

毎日の排泄は人間が手伝って庭に出さなければ出来なくなった。

1018日が誕生日だった。

ケーキを食べたが、そのあとは力尽きたように寝ていた。

その週末くらいからなにも食べなくなった。

空腹も感じなくなったようで、口のところに餌を持っていっても食べなかった。

仕方ないのでシリンジで流動食を食べさせたが、

衰えていくのはどうにもできず水も飲まなくなった。

28日の朝、足腰が立たなくなってもそれまで粗相しなかったさくらが、

初めて毛布の上に粗相をしていたので、

抱えて風呂場に連れていって綺麗にしてやろうと思った。

抱えているうちにすっと重くなった。

すぐにおろしたら、まだ息はしていた。

その息がだんだん弱くなり、止まった。

隣で「さくら!  さくら! 」と呼び掛けている娘に「死んだ」と伝えた。

そのあと体を綺麗にしてやり毛布に載せてケージに寝かせた。

さくらがうちに来たのは13年前、車で迎えに行った。

生まれて三か月のさくらは小さな箱に入って首だけ出して家に着いた。

玄関で箱の外に出したら、見たことのない場所に連れてこられてビックリしたのだろう、

後ろを向き、鮮やかなジャンプで元の箱のなかに飛び込んだ。

それから13年、いろいろなことがあった。

まだ小さいとき、私を追いかけて階段を登ったのはいいが、

下に降りるとき足を踏み外して、表情を変えることもなく足を揃えた姿勢のまま、

見事に宙を飛んで転げ落ちていった。

「さくら、大丈夫かっ! 」驚いて叫んだが、一階の床に叩きつけられたさくらは、

次の瞬間、目に飛び込んだオモチャに向かって突進していった。

あるとき、さくらが門戸から外に出てしまい行方不明になったときは、

仕事は後回しにして探して歩いた。

保健所のHPで保護犬も調べたが、結局見つけられず、ペットロス気分で晩飯も

食えず酒を飲んで寝た。翌朝、もう一度、保健所のHPを見てみたら、

なんでこうなっちゃったんだろう?  みたいな情けない顔をしたゴールデンがいた。

人間の都合で避妊させるのが嫌で避妊させないでいたら子宮蓄膿症になり手術した。

前脚の膝の腫瘍は三回手術しても再発してさくらを苦しめた。

死んで2日目の土曜日、さくらを火葬した。

さくらと過ごした13年が終わった。

さくらのいない日々が始まる。

さくらが死んだ日も火葬の日もいい天気だった。

そういえば、さくらが家に来た日もいい天気だった。

さくらとコテージや温泉や海に行ったときもみないい天気だった。

さくらは晴れ犬だったのだろう。

さくらと散歩していたとき、

毎日、決まった坂道をさくらと駆け登っていた。

散歩していた老夫婦が「うわ~」と声をあげて見ていたことがある。

その話を子にすると、

「ゴールデンと走ってる人なんていないよ」と言われた。

さらに、「そのうち倒れるよ」と言われた。

ま、倒れることもなく生きてはきた。

さくら、待っててくれ。

また一緒に走ろう。


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   湘南の海とさくら

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  近くの公園で

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  雪の日のさくら

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  なにを悩んでいるんだ?

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   梅園とさくら

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  魔法のスリッパで宇宙旅行をしているさくら

歌会

ひさしぶりの湘南歌会、気になった歌。

例によって誌面発表前なのでここには出せないが、

一両電車が動き出し累々と彼岸花がさいている、

みたいな歌意の歌。

この歌について、この一両電車というのはどこの電車だろう?

三陸鉄道ではないか?

下句の雰囲気からは死者への鎮魂が思われる、ならば、三陸鉄道と名前を

出した方がいいのではないか?

いや、三陸鉄道は二両だ一両ではない。

〇〇鉄道が一両だ、そこではないだろうか?

いや、▽△鉄道かもしれない。

という話になり、

具体的な鉄道名を出した方がいいという批評だった。

私は聞いていて疑問だった。

彼岸花は死人花ともいわれるわけで、

下句の「累々と彼岸花」あたりから死者への鎮魂を思うのは分かる。

ただ、そうだとしても歌に意味を求め過ぎているのではないか?

そんな気がした。

この歌にはこういう意味があるのではないか、ならば、こう詠った方がいい

のではないか?

そういう批評の流れだったわけだが、

歌には必ず意味が込められているわけではあるまい。

歌を読むときに、ことさら意味を読み取ろうとすると、歌が鑑賞できなくなる

気がする。

31文字を読み、そこから伝わってくるもの、心に響いてくるものを感じ取る

のが歌の鑑賞だと思うわけで、

実は、この歌にはこういう意味がある、この歌は三陸の津波で死んだ人達への

鎮魂だ、ならば、一両電車などといわず三陸鉄道と詠んだ方がいいとか、

それは、歌の意味を読み取ろうとして、

自分の思い浮かべた意味の方向で歌を曲げてしまっているのではないか

歌にことさら意味を求めなくていいと思うし、

一両電車は読者がそれぞれに思い浮かべればいいと思う。

もう走っていない故郷の一両電車を思い浮かべてもよく、

三陸鉄道でも〇〇鉄道でも△△鉄道でも、あるいはどこにも存在しない一両電車でも、

それぞれの一両電車を思い浮かべればいいのではないか?

累々と彼岸花が咲いているなかへ走ってゆく一両電車は確かに死者への

鎮魂かもしれない。三陸の津波の死者を思うならそれでいいと思うし、

誰でも人生を振り返ったとき、多くの亡き人がそこにはいるはずであり、

そういう人々を思い浮かべてもいいのではないか?

ことさら歌に意味を読み取ろうとすると、

そういう自然な歌の鑑賞が出来なくなるのではなかろうか?

そんな気がする。

それにしても、三陸鉄道は一両ではない二両だとか、

〇〇鉄道は一両だとか、

良く知ってるよね。フツーの人そんなこと知らないよ。

早い話、暇人がそろってるのかな?(^^;
 

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   歌会風景

東慶寺

新型コロナがなぜか収束してきたので、久しぶりに湘南の歌会が開かれた。

3月以来だから半年くらい生の歌会はなくてメールでの歌会だったわけである。

で、以前そうしていたように歌会の前に鎌倉を歩く。

北鎌倉から少し歩いたところに東慶寺がある。

縁切寺として有名なところ。

北条時宗の夫人、覚山尼が晩年を過ごした寺。

鎌倉の寺はたいていそうなのだが、山あいの小さな寺である。

山門をくぐるとそう広くない境内の左には鐘楼があり、右に本堂がある。

竜胆やホトトギスが咲いている。

本堂で手を合わせ、境内の奥に行く。

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  東慶寺 本堂

その途中の片側が崖になっているところは6月くらいにイワタバコが咲く。

奥は森につつまれた墓域になっているが、その隅に覚山尼の墓がある。

始めてこの寺を訪れたとき、境内の奥を歩いていたら、

隅の斜面に鎌倉の古い墓である、やぐらがあった。

行ってみると、足元にあった花生けだったろうか、

それにミツウロコの紋があった。

ミツウロコは北条の家紋であり、母の実家の家紋である。

えっ!  なんでミツウロコがここにある?  と思った。

その時は東慶寺について縁切寺というくらいの知識しかなく、

北条時宗の夫人である覚山尼が晩年を過ごした寺とはしらなかったのである。

鎌倉時代、関東の武家は日本中に拡散した。

その後、戦国大名になる毛利も島津も、この時期に西国に移住した関東の武家で

ある。北条も同じように日本中に散らばった。

北条といえども分家の分家あたりなれば、

どこかの荘園の地頭になれればよしとするべきだったわけで、

そうやって日本中に広がったわけである。

母の実家もそういうふうに地方に散らばった北条の裔であったらしい。

子供の頃、祖母が着物のミツウロコの家紋の話をしてくれたのを覚えている。

ちなみに高倉健もやはり北条の裔で、それを誇りにしていたらしい。

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  イワタバコの咲く崖の小さな仏
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  覚山尼のやぐら

覚山尼の墓は質素である。

鎌倉時代の事実上の最高権力者だった者の妻の墓とは思えないほど質素である。

行ってみると、かつて見たミツウロコの紋の花生けはなかった。

あのとき、あの花生けがなかったら、たぶん気が付かなくて素通りしていた

のだろう。それくらい質素な森のなかのやぐらの墓である。

覚山尼の墓に手を合わせ、寺をあとにして鎌倉駅の方に歩く。

建長寺の前を通り巨福路の切通しを抜ければ八幡、小町通りはコロナなど

どこかにいったような人混みだった。

このあと昼飯を食べて江ノ電で海を眺めながら歌会会場の藤沢に向かった。


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  巨福路の切通し。鎌倉幕府が滅ぶとき、ここで熾烈な戦いがあった。

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  鎌倉駅西口、仲の坂の刺身とアジフライの定食、禊の酒を一杯ひっかけて歌会に向かった。

定款

短歌結社から封筒が来た。

なんだろうと開けてみると、一般社団法人の社員になったことの知らせだった。

私の入っている短歌結社は2017年に一般社団法人になった。

経緯については知らないが、一般社団法人になれば権利の主体になれるので、

事務局の賃借契約や団体名での銀行口座の開設、1000人を超える会員の管理事務の

委託契約など、その辺の問題だろう。

で、送られてきた資料を読むと、結社に入会して20年以上の者が社員になるのだそうだ。

20年も経ったのか

離婚して仕事をしながら幼い子供達を育て、

そういう生活のなかで短歌に巡り合った。

短歌は不幸せ者の文芸である。

おのれのなかに吐き出さなければいられないものを抱えた者が、

それを表出する。

そのために歌を詠ってきた。

20年ね、たいしたこともない歌を詠っていつの間にか20年経ったわけか…(^^;

それはそれとして、同封されていた社団法人の定款を読んでいて、

えっ?  と思った。

構成員(社員と社員以外の会員)の資格喪失の条項に、

「成年被後見人又は被保佐人となったとき」というのがある。

税理士会で成年後見に係り、法定後見人も経験しているので、ちょっと反応した。

後見は、被後見人が「常に判断能力を欠いている」状態である。

保佐は、被保佐人が「判断能力が著しく不十分な」状態である。

保佐は具体的には、日常の買い物は出来るが契約を締結したりするのは難しい、

そういう場合であり、軽度の認知症や発達障害で保佐になることがある。

ただ、この場合の判断能力って、短歌に関係あるのか?

日常の買い物をしたり、お金を借りる契約や自分の家を売る契約をしたり、

社会で生きるうえでそういう判断能力に問題がある人を守ろうというのが、

成年後見制度である。

それと短歌、関係あるのか?

契約についての判断は出来なくても歌は詠えるかもしれないよね

長く短歌をやっていた会員が年を取り軽い認知症になることもあるだろう。

発達障害に苦しむ人が短歌に救いを見出すこともあるかもしれない。

そういう人達は成年後見制度を利用すると、

短歌結社の会員としての資格を喪失するのか?

定款の最後の方を見ると、この定款、行政書士が作ってる。

自分自身、行政書士もやっているので分かるけど、

この行政書士、一般的な定款の雛型にそのまま落として作ったな。

一般社団法人というのは非営利法人だが、非営利法人というのは、営利行為をして

いけないということではなく、剰余金の分配をしないということである。

実際にはビジネスにも使われるのが一般社団法人である。

短歌結社という文芸の団体であるということを考えず、

ビジネスにも使われる社団法人の一般的な雛型をそのまま使っているから、

こういう違和感のある条項がそのまま入っているのであろう。

今度、歌会で結社の仲間に会ったら忠告しなければならない。

「あんたら呆けると結社から追放されるよ」(^^;;


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     上野桜木のカフェ カヤバコーヒーのタマゴサンドとコーヒー

新井旅館

緊急事態宣言が終わったところで伊豆の修善寺に行ってきた。

新井旅館。

修善寺温泉の中心部、桂川沿いにあり、

旅館の建物のかなりの部分が国の重要文化財になっている老舗旅館。

文人墨客との交流があったらしく、横山大観の日本画なども展示されている。

台風が来て心配だったが、どうにか東にそれてくれたので昼過ぎから出発。

東名を走り沼津で下りて2時間ちょいで修善寺の新井旅館に着く。

木造三階建ての玄関から入ると池のある中庭がありその周りを回廊が巡っている。

増築に増築を重ねた古い建物ということが見てとれる。

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 新井旅館
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 中庭と回廊

案内されたのは桂川沿いのあやめの棟。

部屋に伊藤左千夫が新井旅館に泊まったときの案内が書かれていて、

どうやら、昔、このあやめの棟の建っている場所には、

菖蒲の湯という風呂があったらしく、

伊藤左千夫がその風呂に入り、感動して歌を詠んだみたいなことが書かれていた。

ちちなみに、このあやめの棟、昭和7年に建てられているから築90年くらいである。

やはり有形登録文化財の天平の湯で汗を流してから夕方の修善寺の町を歩いてみる。

緊急事態宣言は解除されたが、まだ修善寺の町に観光客の姿は見えない。

新井旅館の仲居さんも、予約で一杯なのは今月の中旬以降だと言っていた。

関東周辺の観光地のなかには解除前からかなり客が増えていたところもあったようだが、

そうでない観光地もやはり多いのである。

宿での夕飯のあとは、修善寺に来たときには立ち寄る、ラーメン屋のいきぶしに行く。

ひと気のない暗い修善寺の町を歩いていくと向こうに、いきぶしの店の明かりが見えた。

感じのいい母娘がやっている店で、ラーメン屋というより居酒屋かな。

入ると、「久しぶりですね」と声を掛けられた。

一年に何度も行っているわけではないのだが、よく覚えているものだ。

ま、塩ぎんなんの塩抜き頼むヤツなんて他にいないだろうから覚えているのかもしれん(^^;

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 修善寺の夕景

翌朝、旅館のまわりを歩いてみる。

桂川を渡って、竹林の小径、戻ってきて修善寺に詣でて土産を買い、宿に戻る。

最後にもう一回、風呂に入って宿を出る。

そのあとはいつものように伊豆の道を突っ走って横浜に帰る。

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 朝の修善寺
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 竹林の小径
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 修善寺

土産に美味しい干物を買おうということで伊豆高原に立ち寄り、

昼飯を食べたら12時半過ぎてた。

ゆえあって3時までに横浜に帰りたいのだ。

スカイラインからターンパイク。

ここでカーナビの到着予想時間ずんずん縮めて3時前に横浜着。

もう倅の運転に勝てないかな…(^^;;

 

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