2021年05月

再延長

緊急事態宣言が再延長された。

現状ではやむを得ないのだろうが、

なにか釈然としないものがある。

テレビを見ていたら、今まで自粛要請に応じていた焼き鳥屋が、

これ以上は無理だということで通常営業を開始するというニュースがあった。

当然、罰金が科せられることになるのだが、

そうしなければ生きられないから営業するのである。

他のニュースではこう伝えていた。

「正当な理由なく休業の要請に応じない店舗には罰金を科すことになります」

正当な理由なく

そうしなければ生きられない、生きるためには店を開くしかない、

それは正当な理由ではないのか

新型コロナ対策での休業要請に応じた店には協力金が支払われる。

しかし、経営の実態を無視して決めた協力金の仕組みのために、

一方にはそれを受け取ってもやっていけない店があり、

一方には休業していれば店を開いているより儲かる店が出るという矛盾が生じている。

さらには協力金の申請をしてもそれが実際に入るまでにかなりの日数がかかる。

3月の休業の協力金がいまだ支払われていない店は沢山ある。

資金繰りは待ってくれないのである。貯えのない小さな店はどうしたらいいのだ。

支援にはスピートが必要なのである。

税理士としてコロナ対策の申請などの支援をしていて、暗澹とした気分になることがある。

感染拡大防止のために休業を要請するなら、

少なくとも生きられるだけの補償はしなければならないはずだし、

そういう法整備が出来ていなかったのなら、

新型コロナの感染が始まってから一年以上、なにをしていたのだろう。

国会でテレビのワイドショーみたいなことをしているヒマがあったら、

必要な法律を作ったらどうなんだ。

しかし、追い詰められている飲食店は、実はまだいいのかもしれない。

仕入れ先等の関連業者には補償らしい補償はない。

支援一時金や4月以降の月次支援金、そんな少額なものでどう生き残れというのか?

従業員の給料は雇用調整助成金で払っても固定費はそれだけではない。

どうやって雇用を維持するのか?

新型コロナ以来、女性の自殺が増えたのはなぜだと思っているのか。

どれほど多くの若者が勉学を諦めたと思っているのか。

社会のためという名分で一部の人達に自分達より多くの犠牲を強いる、

そのことに気付かない、

そういう人達が実はこの国にはたくさんいるのだろうか。

そんな気がして、なにやら嫌な気分になるのである。


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  箱根湿性花園 ニッコウキスゲ

難民支援

国連難民高等弁務官事務所の外郭団体、国連UNHCR協会からの
メールニュースを転載します。転載の許可は受けています。
ミャンマーの混乱で多くの難民が発生しています。
ささやかな支援で救われる命があると思います。



今すぐ、ご支援ください

メール文面が表示されない方はこちら

国連UNHCR協会 難民問題の明日に架ける橋 ブリッジ

ミャンマーのシャン州での支援活動の様子

ミャンマーの混乱で故郷を追われた人々を守り、支えるために。

関野裕之様

いつも難民支援にご協力いただき、誠にありがとうございます。そして度重なるメール、大変申し訳ございません。
日本でも報道されているように、20212月、ミャンマーでの混乱が激しさを増し、ミャンマー全土での市民に対する無差別な暴力、国境地域でのミャンマー軍と少数民族武装勢力の争いが再度ぼっ発。5月前半にはカレン州、カチン州、チン州といった地域で混乱がさらに深刻化し、20215月現在、
61000人が新たに国内で家を追われ、さらに数千万人が国境を越え難民となり、隣国への避難を強いられています。

ミャンマー国内/国外で逃れる避難民

事態の悪化により、多くの命が奪われ、保健や通信といった重要な公共サービスが停止され、そして多くの家族が、着の身着のままで避難を強いられています。 UNHCRの緊急援助チームはパートナー団体、地元コミュニティと協力し、命を守る援助を提供するため、現地で救援活動を実施していますが、ミャンマーと隣国におけるUNHCRの援助活動は著しい資金不足にさらされており、2021年にミャンマーでの支援活動に必要とされる33540万米ドル(約3555240万円)のうち、23%しか充足されていない、厳しい状況に置かれています。
UNHCR
はパートナー団体、地元コミュニティと協力し、現地で救援活動に日夜尽力していますが、この活動はUNHCRだけではできません。皆様のご支援によって、UNHCRはミャンマーの混乱で避難を強いられている人々の命を守る支援活動が可能となります。

関野様、避難する人々を保護するため、一人でも多くの方々のご支援が必要です。UNHCRの援助を待つ家族を守るため、どうぞ今すぐ、ご支援ください

特定非営利活動法人 国連UNHCR協会
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宮柊二の見た山

神のごと魚沼三山ならびたまふ関越自動車道をひた駆けくれば

                         / 宮柊二『白秋陶像』

 

宮柊二は新潟県魚沼の出身。

魚沼三山とは越後三山の別名であり、

彼の故郷からその山なみは大きく見えただろう。

魚沼は私にとっても特別な場所である。

奥利根、越後三山、谷川連峰と続く山なみは若い頃から登っていたフィールドで、

谷や岩、雪の稜線にそれこそ通い続けた山域である。

東京から関越道を走り新潟に入ると、

塩沢のあたりから魚沼三山のひとつ八海山が見えてくる。

中の岳も見えるだろうが、駒ケ岳は八海山の向こうになってしまい、

見えないのではなかろうか。

もちろん、車を運転しながら山を細かく観察しているわけではないので断定はできない。

いずれにしろ、魚沼三山というのは、魚野川の支流、水無川の源流を囲むように立っている

山々なので、方角からして小出あたりまで行かないと、関越道から魚沼三山すべては

見えない気がする。

そう思って調べてみると関越道の川口SAの案内に、ここからの魚沼三山の眺めが

素晴らしいというような記事があった。

川口SAは小出の先、宮柊二の故郷・堀之内の近くである。

さらに調べてみたら新潟県のHPに川口の村から見た魚沼三山の写真があった。

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  左から 駒ケ岳 中の岳 八海山    出典 新潟県庁

「神のごと」と山を形容するのは、雪をかぶって白く輝く山のような気がする。

ちょうど川口の村からの写真のような雪に輝く山。

宮柊二は、そういう故郷の山を見たのではなかろうか。

ところで「関越自動車道を」の字余りはどうだろう。

11音。かなりの字余り。

「関越道を」ならば7音定型である。

なぜ、宮柊二はあえて11音の字余りにしたのだろうか?

「関越道」という省略した言い方は当時すでに普通に使われていて、

言葉としては違和感はなかっただろう。

一首として、定型に収めた方がいいか、あえて字余りをとるか、という問題である。

「関越道」と「関越自動車道」、繰り返し頭のなかで読み直してみた。

「関越道」だと定型に収まり形はすっきりする。

しかし、「神のごと・・・ならびたまふ」という高揚した上句に対し、

下句があっさりし過ぎてしまう気もする。

そのためにあえて宮柊二は字余りにしたのだろうか?

ちなみに、関越トンネルが開通し、太平洋側と日本海側が一本の高速道路で繋がったのは、

1985102日である。

それまでは東京から新潟に車で行くためには途中で高速道路から一般道に入り三国峠を

越えなければならなかった。冬は豪雪と雪崩で通行止めになることもあり、時間もかなり

かかった。東京から高速一本で行けるようになり、宮柊二はその年の冬か翌年の春、

まだ山の雪が解けない間に故郷を訪ねたのではなかろうか。

宮柊二が自分で車を運転したのか誰かに運転してもらったのかは知らない。

いずれにしろ彼は全通してまもない関越自動車道を故郷に向けてひた駆けたのである。

そして、神のごとならぶ故郷の山を見た。

宮柊二は関越自動車道が全通した翌年の198612月、急性心不全で死ぬ。

 

宮柊二が見た魚沼三山。

それとちょうど逆の視点、魚沼三山から魚沼を眺めた歌を詠んだことがある。

魚沼は若い頃から通い続けた場所であり、自分の歌集『石榴を食らえ』にも

何首か入っている。そのうちの一首。

 

  まんさくの群れ咲く尾根を登りきて振り向き見れば魚沼平野

                           / 『石榴を食らえ』

 

ちょうど今頃、魚沼三山の山にはまんさくの黄色い花が咲いている。


月に一度のアーチェリーの射会、今年1月から連続入賞していたが、

そのおかげで順調にハンデを減らし、今月の射会はついに入賞なし。

連続入賞の記録も四ヵ月で途切れてしまった。

ま、こんなもんだろう(^^

で、来週の日曜は月に一度の射場整備の日。

新しく購入した草刈り機の出番なのかな

出番はいいんだけど、花を刈らないよう気を付けて欲しいな

射場の山に絶滅危惧種の金蘭が咲いているのは知っていたが、

その後、金蘭よりさらに少ない銀蘭を発見。これも絶滅危惧種。

金蘭も銀蘭も山に勝手に入ってきて盗掘されたらしいのだが、

やはりエビネも盗掘されてなくなったらしい。

で、以前あったという場所に行って探してみたら、なんと一株咲いているのを発見。

周囲にも葉があり、生き残っていた。

杭を打って回りを囲み、草刈り機の餌食にならないようにした。

エビネは栽培種はたくさんあるが、

日本にもともと自生しているジエビネは準絶滅危惧種である。

草刈り機の餌食といえば、購入した草刈り機の試運転で刈ったあたりには蛍袋があった。

蛍袋は刈らないで欲しいな

ま、多年草だから来年また出てくるだろう。


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  金蘭
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  銀蘭
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  エビネ
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  蛍袋 これは去年の写真

先日、コースを回っていたら足元に紫の花があった。

花の形はホトケノザに似ているが少し大きくて背が高い。

調べてみたらタツナミソウだった。

探してみたら近くに群落があった。

鳴子百合はそろそろ咲き始めるし、ヤマユリも背が高くなってきた。


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  タツナミソウ
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  タツナミソウの群落
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  鳴子百合 つぼみがぶらさがっている。白い花が咲く
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  小さくて分かりにくいが、白いツユクサこと常盤露草
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  練習場で見つけたカラスビシャク 真ん中の緑色の葉っぱが巻いているようなのが花

そういえば射場の山には春蘭もあったらしい。

これもやはり盗掘されてなくなってしまったということ。

春蘭は可憐な花が咲く。

花が咲くのは3月から4月で植えるのは6月あたりがいいらしい。

もともと自生していたのなら植えれば復活できるんじゃなかろうか。

来年、花の咲く頃ポットで買っておいて花が終わったら地植えしてみよう。

春蘭復活計画である(^^


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  55m射ちおろし 使っている弓はコンパウンド

 

金時山

若い頃、ゴールデンウィークは毎年、上越の山に行っていた。

夏ならば道がなくて藪漕ぎを強いられる山稜も残雪の季節ならば、

残雪を踏んで自由に歩くことが出来る。

尾瀬、利根源流、越後の山々、谷川連峰、苗場、白砂、鳥甲

思うままに歩いた稜線は今も目に浮かべることが出来る。

白く輝く残雪、青い空、透き通るような新緑があり、

麓に降りてくれば、辛夷や桜、桃が一遍に咲く雪国の春があった。

ある程度の年になり山から遠ざかっても、

ゴールデンウィークだけは上越に行っていたのだが、

この新型コロナである。

黒岩知事が「神奈川県に来ないでください神奈川県から出ないでください」と言うので、

仕方ない、今年は上越は諦め、神奈川県内でさくっと山登りして温泉ということで

箱根に行ってきた。

短時間で登れるところということで金時山。

箱根外輪山の一角、金太郎で有名な山である。

金太郎というのは源頼光の家臣で四天王のひとりといわれた坂田公時の幼名だが、

この坂田公時、実在したのかどうかは定かではない。

山姥に育てられ熊と相撲を取ったというから、どちらかといえば異界の出身である。

それが源頼光の家臣になり同じく異界の出身である酒呑童子と戦うというのも、

なにか不思議な感じはする。

この二人、出自は似ているが一方は鬼となり一方は英雄となった。

古代、この列島にいた、ちはやぶる神々とまつろわぬ人々、

まつろわぬ人々のなかからヤマトの王権に従うようになった者と最後まで

従わなかった者、この二人はそれぞれを象徴しているような気もする。

それはそれとして金時山。

坂田公時を祀る公時神社が登山口で、そこから森の中を登ってゆく。


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  仙谷ゴルフコース  ここのクラブハウスで昼食。
  食事後は息子はここの練習場で打ちっ放し、父親は金時山。

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  公時神社

歩きやすい登山道で、うぐいすや四十雀のさえずりが聞こえてくる。

神社から頂上までコースタイム75分。割と簡単に登れる山である。

登るにつれて風が強くなってきた。

頂上近くで振り向くと、大涌谷、仙石原、芦ノ湖が広がっていた。

コースタイムより少し早く70分で頂上着。

腰を痛めていてもコースタイムくらいでは登れるのかと少し安心した(^^;

富士山は上の方が雲で覆われているが、それでもいい景色である。


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  頂上手前からの眺め、左から、大涌谷 仙石原 芦ノ湖

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  頂上から富士山

風が強いのでしばらく休憩して乙女峠に下る。

稜線を辿り長尾山を経て乙女峠、木の根が出ていて歩きづらい道だった。

この乙女峠からの富士山も綺麗なのだが、やはり少し雲がかかっている。

ここから乙女口のバス停まで森のなかをくだって30分程。

バス停から車を停めた仙谷ゴルフコースはすぐそばである。

ゴルフコースの練習場で打ちっ放しをしていた息子と合流し宿泊予定の温泉へ。

温泉入って酒飲んでぐっすり寝て、翌日は箱根湿性花園を歩いて帰ってきた。


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  乙女峠への稜線の道

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  乙女峠の小屋は廃屋になっていた
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  乙女峠から富士山
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  乙女口への下山 つつじが咲いている
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  翌日、箱根湿性花園
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  箱根湿性花園に咲いていたヒマラヤの青いケシ
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  土産を買うのに立ち寄った箱根の関所

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