2021年03月

鎌倉

緊急事態宣言が終わり、久しぶりの湘南歌会。

新型コロナ以来、結社の歌会もメールかZOOMというのが殆どなのだが、

どうもそういう歌会にはイマイチ気が乗らなくて参加していない。

ということで、ひさしぶりの歌会、

生の歌会は今年に入って初めてである。

湘南歌会に出るときは時間があれば午前中に鎌倉を歩き、それから歌会に行っていた。

今回も午前中、ひさしぶりに鎌倉を歩きに行くがあいにくの雨。

とりあえず桜の咲いている若宮大路から鶴岡八幡へ。

新型コロナで観光客が少ないので段葛の桜もゆっくり眺められる。

満開一歩手前くらいで、天気が良ければさぞかし気持ちがいいのだろうが、

いかんせん雨、それでもやはり桜は綺麗だ。

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   若宮大路 段葛の桜

緊急事態宣言が終わって人は動き出しているようだが、

鶴岡八幡の境内も新型コロナ以前と比べると人はかなり少ない。

参道を歩いていると雅楽が聞こえてきた。

見ると舞殿で結婚式をやっている。

雨脚が強くなってきたので、ちょっと大変かもしれぬ。

源実朝暗殺のとき公暁がその陰に隠れたという本宮の下の大銀杏は10年前に倒れたが、

残った根から出てきた芽が大きくなって銀杏らしくなってきた。

あと100年もすれば大銀杏は蘇えるのかもしれん。


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  鶴岡八幡

お参りをして若宮大路を戻る。途中、鰻屋の茅木家が目にとまった。

人気の鰻屋で休日は観光客が行列していたものだが、

新型コロナで客が減っているのだろう、行列がなかったので入ってみた。

昔ながらの落ち着いた店内で、メニューはうな重とうな丼だけである。

うな重と肝吸いとビールを頼む。

歌会の前は必ず禊の酒を一杯ひっかけて戦闘モードに切り替えてから行くことにしている。

東京の歌会に出ていた頃は、たまに浅草あたりを歩き、あの辺に幾つかある鰻屋に入り、

鰻を食べてから歌会に行ったりしたものである。

その東京の歌会も、新型コロナで生の歌会はしばらく開かれていない。

うな重が来た。

蓋を開けるといい匂いがする。

どこだったか、うな重をたのんだら、蓋のついていないうな重が出てきたことがある。

うな重というのは蓋がついていて、蓋を開けたときに立ちのぼってくる鰻の匂いを味わう

もんだ、蓋のついてないうな重だすような店は鰻屋やめろと思ったものである(^^;

ふっくらした感じの鰻で美味い。

ぱくぱくと食べる。

ひさしぶりに美味しい鰻を食べた気分。

そのあとは江ノ電に乗り春の穏やかな海を眺めながら歌会会場の藤沢に向かった。

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  茅木家の鰻
 

タケノコ

アーチェリーの射場、この季節、常連はアーチェリーそっちのけで、

タケノコ掘りに没頭する。

3月末あたりまだタケノコはあまり地面に顔を出していない。

だから足で探す。

足で踏んで足の裏に伝わってくる微妙な違和感で地面の下のタケノコを探し出す。

達人になると3月末あたりでも地面の下の大きなタケノコを見つけるのだが、

凡人にはなかなか難しく、やっと見つけて掘ってみてもまだ小さかったり、

そんな感じである。

花が咲く時期がだんだん早くなっているようで、

射場のしだれ桜はもう花が終わり、

コースには石楠花が咲いている。

春の一日、桜の花が散ってくるコースでアーチェリーを楽しみ、

そのあとはタケノコ探しに没頭。

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   コースにはもう石楠花が咲いている
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  もう少し下に行くと全部黄色に入るのだが、当たりが集中しているのは良しとするべき

今はまだ難しいが4月に入ると探すまでもなく簡単に見付けられるようになる。

採れたてのタケノコは美味しい。

そういうタケノコを食べ慣れるとスーパーで売っているタケノコは不味くて

買わなくなる。売っているのは鶏冠の緑の雄のタケノコばかりだ。

美味いのは鶏冠の黄色い雌のタケノコ。

で、いかんせん凡人なので、達人のようには見つけられず、

結局、採ったタケノコは手のひらサイズ(^^;

見かねた常連仲間がひとつ譲ってくれて、

ひとつは野菜と一緒に炒めて晩飯のおかずにし、

もうひとつは翌朝の味噌汁に使った。

手のひらサイズだったが美味かった(^^

4月はせっせとタケノコ掘るぞ~。


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  達人はこれくらい掘る

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  凡人が掘ったのはこれだけ(^^;

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    見かねた常連仲間がひとつくれたが、たいして変わらないじゃないかという...(^^;;

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   射場にあらわれたタヌキ

射場整備

アーチェリーの射場をクラブで運営するようになり、

月に一度、自分達で射場の整備をすることになった。

コースの的が傷んでいれば交換しなければならないし、

山道の階段が壊れていれば修理し、

倒木があれば片付けて山を守らなければならない。

一月と二月は竹を伐った。

竹林の整備で竹を伐るのは冬の間にやるんだそうで、

百本以上の竹を伐って山から降ろした。

ちなみに竹を百本伐ってもかぐや姫には出会えなかった(^^;

先日の日曜は練習場の30mの的の畳の取り換えと使わなくなった的の取り壊し。

取り壊した練習場の的は、材木をコースの的や階段に再利用するので、

使えるように解体した。

結構疲れた(^^;;

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  30mの的の畳交換
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 使わなくなった的の取り壊し

それはそれとして、自分達で運営するようになって、さぼれなくなった(^^;;;

クラブの仲間達が月に一度集まって木を伐ったり運んだり、

コースの修理をしたり的の交換をしているのに、

自分は遊んでいるというわけにいかない。

しかし、そうやって気張ってしまうと負担になってしまいそうだ。

それでは続かなくなるだろうから、都合で射場整備に来られない人はそれでいいよ~、

という緩い感じでいた方がいいのだろうな。

もちろん、任意参加のクラブだから誰も射場整備への参加を強制しているわけでは

ないのだが、それにしても今年に入りクラブで運営するようになってからの

射会や射場整備への会員の出席率はかなり高い。

みんな気張らずに長くやりましょうね(^^

ところで、当日は常連のひとりがクッキングストーブを射場に持ってきた。

射場に置いておくから好きに使ってくれとのこと。

別の常連は射場にティピーテントを常設しようと企んでいる。

そういえば、射場に置いておいた椎茸とヒラタケの榾木、古くなってしまったので

新しい榾木を買おう。上の畑に植えた自然薯も今年あたり収穫できるだろう。

うちの射場はいい年した大人達の遊び場である。


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 常連が持ち込んだクッキングストーブ

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 枝垂桜が咲き始めた

 

ランドセル

学校に残されてある泥付きのランドセルこちんこちんと朽ちる

                          / 『遠浅』斎藤梢

 

東日本大震災から10年が経った。

斎藤梢のこの歌の学校がどこなのかは知らないのだが、

10年前の津波で多くの犠牲者を出した大川小学校に行ったことがある。

北上川を遡った津波に呑まれ、74人の児童と10人の教師が死んだ。

北上川沿いに走り、向こうに大きな河口が見えるあたりに大川小学校の廃墟はあった。

遠景の靄のなか、北上川の河口が異様に大きく見えたのは、

地震に伴う地盤沈下で川の両岸の低地が沈下し、

両岸の小高くなったところまで北上川の河口が広がったためだ。

それはまるで大きな川の流れつく向こうに海がぼっかり口をあけているようだった。

大川小学校の入り口に車を停めた。

震災直後、学校の開いた説明会で生き残った教師は「裏山に倒木があった」と証言した。

数か月後、その証言は「倒木があるように見えた」と修正された。

私が行ったとき、裏山に倒木は見えなかった。

裏山に避難していたら、子供達は死ななかったのだろう。

その辺のことは以前にもこのブログに書いた。

あの学校にも、こちんこちんと朽ちたランドセルがあったのだろうか。

子供達の夢が奪われたあとに残った泥付きのランドセル。

それを見たものにしか詠えないような歌である。

東日本大震災のあと、短歌の世界ではちょっとした論争があった。

震災を詠う、詠わない。

震災を経験してもいないのに、新聞やテレビの報道、特に画像から歌を作る。

そういうことに忌避感を覚える人もいたわけである。

真面目にそういう論争を聞いていたわけでもないのでよく分からないのだが、

当時、新聞歌壇でも選者の間で「いい歌なのだが作者の住所を見ると被災地ではなくて」と

その辺に引っ掛かりは覚えたらしい。

不真面目な歌詠みなので、その後の論争の推移はあまり知らない。

ただ、私も被災者ではなく家族や友人を失ったこともないが震災の歌を詠んだ。

震災のあとの早い時期に詠んだのがこの歌である。

 

  陸前高田氷上の山の辛夷の木いつか灯りのごとく咲くべし

 

陸前高田の街が津波で壊滅したことをニュースで知ったとき、

津波に浚われた人達の魂がいつか故郷に帰ってくるときに、

何もなくなってしまった故郷が分かるように、氷上の山の辛夷の木、灯りのように咲け。

そういう鎮魂の思いで詠んだ。

この歌もニュースで聞いて映像を見て作ったのだが、

そのことを別に恥じてはいない。


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  北上川 ここから南に流れ石巻で海に注ぐ

伊豆

緊急事態宣言がまだ解除されていないのに怪しからんと怒られてしまいそうだが、

2月末の週末、伊豆に行ってきた。

毎年、2月末、確定申告の折り返し地点で伊豆に行って骨休めをしている。

毎日、日付が変わるあたりまで仕事をしていると、

骨休めのひとつもしないとやっていられなくなる。

不要不急の外出自粛は重々分かっているのだが、

仕事で体をつぶさないためには骨休めも必要ということで勘弁して頂きたい(^^;

かつては横浜から近い熱海あたりに行っていた。

友人の税理士が下田に引っ越してからは、そこに泊めさせてもらうようになり、

持つべきものは温泉付きのリゾートマンションを持っている友と

しみじみ思ったものである(^^;;

しかし、今年は新型コロナ。

泊めさせてもらうのは遠慮し、昨年買った車で走りを楽しみがてら河津に出かけた。

横浜から一国を走り西湘バイパス、そこからターンパイクを登って箱根。

途中、いかにも走り屋という感じの車が2台、猛スピードで走り下っていった。

大観山でさくっと富士山と芦ノ湖を眺め、伊豆スカイラインへ。

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   ターンパイク大観山からの富士と芦ノ湖

南に向かって走ると左に相模湾、右に駿河湾と富士山。

天気の良い日のスカイラインは眺めが良くて走っていて楽しい。

冷川でスカイラインを降りて浄蓮の滝に立ち寄り、新天城トンネルを抜けて河津を目指す。

この辺の道も新緑や紅葉の頃は気分が良くて、

ぶんぶん突っ走っていると石川さゆりの「天城越え」がオートリバースで頭のなかに

聞こえてくる道である。途中、河津桜もあちこち綺麗に咲いている。

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  伊豆スカイラインから相模湾
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  同じ場所から反対側の駿河湾

ループ橋をくだると河津、思っていたより早く着けた。

ただ、驚いたのは川沿いの河津桜がもう盛りを過ぎていたこと。

2月末は例年なら一番満開になっている頃なのだが、今年は暖かいのか。

毎年開かれる桜まつりも新型コロナのために中止で出店も少ないが、

それでも人出はそれなりにある。

しばらく川沿いの遊歩道を歩き、終わりかけた河津桜を眺めて、今日の宿泊の今井荘へ。

河津から少し離れた今井浜のホテル。

部屋からは伊豆諸島の大島から神津島まで見える。

確定申告の骨休めで海を眺めながら酒を飲み、温泉に入り体を癒す。

ぐっすり寝て翌日は海岸沿いに走る。

途中、あちこちに桜、菜の花、木蓮、こぶしが咲いていた。

河津桜だけでなく、大寒桜や大島桜など伊豆は2月あたりからいろいろな桜が咲く。

すっかり花の季節の伊豆を走り抜けて横浜に帰った。

さて、確定申告後半戦である。


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  河津桜 残念ながら盛りを過ぎていた

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  河津桜と菜の花
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  今井荘からの眺め、正面にうっすら見えるのは伊豆諸島の利島、
  右のほうに新島と式根島、さらに右端に神津島

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