国連難民高等弁務官事務所の外郭団体、国連UNHCR協会からのメールニュースを転載します。
転載の許可は受けています。 ひとりひとりの寄付はたとえ僅かでも、 その僅かな寄付が世界のどこかで苦しんでいる難民の誰かを救うかもしれません。
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2021年02月
五輪組織委員会の森会長がくだらない発言をして辞任した。
本人は軽い冗談を言った程度の認識だったんだろうが、
あの年まで生きてきたのなら時代が変わっていることくらい認識すべきだし、
それ以上に謝罪会見に問題があった。
危機管理が出来てないというか、その辺の認識が根本的に欠如していたのは、
たぶん本人だけでなく、五輪組織委員会自体がそうなのだろう。
わざわざ海外にまで恥をさらすようなことはしてほしくないものである。
それはそれとして、少し驚いたのはスボンサーが声をあげたことである。
ことはジェンダーに関する不適切な発言だが、多少なりとも政治がからむ問題に
スポンサーはあまり口を出さない方がいいような気がした。
まして、今回こうやって声をあげて次のオリンピックはどうなるのだ?
最初に目についたのが新聞に出ていたトヨタの声明。
そのあとはアメリカの放送局NBCがかなり拒否反応を示したとか。
企業は株主の意向を無視できないし、社会的存在としても、
今回のようなことは受け入れがたいだろう。
オリンピックの精神に反するというのも分かる。
では、自由と人権を抑圧し、チベットやウイグル、内蒙古で少数民族を弾圧し、
ジェノサイドの疑いについて国際的に非難を浴びている国での
次のオリンピックはどうなるのだ。
ウイグルでのジェノサイドと集団レイプの疑い。
チベットにおける弾圧は毎年ヒマラヤの雪の峠を命がけで越えてくる難民を生んでいる。
自由と人権の抑圧は疑いのレベルではない。香港で世界が目の当たりに見たことである。
そういう国でのオリンピックはオリンピックの精神に反しないのか?
今回、ジェンダーの問題で声をあげたスボンサーは
次のオリンピックでは沈黙するのだろうか?
NBCはオリンピックを放送するはずだし、トヨタは冬季北京オリンピックについて
協力を推進している。他にもスポンサーになっている日本企業はある。
彼等は次のオリンピックでは沈黙するのか?
既に中国共産党系のメディアはオリンピックをボイコットすれば制裁すると言っている。
あるいは、80を過ぎた老人はいくら叩いても報復してこないが、
中国は報復してくるから何も言わないということなのだろうか?
今回、白いスーツを着て抗議の意志を示した議員の方々には、
自由と人権の抑圧、ジェノサイドと集団レイプの疑いについても是非、声をあげて頂きたい。
そのときは抗議である以上、場違いな笑顔などは不要である。
地下鉄センター北駅の近くにあるカレー屋、アジョワン。
年に一回、確定申告を頼まれているお客さんが近くにいて、
そこに行くとここで昼食を食べることにしている。
つまり一年に一度しか行かないカレー屋である。
緊急事態宣言であるいは休業しているかと思ったが、行ったらやっていた。
メニューを見ると冬限定で牡蠣カレーなるものがあって、それも美味しそうだと思ったが、
とりあえずオーソドックスなところでチキンガーリックカレーを注文。
前はアルコールを置いていなかったのだが置くようになったのでランチビールも頼む。
ビールを飲みながらなにやら少し寒いなと思ったら、
厨房の横の勝手口のドアが少し開いてる。
なるほど、コロナ対策の換気、飲食店はみんな大変である。
カレーがきた。
ここのカレーはスープカレーで、取っ手のついた小さな鍋で出てくる。
鍋の中はぐつぐつ煮えていてスパイシーな香りがする。
スープをひと口、大辛を頼んだので結構辛いのだが美味い。
チキンはライスと一緒に出てくるので、テキトーに切ってからカレーをかけて食べる。
カレーに入っているジャガイモと人参は柔らかくてスプーンで簡単に切れる。
スパイスが効いていて食べていると額に汗が出てくる。
美味い。
カレーはもともとインドのものだが日本にはヨーロッパ経由で伝わり、
本場インドのカレーとは違う進化をしてきた。
インド人もびっくりインドカレーというキャッチがあったが、
いわゆる日本式のカレーはインドにはなかった。
最近はCoCoICHIがインドに進出したりして、
知られるようになっているらしい。
日本食って海外ではヘルシー感があるわけで、
インドのカレーも東南アジアのカレーもそれぞれ美味いのだが、
それと異質なジャパニーズカレーはジャパニーズカレーで、
充分渡り合える気がする。
一年に一回、アジョワンのカレーを食べるとそんな気がする。
ぱくぱく食べて完食。
うん、美味しかった。
金色にラッパひからせ豆腐屋があらはれさうな夕焼である
/ 塔一月号 安永 明
白状してしまうと結社誌をあまり読んでいない。
読まなくていいと思っているのではない。
読む暇がないのだ。
そういう不良会員なのだが、
仕事に追われていた一月が終わったところで、
短歌の世界にちょっと戻ってみようと結社誌をぱらぱら捲っていたら、
この歌が目にとまった。
そういえば昔、「ト~フィ~、ト~フィ~」とラッパを吹いて、
豆腐屋が自転車で豆腐を売りに来ていた。
あのラッパは真鍮で確かに金色をしていた。
ラッパが聞こえると割烹着を着たお母さんたちが出てきて
豆腐や納豆を買っていたものだが、
いつしかスーパーに駆逐されてそういう豆腐屋は姿を消した。
というか、朝早い豆腐屋の仕事は後継者も少なかったのだろう。
過ぎ去った時代の懐かしい風景が浮かぶ歌である。
初句5音のうち3音がイ音で、歌の後半にはア音が多い。
それが締まりのある詠いだしと後半の歌の安定をもたらしているような気がする。
何気なく詠っているようで一首の構成はうまい。
夕焼けの歌は追憶に流れやすくなるわけだが、
金色のラッパに着目したところが歌を甘い追憶で終わらせていない。
大抵はラッパの音を持ってくるところ、
豆腐屋の使っていた小さな真鍮のラッパの金色に着目したのがいい。
たまに結社誌をぱらぱら捲って誌面の隅にいい歌を見つけると、