怒るべきものを怒れといにしえの金剛力士像ひとつ立つ
/ 窪田章一郎『雪解の土』
NHK短歌の1月号を読んでいたらこの歌が目にとまった。
「怒るべきものを怒れ」
この当たり前のことを、世の中で生きていると忘れることがある。
忘れるというより、怒らないことが大人の態度だという風潮が世の中にはあるのだが、
実のところそれは処世術でありこそすれ大人の態度ではない。
この辺勘違いした向きは結構いるわけで、
私も歌会のあとの飲み会で、そういう大人講釈を聞かされたことが何度かある(^^;
怒るというのはエネルギーがいるのである。
怒らないでいる方がエネルギー使わないですむわけで楽なのだが、
大人は怒るべきときは怒らなければならない。
いつのまにか怒るべきときも怒らないでいる自分がいる。
それはその方が楽なのかもしれず身に沁みついた処世術なのかもしれない。
面白い歌である。
それはそれとして、この歌が目にとまったのは、
実は似たような歌を自分が詠んでいたからである。
怒らない日本人なんか嫌いだと金剛力士像夕暮れに立つ
/ 関野裕之 『石榴を食らえ』
似ているので驚いた。
念のため書いておくが、私がこの歌を詠んだとき、窪田章一郎の歌は知らない。
私の歌は奈良の法隆寺の金剛力士像から着想を得たものだった。
古代の芸術の素晴らしさを目の当たりにしたとき、
ミケランジェロのダビデ像にも比肩する芸術を生み出した古代の日本人から
現代の日本人に思いを馳せて詠んだ。
そういう意味であるいは私の歌の方がちょっと政治的なニュアンスは
感じられるかもしれない。
窪田章一郎がどういう着想から「怒るべきものを」の歌を詠んだのかは知らない
のだが、あるいは似たような着想からかくも似た歌が詠めるものかと、
下の練習場の片付けもすすんできた。一番左側の30mの的だけ残して、
他は片付ける予定。