2020年12月

ぜひもなし

  感情は理性を超えるものなればぜひもなし椿まつかに咲けよ

                           / 馬場あき子

 

「ぜひもなし」と言い切っているところがいい。

これだけ涼やかに言い切られると気持ちがいい。

上句と下句をいかにつなげるか、短歌を詠む人間ならみな悩むところだが、

つなげかたで気を付けることのひとつが、因果関係を感じさせない、ということ。

しばらく前の歌会で、やはりこのつなげかたで気になったのだ。

上手な歌だった。

上手な歌だったのだが、それ以前の歌会で同じような上句の表現の歌が出ていて

作者が分かった。

同じ上句を使って試行錯誤しているのだろうと思ったのだが、

なまじ作者が分かり、同じような上句で作っているのが分かったので、

下句へのつなぎかたに、わざとらしさを感じた。

総評の人が「上句と下句に因果関係がないからいい」というようなことを言っていたが、

むしろそれが気になったのである。因果関係がないようにつなげる、

それが透けて見えていた。

しかし、それは以前の歌会で同じような歌を見ていた、ということで

予断の入った批評になるかもしれないので、それ以上は言わないでいた。

長く短歌をやっていると、パターンのようなものが身に付く。

作歌のパターンもあるし批評のパターンもあるわけで、

そのパターンを頭に入れて歌を作り、そのパターンに当てはめて批評をする。

短歌を長くやっているとそうなるのかもしれないが、それが嫌なのだ。

そういうふうに短歌を作り批評をしていると、

歌が小さくなってしまう気がする。

そういうことを忘れずに短歌と向き合っていきたい。

ぜひもなし。

いい言葉だ。


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野毛

仕事で桜木町に行ったついでに久しぶりに野毛に行ってみた。

桜木町の港側には華やかなみなとみらいがあるが、

それと逆の山側の方にあるのが横浜の庶民的な飲み屋街、野毛。

若い頃、山岳会の集会が終わると野毛で飲んでいた。

何軒もはしごして終電で帰るのは当たり前だったし、

終電を逃して朝まで飲んだり、その辺のビルの廊下に入り込んで新聞紙ひいて

寝たりしたものである。

若い頃だったから出来たわけで、今は山岳会もOBになり、

そんなふうに飲みに行くこともない。

地下道を通ってみなとみらいとは駅の反対側の野毛に出る。

叶屋という安い飲み屋があり、山岳会の集会のあとはここが一軒目だったのだが、

今年、閉店した。ちなみにこの叶屋、樹木希林の実家である。

その先で左に折れて鳥良。

ここが集会のあとの二軒目だった。

鳥良は今もやっていて、暖簾をくぐる。店の様子は昔のままである。

家族でやっているのも昔のままで、店員の娘さんもそのままだ、

というか、そのまま確実に年は取っているのだが。

結構繁盛していてカウンターに座る。

スクイーズというグレーブフルーツまるごと一個使ったサワーが名物で、

それと馬刺し、大辛、爆弾を頼む。

馬刺しはよくある冷凍を解凍した薄いやつという感じでなく柔らかくて美味しい。

大辛というのは手羽先、甘口、中辛、大辛とあるのだが、

常連はいちいち手羽先などと言わない、大辛5人分とか、そんなふうに注文する。

爆弾はニンニク1個をそのまま焼いたやつ。

若い頃の懐かしい味が出てきた。

テキトーに飲んで勘定して帰ろうと立ち上がったら、カウンターの内側の親爺さんが

話しかけてきた。「ああ、ひさしぶりです。顔見て思い出しました」

正直驚いた。ここに来たのは20年振りくらい。よく覚えていてくれた。

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   野毛 鳥良
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 スクイーズと馬刺し
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 手羽差しの大辛

鳥良を出て、鷹一に行ってみる。魚が美味しい店だったが、予約で一杯。

浜幸はどうだと行ってみると、ばかなべの看板には灯りが着いているが店は閉まっていた。

ばかなべ、馬と鹿の肉の鍋が美味しい店だった。

この店の親爺も結構な年だった。たぶん代替わりはしているだろう。

で、先月、癌で死んだ山仲間が好きだったパパションに行ってみる。

開いていたが貸し切りということで入れなかった。

新型コロナにもめげず、金曜の夜の野毛はなかなか頑張っている。

パパジョンのバーテンダーは二代目とは違う顔に見えたがあるいは三代目だろうか。

結局、そのあとスコッチのバーに入り、ウイスキーを飲んで帰った。

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  スコッチのバー
 一番美味しいスコッチくれと言ったらバーテンダー考え込んだので、
 一番のお薦めはと言ったら、このスコッチ。
 酔っぱらっているのでなんという銘柄か当然覚えていない。

若い頃、仕事で歩いた関内、桜木町。飲んで歩いた野毛。

ひさしぶりに歩いたとき郷愁のようなものを感じた。

考えてみれば20代、30代、山の仲間と野毛で飲み歩いていた。

その山の仲間も遭難や病気でひとり去りふたり去り。

憎まれっ子世に憚るではないが、

俺は今も働いて、たまに山に登り、酒も飲んでいる。

そのうちまた野毛に飲みにこよう。

なにしろ、鳥良の親爺が20年経っても覚えていてくれたのだ。

飲みに行かないわけにいかないだろう。

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 みなとみらい 日本丸と大観覧車

 

 

オオスズメバチ

アーチェリーの射場、午前中にコースを一回りして山から降りてきたら、

焚き火の横に妙な塊があった。

見ると、オオスズメバチの巣。

しばらく前から射場の山の一角にオオスズメバチが巣を作っていて、

コースにもたまに飛んできたりして問題になっていた。

巣の前に駆除用のシートを置いたら、

匂いに誘われたオオスズメバチが沢山くっついていた。5cmくらいある大きな蜂。

こんなのに刺されたらたまったものではない。

別に駆除シートで駆除できたわけではなく、

11月も末になり、新女王蜂が巣立ち、古い女王蜂が死に、巣は空っぽになったのである。

それを掘り出したのだが、焚き火の横に置いてあるのはその巣の一番下の部分だけで、

この上に何層にも重なった大きな巣だったわけである。

実は高校生のときオオスズメバチに刺されたことがある。

体育の授業で学校の裏山を歩いていて刺された。

オオスズメバチは土の下に巣を作るので、

気が付かずに巣に近づいてしまうと、わっと出てくる。

他の種類の蜂は近づいたくらいでは攻撃してこないが、

オオスズメバチは巣に近づいただけで攻撃してくるので結構危険である。

刺されたときは凄かった。

蜂に刺されてチクリなんてもんじゃない。

後頭部を刺されたのだが、棍棒で殴られたような衝撃があった。

刺された瞬間、ガーン!という音を聞いた覚えがある。

咄嗟に見えないまま後頭部を手でバシッと叩き、

すぐあとで病院に行ったら、

後頭部に、頭を飛ばされて胴体だけになったオオスズメバチが刺さったままの状態でいて、

看護師さん達が驚いていた。

辛うじて返り討ちにはしたということか(^^;

というか、ミツバチは一度刺して死ぬというが、

オオスズメバチは何度でも刺すことができ、繰り返し攻撃されると命にかかわるわけで、

咄嗟に見えないまま叩いた手がオオスズメバチをつぶしていなかったら、

さらに危険だったのかもしれない。

実際、一度刺されただけで下顎から首にかけて痙攣していた。

そのあとその病院で解毒剤を注射されたのだが、

牛乳瓶を二倍にしたような太い注射器には驚いた。

そ、それを注射するの! とビビッたのだが、

注射してくれた看護師さんが美人だったのがせめてもの救いだった(^^;;

ともあれ、そういうオオスズメバチは巣を作るし、

台風がくれば倒木もまたあるだろう。

来年からこの射場の山をクラブで管理していくわけだが、

前途は多難である(^^;;;


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