2020年11月

京都2

京都二日目、ホテルを出て清水に行く。

四条通から花見小路に入り、突き当りの建仁寺のところを左に折れて安井金毘羅宮、

境内を抜けて東大路通を渡り高台寺への道から矢坂の塔のほとりを三年坂へ。

そこを登って七味唐辛子の店のところで清水坂に出、そこを行けば清水寺。

河原町のホテルからのんびり歩いても40分くらいで清水寺に着く。

朝早いので人通りは少なかったが、むしろそのくらいの方が感じがいい。

そういえば、ここしばらく海外からの観光客の多い京都だった。

それが悪いというわけではない。

むしろ、海外の人達にこの国のことを知ってもらえる方がいいわけで、

そういう観光客がいればそれはそれで嬉しいのだが、

いかんせん、人が多すぎるというのは問題だった。

タクシーの運転手も言っていたが、人が少なくなってこれが本来の京都なのかもしれん。


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   花見小路 朝は人通りがない
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  安井金毘羅宮
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  矢坂の塔
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  三年坂 ここで転ぶと三年以内に死ぬんだそうな。
 転ぶなら下の二年坂か上の清水坂にしておいた方がいいかもしれん。

清水寺はしはらく工事をやっていて舞台が幕で覆われていて、

それが終わったというので来てみたのだが、

確かに舞台は幕で覆われていなかったが、工事はまだ終わっていないようで、

舞台の下の方は足場がそのままだった。

紅葉はやはり盛りをちょっと過ぎたかなというくらいだが、

やはり秋の京都はいい。

決して人の多くはない清水を歩き茶わん坂をくだり市街に戻る。

京都駅で土産を買い、晩飯にいづうの鯖寿司を買って新幹線で帰る。

これが美味くて京都の帰りにはいつも買って帰るのである。

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  清水寺


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  清水の舞台 舞台を覆っていた工事の幕は外れたが、
 下の方はまだ工事が終わっていない。

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  いづうの鯖寿司、美味しい。
 

京都

京都に行ってきた。

年に一度は行きたいというところがある。

残雪期の上越の山、秋の上高地、それと京都・奈良。

あと、年に一度は海外に行きたいのだが、新型コロナで当分それはかないそうにない。

新横浜から新幹線で2時間かからないくらいで京都に着く。

タクシーに乗って高雄の神護寺へ。

運転手に、新型コロナで海外からの客が来なくて厳しいですかと聞いてみたら、

「むしろ元に戻ったという感じです。京都を観光するなら今がチャンスですよ」とのこと。

確かに、海外からの観光客が集中して地元の人達の生活に影響するような状態だったから、

落ち着きを取り戻したというところなのだろうか。

30分くらいで神護寺の入り口に着く。

国道から清滝川を挟んだ向こうに寺はあるので、

一度、谷にくだり高雄橋を渡って階段を神護寺に登ってゆく。

タクシーの運転手は「天国に続くような階段」と言っていた。

「階段が急で心臓止まるんですか?」と聞いたら、

「いえ、そんなことありません」と笑っていた。

登ってみると心臓が止まりそうな階段ではないが、登り甲斐はある階段である。

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  国道から清滝川への下り口

紅葉は盛りを過ぎたかなというくらいだが、まだまだ十分綺麗。

途中、茶店があったので休憩してひやしあめを飲む。

関東では「ひやしあめ」は見かけない。

始めて京都でメニューにひやしあめを見たときは、

「ひやしあめって何?  冷やした飴?」と思ったものだが、

関西の方の飲み物でショウガが入った素朴な味である。

茶店からもう少し登ると神護寺の境内に出る。

紅葉のなかに幾つかの伽藍があり落ち着いた雰囲気。

金堂の前にまた幅広の階段がある。どこまでも階段の好きな寺である。

金堂に入り仏様を見る。神護寺の本尊は薬師如来だが、

その左右の十二神将と四天王に目がいく。

仏像はその造形が好きなのだが、綺麗に落ち着いている大仏や如来より、

表情に人間らしさがある八部衆、十二神将、四天王、そういう仏像が好きなのである。

神護寺が創建されて1200年、仏様はみないい顔をしていた。

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  高雄橋を渡り階段をのぼる
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  途中の茶店でひやしあめを飲んで休憩
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  神護寺の境内
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  幅広の階段の上が金堂
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  金堂
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  金堂と紅葉

高雄から京都盆地に戻り、仁和寺に行く。

仁和寺も神護寺と同じくらい古い寺だが、代々の門跡が皇族から出ていて、

つまり、格の高い寺ということなのだろう、敷地も広い。

この仁和寺、昔話にも出てくるのだが、

どうも、この寺の坊さんは昔話のなかであまりいい役はしていない。

むしろ滑稽な坊さんが多いのだが、

皇族が門跡を務める格の高い寺ということで気位が高くて庶民には鼻についたのか、

あるいは実際に滑稽な坊さんが多かったのか、どちらなのだろう?

この寺は庭園が綺麗である。白砂と松と紅葉、見ていると心が落ち着く。

御室桜が有名なところで、今度、桜の季節に来てみたい。

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  仁和寺
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  庭園
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  庭園 ちょっと角度を変えて
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  庭園
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  仁和寺の五重の塔
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  仁和寺 金堂

このあと、嵐電に乗り市街に戻り、歩いて錦市場に行き遅い昼飯を食べて、

河原町のホテルにチェックイン。夜はいつものように先斗町で飲んで晩飯。

京都で泊まるときは食事なしのホテルに泊まり、夜はたいてい先斗町あたりで飲んでいる。

長くなったので続きはまたあとで。


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  錦市場
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  先斗町

難民 2020年防寒支援

国連難民高等弁務官事務所の外郭団体、国連UNHCR協会からのメールを転載します。
転載の許可は得ています。
新型コロナは世界の難民の状況をさらに悪化させています。
彼等は厳しい冬を迎えようとしています。
ひとりひとりの僅かな善意がいくつかの命を救えるかもしれません。



 

 

UNHCR2020年防寒支援

 

 

 

「燃料を買えない時は、プラスチックやナイロン製の服を燃料がわりにストーブに投げ入れて、寒さをしのいでいます」

 

シャキバ(67歳、シリア難民)

 

関野様

 

国連UNHCR協会事務局長の星野守と申します。

 

日頃より難民支援活動に力を貸してくださり、ありがとうございます。

 

今日は、緊急のとても大切なお手紙のことでご連絡差し上げています。本日、下のような封筒に入ったお手紙を関野様にお送りしました。

今すぐ寄付する

ホームページから今すぐに防寒支援のためにご寄付いただけます。

今すぐ寄付する
(所要時間約2分)

ご寄付は寄付金控除の対象になります。

 

お手紙では、この冬、劣悪かつ密な環境で暮らす難民を過酷な寒さだけでなく、新型コロナウイルスが直撃していることや、難民を過酷な寒さと新型コロナウイルスという二重の苦しみから守るためのUNHCRの取り組みについてお伝えしています。

 

お手紙はこのような封筒に入っています。ぜひ封筒を開いて中のお手紙をお読みください。

 

お手紙は数日中にお手元に届くかと思います。ぜひともお読みいただき、この特別な冬に一人でも多くの難民の命を守るために「UNHCRの2020年防寒支援にご協力いただけないでしょうか。

 

関野様のご支援があれば、冒頭で紹介した67歳のシャキバさんのような難民は、過酷な寒さから身を守ることができます。

 

国連UNHCR協会
事務局長 星野 守

 

 

P.S. 今すぐに「UNHCR2020年防寒支援」にご協力いただける場合は、こちらのページから簡単にお申し込みいただけます。おいくらでもご無理のない金額のご寄付で、過酷な寒さと新型コロナウイルスから難民の命を守ってください。

 

今すぐ寄付する
(所要時間約2分)

 

 

 

 

特定非営利活動法人 国連UNHCR協会

0120-540-732(通話料無料)

または 03-4366-7373[平日10時~19時]

 

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飛べないおやじ

「その眼鏡じゃ無理だったかもね、取っても無駄になっていたかもしれないね」

アーチェリーの射場の常連仲間Sにそう言われた。

常連仲間のS、航空高校を卒業して飛行機の操縦が出来る。

母校で体験飛行が出来るということで、行きたいなと思っていたのだが、

最近、眼鏡を新しくしてそう言われた。

どうも、右と左の視力差がかなりあって、両方とも見えるようにすることは出来るのだが、

視力の悪い方をそれだけ強く矯正するとバランスの関係で違和感を感じるだろうと

いうことで、視力の悪い方はちょっとぼんやりする感じで眼鏡を作っている。

それが効き目の方なので、アーチェリーやっていて、ちょっとやりにくいのだが、

それは仕方ないとして、

そういう状態だと、飛行機の操縦免許の身体検査で引っ掛かるだろうということ。

若い頃、飛行機の操縦に憧れていた。

税理士試験の勉強をしている頃、本屋で税理士試験の受験雑誌を買うついでに

航空関係の雑誌を手に取って見たりしていた。

当時は眼鏡をかけていたら飛行機の操縦免許は取れなかったのである。

だから、かなわぬ夢という感じでそういう雑誌を読んでいたのだが、

数年前、本屋で航空関係の雑誌を見付け、懐かしくなって手に取ったら、

なんと!?

矯正視力でOKになっているではないか!

えっ!?   いつ法律変わったの?   眼鏡でも飛行機操縦出来んの!?

再び免許が欲しいなと思ったのだが、仕事も忙しく、

手っ取り早くアメリカに行って免許取るにしてもそれなりに日にちはかかるわけで、

ちょっと無理かなと夢は夢で終わっていた。

そこにアーチェリーの常連仲間のSに母校で体験飛行が出来ると言われ、

行きたいなと思っていたのだが

調べてみると、視力の他にも視野とか血圧とかいろいろあるらしい。

飛行機の操縦免許を取り、

宮崎駿の『紅の豚』を気取って、

「飛べないおやじはただのおやじだ」と嘯きたかったのだ(^^;

やはり夢は憧れたときに着手しなければダメだ。

いずれ手をつけよう、なんて思っていたら、

夢は夢で終わる。

若者よ、夢に挑むことを恐れるな。


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  アーチェリーの射場の森

歌会

ひさしぶりの横浜歌会。

例によって気になった歌。

誌面発表前なのでここには出せないが、

ひと気ない街道の・・・秋の深きに菊白く立つ、

そんな歌意の歌。

この歌の批評でほとんどの人が、家の建っていない街道を思い浮かべていた。

で、家の建っていない野のなかに続く街道で咲いているのは道端の野菊であろう、

「菊白く立つ」というと鉢植えで作られた大輪の菊のようで、違和感がある、

そんな感じの批評。

で、私は「この街道には家は建っていないんですか?」と質問したのだが、

家は建っていない、という答えがほとんど。

う~ん。木曾街道の妻籠、馬籠とか、古い家並みが続く街道って日本には当たり前に

あって、そういう家並みの続く田舎の街道のひと気のない秋の一日、庭先や玄関先に

白や黄色の菊の鉢植えが置いてあるとかいうのはフツーにある風景である気がするのだが、

そういう読みの可能性は一言も触れられず、批評は終始「家の建っていない街道」だった。

「菊白く立つ」は確かに野菊のイメージではない、大輪の菊のイメージである。

そういう大輪の菊が立っているのは野に続く街道の道端ではあるまい。

そうやって読みを検証していったとき、古い家並みの続く街道のひと気のない秋の一日

というイメージは浮かばないだろうか?

と思いつつ批評を聞いていた。

実は、この歌、私の歌である。

で、歌会が終わってから吾が師匠、岡部史さんに聞いてみた。

「あの歌、家の建っていない街道という感じがしましたか?

「そうねえ、『ひと気なき』で、もうそういう方向に行ったね」

なるほど。確かに、街道には街と街の間の家並みのないところに続いている街道も

あるわけで、この表現で意図した方向に読めるだろうと期待し過ぎたかな

ま、参考にして推敲してみよう。

この歌については自分の歌だったので、批評に対する疑問についてそういう質問を

したわけだが、実は当日の歌会で、こういうことがあった。

絵のなかの女性の目が濡れている、描いているマネを見つめる瞳、

そんな歌意の歌で、

上句の強さの理由について意見を求められて私は、「いい女だったんじゃないの?」と答えた。

するとある出席者が「違うよ、モデルの方がマネを好きなんだよ」と言った。

それを聞いて、「ああ、この人の歌だな」と思ったのだが、

歌会では自分の歌について自解あるいは自分の欲する方向に読みを誘導するような

発言は控えるべきである。

歌会に歌を出すのは、自分の歌を第三者の目にさらし、その評価を聞くためである。

それを最初から、この歌はこういう歌ですと自解してしまったり、こういうふうに

読んでください的に誘導してしまっては、歌会に歌を出す意味がない。

くだんの歌についても、モデルの方がマネが好きで描かれながらマネをみつめている、と

表現したいのなら、もう少し推敲が必要だろう。

描くのは画家である。画家の方にモデルに対してなにがしかの気持ちがあれば、

それは絵にあらわれるだろうし、逆にそういう気持ちがなければモデルがいくら目を

うるうるさせても、画家はそうは描かないかもしれない。

その辺の批評を聞くためには、自解してしまっては意味がない。

自分の歌への批評についての疑問を質問する場合も、

誘導的な質問の仕方にならないよう気を付けるべきである。

ちょっとその辺が気になったのである。


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  歌会のあとは飲み会、さんまの塩焼きがあったので、それを塩抜きで作ってくれと
注文したらちゃんと作ってくれた。美味しかった。

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