2020年09月

諏訪

週末、ちょっと走りたくなって諏訪に出かける。

東名から圏央道・中央道と乗り継ぎ2時間ちょいで諏訪に着く。

コロナで自粛していたが自粛も辛抱できなくなりGoToトラベルも始まって、

それなりに走っている車は多い。

諏訪インターで降りて諏訪大社へ。

諏訪大社というのは一か所ではなく上社の本宮、前宮、下社の秋宮、春宮がある。

今回訪れたのは上社の本宮と下社の秋宮と春宮。

まずは諏訪大社の本宮。

前にも来たことがあるのだが、着いた時間が早かったせいか人が少なくて雰囲気が良い。

諏訪大社の祭神は建御名方神、出雲の大国主命の次男である。

古事記では出雲の国譲りのときに国譲りに反対して戦い敗れて、

諏訪に逃げたということになっている。

古代、出雲の勢力、あるいは出雲と交易していた勢力は日本海沿いに広がっていた。

諏訪には建御名方神が出雲から征服者としてやってきたという神話があるらしく、

諏訪も日本海側から内陸に浸透した出雲系の勢力が及んでいたのかもしれない。

交易というのは余剰生産物があって可能になるわけで、

信州から諏訪にかけての地域は奴奈川姫の神話がある新潟糸魚川あたりに続く農作物の

供給地だったのかもしれない。

朝早いのでちょうど本殿では朝の祈祷をおこなっていた。

写真を撮ろうとしてふと見ると「祈祷中の撮影は遠慮してください」と書いてある。

その地の決まり事には従うのがルール、スマホは仕舞う。

開いたばかりの参道の店で朝食を摂り、下社の秋宮に向かう。

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  諏訪大社本宮の鳥居 鳥居の向こうに御柱が見える

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 温泉地の諏訪、手水にも温泉が流れている

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 本宮の本殿

本宮、秋宮、春宮、いずれもそう遠くないところにある。

秋宮の駐車場もまだそんなに混んでいなくてスムースに入れた。

本宮にはなかった大きなしめ縄が秋宮の神楽殿にはかかっている。

大きなしめ縄といえば出雲の神社なのだが、なぜ本宮にはなく秋宮にはあるのだろう。

古代、この諏訪でなにがあったのか、どういう勢力争いがあったのか、

こういう何気ないところにその背景が反映していそうな気がして、ちょっと気になる。

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  秋宮 神楽殿
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  秋宮 本殿

秋宮から春宮、ここもそう離れてはいない。

春宮は初めて来たのだが落ち着いたいい雰囲気だった。

参道にもそれほど店はなく静かである。観光客も少ないようだ。

ここの近くに万治の石仏がある。

春宮の鳥居を作るために石を切り出そうとしたとき、石に鑿をあてたら石から

血が出たということで石工達が恐れおののき工事をやめたという場所。

「芸術は爆発だ」と言った岡本太郎が絶賛したという造形である。

行ってみると、なるほど面白い造形である。

ちょっとフツーの石仏とは違う。

顔がいわゆる仏の顔ではない。モアイとか、そちらに近い顔をしている。

全体の造形としても大胆で、その辺が岡本太郎を惹きつけたのだろうか。

このあと、諏訪ガラスの里でガラス工芸を見て、すわっこランドで温泉に入って

のんびりして、
高速を突っ走って横浜に帰った。


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  諏訪大社 春宮

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  春宮 本殿
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  春宮から万治の石仏に行く道
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  万治の石仏
 

難民支援

国連難民高等弁務官の外郭団体、国連UNHCR協会のメールニュースを転載します。
転載の許可は受けています。


国連UNHCR協会 難民問題の明日に架ける橋 ブリッジ

台風10号により被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。皆様の安全と1日も早い復旧をお祈り申し上げます。

世界は、知らない どうぞ今、知ってください。世界に見過ごされている難民危機のことを。

あなたに今知ってほしい、3つの難民危機

関野裕之様

20206月、UNHCRは、世界で約7,950万人が紛争や迫害で家を追われ、避難を強いられていることを発表しました。実はその膨大な人数の中には、世界でほとんど報道されず知られていない危機「サイレントクライシス」の中で苦しむ難民や国内避難民も多く含まれています。
コンゴ民主共和国、イエメン、ギリシャ・エーゲ海諸島。あなたは、今この3つの国々で深刻な危機が起こっていることを聞いたことはあるでしょうか。激しい戦闘や迫害により家を追われ、命がけで逃れた先でさらに困難に苦しみ追い詰められている人々が、懸命に助けを求めていることをご存じでしょうか。

202099日未明、ギリシャのモリア受入センターで大規模な火災が発生し、大部分が焼失しました。死傷者は今のところ報告されていませんが、約12,000人の難民などが住まいと持ち物を失い、至急の支援が必要です。
UNHCR
は難民の移送、テントや毛布、寝袋などの緊急援助物資の配布、 保護者の同伴のない子どもの保護などの支援を開始しています(910日現在の情報)。

被害の状況を調査するフィリッポ・グランディ国連難民高等弁務官

レバノン、ベイルート爆発事故 緊急支援【続報】
シェルターキット6,319セットを提供、グランディ国連難民高等弁務官が現地視察

20208月、レバノン・ベイルートで発生した爆発事故の緊急募金に、たくさんの皆様からご支援を賜り、誠にありがとうございます。
UNHCR
は事故直後から救援活動を開始し、家を破損された被害者へ、防水シートや木材、合板等を含むシェルターキット6,319セットを配給。また、フィリッポ・グランディ国連難民高等弁務官は現地のニーズを調査するため、レバノンを訪問しました。

Yahoo!ネット募金 レバノン・ベイルート爆発事故 緊急支援

Tポイントを使って1ポイントから、またクレジットカードから簡単にご寄付いただける「Yahoo!ネット募金」の国連UNHCR協会「レバノン・ベイルート爆発事故 緊急支援」を開始いたしました。

詳細はこちら

ポーランドの小さな村、オシフィエンチムで(前半)

東欧に位置するポーランドの古都クラクフから、60kmのところに位置する村オシフィエンチム。この村はかつて、ドイツ語でアウシュヴィッツと呼ばれていました。ポーランド人をはじめとするドイツ占領下のヨーロッパでナチスに抗った人々やユダヤ人、多くの人がアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に送られ、過酷な環境下の強制労働と餓えのなかで命を落としました。アジア人で唯一の公式ガイドを務める中谷剛さんは23年間、この場所で歴史を伝え続けています。

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所

戦争を体験していない世代が戦争や歴史を伝えることの意味とは。傍観し、この世界で多くの命が失われることが二度とないように、今、私たち一人ひとりができることのヒントを探して、お話を伺いました。

トピックス

UNHCR駐日事務所インフォメーション

【バックパッカーから人道支援の現場へ UNHCRコロンビア ククタ事務所 丸山篤子】

紛争や迫害により故郷を追われた人たちの命と生活を守るために、世界各地の難民支援の現場で活動しているUNHCRのスタッフ。その中には多くの日本人も含まれており、バックグラウンドや専門性もさまざまです。
その一人、UNHCRコロンビア ククタ事務所の丸山篤子准保護官は、今から6年前、日本の民間企業からキャリアチェンジを決意して人道支援の道へ。世界最大の強制移動に直面しているこの地域で、さまざまなパートナーと連携しながら、ベネズエラから逃れてくる人たちに日々寄り添い、必要な支援を届けるために活動しています。

国内避難民の支援に携わるUNHCR職員の丸山篤子准保護官

今回は、丸山を人道支援へと突き動かした経験、現在のコロンビアでの仕事などについて話を聞きました。

つづきはこちら

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歌会

先月に続いて横浜歌会に出席。

ほんとは同じ歌会には出来るだけ続けては出ないようにしている。

同じメンバーでやっていると、無記名でも誰の詠草かなんとなく分かってしまったりして、

批評に余計なバイアスがかかることがある。

それが嫌で幾つかの歌会を渡り歩くようにしていたのだが、

コロナのために開いている歌会が減ってしまい、

ふた月続けての横浜歌会である。

出席者はコロナのためにやはり少なくて12名。

で、例によって気になった歌。

誌面発表前なのでここには出せないが、

わたしには短歌があり折節に蛍田の虹が心に浮かぶ、

そんな歌意の歌である。

言うまでもなく、小中英之の歌を踏まえている。

 

  螢田てふ駅に降り立ち一分の間に満たざる虹にあひたり

                        /小中英之

 

螢田の駅に降りたとき、作者はつかの間の虹を見る。

その虹が消えたとき、読者のなかには

螢田という印象的な地名がもたらす寂しさ、はかなさとともに

そこに立つ作者の姿が浮かぶ。

で、歌会の詠草はこの歌を踏まえての一首であるわけだが、

他の歌を踏まえるなら踏まえるで、

踏まえた歌が生きるように踏まえなければ意味がないと思うのである。

「わたしには短歌がある」とか言わなくてもいいことで上句をつぶしてしまい、

他の部分の表現も月並みである。結局、
踏まえた歌を生かすのではなく

踏まえた歌におんぶにだっこしている歌になって
しまっている。

それではダメだと思うわけである。

小中英之の名歌が鮮やかに浮かんでくるような、そういう歌にして欲しいものである。

で、それはそれとして驚いたのは、この詠草が小中英之の螢田の歌を踏まえている、と

いうことに気付いた人が他にいなかったということ。

実は、この歌、吾が師匠、岡部史さんの歌だったのだが、歌会が終わってから、

岡部さんも、他の人達が螢田の歌に気付かなかったことに驚いていた。

ちなみに岡部さんは、自分の好きな歌50首のなかに小中英之の螢田の歌が入っている

そうである。それほどの名歌に歌会出席者の誰も気づかなかったというのは

どういうことだ?

いい歌を作るにはいい歌を読むことである。

名歌はしっかりと読まねば(^^

読み込んだ名歌が自分のなかで作歌のこやしになるのである。


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