2020年07月

持続化給付金

先週、初めての持続化給付金不正受給の逮捕者が出た。

容疑者は19歳の大学生。

実際にはしていない事業をしていたということにして昨年分の確定申告をし、

今年は収入がゼロになったということで個人事業の持続化給付金100万円を

だまし取った容疑。

たぶん、大学生のひとり知恵ではない。

ネットで検索すると結構出ていた。

「持続化給付金必ず受け取れます、成功報酬〇〇%」

なかには成功報酬40%などというものもあった。

始めての逮捕者が出たあとで試しに検索してみたら、

さすがにそういうものは影を潜めていた。

ネットに出ているそういうキャッチに乗っかり、

本来なら給付金を受け取れない事業者が申請したり、

本来もなにも、はなから関係のないサラリーマンや主婦・学生が持続化給付金の

申請をするケースもあったらしい。

逮捕された大学生がそういう輩のひとりだったのか、

あるいはもっと悪質な組織的な騙し取りかは分からない。

組織的に騙し取るつもりなら、振りこめサギの受け子のように人を使い、

申請させて給付金を集めることも出来ただろう。

はっきり言って持続化給付金の申請の仕組みはそのぐらいザルだった。

少しでも早く困窮している中小事業者に給付金を届けるために、

やむを得なかったところはあるわけだが、

それにしてももう少しなんとかならないのかという気はした。

以前にもこのブログに書いたが、

取りあえずすぐに金を届けるために簡易な融資制度にし、

申請者に一定の金額を融資したうえで、

ことが落ち着いてからしっかり審査して給付金の分を返済免除にし残りは返済

させるとか、そういう工夫があった方が良かった気はするが、

そんなことここで書いてもしょうがない。

今回の件、警察は組織的犯罪の可能性も視野に入れて捜査しているらしい。

いずれにしても、捕まった大学生に情けは無用である。

平和な時代なら耳に心地よい理想を語る余裕があるわけである。

教育的見地、道を踏み間違えた者の更生。

しかし今、世の中は緊急事態なのだ。

生き残ろうと必死になっている真面目な中小零細の事業者が沢山いるのである。

人を救うために使われるはずだった金が騙し取られ必要な予算が逼迫すれば、

救われるはずだった人が救われない、

その人が救われなかったためにその人の家族も人生を狂わせる、

そういうことが起こるのである。

緊急事態という状況下で小奇麗なことを言っても人々の暮らしは守れない。

くだらないキャッチに乗っかり不正受給をした者達させた者達は厳罰に処して、

世の中は恐ろしいのだということに気付かせた方がいい。


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  射場に咲いていた花
 小さいアマリリスかと思ったが葉がない。
 彼岸花のように茎だけが出て花が咲いている。
 調べたら、夏水仙だった。

 

 

修善寺

韮山反射炉から修善寺温泉、今回の泊りは菊屋。

夏目漱石が胃潰瘍の治療後の転地療養で泊りにきたという宿である。

ちなみに漱石はここで胃潰瘍を悪化させ吐血して生死の境をさまようことになる。

幸い三途の川の手前から戻ってきたのだが、

その経験を『思い出すことなど』に書いている。

歴史のある宿らしく庭を巡る感じで回廊が続いていて、

初めてくると迷子になりそうである。

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  修善寺温泉 菊屋 庭を巡るように回廊が続く

腰が痛いから湯治に行くという名分で来ているので、

さしあたりもう腰は痛くはないのだが、大人しく風呂に入って腰を温める。

漱石もこんなふうに療養したのであろうか。

そういえば明治の文豪で文章の上手といえば漱石である。

鴎外や藤村もいるが、

文章の行間から狂気が立ちのぼってくるのは漱石だけである。

漱石の文章から立ちのぼる狂気を感じとれない者は国語の教師などする資格はない、

若い頃は生意気にそんなことを思ったものである(^^;

蝉の声を聞きながら風呂に入り、部屋で休憩、そんなことを繰り返す。

夜、夕食のあと修善寺にきたときはいつも立ち寄る居酒屋に行こうと出かけたが閉まっていた。

まわりを見渡すと、殆どの店が閉まっていて通りは暗い。

GoToキャンペーンが混乱して、東京を除外することになった。

感染の拡大を防ぐためにやむをえないというのは理解できなくはないが、

観光地の人達は落胆しただろう。

首都圏近郊の観光地は東京からの観光客が一番多いのである。

それがキャンペーンの対象外になり観光需要を喚起できなければ、

観光地の受ける影響は甚大である。

このままこの状態が続けば観光地は、コロナで死ぬか経済で死ぬか、という話に

なるのだろう。

なんともいえない気分で部屋に戻った。

翌日、修善寺から沼津に行き沼津港で昼飯を食べ、

土産に鯵とのどぐろの干物を買って横浜に帰った。


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  沼津港で昼飯 カキとホタテとハマグリのガンガン焼き

韮山反射炉

韮山反射炉。幕末に大砲鋳造のために作られた溶鉱炉である。

幕府に反射炉築造を命じられたのは旗本の江川太郎左衛門。

海防の重要性を説き、お台場を作ったのも江川太郎左衛門であり、

この反射炉で作られた大砲はお台場に設置された。

明治期日本の産業革命遺産として他の遺産とともに世界遺産に登録されているが、

登録されているもののなかで、韮山反射炉だけは明治ではなく江戸時代のものである。

現在は伊豆の国市になっているが、田圃のなかを走っていった先に韮山反射炉はある。

広い駐車場に車を停めると木立ちの向こうに反射炉が見える。

幕末に作られた西洋式溶鉱炉としてそれなりの大きさを思い浮かべていたが、

行ってみると思っていたより小さい。

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  韮山反射炉

資料館があり映像などを見ることが出来る。

そのあとボランティアガイドであろうか、係の人のあとについていくと、

反射炉のところでいろいろ説明してくれる。

反射炉の仕組みなどを聞き、中を覗き込む。

炉で溶かした鉄を傾斜に沿って鋳型に流し込み、

一カ月くらい冷やして大砲の原型を作る。

それを取り出し、水車の動力で機械を回し加工していく。

一門の大砲を作るのにかなりの日数が必要だったらしい。

写真で見る反射炉の大部分は煙突である。

反射炉そのものは下にあって、そこで石炭を燃やし、熱い空気は高い煙突に流す。

空気は細いところを通すとスピードが出る。その熱い空気を高い煙突に通すことで

上昇気流が生まれ、それが炉の入口から空気を吸い込む力になる。

それによって、ふいごのような人工的なものを使わなくても

炉のなかに酸素を供給することが出来る。

そのために反射炉には高い煙突がついている。

反射炉本体の構造も、熱の反射を利用して炉のなかの一点に鉄を溶かせる高温を

集められるよう内側にカーブをつけて作っているわけで、

原理はいずれもいたってシンプル。

しかし、そのシンプルな原理を用いて鉄を溶かす高熱を出せる反射炉を作り出した

人間の知恵というのは凄いと思った。


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  煙突は4本
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  この土の部分に大砲の鋳型を埋め、そこに溶けた鉄を流し込んだ
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  作った大砲が展示してある。


司馬遼太郎は明治をこの国の青春ととらえたが、

160年前、この国の将来を憂いた男たちが試行錯誤しながら大砲を作っていた跡に立つと、

それが分からなくもなかった。

反射炉のかたわらにあるレストランで地ビールを飲みながら、

そんなことに思いを馳せ、そのあと今日の泊まりの修善寺に向かった。


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  反射炉を眺めながら地ビールを飲む

GoToキャンペーン

GoToキャンペーンが混乱している。

東京での感染拡大が原因で、結局、東京を除外することになったが、

これで失望している人達も多い。

このGoToキャンペーンについては議論百出だった。

テレビで見ていたら、コメンテーターが国会議員を責めていた。

責めたくなるのは分からないでもないが聞いていて不愉快だった。

内容ではなくコメンテーターの言い方が嫌だった。

感染が拡大している状況でGoToキャンペーンをやれば感染が地方に拡大する。

言っていることは分かる。

その通りかもしれない。

しかし同時に、いま支えなければ地方の観光業がつぶれる。

これも事実である。

それが分かっているからみな苦しんでいるのではないのか?

夏休みの稼ぎ時のGoToキャンペーンを起死回生の思いで待っていた観光関係の

人達は日本中にいるはずである。

彼等が今かろうじて持ちこたえられているのは、

従業員を休業させた場合の雇用調整助成金の存在が大きい。

その雇用調整助成金は9月30日でコロナ対策の拡充が終わる。

夏休みの稼ぎ時がなくなり、雇用調整助成金もなくなったとき、

大量の失業者が出る。

それは分かっているのだろうか?

議論百出のなかで、ある大学教授が

「観光業がGDPに占める割合は小さい、それを支援する必要があるのか?」と

言っているのがあった。

東京のような大都市と地方で、経済に占める観光の比率は違うのだ。

この大学教授は国全体のGDPの比率で地方を切り捨てるつもりか?

観光業にはそれに伴う雇用がある。

地方では、公務員になるか親の農業漁業を継ぐか、あるいは観光業か、

それしか仕事がないというところがあるのだ。

そういうところはどうするのだ。

たぶん、学校の勉強しかしたことのない大学教授には世の中が見えなかったのだろう。

コメンテーターのなかにはさらに面白いことを言っている者がいた。

「感染が拡大したら大変なんだからそのお金を地方に使えばいいはず」

補助金というのは呼び水なのである。

呼び水となって、支出した補助金以上の経済効果を引き出す、それが補助金である。

人口の多い都市からの観光客があって初めてその効果は生まれるのであって、

人口の少ない地方にその金を直接投資したとしてどれだけの効果があるのか?

最初に出てきたコメンテーターもそうである。

感染が地方に拡大したらどうなるんだ、

言っていることは正しい。

しかし同時に、死に瀕している観光業はどうなるのか?

それに従事している人達は?

あのコメンテーターは失業率と自殺率との相関関係について考えたことはないのだろうか。

分かっている人間はみなそれが分かっているのだ。

分かっているゆえに苦しんでいる。

それが分かっているのならコメンテーターは、

もう少し苦渋に満ちた顔をして言えば良かった。

そうすれば「ああ、そういうことが分かって言っているんだな」と、

心ある視聴者はそう思っただろう。

それを、自分は正しいことを言っているみたいな顔をして語ってもしょうがないのである。

世の中は、正しい正しくないの二元論で言い切れるほど単純ではないのだ。

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  たまには酒を飲みにいかなければ店も酒屋も困るのだ。
 イチローズモルトは美味しい。

家賃支援給付金

コロナ対策の家賃支援給付金の受付が始まった。

中小事業者が店や事業所の家賃を支払えなくて大変だということで、

国がそれを支援するためにぶち上げた政策だが、

紆余曲折を経て最初の見込みから一カ月遅れの受付開始となった。

中小事業者への支援として先行して実施された持続化給付金が不正受給が多いという

ことで、審査を厳しくするらしい。

遅れた原因のひとつはそれらしいが、

今さらそれを言うか、という感はしなくはない。

持続化給付金の申請要領を読んだとき、

「まるでザルだなつまり、金配るからこの金で生き残れということか

と思った。こんな審査なら簡単にくぐりぬけられる、そう思われて仕方ない内容だった。

もちろん、不正受給をよしとしているわけではないが、

新型コロナの非常事態のなかで、

当然、平常時とは異なる手法での緊急支援が必要だったわけで、

持続化給付金が仕組みとしてザルだったことも、

急がなければならないという状況下では理解できなくはない。

100件のうち10件の不正受給があったとしても、

90件の善良な中小事業者を救うことが出来るならば、

非常事態下ではそれはやむをえないのではなかろうか。

不正受給を排除するしっかりとした仕組みにし、審査にも時間をかけていたら、

善良な90件の中小事業者のなかには手遅れになってつぶれたところが出たはずである。

ことが落ち着いてから不正受給はしっかり追求し倍返しさせればいいのだ。

ついでに言えば最初にそれを言うべきだった。

持続化給付金のポスターに半沢直樹を使い「不正受給は倍返しさせるぞ!」と

言わせればインパクトあったかもしれん。

で、家賃支援給付金だが、

不正受給を排除できるよう、賃貸借契約書の確認等、持続化給付金よりも

提出資料は多くなる。審査にも時間をかけるらしいが、やむをえないところか。

しかし、いずれにしろ受付開始が当初の見込みから一カ月も遅くなったのは、

売上が減って家賃が支払えなくなり、

生きるか死ぬかの瀬戸際にある店や会社にとっては厳しい遅延だった。

今回の国のコロナ対策、終始一貫していることがひとつだけある。

スピード感の欠如、である。


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   路傍の花

同期

大学のクラブの同期と40年振りに会った。

先日、HPからメールが入っていて、

相談したいことがあるとのことで、

ならば久しぶりに会おうということになったのだった。

正直、メールボックスに彼の名前を見たときは驚いた。

大学を卒業してからは、仕事をしながら税理士試験の勉強に明け暮れていたし、

登山の方も横浜の山岳会に入り登るようになっていたので、

すっかり縁遠くなっていたのだった。

彼は某教科書出版の会社に就職し、社長を勤め昨年退職。今は悠々自適に暮らして

いるらしい。

横浜東口のそごうの前で待ち合わせ。

待ち合わせの時間に数分遅れて行くと既に彼がいた。

こちらはすぐに彼が分かったのだが、彼は気づかないらしく、

目の前に立った私に「〇〇だろ」と名前を呼ばれてようやく気づいた。

確かに髪の毛白くなったが、そこまで気づかないほど変わっただろうか?(^^;

スカイビルに入り、横浜の夜景が見えるバーで飲みながら話す。

卒業してからのそれぞれの来し方、

彼は教科書出版の会社で最初は営業をしていて、

全国の学校を回って歩いたらしい。

おまけに、本に載せる写真を撮るために海外あちこちに出かけている。

アフリカ、ブラジル、インド、まったく、会社の金で世界中を歩けるなんて、

羨ましい限りである。

同じクラブの連中がその後どうしているのかも聞いた。

聞いていると必ずしも順風満帆なヤツばかりではなく、

仕事を変わったり、リストラされたのかなとか、

あるいはまったく音信不通になっているとか、

ま、人生それぞれである。

ちなみに我々がいたクラブはその後、入部者がいなくなり廃部になったらしい。

その話を聞きながら、

「あの頃の伝統引きずっていたら若い連中には受け入れられないだろうな」と

苦笑いした。山のクラブなんてのはただでさえ、きつい、汚い、危険の3Kである。

そういう3Kが生き残るには時代のなかで柔軟でなければならないはず。

時代を見通せないものは消えゆくのみである。

高層の窓からは横浜の夜景が見下ろせる。

遠くに見えるのは新宿あたりのビル群だろうか。

40年、光陰矢の如しとはよく言ったものだ。

いろいろ話していて気が付いたらもう10時半、4時間以上話していた。

いずれまた会える日を楽しみにして駅で別れた。


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