2020年01月

水平線に立つ子

   日本海の水平線に子が一人立っている透明な海が足首浸し

                           花山周子「塔1月号」

 

不思議な歌である。

歌の情景を考えたとき、

ひとつは実景として、作者が対象を見ている角度の関係で、渚か堤防の上か、そういう

ところに立っている子供が水平線に立っているように見える、

そういう読みであろう。

あるいは実景としては読まず、

水平線に子供の幻が立っている、そういう読みもある気がする。

いずれの読みが正しいのか正直言って分からない。

「子が一人立っている」という客観的な表現からは、

その「子」が作者の子ではないようにも思える。

で、「透明な海が足首浸し」。

この「透明な海」というのはほんものの海だろうか?

そう考えると、やはり水平線に立つ幻の子供なのか?

あるいは、この部分がこの歌を抽象的な歌にしているのであって、

それはむしろ作者の意図かもしれない。

実景として渚に立つ子の姿から、

あるいは作者は幻の子供を想起させるように作ったのかもしれない。

正直言ってこの歌を読みきれないでいるのである。

音は6,7,5,10,10のようだが、

6,7,5,5,8,7のようでもある。

この破調はそれほど気にはならない。

意味は読み取れないのだが、

明るい広い海の情景が浮かんでくる。

読み切れないが、気にかかる。

気にかかりながら、なにか気持ちのいい情景の広がりを感じる。

歌は読めなくてもいいと思っているし、

歌は読むよりも感じ取るものだと思っている。

もちろん、それは読む努力を尽くしたうえでの話ではある。

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  先週に続いて、ちょっと走りたくなって伊豆へ。
 伊豆はスカイラインとか走って楽しい道が多い。
 天城越えの道のコーナーを攻めながら、
 頭の中には石川さゆりの天城越えがオートリバースで聞こえている。
   寝乱れて隠れ宿
   九十九折り浄蓮の滝
   舞い上がり揺れ落ちる
   肩の向こうにあなた...
 伊豆は既に桜の季節。
 河津桜が咲き始めていた。 

走る

椿大神社。

「つばきだいじんじゃ」ではない。「つばきおおかみのやしろ」と読む。

祭神は猿田彦命。天孫降臨の神話でニニギノミコトを道案内したという神である。

ゆえに、導きの神と言われる。

ちょっと突っ走りたくなって、日帰りでドライブ。

4時半に家を出て東名、あえて新東名に入らず旧東名を走る。

この時間は旧東名の方が明けてゆく海が見れて気分がいい。

ところどころにあるオービスは130kまでは反応しないので(らしい)

気にしないで無視する。もちろん、若い頃のように飛ばしたりはしない。

東名から伊勢湾岸と走って4時間程で伊勢の椿大神社。

杉の巨木に囲まれた社という感じで印象深い神社である。

名物だという鳥飯で朝食を食べていると、バスが来たのか次々と参拝者がやってきた。

関東ではあまり知られていないが、こちらでは割りとメジャーなのかもしれぬ。

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  椿大神社
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  杉の巨木に囲まれた社
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  白い椿が咲いていた。満開のときは奇麗なんじゃなかろうか
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  隣の別宮 椿岸神社

再び高速に乗り、滋賀の方に行く。

途中で一般道に降り、甲賀の里のあたりを走り抜けて琵琶湖を目指す

冬の甲賀の里は走っていて気持ちがいい。

琵琶湖の湖岸道路を走って長浜へ。湖北の山は雪をかぶっているようだった。

右を見ると伊吹山も白くなっている。

長浜の黒壁スクエアの辺りを歩いてテキトーに土産を買い、

北陸道、名神、新東名と乗り継いで18時半に横浜に還った。走行距離900k

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   琵琶湖

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  黒壁スクエア

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  長浜の古い街並み

山ばかり登って勉強もしなかった学生時代が終わり、

税理士になろうと勉強を始めた。

その頃、好きな女性がいたのだが、

いろいろあって、愛情とわだかまりがないまぜになったような気分のまま会わなくなった。

安い給料で働きながら先が見えない受験生活を始めた23くらいの若造には、

「待っていてくれ」ということは言えなかった。

というか、言う意気地がなかったのだ。

そういうとき、父親の車を引っ張り出して、ひとりで突っ走って気持ちを紛らわせていた。

その頃から車をころがすのは嫌いではない。

今は昔のそんな話はどうでもいいのだが、

この歳になってふと思うのである。

自分のしたいと思ったことの半分も出来なかった。

憧れたことの多くは実現できなかった。

「待っていてくれ」と言えなかった意気地のなさが実は根底にある気がする。

一歩を踏み出すのに慎重だった。

そういう意気地のなさが、やりたかったことの多くを夢で終わらせた気がする。

そんなことを思ったとき、

再び、若い頃のように車を走らせたくなったのである。

 

寡婦(夫)控除

  寡婦控除適用なしと伝えれば未婚の母は鼻で笑いぬ

 

以前詠んだ歌である。

いわゆる未婚の母は所得税の寡婦控除の適用を受けられなかったのだが、

今年の税制改正で適用を受けられるようになる。

それと、男性のみが所得制限のあった寡夫控除も改正される。

税理士会支部の制度部で支部としての税制改正要望のとりまとめに関わっていたとき、

この寡婦控除について意見を述べたのを覚えている。

未婚の母が適用を受けられないのは可哀想だ、

子供の養育のために必要なのであり親が既婚だろうと未婚だろうと関係ないだろうと。

それと、男性のみにあった所得制限については、

「性で差別するのは憲法に反する、所得制限を廃止するべきだ」と発言した。

改正要望についてはその要望の理由も当然付記するのだが、

「憲法まで持ち出さなくていい、だって税法で決まっているんだから」という

分けの分からない理由で憲法違反という理由は排除された。

税法で決まっているから憲法は関係ないって、どういう意味だ?

法律や行政に枠をはめているのが憲法だろ、

税法が憲法に反することを決めていたら変えなきゃいけないのである。

かれこれ10年以上前の話だが、

昨年の自民党の税制調査会でようやく「憲法上、問題がある」という話が出た。

一体、何年かかったんだ?

ちなみにこの部分については、

改正前は寡夫控除の適用を受けるのには男性のみ500万以下の所得制限があるのに、

女性については所得制限がなかった。

で、今年の改正では女性にも500万以下という所得制限をつけて、

性差による差別をなくすらしい。

そっちかよ!!

男性の所得制限をなくして女性と同じにするのかと思ったら、

女性にも所得制限つけて男性と同じにするの!?(^^;

う~ん

ちょっとけち臭い性差解消ではあるよね(^^;;


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   昨年12月、雲南にて
 撮ったときは梅かと思ったが、あとで写真をよく見たら幹が桜チック。
 調べてみたら雲南では12月あたりに冬桜が鮮やかに咲くのだそうな。
 ちなみに桜の向こうにある白いのは辛夷にそっくりだった。
 雲南はもう春であろう。

明けましておめでとうございます

今年の正月、元日は家の近くの小さな神社で初詣をし、

3日あらためて伊勢山皇大神宮に初詣。

元日の伊勢山は初詣の人が延々と行列していて、

一度などは桜木町の駅のあたりまで続く行列を見て諦めて帰ったりしたものだが、

3日だと少なくなるのか行列もなくすんなりとお参りできた。

行列に並ぶのは嫌いな方なので、来年から初詣は3日にした方が良さそうだ。

4日は自分だけ事務所に出て仕事。

全国的には9連休だったようだが、9日間も休んではいられない。

なにしろまだ年末調整が終わっていない。

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  伊勢山皇大神宮

5
日はアーチェリーの射会&新年会。

毎年2日がアーチェリーの初射ちなのだが、

2日は所用あって来られず常連仲間とは今年初めての顔合わせ。

で、射会の成績は残念ながらケチョンケチョンだった。

正月の酒飲み過ぎたかな…(^^;

奮起して来月以降の射会は頑張りたいと思う。

と言っても他の用事がぶつかって出られないことの方が多いのだが。

射会のあとは中華料理屋で新年会。

ちなみに我々、射場でずうっと焚火にあたっていたので、

店の人達「ずいぶん煙臭い客だな」と思っただろう。

和気藹々と飲んで食べて楽しみ二次会はカラオケ、懐かしい歌をめいっぱい歌って帰った。

今年もひとつ頑張っていこうと思う。

 

そういうことで、今年もよろしくお願いします(^^


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  射場 水仙が咲いた

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