2019年12月

2019年の年の瀬に

2019年が終わる。

今年も結構忙しかった。

仕事の方はやはり、平成27年以降の相続税の基礎控除引き下げの影響だろう、

相続税関係の仕事が増えている。

来年以降もこの傾向は続きそうだ。

山はたいして行けなかった。

毎年恒例の上高地も今年は天気の関係で槍穂は登れず、蝶が岳に登ってきた。

海外の登山も、ペルーのレインボーマウンテンことヴィニクンカに行ってきたが、

あれは登山というより5000mのハイキングである。

来年もどこか登りたいが、どうなんだろう。

先日行った雲南とチベットも印象的だった。

若い頃、世界を放浪したいと思ったものだが、

安い給料で働き、仕事が終われば税理士試験の勉強で明け暮れていたので、

一年も二年もかけてあてもなく世界を放浪するなんてできるわけもなく、

今は今で忙しくて行けるはずもない。

結局、憧れは憧れで終わったわけだが、

やはり、ただ憧れるのではなく憧れを実現する努力をする、そういう姿勢は大切である。

短歌の方は時間がとれない一年だった。

今年は何回歌会に行けたのかと数えてみたら7回だった。

以前、多いときは月に4回くらい歌会に出ていたのに随分と減ってしまった。

そんな状態で納得のいく歌が詠めるわけでもないのだが、

先日、結社から昇欄の通知がきた。

今のような状態で昇欄ね

昇欄の大盤振る舞いでもあったのだろうか(^^;

来年はもっと納得のいく一年を過ごせるようにしたいと思う。

人生に遅すぎるということはなく、

常に憧れを実現する努力をしていなければ人はいずれ後悔するのだ。

 

今年の「つれづれ日記」への書き込みは今日で終わります。

今年一年ありがとうございました。

また来年もよろしくお願いいたします。

それでは良い年をお迎えください。

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  アーチェリーの射場の無患子 まだ黄色い葉が少し残っている

チベットの東の端で

今回の雲南の旅で一番印象に残ったのは、

チベット高原の東の端、そこで見上げた青空。

乾燥した高原だからだろう、底が抜けてしまったような深い青空があった。

1950年の人民解放軍のチベット侵攻によりチベットは中国の植民地となった。

1959年、抑圧されたチベット人が蜂起しチベット動乱が起き、

ヒマラヤを越えて10万のチベット難民がインドへ逃れた。

チベット亡命政府は今もインドのダラムサラに存在するが、

現在の国際状況のなかでチベット難民は忘れられた難民である。

チベットの問題に対して日本は終始、冷淡だった。

それは政権だけではない、

戦後のこの国で平和や民主主義を語った人達もチベットに対してはえてして冷淡だった。

理由はよく分からないが、

安保闘争の時代、毛語録を読む学生が大勢いたらしいから、

中国の社会主義に対する憧れみたいなものがあったのかもしれない。

ハンガリー動乱などがあって、早い時期からソビエトの社会主義に対しては失望があり、

ソビエトに失望した替わりに中国の社会主義に幻想を抱いた。

しかし、チベットの混乱もほぼ同じ時期であり、

見たいものだけを見るのではなく、見えるものを見る人間ならば、

中国の社会主義も結局はファシズムの一類型であると気付いたはずである。

今でこそウイグルでの弾圧や香港の問題がメディアで取り上げられ、

中国が広大な植民地を持つ帝国であることを世界は知っているが、

「中国は平和を愛する国です。なぜなら欧米のように植民地を持ったことがありません」

そういう中国のプロパガンダを真に受けていた日本人が沢山いたのである。

「そういう時代だったんだ」と言う向きがいるかもしれないが、

戦前の軍国主義者も戦後同じことを言ったのだ。

チベットの人達の苦悩を、多くの日本人は知らない。

チベットを忘れていない日本人のひとりとして、

中国の少数民族の世界を訪ねたいと思ったとき、チベットにも行きたかったのだ。

チベット高原の東の端で見上げたチベットの空は深く青かった。

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  雲南のポタラ宮ことソンツェンリン・ゴンパ

雲南 帰国

翌日、シャングリラから麗江に長距離バスで帰る。

タクシーでバスターミナルに行き、チケットを買うのだが、

窓口はあっても普通ならありそうな行き先の案内とか時刻表がまったくない。

ここで買えんのか?  といささか不安に思いながら窓口に行くと、

窓口の女の子が英語が出来てスムーズに買えた。

行きのバスでもそうだったが帰りのバスでも中国の人は元気だ。

人がいようと平気でスマホで音楽は聞くし、大きな声で電話している。

一方ではスマホでなにか一生懸命見ている人の後ろから身を乗り出してそれを

覗き込んでいる人がいるのだが、皆たいして気にしている様子もない。

たぶん、子供のときから周囲を気にしない、あるいはいちいち気にしていられない、

そういう生活をしているのだろう。そうでなければ理解するのが難しい。

逆にそう考えると中国の人が大声で話すということが理解できる。

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  朝、人通りの少ないシャングリラの街を散策 シャングリラ老街
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  シャングリラから麗江行きのバスチケット
 62元は行きより少し安い。標高差800mで燃費が違うからか?

行きとは逆に標高差800mを下るので行きより少し早く麗江に着く。

バスターミナルが麗江古城の近くだったので、ついでに古城に行き、

金が足りないので両替をする。

日本を出国するときテキトーに中国元に替えてきたのだが、

他の国なら普通にある両替屋が中国にはない。ホテルでも両替できなかった。

どうも中国では銀行でしか両替できないらしい。

このままでは現金が足りなくなると困っていたので、

古城のインフォメーションで聞いた中国銀行に行く。

中国での両替、結構ややこしい(^^;

40分かかった。

最初、両替したいと言ったら案内の女性がえらく面倒くさそうな顔をして、それでも

書類を出してくれた。その書類に記入して窓口に出す。窓口でまた時間がかかる。

記入した電話番号はあなたの電話番号かと聞かれたり顔写真を取られたり、

今まで他の国で両替するだけでこんなに時間がかかったことはない。

待っている間にふと窓口の横を見ると漢字で「軍人優先」と書かれていた。

戦時でもないのに軍人優先?

ま、共産主義は軍国主義と親しいからこんなもんだろう。

40分かかって両替が終わりお金を受け取りセンキューと言ったら、

窓口の女性やっと微笑んでくれた。

面倒ではあったが中国銀行での両替、レートは良くて、どうも両替手数料を取っていない

らしい。これも資本主義国ではあまりない話である。

そのあとタクシーで束河古鎮に行き、先日まで泊まっていた宿に再びチェックイン。

夕方、古い街並みをぶらぶらしてナシ族料理の看板を出している店に入り夕飯。

中国は初めてだったが、雲南の人達はみな親切だった。

他の国でよくあるぼったくりも、おつりを誤魔化すこともなかった。

中国の少数民族の世界はあちこち覗いてみたらさらに面白いかもしれない。

ほろ酔い気分で夜の古鎮の石畳を歩いて宿に戻り、

翌日、雲南からPM2.5で空が霞んだ深圳に飛び、トランジットホテルで一泊して帰国した。

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   束河古鎮の正面入り口

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  夕食はナシ族の料理 
 右の黒いのはメニューには蕨の根の粉みたいなことが書いてあった。
 根の粉から作った蕎麦状の食べ物。冷麺に似ているようなちょっと違うような。

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  深圳の空港、夕焼けの時間にしては早い、PM2.5で霞んでいる。

雲南 シャングリラ2

ソンツェンリン・ゴンパからタクシーでシャングリラの市内に行き、

とりあえずホテルにチェックイン。

ちなみに、シャングリラのあたりではタクシーの相乗りは当たり前のようで、

我々の乗ったタクシーも途中から若い女性が相乗りで乗ってきた。

タクシーの止め方が面白い。

手をあげるのではなく、少し身を乗り出す感じで運転手をじっと見るのである。

気付いた運転手が車を停めて行先を聞いて乗せる。

こういうタクシーの止め方があるのだなと妙に感心した。

ホテルに荷物を置いてシャングリラの中心、独克宗(ドクソン)古城を歩く。

1000年の歴史を持つチベット族の都市である。

道は石畳で、街並みは麗江古城を小さくしたような感じ。

違うのは、広場のようなところにチベット式の仏塔があることと、

ともかく寒い。

当たり前である。12月の3200mのチベット高原である。

観光もオフシーズンなのだろう、街を歩いている人も少ない。

店は一杯あるのでハイシーズンはかなりの観光客が来るのだろう。

観光客が多い麗江と比べて渋く落ち着いた感じの古い街並みがなかなかいい。


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   泊まった宿にあった現地登山ツアーの広告
 日本円で37000円くらいで5000m峰が登れる
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  街並み
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  チベット式仏塔

路地をあちこち歩いてみてから亀山公園に行ってみる。

中心鎮公堂と巨大マニ車があるドクソン古城で一番高いところで、

シャングリラを一望に見渡せる。

金色の巨大マニ車は実際に回すことが出来、チベット族や漢族の人達が回そうとしていた。

彼等に声を掛けられて回すのに協力、下に出ている棒を力を合わせて押すと、巨大マニ車は

ゆっくりと動き出した。

マニ車は一度回すと経を一度読むのと同じ功徳があるそうな。

思えば、ラオスのルアンパバーンでは小鳥を放生し、

チベットの東の端では巨大マニ車を回した。

随分と功徳を積んだものである。後生はさぞかしいいだろう。


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  亀山公園入口
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  シャングリラの街が見渡せる
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  巨大マニ車
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  チベット族、漢族、大和族の協力で回す
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  下の月光広場から亀山公園
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  大きなチベット犬がいた

夜、チベット人のおばちゃんがひとりでやっている店でよく分からない強い酒を飲み、

ヤクの火鍋を食べた。

このおばちゃん、英語が喋れないのでスマホの翻訳アプリで注文をしようとしたら、

他の店から男の人を呼んできて、かわりに注文をとってもらっていた。

しばらくやり取りして、おばちゃんが漢字が読めないのだと気付いた。

おばちゃんの年齢からして、学校に行くくらいの年は文化大革命の時代だろうか。

その混乱で学校に行けなかったか、

あるいはチベットという植民地の教育は後回しだったのかもしれない。

ここで食べたヤクの火鍋はなかなか美味しかった。

酔って店の外に出ると、広場のチベット式仏塔がライトアップされ、

さらにその後ろにやはりライトアップされた巨大マニ車があった。

寒いが美しいチベットの夜だった。

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  ヤクの火鍋
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  ライトアップされた仏塔とマニ車
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  チベットの月
 
 

 

 

 

 

 

 

雲南 シャングリラ

雲南省のシャングリラ。

シャングリラといえばジェームズ・ヒルトンの小説『失われた地平線』に出てくる

理想郷だが、実のところ、雲南省のシャングリラはその理想郷とは関係ない。

観光客めあてに中旬という名だった地方都市が2002年にシャングリラに改名した。

別にそれはそれでどうでもいい。

チベット高原というのは、現在のチベット自治区だけではなく、

青海省の全域と四川省・雲南省の西の端にまで及んでいる。

雲南省のシャングリラはチベット高原の東の端であり、

歴史的にも民族的にも文化的にもチベットの一部。

行政的には雲南省デチェンチベット族自治州に属している。

現在のチベット自治区は政治的に問題がある地域で、

旅行者は必ずガイドを雇わなければならない。

有り体に言えば監視役で、ガイドは都合の悪いところには客を連れていかないのだろう。

そういう状況下でシャングリラは自由に歩くことが出来るチベットエリアのひとつである。

今回、雲南に来たのは中国の少数民族の世界に興味があったのもさりながら、

麗江から長距離バスでチベット高原に立ち寄ってみたかったのだ。

朝、麗江のホテルを出て、麗江高速バスターミナルへ。

ネットで調べると麗江バスターミナルから出発という記事が多くて迷ったのだが、

なんのことはない、麗江高速バスターミナルを出たバスがそのまま麗江バスターミナルに

行くのだった。しかもここで一度バスを降りて荷物検査をする。

シャングリラへは最初は高速道路を走るが途中で降りて一般道を走る。

この高速道路、201912月完成予定となっていたが、

バスの中から工事中の高速道路を見た限りでは、とても今月中に完成しそうにはない。

麗江からチベット高原へは標高差800mをのぼっていく。

周囲の景色はなかなか雄大である。

この辺は地理学的には世界の奇跡といわれる地形なんだそうな。

横に広がっているチベット高原がこのあたりでぐいと曲がって縦の山脈になり、

その山脈の間を金沙江や怒江などの大きな川が平行して南に流れ東南アジアに続く。

ま、世界の奇跡のような地形といわれても地理学の門外漢には全然分からず、

「雄大な景色だな~」とバスの外を眺めているだけである。

シャングリラが近づくにつれて高原らしくなり、ヤクが放牧されているのが見える。

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  麗江高速バスターミナルからこのバスで出発
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  チベットへひた走る

麗江から4時間でシャングリラに到着。

バスターミナルから出るとずらっと男達が並んで客引きしているが、

無視してタクシーを探す。

とりあえず松賛林寺に行く。

チベット名、ソンツェンリン・ゴンパ。

雲南のポタラ宮といわれるチベット仏教の寺院である。

標高3200m、結構寒いかと思ったのだが日差しが強いので思ったほどの寒さではない。

シーズンを外れているせいか地元の人の姿も少なく静かである。

階段をのぼり寺に入る。

ひとつの建物は、その中に巨大な菩薩像だろうか仏像があるのだが、

文化大革命で破壊されたのを修理しているのか、あるいは仏像を幽閉しているのか、

よく分からない状態である。

その隣の建物には釈迦牟尼の像があり、こちらはお参りが出来るようになっている。

中国共産党の支配のもとチベット仏教は弾圧されている。

この寺院が現在どういう状況にあるのか、一介の旅人にはよく分からん。

建物の屋上に出ると寺院の前には小さな湖が広がり、

背後にはチベット高原が広がっている。

荒涼とした景色である。

屋根にカラスがいるのだが、嘴が赤く、日本のカラスとは違う鳴き方をする。

鳥葬の肉を食ったのはこういうカラスであろうか。

ソンツェンリン・ゴンパからタクシーでシャングリラの市街に行く。

ちなみに、今回はうまくタクシーをつかまえられたが、

中国では配車アプリとかを使えた方がいい気がする。

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  松賛林寺 ソンツェンリン・ゴンパ
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  シーズンオフだからか人は少ない 正面の階段を登る 

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  内部 廊下は歩けるが堂のなかは閉ざされている
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  窓から覗いたら仏像があった。修理のための工事をしている様子もなく、
  まるで仏像が幽閉されいてるような...。 
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  寺の上部から 正面に小さな湖がある

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  寺の背後は荒涼としたチベット高原

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  下に降りてもう一度全景

雲南 麗江古城

麗江古城は800年にわたってナシ族の政治・文化の中心だったところ。

ホテルのフロントでタクシーを呼んでもらうのだが、

英語は全く通じない。

仕方ないのでスマホの翻訳アプリを使ってやり取りする。

翻訳アプリは初めて使ったが結構ちゃんと伝わるもので便利になったものである。

束河古鎮から20分くらいで古城に着く。

古城の入り口に大きな水車があり、大勢の観光客が写真を撮っている。

その横を通って中に入ると石畳の道の街並みである。

束河古鎮よりだいぶ大きい。

土産物屋や飲食店のならぶ道を歩いていくと四方街に出る。

ナシ族の女性達が民族衣装で踊っていたが、

ボルネオで以前見た踊りと日本の盆踊りを足して2で割ったような踊りである。

と言っても分かりにくいか…(^^;

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  大きな水車
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  石畳の街並み
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  四方街と踊っているナシ族の女性達

あちこち寄り道しながら歩いて行くと木府に出た。

ナシ族の首領であった木氏の館であり、麗江の政治の中心だったところ。

今は博物館になっていて、奥の方、万古楼のある獅子山へ続いている。

一番高いところにある万古楼は1996年の地震で壊れて再建されている。

建物の四周の窓がガラスになっているのがいささか興を削ぐが、まあ仕方ない。

中に入り狭い急な階段を登り一番上まで行くとなかなか景色がいい。

北の方には氷河を抱いた玉龍雪山が聳えている。

5000mを超える高峰で、ナシ族の聖地である。

4600mあたりまでロープウェイで行けて麗江周辺での人気スポットらしいが、

12月で寒いだろうし他に行きたいところがあったので今回の予定には入れなかった。

目を転じると麗江の古い街並みが広がっている。

あちこち歩いて少数民族の古城を楽しみ、3時過ぎくらいにタクシーでホテルに戻った。

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  なんとかいう門、名前忘れた
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  これも、なんとかいう門
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  木府
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  なかに入るとこんな感じ。かっての麗江の政治の中心
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  奥の方、後ろの山が獅子山
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  獅子山の万古楼
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  万古楼から玉龍雪山
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  万古楼から麗江の街並み
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  歩いていたら市場に出た 英語はパーフェクトに通じない
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  ナシ族のトンパ文字がなぜか壁に書いてある
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  四方に道が続いていて歩き回っていると結構楽しい

夕食は束河古鎮をぶらぶらしてテキトーに見つくろった店に入り、

店主の夫婦と通じない会話をして、

焼酎みたいな酒に木の根のようなものを漬けこんだ酒を飲み(これが結構強い)

麗江周辺で沢山とれるらしいキノコと鶏肉の火鍋を楽しんだ。

これはいわゆる中華料理のように油っぽくはなくて美味しかった。

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  夕食を食べた束河古鎮の店 こういう小さな食堂が沢山ある
  英語で注文できるなどという甘い考えは捨てねばならぬ
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  キノコと鶏肉の火鍋 美味しかった

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