2019年08月

海を知らぬ

海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり

                         / 寺山修司

 

夏である。

夏といえば海。

海といえば寺山修司のこの歌がある。

もう何年も前になるが、この歌についていろいろ批評があったような気がする。

「麦藁帽のわれは両手をひろげていたり」というのは、

海を知らない少女に海の広さを教えているという説と、

海を知らない少女の前に両手を広げ通せんぼをしているという説。

正直、そういう読みもあるのかなあと思った。

私は素朴に「海の広さ」説である。

「通せんぼ」説は言われるまで浮かびもしなかった。

確かに一首の表現からは「通せんぼ」というのも読めるだろう。

「われ」の描写が他者を見ているような表現だということが、

「通せんぼ」説が出てくるひとつの要因である気がするのだが、

言葉を操り一首を組み立てる、そういう作り方をする人間にはこれは理解できる。

見たものだけを詠うのが短歌の詠み方ではなく、

見てもいないものをしゃあしゃあと詠う向きもいるわけである(^^;

たぶん、寺山もそういう一人である。

なにかを詠おうとするとき、実際には存在しないその映像を鮮やかに思い浮かべる。

そしてそれを見ながら詠う。

そういうとき、「われ」も他者を見るように詠えるわけである。

表現に曖昧さが残るのもそれゆえである気がする。

いずれにしろ、そういう詠い方をした寺山は短歌から演劇の世界に移り、

虚構のなかに人間の真実を浮き上がらせようとした。

寺山にとって短歌より演劇の方が表現には向いていたのだろう。

ところで、どうでもいいようなことだが、

この歌の「麦藁帽」の読みは「むぎわら」でいいのだろうか?

それとも「むぎわらぼう」か?

ワンビースの「麦わらのルフィー」を見慣れていると、

「麦藁帽」も自然に「むぎわら」と読めるのだが、

寺山の時代、「麦藁帽」の読みは「むぎわら」だったのか「むぎわらぼう」だったのか?

ルビがないのは「むぎわらぼう」ということか?

ちょっと気になったのである。


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インパール平和資料館

NHKの朝のニュースでインパール平和資料館の紹介をしていた。

昨年の4月、インパールを訪ねたが、そのときに立ち寄ったレッドヒルの麓に

平和資料館は作られた。

確か今年の6月末にオープンしたはず。

レッドヒルはミャンマーからインパールに続くティディム道の途中にあり、

インパール作戦の激戦地のひとつ。

昨年行ったときは、インド平和記念碑と少し離れた場所に日本軍の慰霊碑が

あるだけの場所だった。

そのときインパールの戦跡を案内してくれたアランバムも、

今回のインパール平和資料館の建設に係わったスタッフのひとりらしい。

アランバムは地元インパールでガイドをしながらインパール作戦の研究をしている。

個人的にも資料館を作っていて、あるいは彼の資料館の資料も多少寄贈したのだろうか?

あるいはニュースにアランバムが出てくるかと思って見ていたが彼は出てこなかった。

インパールとコヒマ、さらに飢えた日本軍が退却していった白骨街道の入り口まで

行ってきた。そのあたりはしばらく前まで外国人が入れなかったナガランド。

マニプールにはモンゴロイド系の人が多く、

インパールの空港では外国からの観光客は別途チェックを受けないといけないのだが、

なぜか私はそのカウンターの前を声をかけられることもなく素通りしてしまった。

観光客に見えなかったらしい(^^;

ナガ族と間違えられたのかもしれない。つまり、そのくらい日本人と顔立ちが似ている。

インパールは広やかな土地だった。

こんな広やかな土地で戦車も大砲もなくどうやって戦うつもりだったのか、

インパールで最初に思ったのはそれだった。

その辺のことは昨年の4月このブログに書いた。

ニュースを見ながら、インパールのその広やかな風景を思い出した。

飢えた兵士達がミャンマーに退却していったインドとミャンマーの国境の山々の

風景を思い出した。

平和を語るなら戦争を知らなければならない。

自分の足で戦場を訪ね、自分の目で戦場を見なければ、

そこで戦った兵士達の悲惨を知ることは出来ないだろう。

インパール平和資料館が平和のために戦争を記憶する場所として

あり続けることを願っている。

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   インパール平和資料館  出典 日本財団

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  昨年4月行ったときの写真 レッドヒル

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  インド平和記念碑

射会

通っているアーチェリーの射場で毎月一回開いている射会。

二か月連続で優勝を逃し2位だったので、今月こそはと臨んだ。

暑いさなか、山のなかのコースを歩き12個の的を射る。

午前中のファーストはまあまあの点数。

昼食後、的への距離を変えてセカンドを回るのだが、

そこで力尽きた(^^;

実は、7月の始め、病院で血圧が高いと言われた。

ホントは他のことが気になったので病院に行ったのだが、

気になっていた方の事は杞憂で、血圧の方を指摘されてしまった。

毎年、人間ドックに行っていて特にこれというほどの問題はなかったのだが、

今回はなにやら血圧が高かった。

塩と脂肪をひかえろと言われて一か月、

この前、病院で測ったら血圧は正常に戻り、体重は一か月で4k減った。

「この調子でいけば大丈夫ですよ。特に治療の必要もありません」と医者は言って

くれたのだが、当の本人は一か月、ひもじい思いをした(^^;;

塩と脂肪のないものを食えと言われたら、食べられるもの限られるのである。

食べられるものがなくて「先生の言う通りにしていたら体こわしますよね」と本当は

言いたかったのだが、医者には言わなかった(^^;;;

で、お昼からのセカンド。

腹が減って力が出ない(^^;

昼飯は食べたのだが、この一か月減量してきてしかも熱中症になりそうな暑さの中を

歩いたのが効いたのだろう。「腹へった~」と愚痴を言いながら歩いて点数を落とし、

結局4位。

「もうしばらく我慢すれば胃が小さくなって腹が空かなくなるんじゃないですか?」と

一緒に回った常連仲間に言われたが、そんなもんだろうか(^^;;

まあね、ひさしぶりにストイックな気分味わえた一か月だったから別にいいんだけど、

それにしても、月に一度くらいは分厚いステーキにかぶりつきたい気がする(^^;;;


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ひまわり

ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまはり

                           / 永井陽子

 

夏である。

夏といえばひまわり。

ひまわりと言えば、永井陽子の歌を思い出す。

「ひまはり」「アンダルシア」「とほけれど」

この三つしか言葉はない。

そのリフレインだけで一首が構成されている。

短歌の表現手法のひとつリフレインの話になると大抵この歌が例歌として出てくる。

そのくらいリフレインが見事な歌。

リフレインが一首を音楽のように、あるいは呪文のように立ち上がらせる。

一首を読んだとき、読者の脳裏にはアンダルシアのひまわり畑が広がる。

そして、その美しいひまわり畑の広がりがただあるばかりに歌は消えてゆく。

この歌に意味はない。

歌を詠むとき、歌に意味を持たせてしまうことはよくあることである。

別にそれが全否定されるものではないと思うのだが、

必要以上に意味を持たせるとやはり失敗するのだろう。

かくいう自分もやらかす。

叙事の歌などを作っていると、その傾向はある気がする。

自分もそういう失敗をするので、永井陽子のこういう歌を読むと、

う~ん、凄いなと思う。

ただ、この歌、

何度読み返しても寂しい。

アンダルシアの明るいひまわり畑の風景のはずなのだが、

一首を読んだあとには、美しいひまわり畑の情景とともに一抹の寂しさが残る。

結句「ひまはり」の「り」、イ行の音で歌が終わっている。

一首の最後で音がすぼむ。

「ひまはり」の最後の「り」の音で、読んできた一首の音はすぼむように消えるのである。

もちろん、この歌がリフレインで構成されている以上、

初句の「ひまはり」が結句に来ているだけと言えばそうなのかもしれないが、

一首を読んだときにぱっと広がる情景とは別に、

読み終えたとき、音がすぼんで消えるように終わる、その効果。

読後に残る寂しさ、それをもたらすひとつの理由はここにある気がする。

そこにないものを詠ったゆえの寂しさ、それだけではないはずである。

そして、この歌の寂しさには断念のようなものすら感じる。

永井陽子について多くは知らないが、

たった三つの言葉のリフレインで読者にそういう思いをさせる。

凄いと思う。

取り入れてみたいが難しそうである。

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