2018年12月

今年いろいろ

今年最後のアーチェリー。

常連仲間と一緒に回って点数は来年がんばります(^^;

天気が良くていい気分でコースを回れた。

今年はいろいろ頑張った一年。

仕事は相変わらず忙しかった。

相続税の基礎控除引き下げでやはり相続関係の話は以前より増えた気がする。

山は去年の槍ヶ岳に続いて奥穂に登りたかったのだが、

台風で奥穂には登れず涸沢まで登って紅葉を見てきた。

海外登山はメキシコのネバド・デ・トルーカ。

想定外の雪で4500m付近で登頂を諦めた。

インパールの戦跡を訪ねたのも今年だった。

インドからミャンマーへ続く白骨街道の入り口まで行った。

かつて、ここからミャンマーへの退却路を飢えて歩いた兵士達がいた。

彼等が見たであろう山河を見てきた。

そう言えば、税理士会の支部の仕事で韓国に行ったのも今年。

税理士会の仕事ではかなり時間を取られた。

たぶん、来年からは支部の仕事ももう少し楽をさせてもらえそうだ。

短歌は

ちょっと忙し過ぎたかな

作歌に取れる時間も少なくて、毎月の結社への詠草の投稿も、

締め切りぎりぎりで10首作る感じだった。

もっと、腰を据えて歌に向き合うような、そんな作歌活動をしたいと思う。

そうでないと、マジメな話、創作活動をしている気がしない。

もっと自分の表現を追い求めていきたい。

そうでないと、自分の歌を選歌してくれた河野裕子さんに申し訳ない気がする。

そんなこんなで来年も頑張ります。

今年のブログへの書き込みは今日で終わります。

また来年よろしくお願いします。

それでは良いお年を。


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   射場の水仙

歌会

今年最後の歌会は湘南。

歌会が終わってからの飲み会で話が出たのだが、

湘南の歌会が立ち上がってもう十年以上経つ。

横浜の歌会のメンバーから「歌会の機会を増やしたい」という声が出て、

新しい歌会を立ち上げたのだった。

今まで歌会がなかった所に歌会が出来れば、新しい会員も増えるかもしれない。

そう考えてJRと小田急が乗り入れている藤沢に目をつけた。

立ち上げてみたらいろいろあるもので、

かなり嫌な思いもした。

歌詠みも普通の人間で、新しく立ち上げた歌会のなかで

しかるべき役なり地位を欲する人間はいるわけである。

歌詠みの俗をしっかり見せてもらった(^^;

ま、そんなこともあったが、

最初の期待通り、新しい会員も増え、活発な歌会が出来るようになって、

よしとするべきなんだろう(^^

で、肝心の歌会の方だが、

割と可もなく不可もない歌が多くて、

特に取り上げて書きたいと思う歌がなかった。

どうなんだろうな、もっと挑戦していいと思う。

もっと読者をハッとさせる、ギクリとさせる、そういう歌があってもいいはずだし、

そういう歌を作ることを躊躇わなくていいと思う。

いわゆる短歌的な歌とか、綺麗にまとまっただけの歌とか、

そういうものばかり詠っていても、

どうなんだろうね...。

批評にしても批評パターンにはめたような批評をしてもあまり意味がないし、

思ったこと感じたことを言うことを躊躇ってはいけないと思う。

歌会って、恥をかきに行くところ、そのくらいに思った方がいいのだろう。

文学趣味の大人が感想を述べあうような歌会ではなく、

刺激的な歌会を楽しみたいと思っている。


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納射会

通っている射場の納射会。

月に一度の射会とは別に年末、お餅つきを兼ねて射場の仲間達が集まる。

試合ではないので午前中は点数を気にせずコースを回る。

銀杏の葉っぱがすっかり落ちて、コースも冬の装いである。

点数は118点、もうちょっと頑張りたい点数かな(^^;

コースの上の畑の大根も大きくなつている。

植えた自然薯の葉っぱもすっかり落ちている。

来年あたり収穫できるだろう。

下の練習場に降りてくると既に餅つきが始まっていた。

つきたての餅は柔らかくて美味しい。

ここの餅を食べるとスーパーで売っている切り餅が美味しく思えなくなってしまうのが、

難と言えば難である(^^;;

昔、山岳会のザイル祭で餅つきはしていたのだが、

それもしなくなって、餅つきは年に一度ここでやるだけである。

雑煮、餡、きな粉、大根おろしで食べてわいわい話して楽しい一日だった。

来年も良い仲間達とアーチェリー楽しみたいと思っている。

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メキシコ 国立人類学博物館

メキシコ最終日は国立人類学博物館。

ホテルをチェックアウトして荷物を預かってもらいチャプルテペック公園へ歩く。

40分くらい歩いて到着。

日本で言えば上野公園みたいなところで、池があってボートは浮いていて

露店は出ているし、美術館や博物館は並んでいる。

そのなかの国立人類学博物館。

中央アメリカの遺跡から出土した遺物が展示されているのだが、

そのなかの幾つかを日本に持ってきて上野の東博で展示したら、

3時間待ちくらいの行列が出来そうだが、

ここメキシコでは行列に並ぶこともなく見ることが出来る。

なんというのか、次から次と出てくるので、

撮った写真をあとから見ても、

これはどこにあったんだっけ?  なんの時代のものだっけ?

そういう感じになってしまう。

そのくらいこれでもかこれでもかと展示が並んでいる。

ちょっと凄い。

アステカ・オアハカ・オルメカ・マヤ、滅びた文明をここで垣間見ることが出来る。

じっくり見たら結構時間がかかる。

帰りにチャプルテペック城を見て荷物を預けたホテルに戻った。

短いメキシコの旅だったが、見るもの満載だった。

ホテルでタクシーを呼んでもらい空港へ。

ちなみにホテルで呼んでもらったタクシー、白タクだった。

メキシコのタクシーは気を付けた方がいいらしいが、

ホテルで呼んでもらったタクシーは白タクでも大丈夫だったみたいで空港まで250ペソ。

メキシコの旅を終えて14時間の飛行で日本に戻った。

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  国立人類学博物館
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  ケツゥルコアトル神殿のレプリカ
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  昔、この上に生贄の人間の心臓を乗せたらしい
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  ジャガーを被った翡翠の戦士
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  太陽の石
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  正体不明の石像
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  後ろを見ると髑髏がある
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  これは確かオルメカ
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  何を相談している...?
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   マヤの象形文字
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  アステカよりさらに古代の洞窟壁画のレプリカ

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  帰国前、空港で飲んだテキーラのカクテル
 だから大きければいいってもんじゃないって(^^;

メキシコ テオティワカン

テオティワカンは紀元前2世紀から6世紀にかけて繁栄したらしい。

その後、アステカ人が12世紀にこの地にやってきたとき、

テオティワカンは既に廃墟だった。

アステカ人はこの廃墟は人間が作ったものではなく神々が作ったものだと思ったらしい。

テオティワカンに立つと、アステカ人がそう思ったのが分かる。

壮大なスケールで建設された古代都市が広がっている。

その時代の日本列島にこんな巨大な都市は存在しない。

第一ゲートから入ると広々とした敷地の向こうにケツァルコアトルの神殿がある。

正面のピラミッドの階段をのぼると、向こう側により古いピラミッドがある。

これが「ケツァルコアトルの神殿」。

古い建物を隠すように新しい建物が作られているわけで、

あるいは交代した王朝が前王朝の神殿を覆い隠すように新しいピラミッドを

作ったのだろうか?  見ているとそんな気がしてくる。

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  広い草地の向こうに「ケツァルコアトルの神殿」
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  神殿の前のピラミッド
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  ピラミッドを登ると後ろに「ケツァルコアトルの神殿」がある

中央の広い通りに戻り、北へ歩く、この広い道が「死者の道」である。

もっとも、アステカ人が発見したとき既に廃墟だったわけだから、

テオティワカンが都市として機能していたとき、

この道がどう呼ばれていたのかは分からない。

「死者の道」も「太陽のピラミッド」もなにもかも後世につけられた名である。

それにしても暑い、さすがメキシコは太陽の国だ。

死者の道をあるいていくと、テオティワカンで一番大きい「太陽のピラミッド」。

見上げると天辺に人が大勢いる。

ピラミッドの階段はかなり急で、昨日、ネバド・デ・トルーカに登ってきたのだが、

また登るのか・・・という感じ(^^;

えっちらおっちら登っていくとピラミッドの上に出る、結構広くて見晴らしがいい。

なぜか犬が昼寝していた。

この犬、あの急な階段を登ってきたのだろうか?

ちなみに、このあとの「月のピラミッド」の上にもやはり犬がいた。

西の方を見ると、やはり真っ直ぐな道があったような感じで、

あるいは、「死者の道」だけでなく、「太陽のピラミッド」に続く東西の道も

あったのだろうか?

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  死者の道
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  太陽のピラミッド
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  太陽のピラミッド 正面から
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  てっぺんは見晴らしがいい
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  太陽のピラミッドのてっぺんで昼寝していた犬
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  太陽のピラミッドで一番急な階段、あの犬、どうやって登った?

急な階段を下りてさらに「死者の道」を北へ。

途中、回廊にジャガーの絵があったりして、暑いなか「月のピラミッド」に辿り着く。

ここは「太陽のピラミッド」よりは小さいが、「死者の道」の北端にあって、

重要な儀式はここで行われたらしい。

ここに登り振り返ると、歩いてきた「死者の道」が真っ直ぐ伸びていて、

脇に「太陽のピラミッド」がでんとあって、絶景である。

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   死者の道の脇にあるジャガーの絵
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  月のピラミッド
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  月のピラミッドの上から死者の道を振り返る

この「月のピラミッド」、なぜか上の部分だけ風化している。

どうも、古いピラミッドを半ば覆うようにして新しいピラミッドを作った感じがある。

古くなるとそうやって建て直したのか、

あるいは王朝の交代によるものなのか、

それは分からない。

そんな目でふと脇を見ると、やはり同じような作り方が目についた。

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上の写真の左端のこんもりとした緑の丘は風化して草が生えた古いピラミッドであろう。

その右の構築物だが、後ろ側が風化して、「死者の道」に面した部分はしっかりとしている。

おそらくはそこにあった古いピラミッドを覆うようにして新しく作っている。

数百年にわたって、テオティワカンは都市として存在したわけで、

当然その間には栄枯盛衰があったはず、

しかし、その記録はなにも残っていない。

すべては密林に消えてしまった。

テオティワカンの滅亡には諸説あるが、

人口の増加による食糧不足、それに伴う社会不安、混乱。

そういうものがあったのではなかろうか?

マルサスが『人口論』で指摘した通り、

人口は制限がなければ幾何級数的に増えるが、生活資源は算術数的にしか増えない。

都市が建設され生活が安定し人口が増加したとき、それを賄う食糧の増産が出来なければ、

都市は維持できない。

当時の中央アメリカの農業は焼き畑だったはずで、

同じ土地で繰り返し焼き畑をおこなえば、土地は痩せる。

燃料の確保も問題だったはずだ。

現在でも不安定な地域の難民キャンプでは燃料の薪の確保が問題になっている。

薪にするために周囲の木を切り倒してしまい、ついには薪にできる木がなくなる。

ユーラシア大陸のように米や麦という生産性の高い作物を持たなかったアメリカ大陸は、

そういう点で都市の維持は難しかったのかもしれない。

南米のインカは大規模な灌漑工事を行うことで農業生産を確保しようとしたが、

テオティワカンは焼き畑に頼ったのだろうか?

都市の建設と人口の増加、周囲の環境破壊、それがテオティワカンを滅ぼしたのだとすれば、

それはそのまま現代の我々が直面している地球規模の問題にあてはまるのかもしれない。

「月のピラミッド」を降り、「ケツァルパパロットの神殿」などを見て、第三ゲートから

外に出た。我々は3時間ほど見て歩いたが、

テオティワカンをじっくり見て歩くには3時間でも足りない。

それとメキシコの太陽に焼かれるので水分は持っていった方がいい。

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  ケツァルパパロットの神殿
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  帰りの車窓から、メキシコのカラフルな街

メキシコ ネバド・デ・トルーカ

今回、メキシコに来たのはネバド・デ・トルーカという山に登るため。

メキシコで四番目に高い山で4704m

現地の登山ツアーとかガイドは使わず、日本から車だけチャーターした。

6時にホテルに迎えに来た車でトルーカへ。

市街を抜けて高速道路を走る。

ふと見ると、明けてゆく空に円錐形の山が煙をたなびかせている。

昨年あたりから再び噴火を始めたポポカテペトルだろう。5426mの高峰である。

1時間以上走っただろうか、ドライバーが、あれがトルーカだと指差すのを見たら、

上の方が白くなった綺麗な山が見える。

!?  雪あるの?

思わずメンバー全員の顔に苦笑いが浮かんだ。

ネットでトルーカの登山の記事などを読んで12月の始めあたりはまだ雪がないと判断して

やってきた。雪があれば当然アイゼン等の冬山装備が必要なわけだが、

今回、そういう装備を持ってきていない。

そうなると、頂上まで行くのは厳しい。

ま、行けるところまで行こうと話をする。

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  ネバド・デ・トルーカ

3
時間弱くらいでトルーカの登山口に着く。

ネットの記事と違って、ここからトラックの荷台に乗り換えてアンテナハットに

行くのだが、露店が並んでいてかなりの人、車も一杯である。

ここから歩いていく人もいるが、車で40分くらい? 歩けばかなり時間がかかるだろう。

アンテナハットもかなりの人である。

メキシコでは雪が珍しいので、雪の積もった週末はかなりの観光客が来るらしい。

アンテナハットから歩いて外輪山の縁まで20分くらい。

ここですでに4000mくらいの標高なのだが、雪の上で歓声を上げている観光客が沢山いる。

目の前には、トルーカの外輪山とカルデラのなかのふたつの湖、太陽の湖と月の湖がある。

青空の下の雪の稜線とふたつの湖が美しい。

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  登山口
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  アンテナハット
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  外輪山の縁へ登る このあたりは観光客が一杯
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  外輪山の縁から振り返る
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  奥に見えるのが最高峰のフレイル峰
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  フレイル峰に続く尾根と月の湖

ここから外輪山の稜線沿いにイーグル峰を目指す。

本来は最高峰のフレイル峰に行きたかったのだが、雪で真っ白なので冬山装備を持って

いない我々は雪の少ないイーグル峰を目指す。

メキシコの強い太陽、かなり紫外線を感じる。

振り向くと遠くに噴煙を上げるポポカテペトル、

その左にイスタクシワトルの白い姿がある。

稜線を辿って一時間半くらい、イーグル峰の手前に着くが、

岩峰を見上げるとしっかり雪がついている。

あの雪の斜面をトラバースして登るのはアイゼンがないと厳しいだろう。

ここで我等のトルーカ登山は終わりである。

稜線の上にどっかり腰をおろして休憩。標高は4500mくらい。

歩いていると息が切れるが休憩して深呼吸していると落ち着いてくる。

出発前の低酸素室でのトレーニング、多少は効果あったんだろうか。

日本では見られないような景色を眺め、昼飯を食べて稜線をくだる。

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  フレイル峰と稜線上の凍った?花
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  太陽の湖
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  振り向くと右に噴煙をあげるポポカテペトル 左にイスタクシワトル。どちらも5000m峰

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  イーグル峰 岩峰の右の雪のついているところを斜めにあがってゆく。
  アイゼンを持っていかなかったので、ここで断念

アンテナハットから再びトラックの荷台に乗って登山口に戻るのだが、これが長蛇の列。

熱中症にかかりそうな日差しのなか2時間くらいかかってようやくトラックに乗る。

待ちくたびれたメキシコ人のなかから不満の声が出始め、

車がくると周囲が先を急ぐなか走り始めたトラックの荷台に飛び乗る感じで転がり込む。

まだこれくらい体は動くんだと自分で感心する(^^;

登山口までかなり揺られて長く感じた。

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  アンテナハットで車を待つ行列
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  登山口に戻ってきた

行ったのが週末だったのがいけなかったのだろう、

登山口からの帰りも林道の両側に車がびっしりと止まっていた。

疲れて車に揺られながら車窓の景色を眺める。メキシコの街はカラフルだ。

6時半くらいにホテルに着き、いささかハードだった1日が終わった。 

 

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