2018年11月

低酸素室

ゆえあって低酸素室でトレーニングをしてきた。

場所は銀座の好日山荘という登山用品店。

新橋で下りて銀座を歩く。

新橋も銀座も久しぶりである。

10分くらい歩いて店に着き、早速、低酸素室へ。

3700m.富士山の頂上くらいの高さの酸素濃度に設定されているのだが、

特に違和感はなし。

血中酸素濃度と心拍数を測るが特に異常なし。

しばらく低酸素室内で休憩して5分おきに血中酸素濃度などを測るが変化ないので、

ランニングマシーンで歩く。

やはり、トレーニングし始めると血中酸素濃度は下がって70台になる。

以前、キリマンジャロに行ったとき、頂上で頭の後ろをぐっと掴まれているような感じが

あったが、聞くとそれは血中酸素濃度が60台くらいまで落ちている状態なんだそうだ。

とりあえずランニングマシーンでトレーニングしても異常なし。

ただ、店を出て電車で横浜に戻ったあたりで、気だるい疲労感はあった。

やはり、富士山の頂上でランニングマシーンでトレーニングするようなことをすれば、

体は疲れるみたいだ。

あと2回トレーニングをして高度馴化したいと思っている。

低酸素室って初めて使ったけど、果たしてどのくらい効果あるんだろ?

ちなみに3回で9000円。

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小林幸子第八歌集『六本辻』

小林幸子さんの第八歌集『六本辻』を頂いた。

結社内での歌集の贈答は当たり前にあるわけだが、

選者の方から歌集を送ってもらったのは初めてではなかろうか、ちょっと驚いた。

東京の方の歌会に年一度くらい出ているので、

その関係で送ってくれたのだろうと思うが、

やはり嬉しいものである。

早速読ませてもらった。

 

  六本辻に集まりてくる六本の木下の径のふと入れ替はる

 

歌集の題になった歌。

あとがきに

「辻という場所には心ひかれる。四辻はほの暗い印象があるが、六本の径が

放射状に伸びている六本辻はまぶしい青空の下にあるようだ。

六本辻という抽象の辻を出入りしながら、もうしばらくうたいつづけてゆきたい」

と書かれている。

この歌の辻が本物の辻かどうかは分からない。

木下に六本の辻があるというのは、現実にはなかなかないのかもしれず、

あるいはこの辻は作者の心の中にあるのかもしれない。

木下の六本辻は杣道のような細い道かもしれない。

その道が「ふと」入れ替わるというのが面白い。

「ふと」という言葉は短歌で使うには躊躇する言葉であるが、うまく使っている。

 

  石室の石の透間の青空をいまうつくしき傘のよぎりつ

 

歌集を読めば奈良の石舞台古墳と分かるのだが、一首でも充分に味わえる歌である。

「石室の」から始まって青空を導き出し、「いまうつくしき傘のよぎりつ」と簡潔に

まとめる作りが気持ちいい。

 

  ストローに檸檬の種の詰まりたる瞬間のしーんとした感じ

 

この感じ、分かる。

この瞬間のしーんとした感じ。それをこんなふうに直截に表現できるんだ

 

  あらたまの年の初めにおもふなり 黄のキリストと夜のかささぎ

 

黄のキリストと言われるとゴーギャンの絵が浮かぶ。

夜のかささぎと言われると七夕?

正直言って分からないのだが、なんとなく惹かれるのである。

なぜ惹かれるのかも分らぬ。

しかし、歌はそういうもんだと思っている。

 

  青空に鍵を落としてしまひしと探しゐる子にわれは見えざらむ

 

不思議な歌である。吾と子とどちらが生の世界にあり死の世界にあるのか...

そんな気分にさせる歌である。

こんな一連もあった。

 

  ガス室のうすくらがりに膝をつくルドルス・ヘスの孫に生まれて

  この庭に公開処刑されたりし祖父のかはりにひざまづくひと

  ヒットラー・チルドレンの血を絶やす決断をせり兄と妹は

  「ユダヤ人のみのイスラエルを」六芒星の旗をかかげて歩く人々

  収容所に生き残りたるユダヤびとの末裔にしてパレスチナ人ころす

 

小林さん、こういう歌を詠うんだな、というのが率直な感想だったのだが、

いずれもいい歌である。

底の浅い社会詠を作る向きは参考にするべき一連である。

 

  さねさしさがみ欠一音のふかさゆゑ浮かびあがれぬわがおとうとの

 

この歌は正直、読み切れていない。

小池光の歌の本歌取りであるが、

小池光の歌の「あおき海原」をふまえて「浮かびあがれぬわがおとうとの」は

あるはずであり、喪った弟への作者の深い思いがあるはずである。

一首で読むのは難しい歌のような気がする。歌集のなかで読む歌かもしれない。

次のページにこの歌がある。

 

  六本辻のラウンドアバウト幾回りしてゐるうちに人は消ゆるも

 

喪った弟さんの留学していたエンスケデを訪ねて小林さんは旅をしている

そういう一連で読む歌であろう。

 

いい歌集ほど時間がかからず読めるもので、

『六本辻』は一晩で読んでしまった。

小林さん、いい歌集を頂きました。ありがとうございます。


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後援会

集まりが悪いので来てくれと頼まれて横浜西口へ。

どういう集まりか詳しく聞いていなかったのでホテルのフロントで

「〇〇さんのどったらこったらとかやってる?」とわけの分からない聞き方したら、

すぐに分かった。

さすが日本のホテルはサービスがいい(^^;

行ってみると、「〇〇議員後援会定期総会」と書いてある。

中に入るとテーブルに既にみな着席している。

空いている席に座り、ちょうど隣に知った顔がいたので、

「オレ、後援会入ってないんだけど?

「私もです。電話で呼び出されて」

「後援会の連中なにやってんの? 出ないの?

「みたいですね

税理士会では政治活動も必要ということで後援会を作るわけだが、

つまり、定期総会の集まりが悪くて急遽引っ張り出されたらしい。

「〇〇さんて、うちらのために働いてくれんの?

「どうなんでしょうね、出身業界違いますからね」

会場では来年の消費税増税についての話が多かった。

議員曰く

「消費税は予定通り上がります。リーマンショック級の問題が起きても上がります」

「軽減税率については我々も言っていきますが税理士の皆さんにも代案を出して頂きたい」

代案を出せって言うのは、軽減税率を止めようという気はないってことだよね。

税理士会の出席者が面白いことを言っていた。

「軽減税率でファーストフードの持ち帰りは8%。親は子供に言いますよ。

店員に持ち帰りかと聞かれたら店内で食べるときでも持ち帰りだと答えろと、

そうすれば安くなるんですから。それでいいんですか?

子供に嘘をつくことを教えるんですよ。

それで子供に社会規範守れと言えますか?

確かにそういうことも起きるだろうね

同じテーブルに女性の秘書さんが座っていたので聞いたら、

議員さん、このあと2軒回るんだそうだ。その時点で8時過ぎ。国会議員って、

なにはなくても気力体力なんだろうな。

さらに秘書さんに聞くと、なかなか議員の秘書という仕事、ブラックである(^^;;

予定過ぎて9時くらいでお開き。

可愛い秘書さんに挨拶してさっさと帰った。


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歌会

ホームグラウンドの横浜歌会、今年3回目の出席。

ホームグラウンドにしては出席が少ないのは、

同じ歌会に続けては出席しないことにしているからである。

続けて出席していると、どうしても歌の傾向が分かって、

この歌はこの人の歌だろう、だからどうのこうの、

そういうバイアスのかかった批評をする向きが出てくるわけである。

そういう批評は聞いてもしょうがないので、

もうかなり前から同じ歌会に続けては出席しないようにしている。

今回の歌会は題詠一首と自由詠一首。

題詠は「秋の夜」を「秋」と「夜」の字を使わずに表現せよという、

かなりマニアックな題詠だったわけで、

蓋を開けてみたら出席者21名のうち題をこなしているのは半分くらい。

もう半分は「これ秋?」「これ夜?」という感じ(^^;

ま、難しい題だったのかもしれないが、

難しい題をこなすことで自分の力を磨くわけである(^^;;

で、気になった歌。

例によって、誌面発表前なのでここには出せないが、

ベランダから首をのばして十三夜の少しへこんだ月の輪郭を眺める、

そんな歌意の歌(そのまま出せないので言葉を変えている)

この歌、実は題詠ではなく自由詠の方に入っていたのだが、

まさに秋の夜の歌である。

秋から冬にかけて満月に近い月は天頂付近にある。

ベランダから首をのばして月を見るという表現は作中主体の動作のディテールから

季節をよく表しているし、十三夜というのは一般的には秋の十三夜のことをいう。

月は欠けるときも満ちるときも右から。

つまり満ちるときは右から左に満ちる。

十三夜の月というのは満月の手前で、月の左側がまだ微妙に満ちていない、

そういう状態である。

この歌、歌会ではあまり評価されなかった。

総評でも「少しへこんだ」が月の形としてどうか、という意見。

たぶん、「へこんだ」というのが凹の字のような形を想起させて十三夜の月の形に

合わないという意味だと思うのだが、

「へこむ」というのは必ずしもそういう凹部を思い浮かべなくてもいいわけで、

実際の月の満ち欠けの形を思い浮かべれば違和感はないと思う。

風船に例えるなら、円い風船の左側が透明の下敷きとかで微妙に押されて

真円になっていないような、そういう感じ。

歌会というのは、そこで評価された歌が必ずしもいい歌とは限らず、

評価されなかった歌のなかにいい歌があったりもするわけで、

そういう歌を見出すのも歌会に出る面白さである。

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   横浜の歌会

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