2018年10月

軽減税率

消費税が来年101日から増税される。

税率が現在の8%から10%になり、

食料品等については現在の8%の税率据え置きで、これが軽減税率。

軽減税率の導入に伴ってインボイスが必要になり、これは平成3510月から。

不思議なもので、税率引き上げ論議のときは、報道などでも軽減税率反対というのは

少なかった。むしろ、生活者保護のため軽減税率は必要という方向の報道が多かった。

いよいよ増税が来年に迫って、

この頃の報道では軽減税率についての懸念が増えている。

「同じ商品をファーストフードで買って持ち帰りは8%、店内飲食は10%、不公平では?

「現場が混乱するのではないか?

「企業の事務負担が増えて、結局、価格に転嫁されるのではないか?

みなもっともである。

税理士会は以前から軽減税率に反対してきた。

理由はいま報道で懸念されている内容そのまま。

正直、「なにを今さら?」と思う。

軽減税率にそういう問題があることは以前から分かっていたことで、

ならなぜ、増税が議論されていたときに、それを指摘しない?

その頃は「生活者保護のための軽減税率」という方向の報道の方が、

受けが良かったということか?

そのときそのときで受けの良い方向での報道をしているなら、

そういうジャーナリズムは質を疑われても仕方あるまい。

はっきり言って、軽減税率は増税議論のときに言われたような生活者保護にはならない。

現場での複数税率の管理、さらに平成35年から始まるインボイス制度により

企業の事務負担は確実に増える。

企業は当然にそれを価格に転嫁する。

さらにインボイス制度により免税事業者を取引から排除する動きが出ることも考えられる。

免税事業者がそれを回避するために課税事業者を選択すれば、

年商1000万に満たない零細事業者の経営はさらに厳しくなるだろう。

なにもかも、最初から分かっていたことである。

「軽減税率」という政治家にとっては有権者に受けのいい言葉。

受けのいい報道に流れたジャーナリズム。

耳障りのいい言葉を受け入れた有権者。

民主主義は必ずしも最善の選択をするわけではない。

その結果としての軽減税率が来年10月から始まる。


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   某税務署に貼ってあったポスター
  今年から始まった収入保険って、農水省が推進しているんだろうけど、
  扱っている農業共済組合というのはあくまでも民間。
  民間の保険の宣伝を税務署でやっていいのかね?

区民まつり

横浜市の各区で毎年秋に開催される区民まつり。

税理士会でも税務と成年後見の相談ブースを出す。

相談員を手配し、必要な資材を朝早くから運んでブースの設営をしたり、

結構忙しいのである。

とりあえず土曜、ほどがや区民まつり。会場は県立保土ケ谷公園。

資材搬入の車で混んでしまうので、朝7時に出る。幸いまだ空いていたのでスムーズに

荷物を下ろせた。担当の副部長とふたりで設営を済ませ、途中のコンビニで買ってきた

弁当で朝飯、見ると向こうのブースがブルガリアの物産紹介のブース。

昨年もブルガリアワインを売っていて、これがなかなか美味しかった。

祭りが始まるまで時間があるので、ワインを買って飲んでいようかとか二人で話して

いたのだが、10時あたりに税務署長と支部長が来るらしいので、

そのとき出来上がっているわけにもいかないので諦めた(^^;

相談員もやってきて祭りも始まり、人が増えてきた。

最初は相談者がいなかったが、ちらほらとあらわれて最終的にこの日の相談事績は32人。

ここ数年、相談の事績は増えている。

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  ほどがや区民まつり
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  税理士会のブース

翌日曜は瀬谷フェスティバルと旭ふれあい区民まつり。

副部長には旭に行ってもらい、自分は瀬谷へ。

上瀬谷の米軍通信基地の跡地が会場、広い原っぱである。

会場に行ってみると、ブースは特設ステージのすぐそば。

そのうち機材の点検で音楽を鳴らし始めたのだが、これが煩い。

音響の係のところに行って、「税務相談できないから音小さくしてくれ」と文句言ったが、

音については演者の要請でやるので無理と言われた。

「あそこがブースなんだ」と指さすと、

「えっ、あそこでやるんですか?  それって最初から配置に問題ありますよね」と

同情されてしまった(^^;;

区の担当者も困っていたが、今更場所を変えることもできず、来年以降場所を考えて

くれで話は終わり。

結局この日、大音響のよさこいソーランやカモンベイビーアメリカを聞きながらの

税務相談、呼び込みの声も消されて昼からは疲れてブースで座っていた。

それでも相談事績31件、よく頑張った(^^;;;

天気に恵まれ、この日の瀬谷フェスティバルは6万人の入場者があったらしい。

来年3月で担当の部を外れるはずだから、

区民まつりとの付き合いも今年で終わり。

なにはともあれ無事に終わって良かった(^^

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   東京地方税理士会のイメージキャラクター「トッチーくん」(右)と
  国税電子申告のイメージキヤラクター「イータ君」(左)
  子供達に人気がある。
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       瀬谷フェスティバル 会場風景

歌会

ひさしぶりに福島の歌会に参加。

例によって気になった歌、というより気になったこと。

しばらく前、このブログでも書いたが、

所属している短歌結社がセクハラの相談窓口を作った。

1000人を超える人間が集まればいろいろな向きがいるわけで、

なかには歌会でセクハラじみた発言や行為をするようなヤツもいるだろう。

だから、そういう相談窓口が作られること自体は結構なことである。

ただ、相談窓口を作りましたという誌面の案内を読んで気になったのは、

セクハラの例示として挙げられているもののなかに、

『「女の子、お嬢さん、坊や、僕」「おじさん、おばさん」など性差別意識に根ざす、

人格を認めないような呼び方をすること』

というのがあって、これを読んだとき、

こういう言葉を短歌で使うとセクハラだと言い出すのが出てくるんだろうな

そんな危惧を抱いたのだが、

さっそく、福島の歌会でそれがあった。

なにを隠そう、私の詠草(^^;

歌のなかに「おばちゃん」という言葉を使ったのだが、

出席者から「結社誌の9月号に出ていました。この歌はセクハラです」との批評。

で、私は歌会の批評からは外れるのだが発言を求めた。

まず、結社が問題としているセクハラとは、

結社内や歌会での人間関係におけるもののはずである。

短歌の表現でこういう言葉を使ったらセクハラだとか、そういうことではあるまい。

文芸も芸術もセクハラに満ちている。

表現の世界にセクハラの定義を持ち込んだら、

ヴィーナスもダビデ像も多くの絵も小説も否定されなければならなくなる。

ちなみに、結社誌のセクハラの例示は結社の編集部が考えたものではない。

ネットで調べればすぐに出てくるセクハラの例示をそのまま引用しているものである。

そのなかで、「女の子、お嬢さん、坊や、僕、おじさん、おばさん」という言葉が

セクハラに該当するのは、それが性差別意識に根ざして用いられる場合だが、

それらの言葉は古くから使われている日本語で、

その言葉の使用がすべて性差別意識に根ざすわけではない。

短歌でも当たり前に使われてきた。

上役の娘さんを「お嬢さん」と呼ぶとき、そこには性差別意識はだふんあるまい。

他の言葉も同じであり、どういうシチュエーションでその言葉が使われたのか、

それによってセクハラになるわけである。

しかし、誌面にああいう形で出ると勘違いする向きは出てくるのである。

真面目な向きほど、教科書的に物事を受け取ってしまい。

こういう言葉を使ったらその短歌はセクハラだと考えてしまうのかもしれない。

セクハラとはあくまでも人間関係におけるものであり、

表現の世界にセクハラという判断基準を持ち込むべきではない。

だから私は歌会の批評でセクハラという言葉は使いたくない。

でも、たぶん、これからも歌会で、この歌はセクハラだ、

みたいな批評出てくるんだろうな

なぜそんな心配をするのかといえば、

セクハラに限らず、ステレオタイプな認識にとどまって問題の本質を理解していない

人というのは実は沢山いるのである。

ひとつ例を挙げるなら、

じはらく前、東京の歌会のあとで結社の新人賞のお祝いがあった。

新人賞を取ったのは男性で、

その新人賞の歌のなかに「フランチェスカ」という女性が出てくるのだが、

お祝いの席で、その男性を取り囲んだ女性陣、

「フランチェスカとはその後どうなったの~」

「今でも付き合ってるの~」

笑える話と言えば笑える話なのだが、

私は「おばちゃん達がまったくやめなよ」と言った。

周囲は私が冗談で言っていると聞いていたようだが、本当に不快だったから言った。

これが新人賞を取ったのが女性で、その女性を取り囲んでおじさん達が、

「あの歌に出てくる人とはその後どうなったの~」

「今でも付き合ってるの~」

と言ったら、完璧にセクハラである。

こういう微妙なところを本当に理解しているんだろうか?

問題の本質を理解せずに、誌面の例示を教科書的に受け取って短歌の世界に

言葉狩りを持ち込む向きがあらわれるのではないか、

私はうっすらと危惧している。

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     福島歌会

リレーアンケート

短歌の結社から封筒が来て、なんだと思ったら、

誌面のなかの「リレーアンケート」の原稿を書けと。

毎月出る結社誌に会員がリレーで幾つかの質問に答える形で書くのだが、

その順番が回ってきたわけである。

で、それはいいのだが、

前の順番の人からの質問がひとつ入っている。

それが「分厚い結社誌をどうやって読んでいますか?」という質問。

白状します。

御免なさい、読んでいません(^^;

呆気なく「読んでいません」と書くのも気が引けるので、

その辺はちょっと引っ張って書くわけであるが、

入会当時は確かに読んでいた。

自慢するわけではないが、結構しっかり読んでいた。

しかし、会員が増え、今は1000人を超えているのだろうか、

結社誌が分厚くなり、欠詠する人もいるわけだが1人平均5首として、

一か月で数千首の歌を読むというのは、

余程の暇人か変人でなければ不可能である(^^;;

で、余程の暇人でも変人でもないので、

結社誌をすべて読むことは諦めた。

はっきり言って今は読み流している。斜め読みのレベルでさえない(^^;;;

歌だけではなくて、評論とかいろいろあるわけで、

読んで価値あるもの満載なのは分かっているのだが、

時間がないものは仕方がないわけである。

だいたいもって結社誌だけでなく、

他にも読まなければならないもの読みたいものは沢山あるわけで、

皆どうやって読んでいるんだ? と素直に思う。

歌を作るにしても時間がないというのはやはり厳しい。

フルタイム歌人はいいのである。

パートタイム歌人はどうやって時間を作っているんだろうか?

誌面でその辺の話を書いてもらえると参考になって、

自分のような不良会員ももう少し結社誌を読むようになるのではないかと

思うわけである(^^

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     横浜美術館

上高地2

さぞかし暴風雨にさらされるのだろうと思った横尾山荘、不思議なくらい静かだった。

地形の関係で頭の上を風が通り過ぎたんだろうか?

夜中に時々目を覚ましたが、あまり静かなので、あるいは台風がそれたのかと思った。

朝、談話室に行ってテレビを見てみると、台風はもう山形あたりに行っている。

いささか拍子抜けする感じ。

食事を終えて外に出てみるが小雨が降っている程度で天気は回復する感じ。

ふと見ると屏風の上に虹がかかっている。

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雨が止むのを待って7時過ぎに出発。

涸沢への道を歩く。

左側に屏風岩がだんだん姿を現す。

若い頃、通った岩壁である。

懐かしい思いで見上げながら登っていく。

吊り橋で沢を右岸に渡ってからはだんだん登りになる。

雨が降ってきたのは天気が悪くなったのではなく、

まだ雨雲がかかっている高さに登ってきたからだろう。

合羽を着て黙々と登る。

10月の北アルプスで雨に打たれるとやはり寒い。

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  若いころ登った屏風岩
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  吊り橋

周囲にナナカマドの紅葉が広がるようになり2時間半ほどで涸沢ヒュッテ着。

着いた頃には雨がやんで見通しが効くようになった。

涸沢ヒュッテは涸沢カールの底にある。

擂り鉢の底から周囲の山稜を見上げるようなもので、

その擂り鉢の斜面に鮮やかな紅葉が広がっている。

写真を撮っていたら雲がぐんぐんと流れて稜線が姿を現した。

なにはともあれその写真↓

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台風一過の見事な紅葉の涸沢が眼前に広がった。

昨日のうちに涸沢に登っていたら、たぶんこの時間まで待っていなくて下山していて

見られなかっただろう。

これも日頃の行いの良さ、神様はやはり見ていてくれるのである(^^;

穂高の頂上が見え、このまま登りに行ってしまおうかと思うのだが、

どう計算してもそれで上高地まで今日中に下って予約しているホテルに着けるのが

8時過ぎくらいになる。

素直に涸沢から下りることにした。

奥穂は来年の楽しみにする。

すつかり天気が回復した涸沢を下り横尾に戻り、

4時頃、台風のせいかやはり人の少ない上高地に着。

翌日は朝食後、いつものように歩いて20分くらいの温泉に入りに行き、

帰ってきてからは河童橋を眺めながらコーヒーを飲む、いい時間である。

チェックアウト後はホテルに荷物を預けて上高地を歩く。

何度も歩いている上高地だが、上高地は何度歩いてもいい。

明神池も岳沢湿原も実は若い頃は行ったことがなかった。

若い頃は、岩登りをするために穂高に来るのであって、

上高地はただ通過してしまう場所だった。

だから、明神池も岳沢湿原もウェストン碑も、名前は知っていたが見たことは

なかった。年をとって若い頃とは違う楽しみ方をするようになった。

これからもこんなふうに上高地を楽しみたいと思っている。


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  日帰り入浴できる上高地温泉ホテル

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  明神池

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  ホテルのテラスから穂高連峰

上高地

去年の槍ヶ岳に続いて今年は奥穂に登ろうと計画していたのだが、

台風で呆気なく予定変更。

とりあえず初日は横尾山荘で泊り、台風を遣り過ごすことにした。

最初の予定では上高地から一日で穂高の頂上下の穂高岳山荘まで登るつもりだったのだが、

たぶん、昼過ぎから雨が激しくなる。途中の横尾で様子見である。

横尾までなら上高地から3時間で着くので、いつもなら沢渡から始発のバスに乗って

上高地に入るところ、のんびり車のなかで仮眠して9時過ぎのバスで出発。

台風のせいだろう、人も少なくてバスも空いている。

ま、夜中に雨の高速道路を台風の方に向かって走ってきて、しかも山に登ろうなんて

酔狂なヤツはあまりいないのだろう。

午前中はなんとか天気が持ちそうで、河童橋のあたりもぽつりぽつり降っている程度。

河童橋から明神、徳沢園、横尾と歩くのだが、

人が少なくて静かな秋の上高地である。

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  河童橋から穂高連峰
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  明神館で今年から始めたという、りんごビール
  リンゴジュースに生ビールが入っている感じ
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  徳沢園 いつもならテントが一杯張ってある広場も誰もいない。

結局、思った程には降られず昼過ぎに横尾着。

横尾山荘の隣の建物にいるレンジャーが顔を出して「今日はどちらまで?

「横尾に泊まって台風遣り過ごすつもりだけど、案外降らないですね。

今日中に涸沢まで行こうかとも思うけど」

「いや、それは別のリスクがあります。前の21号の時も涸沢までの登山道で30本ぐらい

木が倒れました。今日は横尾に泊まった方がいいです。時間早いですけどその方がいいです」

なにがなんでも涸沢まで行かせない雰囲気(^^;

素直に横尾に泊まる。

ちなみにこの横尾山荘、予約していても予約していなくても到着順で受付。

つまり予約してもあまり意味がない。

ま、山小屋って、泊りに来た人断ると遭難につながる場合があるので

基本的には受け入れるのである。

2段ベッドの相部屋、一泊二食でひとり1万円、食事はまあまあ。

山小屋には珍しく風呂がある。

食後、談話室のテレビで台風の動きをやっていたが、

もろにこちらへやってくる。日付が変わる頃、頭の上という感じ。

大雨が降るとか車が飛ぶとか言っているが、心配してもしょうがないので、

ウイスキーを飲んでさっさと寝てしまう。

続きはまたあとで。


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 横尾山荘から涸沢方面 着いたときは小雨 

 

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