2018年09月

歌会

湘南での歌会、気になった歌。

例によって誌面発表前なので、ここには出せないが、

雪ではない小窓に見える白いものが降りつつサルスベリの花だと気づいた。

そんな歌意の歌。

読んで引っ掛かったのは、「降りつつ・・・気づいた」という表現。

主語が変わるのである。

(白いもの)が降りつつ・・・()が気づいた、そういう構造。

例えば、花を見つつ気づいた、という表現だと、

()が花を見つつ()が気づいた、で主語が変わらないので違和感なく読める。

で、そういう批評をしたところ、

「確かに主語が変わるけど、それで否定してしまっていいのだろうか・・・?

そういう歌もあったような気がする」

という意見があった。

不勉強な歌詠みなので、どういう歌があるか考えてみたが、パッとは浮かんでこなかった。

古い歌ではこういう歌がある。

 

  田子の浦にうちいでて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ

                            /  山部赤人

 

()が見れば・・・()は降りつつ、である。

この歌の場合、主語が変わっているのであるが、

上句は作者の行為、それを受けて下句はその作者が見ているもの、という構造で、

「降りつつ」が結句にあり、「つつ」という継続の接続助詞が

「雪は降りつづけているなあ」という詠嘆を感じさせている。

こういう使い方ならば受け入れられるのだろう。

一方、歌会の詠草の場合は、

「降りつつ」がそのまま次の句につながるので、

「~~をしながら~~をする」というふうにどうしても読めてしまうのである。

この場合は主語が変わると違和感が生じる。

つまり使い方によって、変わるのであろう。

あるいは他にも「つつ」を使って主語が変わっても違和感を感じさせない歌が

あるのかもしれない。

いろいろな歌を知っていれば、歌会ですぐに例歌を出せるのだが、

いかんせん、時間に追われているというのか、

単に不真面目な歌詠みというのか、

古今東西の例歌がパッとは出てこないのである。

だから、歌会で例歌をさらさらと諳んじる人を見ると、

こいつバケモノか?  あるいは暇人か?  とつくづく思ってしまう(^^;

もし、このブログを読んでいる人で、

「つつ」を使いつつ主語が変わっても違和感を感じさせない例歌を御存じの人がいたら、

教えて頂きたい。

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  鎌倉 宝戒寺の萩 

 

 

 

 

歌会のセクハラ

短歌結社への毎月の出詠、出詠用紙が結社紙に綴じこんであるので、

それを開いていたら、こんなページが目に入った。

「セクシュアル・ハラスメント防止の取組みと相談窓口の開設について」

へぇ~…、短歌結社でもこういうことやるのは、やはり時代なんだろう。

で、セクハラの例が書いてある。

 身体に不必要に接触すること、身体を執拗に眺め回すこと

 わいせつな画面・文書をわざと見せたり、読んだりすること

 食事やデートにしつこく誘うこと

 ・・・・中略・・・・

 ・・・・中略・・・・性的な関心・欲求に基づく発言

 「女には任せられない」「男のくせに根性がない」など性別により

 差別しようとする意識等に基づく発言

読んで思わず笑ってしまった。

いるよ!  いるよ!  うちの結社にこういうオバチャン何人もいるよ! (^^;

ちなみに、この「オバチャン」もセクハラなんだそうだ。

例示に書いてある。

   「女の子、お嬢さん、坊や、僕」「おじさん、おばさん」など性差別意識に

 根ざす、人格を認めないような呼び方をすること

う~ん・・・。これらの言葉が必ずしも

「性差別意識に根ざす、人格を認めない・・発言」だとは思えないのだが、

その言葉が使われたときのシチュエーションなんだろうな。

しかし、こういうふうに出てくると、大抵、一人歩きを始めるのである。

「女の子、お嬢さん、坊や、僕、おじさん、おばさん」

こういう言葉は短歌で当たり前に使われる言葉だが、

これからは歌会で「セクハラだ」と言われるのだろうか?(^^;;

そんなことを思ったのは、

しばらく前の歌会で、「セクハラ」という批評が出たことがあったのである。

細かくは覚えていないが、確か、

スマホを指でいじって操作するのを「お触り」とか「微妙なタッチ」とかいう言葉で

表現した歌で、ま、その辺の表現の可笑しさを狙ったのだろうが、

歌会の女性陣の批評は厳しかった。

「セクハラのよう」「なんで、わざわざこんな表現を」。

なぜかそのあと私が指名されたので(^^;;;

「可笑しさを狙って滑ってしまった歌で、これほど滑るように作る方も作る方だが、

セクハラとかそういう読みをする方もする方という気がする」

とコメントした。

およそ、文芸も芸術もセクハラに満ちている。

ヴィーナスやダヴィデ像はセクハラの定義そのままではないのか?

駅前にダヴィデ像の恰好して立っていたら、わいせつ物陳列で捕まるのだろう。

ならなぜ、ダヴィデ像はセクハラではない?

芸術として昇華されているからか?

その線引きをどこでするのだ?

こういう危惧を覚えるのは、

先日のその歌会での女性陣の「セクハラ」という批評が、

「一斉にスイッチが入ってしまった反応」に思えたからである。

そういうものが出てくると、歌として批評しようとするのではなく嫌悪感が先に立って、

「セクハラ」として切り捨てる方向に全体が流れてしまう。

この「一斉にスイッチが入ってしまった状態」というのは他の場面でもある気がする。

以前、同じ歌会でドメスティックバイオレンスに触れた歌が出たが、

「一斉にスイッチが入ってしまい」、歌会の女性陣が総誤読したということがあった。

そういう、周囲に流されやすい傾向がどうも気になるのである。

もっと言えば、そういう向きは「愛国」というスイッチが入れば「愛国」に流れ、

「平和」というスイッチが入れば「平和」に流れるのかもしれない。

スイッチが入って流れているとき、

実は自分の思考は疎かになっているのである。

セクハラを擁護しているのではない。

「セクハラ」がいつのまにか一人歩きして歌の批評にまで入ってこなければいいと

思っている。少なくとも自分としては、

歌会の批評で安易に「セクハラ」という言葉を使いたくないと思った。

それと、相談受付窓口が選者になっているのもどうなのかね?

窓口3人のうち、一人は弁護士だがあとの二人は選者である。

ただでさえ忙しい選者にそういう話を振るの?

それにはっきり言えば選者はその方面は素人だよ。

1000人から会員がいる結社なら法曹関係者もいるだろう。

申し立てた者がすべて可哀そうな被害者だという構図はドラマのなかの話であって、

現実世界のどろどろはプロに任せた方がいい気はする。


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  射場の彼岸花

 

Never Give Up

アーチェリーの射場の常連仲間のS

何年か前、「釣りをしよう、釣りをしよう」と言い出し、

仕方なく常連仲間何人かで付き合って舟釣りに行った。

喜び勇んで舟に乗ったのはいいが、

ふと見ると、Sはうつろな目で遠くを見て茫然と立ち尽くしている。

「なにやってんの?」と聞くと、

「気持ち悪い、下向くと吐きそうになるんだ、座れない

なんでも遠くを見ているのが船酔いにはいいらしく、

結局、Sはその日、港に帰るまで、釣竿を手にすることもなく茫然と立ち尽くしていた。

同乗した常連仲間は、話しかけるのも気の毒な気がして、Sのことは気が付かないふりを

して、皆それぞれに釣りを楽しんでいたのだった(^^;

これで懲りただろうと思ったら、

世の中には懲りない奴らというのはいるもので、

船酔いしても船酔いしてもSは釣りに行こう行こうと言うのである。

で、行く度に船酔いをして、

Sがコマセを撒いてくれたから釣れたよ」などと仲間に言われてもあきらめない。

仕舞には、本牧の海釣り施設の桟橋で波を見ているだけで船酔いになりかけたという

伝説まで作ってしまったのだが、

それでも神はそういう人間にも慈悲を垂れてくれるもので、

酔い止めの薬を飲んで舟釣りに出ているうちに、

だんだんSは船酔いしなくなった。

で、先日、メールが入ったので見たら、この写真。


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センチ、4.25キロの大物の鯛。

う~ん

「下を向いたら吐きそうになる」と言って茫然と立ち尽くしていた日からはや何年。

こんな釣果を得る日が来るとは誰も思わなかった。

諦めないということはやはり大切である。

何事も前向きに取り組んでいくこと、そうすれば道は開けるのである。

ま、釣りに魂を売ったからアーチェリーの方はいまいちだという声もあるが、

それはそれ。良かった良かった(^^;;


韓国訪問 韓国で思ったこと

韓流とかエステとかグルメとか興味がないので訪ねたことがなかった韓国だが、

税理士会の関係で初めて訪ね、それはそれでなかなか面白かった。

で、そこで思った幾つかのことについて書いておこうと思う。

まず、最終日の国立中央博物館、そこで感じた違和感について。

日本なら当たり前の年代表示が少ない。

かなり重要な情報だと思うのだが、なぜ?

そして、一生懸命説明してくれたガイドさんが言っていた、

「日本の広隆寺の半跏思惟像と瓜二つの半跏思惟像があります、韓国の国宝です、

是非、見てください」

決して変な意味で書くのではなく、見てきた同行メンバーの感想をそのまま、

「顔に猪八戒はいってますよね」

「体アンバランスでしょ、日本のと違いますね」

確かに。半跏思惟という様式は同じなのだが、似て非なるものかなという気はする

ガイドさんは広隆寺の半跏思惟像は韓国で作られたみたいなことを言っていたが、

広隆寺の半跏思惟像にはアカマツと韓国には自生していない楠が使われている。

ガイドさんは「日本にはアカマツはない」と言っていたが、

アカマツは日本に当たり前にある。そして韓国にない楠、目の前で見るセンスの違い

百済の造仏技術を学んだ日本人、あるいは百済から来た技術者の子孫が作ったのかなと

いう素朴な疑問は抱く

昔、韓国から修学旅行で来た高校生達が広隆寺の半跏思惟像を見て、

「韓国から盗んだものだ!」と言って騒ぎになったことがあったのだが、

造形を見る限り、どうも違う気がする。

もうひとつ違和感を覚えたのは、

古代史のあたりを見ていたら英語表記でゴジョソンと書いてある一角があった。

ゴジョソンってなんだ?  と思って受け取っていた日本語の案内を見たら「古朝鮮」だった。

博物館の案内には「燕や秦にならぶ大きな国」みたいなことが書いてあった。

う~ん….。それって、韓国ドラマの「朱蒙」の世界じゃないのか?

ドラマのナレーションの「われわれはかつて大きな国を持っていた」みたいな

歴史の世界で古朝鮮といえば「衛氏朝鮮」。

燕からの亡命者・衛満によって建てられた国で、すなわち春秋戦国の戦乱を逃れた中国から

の難民が朝鮮半島北部に建てた国である。そもそも国名も不明な国で、記録した司馬遷が

国名が分からないので当時の地名をつけて朝鮮と書いた。

それ以前の箕子朝鮮は存在が確認されておらず、檀君朝鮮は神話の世界だ。

国立中央博物館は学問と研究の場ではないのか?

ドラマの世界や願望を歴史とする場所ではない気がする。

このゴジョソンの展示物も年代表記はなかった。

よく分からん

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   国立中央博物館

実は、最初の日に訪れた仁川市立博物館でも違和感を抱いたのだが、

ガイドさんが一生懸命説明してくれるので黙って聞いていたのである。

「日本語の『くだらない』は、百済にはないもの→くだらないもの、というのが語源です」

「奈良は韓国語の国『ナラ』で、奈良は百済人が作った二番目の国でした」

まず、日本語の「くだらない」は古代の言葉すなわち古語ではない。近世以降の言葉であり、

古代の百済の国名が近世の「くだらない」の語源になったという解釈には無理がある。

それに「KUDARA」自体が後世の音便変化で、もとは「KUTARA」だった。

「くだらない」の語源が「百済ない」というのはこじつけの感がある。

後世日本の、京と江戸の関係で「のぼる」「くだる」、その辺が語源ではないのか?

奈良の語源が韓国語の国を意味する「ナラ」というのは、

正直、私も説として魅力的なものを感じているのだが、

韓国語の国を意味する「ナラ」は比較的新しい言葉で、

古代の朝鮮半島でそういう言葉があったという検証ができないのである。

日本語の「平にする」→「ならす」それが語源だという説が有力である。

それ以上に、もし百済がこの東の列島に第二の国を作っていたのなら、

中国の史書に残っているはずである。

倭の大王も中国への国書で征服した周囲の国々を数え上げた。

中華の序列の中でおのが領域を少しでも大きく見せたいのである。書かないはずはない。

半島からの移住民が故郷を思ってその土地を「ナラ」とよんだ、そういうシチュエーション

はあり得ると思うのだが、それはガイドさんの言っていた「二番目の国」ではなかろう。

もっとも、ガイドさんの説明は別にいいのだ。

どこの国の人にも自分の国への誇りがあり、それに彩られた説明をガイドさんがしても、

黙って聞き流していればいいのである。

ただ、ひとつ思うのは、

現代の国家観や民族感情を歴史に投影するのは間違いだということである。

過剰な民族意識が国立中央博物館の展示にまで影響を及ぼしているのだとしたら、

そういう社会は危ういと言わざるをえないだろう。

かつて古代、朝鮮半島とその東の列島にまたがって住んでいた人達がいたのであろう。

中国の史書はそれを「倭」と記した。

倭は海峡の両岸を行き来し、それぞれの土地に国を建てたのであろう。

やがて、海峡の東側の倭はさらに列島の東の住民と混血してその後の日本人を構成し、

半島の倭は百済、新羅の人達と混血してその後の韓国人を構成した。

倭は日本人でも韓国人でもなかった。

なぜなら、その時代、日本という国も韓国という国も存在していない。

そういう視点に立ったとき、

新しい地平で日本と韓国の関係を見ることが出来るのかもしれないと思うわけだが、

現状では、かなり難しいのだろう。

そういう難しさを思った旅だったということも事実ではある。

韓国訪問 3

南大門市場からホテルに帰り、

夕飯の前に明洞で見つけてあった実弾射撃場に行く。

自分に限らずアーチェリーをやっているような奴って、

狙いをつけて撃つ、ということが好きなわけで、

射撃が出来るようなところを見つけると、ついついやってみようと思うわけである。

射撃場に入ると受付の女の子がいきなり日本語で「いらっしゃいませ」と挨拶する。

不思議なのだが、他の場所でもこっちが一言も話していないのに日本語で話しかけて

くることが多い。中国からの観光客も多いだろうし、当然、地元の韓国の人が一番

多いはず。㋃に行ったインパールでは地元の人間と間違えられたのだが、

どうやって区別しているんだろう?

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   明洞の実弾射撃場

拳銃を選んで撃つのと、幾つかの拳銃が組み合わされているコースがあり、

自分達が選んだのは、リボルバー含んで三種類の拳銃で25発のコース、100,000ウォン。

ライフルを撃ちたかったのだが、ライフルはなく拳銃だけだった。

防弾ベスト、防弾グラス、防音ヘッドホンをつけ、射撃場に入る。

コンパートメントに入ると目の前を横断して鎖がかかっている。

なんだ? と思ったら、その鎖の真ん中に拳銃をセットして撃つ。

力の弱い女性が撃って反動で拳銃が顔の方にバンと来て怪我をするのを防ぐためだろう。

銃口の上にある凸部と手前にある凹部を合わせて照準する。

というか、そこまでの詳しい説明はなかったのだが、たぶん、そうだろうと思った。

ただ、これだと肝心な標的が見えにくい気がする。

もっとちゃんとした狙い方があるのかもしれない。

結果は150点満点130点で合格、120点以上が合格なんだそうだ。

そのあと明洞を歩く。日曜の明洞には出店が沢山出ている。

夕飯は焼肉、他のおかずは韓定食と同じで食べ飽きるのだが、肉は美味かった。

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  撃ち終わってから一緒に行った仲間を後ろから撮影
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  130点で合格

翌日は参鶏湯で有名という店で昼食を食べてから景福宮を歩く。

チマチョゴリを来た女性が沢山いるのだが、ガイドの話ではチマチョゴリを着て行くと

入場料をまけてくれるそうで、景福宮の周囲には韓国の伝統衣装の貸衣装屋が結構あるん

だそうな。しかも、韓国の人かと思っていると、結構、日本人の女性とか多いらしい。

そういえば、最近、京都で着物を着て歩いているのも外国からの観光客である。

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  烏骨鶏の参鶏湯
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  景福宮の光化門を内側から
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  この広場の両側に文官と武官が並んだそうで、それが両班の言葉のもとだとか
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  朝鮮戦争の銃弾の跡
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  景福宮の内側からソウルのビル群

景福宮のあとは国立中央博物館へ。

ここでは多少の違和感を覚えたのだが、それはまた別に書く。

中央博物館から土産屋経由で空港。

一生懸命説明してくれたガイドさんに礼を言って帰国した。

帰りは偏西風に乗って2時間くらいで羽田に着く。

韓国は確かに近い国である。

韓国訪問 2

韓国訪問2日目、今日はフリー。

テキトーに自分で歩こうと思っていたら、

昨日の帰り際、チャーターしたバスのガイドさんしっかりしていて、

「明日と明後日はどうしますか?  バスチャーターで〇〇と〇〇に行くなら10万円、

明後日はゆっくりして▽▽に行ってから空港に行けば8万円です」

日本語もうまいけど営業もしっかりやるオバチャンである。

皆で割れば一人当たりたいした金額でもないし、

面倒なので、じゃ、頼もうということになった。

とりあえず朝はひとりで、そのガイドさんが美味しいと教えてくれた

世宗ホテルの近くの粥の店に行ってみた。

店に入ると店員がいきなり日本語で迎えてくれる。

座って鮑の粥を注文し、なんとなく周囲を眺めていると聞こえてくるのは日本語ばかり。

つまり客はみんな日本人だった。

壁にも日本語で「美味しいキムチあります」とか書いてあるし、

なにやら外国に来た気がしない(^^;

そんな気分で店員が出してくれたコップの水をついそのままぐいっと飲んでしまい、

いけね、ここは外国だった、韓国は硬水じゃなかったかな? と思ったのだが、

なぜか水あたりしなかった。

鮑の粥はなかなか美味かった。

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   鮑の粥
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  朝食後歩いていた明洞で意味不明の看板 「やさ男かばん」...?

朝食後、迎えに来たバスに乗り、統一展望台へ。

漢江とイムジン河が合流するところに統一展望台があり、対岸は北朝鮮である。

狭いところは460mしか離れていないらしい。

備え付けの望遠鏡で見ると、北朝鮮の側の村や歩いている人、河辺の哨戒所が見える。

こんなに近いのかと思うのだが、ここから見える北朝鮮の村、なぜか生活感がない。

天気の良い昼前で、普通なら干してあるだろう洗濯物がどの家にも見えない。

なにやら異界を見るような気分で望遠鏡をのぞき込んだ。

それと国境のイムジン河、舟が一艘も見えない。

それぞれの岸が北方限界線、南方限界線なので、河で魚を獲る舟も出ることはないようだ。

ここからイムジン河沿いに走り自由の橋に向かったが、

途中、川岸には柵がずっと続いている。

ひとつの半島を横断してこの柵は続いているわけで、

「分断」という言葉を実感として理解できる気がした。

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   統一展望台から イムジン河の向こう岸は北朝鮮

で、自由の橋、朝鮮戦争の休戦協定が成立し、北朝鮮に囚われていた捕虜が

この橋を歩いて南に帰ったとき「自由万歳」と叫んだのが名前の由来らしい。

木で出来た橋で当然イムジン河に架かっているはずなのに、下が池のようなところに

架かっていて、橋がある場所がどうもおかしいなと思ったら、

今ある自由の橋は復元されたレプリカだった。

イムジン河の方にはその後、鉄道橋として再建された橋が架かっていて、

開城工業団地に続いているのだが、工業団地が閉鎖され今はこの橋も通れない。

その東側に昔の京義線の鉄道橋が途中で落ちた状態で残っていて、その先端まで

行くことが出来る。その橋のさらに東には新しい統一大橋が架かっていて、

その先が板門店である。

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  自由の橋  こういう木製の橋がイムジン河に架かっていた。欄干はなかったらしい。
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  自由の橋から少し行くと朝鮮戦争で落ちた京義線の鉄橋がある。
 左の白い鉄橋が開城工業団地に続く橋、今は閉鎖されている。
 右に少し離れて板門店へ続く統一大橋が架かっているのだが写真撮影禁止。
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  京義線の橋へ行く途中、日本の千羽鶴のようなもの?

このあと南大門市場に行き、土産を買う。

グループで一緒に歩いていた女性の税理士が皮のコートを探していると、

別の倉庫にあるから来てくれと言う。

行ってみると地下の別室の倉庫にいろいろな服がたくさん吊るされている。

「写真撮っていい?」と聞くと日本語で、

「ダメだよ、ホンモノだよ、ニセモノのホンモノだよ」と言う。

なるほど、だから取り締まりの目がある店には出せず、別室の倉庫で売るわけか(^^;;

それにしても店員さん達、結構日本語を喋る。

やはり生活がかかっていると言葉というものは覚えるものである。

長くなったので続きはまたあとで。

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   南大門 正式には崇礼門

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  南大門市場

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