2018年08月

水晶の夜

短歌結社の全国大会の鼎談、社会詠がひとつのテーマでもあって、

配られた資料を眺めていたのだが、

幾つか引用されている歌の中でこの歌に目が止まった。

 

   遺伝子配列三十億対を読み終へてうつくしき水晶の夜がくる

  / 小池光

 

鼎談の話は話として耳で聞きながら、

別に新しい歌ではないのだが、この歌を読んで、やはり小池光はうまいなと思ったのである。

社会詠の難しさは、自分の言いたいことを言ってしまうことである。

今の社会の有り様や時代の流れに危機感を覚えるのは分かるが、

それゆえに、どうしても表現に出てしまう。

そういう社会詠が多い。

なかには、そういう危機感をそのまま表現するのが社会詠だと思っている向きも

あるのかもしれないが、というか、そう思うしかない歌も散見するのだが、

それはやはり違うだろう。

短歌として昇華されなければ、社会詠もやはり歌として評価されないはずである。

ただ危機感を伝えたいのなら短歌である必要はなく散文でいいし、

政治批判とかをしたいのなら、31文字ひねってないで、しかるべく活動すればいい。

短歌はあくまでも短歌、社会詠でもそれは変わらない。

で、この歌、

遺伝子配列を読み終える、それはあるいは神の領域に近づくことかもしれず、

そこには福音とともに恐ろしさも潜んでいるわけである。

この歌の下句の表現からはクリスタルナハトが浮かぶわけで、

人類の文明が人のすべての遺伝情報を読み終えるまでに達したとき、

その先にあるのが必ずしも幸だけではないかもしれないということを、

かく美しく詠うことが出来る、

それが短歌なのである。

ちなみにこの歌、厳密に読めば突っ込みどころはあるわけである。

「水晶の夜」は1938年に起きたナチスによるユダヤ人迫害の暴動だが、

遺伝子配列、それから負の想起として出てくる障害者の迫害、殺害を表現するなら

「夜と霧」が正確ではある。

また、「水晶の夜」にしても「夜と霧」にしても、つきすぎという批評もあるだろう。

しかし、それはそれとして、

「うつくしき」を持ってきたところが、小池光である。

恐ろしい「水晶の夜」。

それを「うつくしき」と表現することに抵抗を感じる人はいるだろう、

しかし、そういう表現で、

一首の美しさの向こうに横たわる恐ろしさを読者に味合わせることが出来れば、

この歌は社会詠として成功しているわけである。

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  大会の翌日、帰りに立ち寄った浜松のフラワーパークの噴水

全国大会

短歌結社の年一回の全国大会。

一泊二日で開かれるのだが、

大抵、そのうち半日は会員外も参加できる一般公開の講演会等をやる。

で、その一般公開の方だけ参加。

会員限定のプログラムの方には歌会等あるのだが、

いかんせん、年に一回の大会ということで、歌会も参加者が多すぎて、

はっきり言って歌会にならない。

時間がなくて言いたいことも言えない歌会って、

フラストレーションが溜まって精神衛生に芳しくないので出ないことにしている。

ということで、もうここ何年も一般公開の方しか参加していない。

今年の全国大会は浜松。

東名をすっ飛ばして3時間程で到着。

思っていたより早く着いてしまったので会場を素通りして浜松城に行く。

古い石垣が少し残っていて、その上に天守があるのだが浜松城の天守って結構小さい。

12時半から講演会が始まるので、車を置いて歩いて会場へ。

ちなみに、この浜松城公園の駐車場、無料だった。

最初は会場の有料の駐車場にとめるつもりだったので少し得した気分。

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  浜松城

ちょうど時間ぐらいで到着、ひさしぶりに会う人と軽く挨拶して会場へ。

結構広い会場に一杯の人で参加者多いらしい。

最初の講演は永田和宏の「前衛短歌を振り返る」で、この話はなかなか良かった。

やはり永田さんは政治の話は聞いていて辛いが、短歌の話はとてもいい。

次の鼎談は、栗木京子・永田淳・大森静佳による「平成短歌を振り返る」。

この話もなかなか面白かった。社会詠や機会詠についての話のなかで、

「ここを見つけてきた、というところが嫌、そういう感じが出てきた」という話があったが、

確かに社会詠にしろ機会詠にしろ、着眼点や発見が大切なわけで、

最初は着眼なり発見に驚くわけだが、読者はしばらくすると、もうそれに驚かなくなる。

そしてそういう表現が行き渡ると、今度はそれに対する抵抗感が生まれる。

あるいは、三陸の津波の歌なども、着眼や発見をした自分自身のなかに、

それを見つけて歌にしていることへの密かな嫌悪が生まれることはあるわけで、

この辺はなかなか難しい話である。

ただ、聞いていて思ったのは、

そういう自分自身の密かな嫌悪感を超えてなお詠いたいかどうか、

ということである気がする。

それを超えて詠いたいなら、それはもうそれぞれの表現者の責任の問題である。

終わったあとはすぐに会場を出て浜松城の駐車場に戻り、

そこから今日の泊りの舘山寺温泉へ。

浜名湖を眺めながら温泉で汗を流し、一杯ひっかけて夕食。

夜、露天風呂に入っていたら花火があがった。

一年に一度の結社の全国大会、こんなふうにして楽しんでいる。

来年は京都だそうな。

また一般公開の方だけ聞いて夜は先斗町かな(^^;

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  鼎談

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 昼飯は浜名湖の鰻
 

ノモンハン

八月になるとテレビで戦争関係のものをやる。

先日もNHKでノモンハンをやっていたので、

ちびりちびり飲みながら見ていたのだが、ちょっと引っ掛かったのは、

今ではステレオタイプと化したノモンハン戦の評価。

例えば、番組のなかで、関東軍が参謀本部の意向を無視して越境爆撃をして、

それが事態をエスカレートさせたというあたり。

これは、関東軍によるモンゴル領内のタムスク空軍基地爆撃だと思うが、

確かに、現場の関東軍が事態の不拡大を望む参謀本部の意向を無視したのは事実であり、

そういう軍部の独断専行が日本を亡ぼすことになったわけである。

しかし、どうなんだ

タムスクを爆撃してもしなくても事態は変わらなかったのではないのか

参謀本部は事態の不拡大という方針から紛争地域を越えての軍事行動に否定的だったが、

その紛争地域を越えての軍事行動を躊躇しなかったのはソ連軍である。

関東軍がタムスクの爆撃を企図したきっかけは、

ソ連軍による紛争地域外の満州国領内への越境爆撃だった。

鉄道の破壊を目的にしたのだと思うが、

ソ連軍の紛争地域外への越境爆撃により民間人の死傷者も出ている。

ゆえに関東軍はソ連空軍の基地であるタムスク爆撃の必要に迫られた。

別に関東軍を弁護したいわけではなく、

戦略上、そういう必要に迫られるのは当然だということである。

参謀本部が事態の不拡大を望んだのも当然で、

では一体どこに問題があったかという話になる。

日本の参謀本部は、ノモンハンの衝突は、牛の尻のあたりで蠅がぶんぶん飛んでいる程度の

ことで、尻尾を振って追い払うか、あるいは放っておけばいいぐらいに思っていたらしい。

しかし、ソ連は違った。

ソ連は、最初にノモンハンで衝突が発生したときから、事態をしっかりと分析した。

ソ連はヨーロッパでドイツの脅威に向き合っていた。日本との全面戦争は出来ない。

一方、日本も中国との戦争をしており、ソ連を相手にしての全面戦争は出来ないはずである。

満州周辺での戦力比はソ連の方に傾いていた。

日本陸軍が中国との戦争に注力していたのだから当然である。

今なら勝てる。

局地戦で日本を叩き、後方の憂いを除き、ドイツというもっと恐ろしい敵と向き合う。

国際情勢もゾルゲや尾崎秀美の日本国内のスパイ網からの情報もその判断を支えた。

スターリンはそれを選んだのであり、

だから、第一次ノモンハン戦のあと、日本軍を凌駕する兵力を全力で補充し、

それが終わった段階で紛争地域外への越境爆撃も躊躇せず新たな行動を開始した。

そういうソ連軍を相手にタムスクへの越境爆撃をしようがしまいが、

結果は同じだっただろう。

参謀本部はソ連軍の越境爆撃の時点で、

関東軍に任せきりにせずソ連の意図を分析しなければならなかったのではないか。

関東軍の独断専行、それを見て見ぬふりした参謀本部、そして統帥権。

そういう問題は間違いなくあったのであり、

それが数年後には日本を亡ぼすのである。

しかし、それだけではあるまい。

ソ連のように情報を集められず分析できず判断も出来なかった。

ノモンハンで敗北し、その責任を現場に押し付け、

その後さらに太平洋戦争で同じ失敗を繰り返した。

国全体のレベル低下、そういうしかない安直さを感じる。

そしてその安直さが、なにか最近の、

日大アメフトやボクシング連盟のみっともない有り様と重なるのである。

戦前も戦後も共通して日本人の持っているみっともない部分のような...。
それがなんとも言えず嫌な気がして、

ちびりちびり飲みながら、番組を見ていたのである。

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     のうぜんかずら

西瓜

暑い盛りにアーチェリーの射会。

熱中症で倒れたら大変だというわけで、今回は西瓜がふるまわれた。

子供の頃は夏になると八百屋に大きな西瓜が沢山ならんでいて、

それを叩いて、いい音のするのを買っていたものだが、

今はカットされた西瓜が主流。

核家族化で家族の人数が減り、大きな西瓜を丸ごとひとつ買ってきても食べきれず、

大きいままでは冷蔵庫にも入らないからカット化は自然な流れなのだが、

カット西瓜ではあまり夏の風物詩にならない気がする。

やはり西瓜は大きくて丸くなきゃいかん。

西瓜を楽しみにして暑い中ふーふー言いながらコースを回る。

あまり暑いので蚊も飛んでない。

蚊も熱中症になるんだろうか?

汗だくになってファーストを回ったところで、西瓜を切って皆で食べる。

甘くてうまい!

むしゃむしゃとしゃぶりついて食べる。体に水分がゆきわたる感じ。

大玉ふたつ買ってきたので、食いでがあった。

西瓜というのはアフリカのサバンナあたりの原産らしい。

それが日本に入ったのがいつ頃か定説はないようで、

室町時代に入ったという説や、鳥獣戯画にうさぎが西瓜らしいものを持っている絵も

あって、もっと早く入っていた可能性もあるとか。

ちなみに「スイカ」という名前は中国語の発音からきているらしいから、

やはり中国経由で入ったのだろう。

甘くておいしい西瓜を食べ、水分をしっかり補給してセカンドを回った。

暑さにめげず夏を楽しんだ射会だった。

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通用しなくなった人達

近頃、大人達のみっともない姿を随分見かける。

どこかの大学のアメフト部の監督とコーチ。

そして、どこかのボクシング連盟の会長辞任劇。

なにか、大人社会が崩壊してしまったのかと思うくらい情けない姿が目につく。

彼等に共通しているのは認識の甘さかもしれないが、

もうひとつ見落とせないのは、

ネットの時代ということだろう。

どこかの大学のアメフト部の問題も、暴力的なタックルが映像としてネットに拡散し、

それを見た人達の間で「なんだこれ!? おかしんじゃない?」という声が広まったこと

が大きい。ネットでそういう声が広まれば報道が追いかける。

昔なら暴力的なタックルが何度もネットのような空間で再生されることはなかったわけで、

ネットで知ることがなければアメフトに興味のない人達の間には話題として

広がらなかっただろう。

ボクシング連盟の会長の辞任劇にしても、ネットの影響は見逃せない。

告発する側はネットで意見を広めるという新しい手法を手に入れたし、

告発された側は、よせばいいのに輪にかけた話題をネットに提供した。

あの会長は余計なことを言わずに辞任した方が本人が望んだ「男」になれただろう。

話題はネットで拡散する。

ネットで拡散すれば、売れるとみた報道が動く。

この辺の危機管理をわきまえていないと、どこでどういう失敗をするか分からない。

ある意味、怖い世の中ではある。

少なくとも、20世紀日本の大人社会で通用したある種のやり方が通用しなくなったのは

確かである。

皺寄せは下に持っていけばいい。立場の弱いやつに我慢させればいい。

そういうやり方。

大抵の人がスマホを持ち、知らぬ間に録音が出来る時代、しかもそれがネットに流せる時代。

気づいた時には手遅れということも起こりかねない。

卑近な例をあげれば、以前聞いた話だが、

滞納している税金の相談で税務署に伺った納税者、

応対した税務署員に税金をちゃんと納めないヤツは犯罪者だと罵られたそうだ。

ちなみに、税金を滞納している=犯罪者ではないわけで、

犯罪者でない人を犯罪者呼ばわりしたこの税務署員、

知らぬ間に録音されたその罵り声をネットに流されたら、

どうなるのだろう?

そういう時代だと気づかない向きは、

古き良き20世紀は終わったのだということを認識した方がいい。

どこかの大学のアメフト部やどこかのボクシング連盟の失敗は特別なことではなく、

時代を認識できない人間は時代に見放されるという身近な問題だということである。


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  ひまわり

歌会

東京での歌会、例によって気になった歌。

誌面発表前なのでここには出せないが、

日が当たっている方の車窓に海が見える 今でもちょっと謝られたい。

そんな歌意の歌。

言うまでもないが、誌面発表前なので表現を変えているわけで、

なにやら舌足らずな言い方だったりするのはそのためである(^^;

この歌を読んだとき、なんとも言えない違和感があった。

「謝られたい」

この表現は

「謝る」「謝らせる」「謝って欲しい」はフツーである。

「謝られたい」は?

最初読んだとき、

なんだ? この受け身は? と思った。

短歌の伝統をしっかり学んだことはないのだが、

なにか短歌の伝統から外れているような気がした。

人は何かしら思いを残したいときとか伝えたいときに歌を詠むのだろうと思う。

そう考えると、歌を詠もうとするときの人の心は案外、能動的なものなのかもしれない。

平安の時代の女人の歌でも、妻問いの男が自分のところに来てくれるよう相手の行動を

促すわけだが、この歌は違う。

自分から相手の謝罪を求めるのではなく、

相手の自発的な謝罪を待っている。

しかし、たぶん、その期待は実現しないのである。

短歌はこんなふうに詠われるものだっただろうか?

歌会の最中、そういう違和感が消えなかった。

歌会ではこの部分についての話は全く出ず、

車窓というのは電車だろうか車だろうかというようなことに話は終始していて、

私も指名されないままこの歌については黙っていた。

帰ってからもちょっと気になって読み返してみた。

自分の短歌に対する概念とは異質なものを感じたということでの違和感だったのかも

しれないが、読み返してみると、「謝られたい」という気持ちは分からなくはない。

子供の頃の親しかった友人、いい思い出が沢山あるのだが、

ひとつだけ、ある時その友人が放った何気ない言葉がひっかかった。

今はもう会うこともない子供時代の良い友人だが、ふと思い出したとき、

「あのことだけは少しでいいから謝ってくれたら」と思う。

そんなふうに思うこともあるかもしれない。

もちろん、このあたりのことは読者がそれぞれに思い浮かべればいいわけで、

男女の仲でもいいし、家族でもいいだろう。

そういう思いとして読めば「謝られたい」も表現として分かる気がしてきた。

「謝ってくれたら」でなく「謝られたい」というのが、

少し舌足らずな印象になるということはある気はするが、

一首としては成功している歌なのかなという気がする。

短い歌会の時間では読み込めない。

結構、そういう歌もある。

ただ

やはり気にはなっているのである。

人が短歌を詠うとき、

思いを残したい、伝えたい、そういう気持ちが間違いなくあるわけで、

この「謝られたい」という一歩も二歩も下がった詠い振りに、

いささかの違和感は消えない。

なにか落ち着いて、物事を達観しているような

あるいは謝ってくれる相手の優しさに包まれたいような...そういう依存、受け身。

いずれにしろ、短歌は不幸せ者の文芸だと思っている人間には、

やはり、いささかの違和感は消えないのである(^^;;

 

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  歌会の会場近く、神田川が大川(隅田川)に合流する手前にある柳橋。
 昔この界隈には柳橋芸者がいた。

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