2018年07月

花火

夏、花火の季節。

日本では室町時代あたりから花火は記録に出てくるらしいが、

庶民が楽しむようになったのは江戸時代から。

両国の川開きの花火、「玉屋」「鍵屋」は有名である。

その頃の花火は橙色の濃淡だけの単色だったらしいが、

明治以降、赤、青、黄色等、花火はカラフルになったらしい。

花火といえば幾つかの歌がある。

 

  音たかく夜空に花火うち開きわれは隈なく奪われている

                        /  中城ふみ子

 

  くらぐらと赤大輪の花火散り忘れむことを強く忘れよ

                        /  小池 光

 

大きな綺麗な花火が上がりました的な、単純に自分の感動を詠っても

やはり名歌にはならないわけで、中城の歌も小池の歌も、ちょっと影がある。

ちなみに私も自分の歌集の花火の歌を探してみたら、ひとつだけあった。

 

  公園の花火を囲む輪のなかに浮き上がりたり幾つかの顔

                      

夏は死者の還ってくる季節。

浮き上がった顔のなかにあるいは死者の顔も交じっているかもしれない。

子供の頃の線香花火の記憶も、

今はなき家族の記憶と重なっていたりするわけで、

日本人はたぶん、花火に美しさだけを見てきたのではない、

そんな気がする。


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   安房鴨川の花火

歌会

ひさしぶりの東京での歌会。

午前中にミケランジェロ展を見に行って、それから行ったら参加者は30人。

この時点ですべて諦める(^^;

歌会には適正人数というのがあって、30人というのは歌会の適正人数を越えている。

言いたいことを言っていると時間がなくなるわけで、

歌会の進行を考えれば発言も遠慮することになる。

実際、最後は駆け足だったが、それでも30首目の歌は借りている会場の人に

「もう時間ですよ」と言われて批評が出来ず仕舞いだった。

そういうことで、指名されない限り発言しないつもりでいたら、

本当に順番で批評が回ってきた歌2首についてしか発言する機会がないのだった(^^;;

で、それはそれで別に構わないのだが、

順番で批評が回ってきた歌2首、

ひとつめの歌は、

何となく平均年齢が上がったみたいで購買部にトクホが増えた、

みたいな歌意の歌。

ふたつめの歌は、

何年も人の住んでいなかった家が壊されて夕陽のなかに跡地の黒土が匂っている、

みたいな歌意の歌。

どちらも淡々として表現に特に問題はなく、可もなく不可もない歌。

ことさらケチをつけなくてもいい歌である。

強いて言えば、1首目の歌は、上句の「何となく平均年齢があがったみたい」というのが、

おとなしい気はする。上句がおとなしくて読者を捉えるつかみがない。

別に、すべての歌につかみが必要だというわけではないので、なんとなく詠ってもそれは

それで構わないだろうが、やはり「何となく」はどうなのかな・・・

2首目の歌も、強いて言うなら、

廃屋が壊されて更地になってその更地がどうのこうの、という発想の歌は幾らでもある

わけで、幾らでも類歌があるような歌を独自の工夫もなく詠っても、

数ある類歌のなかに埋没するんだろうなという気はする。

偶然なんだろうけど2首とも初句が「何となく」「何年も」で「何・・・」で始まって、

何となくつかみのない入り方ではあるよね(^^;;;

で、歌会では、「これはこれでいいんじゃないですかね」というあたりさわりのない

つまらない批評だけして終わったのだが、

歌会終了後、作者名を見て、

!? と思った。

くだんの2首の作者は、歌歴の長い、歌会でも力量を評価されている二人。

そういう人達がこういう可もなく不可もないような歌を歌会に出しますか・・・

歌会というのは歌を読むトレーニングをするところ、

それを通して歌作の力をつけるところ。

初心者ならまだしも、ベテランの二人がこういう可もなく不可もない歌を

出していることにいささかの不満は感じた。

歌会の中堅をなすような人であれば、

もっと歌会に刺激をもたらすような歌を出してほしい気はする。

ちなみに、当日の私の詠草は、

「二重橋前に赤子の群れ」という記事を「あかご」と読んだ若者と・・・、

というような歌。

この「赤子」は当然、臣民・国民という意味の「せきし」と読むわけだが、

「せきし」と読めない人いるんだろうなと思って出した。

案の定、「せきし」と読めない人続出。

歌会ではいろいろな批評出ていたけど、

この「せきし」は読めるはずだよ。

歌を読むとき、自分の感性・知識・経験、そういうものを総動員して読みの可能性を

検証していくのであって、当然するべきそういう作業をしていれば、

二重橋前・・つまり皇居・・赤子・・あかごとは読まない・・ならば、せきし・・

せきしと読むならこの記事は古い記事・・。

敗戦直後、皇居の二重橋前に玉音放送を聞いた国民が集まりぬかずいていた、

そういう映像を思い浮かべるのは簡単なはず。

それが読めなかったのは、読めなかった者の力不足。

この歌、実は歌会に出すとき、

結句の「若者と・・・」を「歌詠みと・・・」にして出そうかと思ったのである。

「せきし」と読めず「あかご」と読んだ歌詠みと・・・。

本当に「せきし」と読めなかった歌詠みが大勢いたのでギャグにならなかった(^^;

そういう、人を試すように歌を出すのって、

嫌味といえば嫌味、毒といえば毒であるわけだが、

善男善女が可もなく不可もない歌ばかり並べて歌会やっていたら短歌は衰えるのである。

ベテランなら、このくらいの毒を撒き散らして歌会に刺激を与えて欲しい。

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    歌会会場近くの神田川

 

アッティカの壺

ひさしぶりに東京の歌会に出るついでに、

午前中、上野の国立西洋美術館でやっているミケランジェロ展を見に行く。

上野駅を出て信号を渡り美術館へ、その僅かな道のりが暑い(^^;

美術館の入り口は案外空いていて、すんなり入れた。

なかに入ると最初に展示されているのが古代ローマのクピドのレリーフ。

クピドはその後キューピットになるわけだが、

ヨーロッパがまだ多神教の時代のクピド、なかなか可愛らしい。

そのあとの展示物もゆっくり見て歩きたいものばかりなのだが、

午後からは歌会の予定があるので仕方なくすたすたと見て歩く。

で、その先にあったものを見て思わず「あっ!」と声が出た。

古代アッティカの壺。

アッティカ、

古代ギリシアのそののちアテーナイにより統合される地域だが、

そのあたりで紀元前700年以降だろうか、作られた壺。

ヨーロッパの文明を理解するとき、

その源といっていい古代ギリシア文明の理解は外せないわけだが、

歴史をまがりなりにもかじった者なら、

古代ギリシア黎明期のアッティカの壺は知っているはずである。

古代ギリシアらしい神話の一場面、

あるいは古代ギリシアの芸術が求めたところの人間の理想的な身体。

そういうものがシンプルな黒・赤の色と線で表現された壺。

たぶん、高校あたりの歴史の教科書にも出ていたのではなかろうか。

黒絵とか赤絵とかあるらしいが、そういう美術的なことはよく知らない。

ギリシア神話をモチーフに描いた壺の絵柄。

そのアッティカの壺、それが展示されているとは知らなかったので、

思わず見入ってしまった。

昔、古代ギリシアの神話を読んでその美しさに惹かれた頃があった。

ミケランジェロはミケランジェロでいいのだが、

自分の若い時代に心惹かれたギリシア神話の美。

それが目の前にあった。

なにかとても懐かしい気持ちがして、そのアッティカの壺をしけしげと見たのだった。

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    これはミケランジェロ展の展示ではなく大英博物館のアッティカの壺

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  こちらはミケランジェロ展で唯一撮影OKのラオコーン

カレー

4月に行ったインドでは毎日なんらかのカレー料理を食べていた。

インド人もびっくりインドカレーというコピーが昔あったが、

確かに日本のカレーとインドのカレーはかなり違う。

いろいろな香辛料を組み合わせて作るのがインドや東南アジアのカレーで、

日本で一般的な、カレールーやカレー粉を使うのは、

インドからヨーロッパに渡ったカレー料理。

それが明治以降、日本に伝わったわけで、つまり日本のカレーはもとは西洋料理である。

で、東南アジアやインドで、香辛料の効いたカレーを食べているうちに、

そういうカレーを自分で作ってみたくなった。

基本的な香辛料は日本でも簡単に手に入る。

とりあえず、チキンカレーに挑戦。

香辛料は一番ベーシックなところで、

クミン、コリアンダー、カルダモン、オールスパイス、ターメリック、チリペッパー。

必要な量を前もって皿にそろえておき、

まずはチキンを炒める。

それからタマネギを炒め、さっき炒めたチキンを入れ、

そこに揃えておいた香辛料を放り込んでさらに炒める。

香辛料を揃えただけではカレーの匂いはしないが、

全部放り込んで炒めると、とたんにカレーの匂いがしてきた。

テキトーなところで水を入れ煮込みながらアクを取る。

そのあと人参といんげんを入れてさらに煮込む。

出来た。

初めて香辛料から作ったカレー、ビールを飲みながら食べてみる。

タマネギが少なかったかスープカレー的なカレーになったが、

なかなか美味い。

ぱくぱくと食べてしまう。

カレーとは香辛料を組み合わせて好みの味を作り出すもの。

次は違う種類のカレーに挑戦してみよう。

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  今回使った香辛料 
 作ったカレーはぱくぱく食べてしまい、写真撮るの忘れた(^^;

助成金

「知り合いの会社から紹介されたんですけど、こういうのはどうなんでしょ?

クライアントで聞かれたのが、雇用関係の助成金。

就労困難者の雇用促進とか、非正規から正規雇用への転換とか、

いろいろな雇用助成金がある。

それ自体は、使えるものは当然使った方がいいよという話なのだが、

聞いていて、ちょっと引っ掛かった。

「社会保険労務士さんなんですけど、成功報酬が30%なんだそうです」

補助金ビジネスというのがあって、そこでは成功報酬が横行しているのは知っているけど、

30%...

成功報酬っていろいろあるわけだが、

難しい交渉を弁護士が成功させて相手から取れる分を増やしたらその何十%とか、

新しい技術を開発して特許が取れたら幾らとか、

身近なところではネットで閲覧の多いページの広告から注文が入ったら、

その金額に応じて手数料とか、

そういうものが成功報酬であるわけで、

本来、成功するかどうか多分に当事者の力にかかっている部分が多いわけだが、

雇用関係の助成金の申請って、

要件を満たしているかどうかが問題なのであって、

あとは手続きをするだけである。

そこに成功報酬という考え方を持ち込むこと自体に違和感は覚える。

要件さえ満たしていれば誰がやっても結果は同じ、

それで受け取った助成金の30%の成功報酬?

まあね

要件を満たせるように整える、ということもあるわけで、

それはそれで、要件を満たせるようにコンサルしていくことは正当なビジネス。

非正規から正規雇用への切り替え、それに伴う社内体制の整備とか、

そういうところに関わっていけば、それなりの報酬という話にはなるだろう。

しかし、そのクライアントが、こういう人を採用すればこういう助成金が受け取れる

と勧められたのは、割と単純な種類の助成金。

それで30%というえらく高い成功報酬とるところって、

信頼していいのかな?(^^;

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     馬車道十番館の開港カレー

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