1944年3月、インパールの東、ビルマとの国境に近い山岳地帯のサンジャック、
そこからさらに東の国境方面に続く尾根の7378Pにいた英印軍の哨戒部隊の前に
日本軍が姿をあらわした。
日本軍がインパールに攻めてくるとすればインパールの南、ティディム道から
やってくると思っていたイギリス軍はそちらの防衛に力を入れ、インパールの東部は
手薄だった。インドとビルマの間に広がる山岳地帯は大部隊の通過は困難で、
もし、こちらから侵入してくる日本軍がいたとしてもせいぜい連隊規模と思われていた。
しかし、通過困難と思われた山岳地帯のジャングルを踏破して現れた日本軍は
二個師団だった。7378Pの哨戒部隊が発見したのはその一部。
インド兵とグルカ兵からなる152名の哨戒部隊は日本軍と戦い全滅する。
この哨戒部隊が最後まで戦ったことを、イギリス軍はこのあとコヒマで戦死した日本軍
将校のバッグに入っていた記録から知ることになる。
7378Pの戦闘のあと日本軍は北のウクルルに進み、さらにサンジャックを攻撃した。
サンジャックは山岳地帯に住むナガ族の集落。
地形的には峠を中心にして家や畑が広がっている。
集落を通り過ぎて林道を走り、7378Pが見えるところまで行く。
国境に続く林道を見下ろすように7378Pはある。
標高は2200mぐらいあるはずなのだが、たおやかな緑の山稜である。
ガイドのアランバムは、ここまで案内した日本人はあなた方が初めてだと言っていた。
ちなみにここは、インパール作戦失敗後、日本軍が退却した道のひとつでもあり、
ビルマに続く白骨街道の一部である。
帰り際にふと見ると道の傍らに野イチゴがあった。
ワイルドベリーと言ってアランバムが取ってくれたものを食べてみる。
ちょっと酸っぱかった。たぶん飢えた日本兵達もこの野イチゴを食べただろう。
そういえば、インパールからサンジャックへの道の途中、山に桜のような花が咲いていた。
近くで見ると、桜ではなくコブシの仲間のようなのだが、
遠くから見ると本当に桜が咲いているように見える。
この桜と見まごう花も時期的にインパール作戦に参加した日本兵達は見たはずである。
サンジャックに行く途中、向こうに桜そっくりの花が咲いている。
近くで見ると、コブシに似ている
サンジャックに行く途中、道路沿いに小さな市場
カエルも売ってる。生きてた。
市場の反対側、左に立っているのがガイドのアランバム。
向こう側に自動小銃を構えた兵士が立っている。
インパールでは街中でも道路沿いでも当たり前に兵士がいる。
7378P
道端の野イチゴ
水牛がやってきた
林道からサンジャックに戻り、アランバムの知り合いのナガ族の家で昼食を摂る。
現地のナガ料理だが、やはりカレー系で、スプーンを使わず手で食べる。美味しい。
この家から向こうに見える尾根の上にかなり建物が建っているので、
昼食を作ってくれたその家の主の母親に聞いてみたが「アルミ」だと言う。
アルミの工場かと思ったが、あとで聞いたら「アーミー」、インド陸軍の兵舎だった。
今でもサンジッャクは国境防衛の要所のひとつであるらしい。
サンジャック
昼食を食べたアランバムの知り合いの家
ナガ族の料理
台所
イギリス軍の弾倉の箱が物入れとして今も使われている
昼食を摂った家から 向こうの尾根の上にアーミーの兵舎がある
インドの犬は人懐こいのが多かった。
道端に当たり前のように大麻(マリファナ)が生えている。
そういえば、ここからビルマの北を行けば黄金の三角地帯である。
そのあと、激しい戦闘のあった教会の跡に行き、詳しい話を聞く。
英印軍は敗走するまでここで6日間持ちこたえた。
この6日間がイギリス軍にコヒマ方面の防衛に部隊を移動させる時間を与え、
その後の戦闘に大きく影響したらしい。
昼食を食べさせてくれた家の主の父親は、子供の時にインパール戦を経験し、
サンジッャクの戦いのときは村の下の谷に逃げて隠れていたらしいのだが、
夜になるとジャングルの上を曳光弾が飛び交い、まだ子供だったその家の主の父親は、
それが綺麗で喜んで見ていたと話していたらしい。
少し移動して集落の北側、尾根の上に新しく作られたフットボール場に行く。
工事のとき、そこから3人の日本兵の遺骨が出てきたらしい。
まだインパール周辺には多くの遺骨が残っている。
この近くのナガ族の家に入り、今でも日用品として使っている日本軍の飯盒と水筒を
見せてもらう。その家の近くには、サンジャックの戦いで英印軍が使っていた
尾根の斜面の銃座が今も残っている。
このあと、少年のとき日本軍のメッセンジャーボーイをしていたという老人が守る
慰霊碑に行き、その老人の話を聞く。前線に食糧や弾薬を補給しなかった日本軍の
上層部に今でも怒っていると言っていた。
激戦のあった教会の跡付近から見たサンジャックの集落
サンジャックの北側
尾根の上の新しいフットボール場。
ここを作るときに三人の日本兵の遺体が出てきたという。
ナガ族の家に入れてもらう
日本兵が使っていた飯盒
日本兵の水筒
子供の時に日本軍のメッセンジャーボーイをしていた老人の家の近くの慰霊碑
サンジャックをあとにし、一度インパール方面に戻り道を変えてウクルルに向かう。
途中、道沿いに兵隊が自動小銃を構えて結構立っている。
ここに限らず、インパールの街中も道路沿いもあちこちに兵隊がいる。
聞くと、マニプールでは近年まで、インドから独立しようという勢力とインド軍の間で
戦闘があり、今でもインド軍があちこちで警戒しているらしい。
ウクルルは日本軍が占領して補給基地にした街で結構大きな街である。
インパールもそうなのだが、モンゴロイドのナガ族が多く、
日本人と区別つかない顔立ちの人達が大勢歩いている。
高地なのでちょっと寒い。今夜はここで泊まる。
ウクルル
ウクルルで泊まったホテル
ホテルの窓から
ナガ族の麺料理 ツッパ