2018年02月

ネパール タカリ族の祭

通っているアーチェリーの射場。

毎年この時期、ネパールの人達が集まってお祭りをする。

なんでも、祭で弓を射るんだそうで、

弓が射てて大勢集まれて料理が作れるところとなると、

そう場所はないわけで、

ネットで探して射場を見つけたらしい。

最初の2~3年は若い男達が集まって弓を射てわいわいやっているだけだったが、

その後、女性達がきて料理を作るようになり、

さらに人が増えて、なにやら正装の民族衣装で祭の挨拶をするようになって、

本格的な祭になってしまった。

聞くと、ネパールの少数民族タカリの人達。
60人くらい集まっているだろうか。

この祭は国では一か月くらいかけてやるのだそうで、

竹で作った弓で、70mぐらい離れた的を賞金をかけて狙うらしい。

アーチェリーで70mといえばオリンピック級の距離である。

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  開会の挨拶?

ちなみにタカリ族って、料理上手で有名なんだそうで、

日本ではネパール料理やインド料理の店で働いているそうだ。

近年、在日ネパール人は急増している。

ネパールの政情不安とかいろいろあって、海外に出るネパール人が多く、

日本はそういうネパール人にとって憧れの渡航先のひとつであるらしい。

ちなみにネバールはインドと同じくカースト制度があり、

政治的主流はインドアーリア系の民族。

タカリ族はモンゴル系で政治的には弱者であるらしい。

当日、射場には子供達も来ていたが、子供達は当たり前に日本語を話していた。

子供達にとって、あるいは故郷はネパールではなく日本なのかもしれない。

そういう子供達が胸を張って生きられる国であってくれたらいいと思う。

彼等が焚き火で沸かした濃いめのミルクティーを御馳走になりながら、

ネパールの祭を見物させてもらった。

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    左がネパールの国旗 右がタカリ族の旗
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  タカリ族の女性達
 

外壁塗り直しが減価償却?

確定申告の応援で農協に派遣された。

臨税という制度があって、

農協は確定申告の時期だけ農協の組合員に限り所得税の確定申告をすることが出来る。

戦後、申告納税制度がスタートし、まだ税理士が少なかったので、

納税者の申告がスムーズに出来るよう便宜的に作られた制度だが、

本来の趣旨から外れ、農協の組合員へのサービスとして戦後70年以上経っても

残ってきた。既得権というやつである。

その農協臨税も役目を終えて廃止されつつある。

保土ケ谷税務署の管内の農協も平成30年分から臨税は廃止される。

臨税廃止に備えて税理士会から農協に税理士が派遣され、

農協の作成した申告書をチェックし、備え付けのPCで電子申告をするわけだが、

チェックしていて、あることに気が付いた。

農協の組合員だから昔からの地主が多いわけで、

当然、アパートやマンションを所有していて不動産所得の申告が中心になる。

アパートの外壁塗装とか修理とかの名目で減価償却資産が計上されている。

大きなアパートの外壁の塗装塗り直しとかは300万以上かかることもあるわけだが、

そういうのが資産として減価償却の対象になっている。

納税者の話を聞いてみると、通常の外壁塗装修理であり全額修繕費として処理される

べきものである。農協の担当者に「これは減価償却した方がいい」と言われたとのことで、

たまたま担当者がそばにいたので聞いてみると、

「農協は60万以上のものは減価償却にしています」としれっと答える。

は!?

「60万というのは、資本的支出か修繕費か区別できない場合の形式的基準の通達だろ、

単純な外壁塗り直しは修繕であることが明らかでその通達は関係ない、金額大きくても

全額経費だよ」と担当者に説明したが、

担当者、不服そうに「うちはそうやっていますので」。

なに言ってやがんだ(^^;

結局、個別に判断するだけの専門知識がないから、どこかで線引きをして、
こっち側なら修繕費、あっち側なら減価償却ということを
やっているのだろうが、
他人様の申告をするのなら、ちゃんと責任もってやんなよ。

修繕費で処理できるものを減価償却すれば、その年の所得は多くなるわけで、

納税者は負担しなくていい税金を負担することになる。

結局、減価償却が終われば償却年数通算して同じだと言うのかもしれないが、

その年その年の状況で税負担も変わるわけで、そんな単純に言い切れるものではない。

臨税という制度にのっかって組合員の申告をしているわけだが、

実際のところ、その申告書を作っているのは素人が多少勉強した程度でやっているので、
こういう遣り方になる。

農協職員には農協職員としての本来の仕事があるわけで、仕方ない部分あるのは

理解するとしても、組合員の不利益になるような遣り方は感心しない。

仕事としてやるのなら、もっと責任感を持つべきだろうし、

専門知識がないからそこまで出来ませんというのなら、

そもそも臨税はもっと早く返上するべきたっただろう。

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   三ツ境のタイ料理 サワディーカのグリーンカレー 

歌会

ひさしぶりの福島での歌会。

出席する予定はなかったのだが、一週間前の横浜歌会で真中・松村の両選者の批評に

いささか打ちのめされ、やはりもう少し歌会に出なければと思った。

瑕のある歌の批評は簡単なわけだが、いい歌の批評は難しく、

「いい歌だと思います。この歌はこれでいいんじゃないでしょうか」

そんな批評で終わらせてしまうのだが、

そういう歌についても、言葉の選び方とか焦点の当て方とか、

二人の選者はよどみなく批評してきて、聞いていて力の差を痛感させられ、

「この二人気に入らねえな」としみじみ思ったのではある(^^;

で、もっと歌会に出ねばということで、急遽、福島歌会に出席することにした。

新幹線で福島、駅ビルの店でビールをひっかけ蕎麦を食って戦闘態勢を整え、

歌会の会場のコラッセふくしまに向かう。

2月の福島歌会は雪に閉じ込められる季節なので大抵、出席者は少ない。

今回も自分を含めて4人。

出席者は少ないが今回は批評のトレーニングのつもりで来ているので気にしない。

で、早速、気になった歌。

誌面発表前なのでここには出せないが、

仕事を辞めた理由を聞かれれば私のなかの誰かが喋る、

そんな歌意の歌。

出席者が少なかったので、1人五首くらい出詠し、それを片っ端から批評してゆく感じ

だったのだが、この歌は五首の連作のなかの一首で面接の場面の歌である。

歌としてはよくまとまっていていい歌だった。

「いい歌だと思います。この歌はこれでいいんじゃないでしょうか」

で終わらせてしまいそうな歌だったのだが、

一週間前、真中・松村両選者に力を見せつけられているので、

なんとか批評しようとする。

「いい歌なんだけど、なんなんだろう。下句『私のなかの誰かが喋る』ここに

なにかありそうな

いろいろ考えていると、どうも下句の「私のなかの誰か」がどうのこうのというのが、

人間の行動を表現するときのひとつのパターンである気がする。

面接の場面で本当の事は必ずしも言えないし、言わないことの方がいいことも

あるわけである。そういうとき、多少の嘘も交えてそれらしい受け答えをする。

当たり前にあるといえば当たり前にあることなのだが、

自分自身、答えながら、「本当は違う」と思いつつ、しらしらと口は動く。

そういう経験、大抵の人は持っているだろう。

そういうことを表現するのに「私のなかの誰か」がどうのこうのというのは

よくありそうで、ドラマとかでも、たまに出てくる表現のような気がする。

歌としてはよくまとまっているのだが、結局ここが問題なのではないか?

ここの表現をもうひとひねりすれば、この歌はいい歌になる。

そんな気がした。

いい歌も「いい歌ですね」で終わらせずに取り組む。

そうすると何かが出てくる。

隠れた瑕ということもあるだろうし、

なぜ、この歌はいい歌なのか、そういうこともあるだろう。

そうやって一首一首に取り組むことが力をつけてゆくのに大切なことである気がする。

少ない人数の分、すべての歌に全員がコメントでき、

批評のいいトレーニングになった。

歌会のあとは軽く懇親会、雪の降り始めたなか今日の泊りの飯坂温泉へ。

去年は福島の歌会に出ていないので、飯坂温泉も久しぶりである。

雪の降るなか歩いて伊勢屋旅館。

以前にも一度泊まったことがあるが、経営者が変わったらしく、今は素泊まり専門の

温泉旅館になっている。24時までチェックインできるのがいい。

飯坂らしい熱い湯に入り、今日の詠草をもう一度読み直しながら一杯飲んで寝た。

窓の外はしんしんと雪が降っていた。

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    歌会の会場 コラッセふくしま

雪山

歌会に出るため福島へ。

東北新幹線に乗っていると、宇都宮の手前あたりから北関東の山が見えてくる。

男体山。

日光連山のひとつで、高校生のときに初めて登った冬山の白根山もすぐそばに見える。

ちなみに男体山は百名山のひとつなのだが、登ったことはない。

富士山と同じコニーデ型の火山で、

擂り鉢を伏せたような形のコニーデ型って、

標高はあっても登るルートは山の形どおりの単調で、

登ったときの面白さという点ではイマイチなわけである。

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 新幹線の車窓から男体山、ちょっとピンボケ

冬は男体山を御神体にしている二荒神社が登山禁止にしているらしいが、

実際には登山者は冬でも鳥居の脇を越えて登ったりしているらしい。

782年、勝道上人が初登頂したということになっているが。

どうなんだろう、日本の他の山の初登頂談と同じで、

勝道上人が登る前から狩人は当たり前に登っていたのではなかろうか。

東北の山々で狩りをしていたマタギ、彼等の祖先も当然、東日本の山を狩りして歩いていた

わけだが、たぶん男体山はマタギの装備で登れない山ではない。

勝道上人は男体山に登るとき、釈迦が雪山で苦労したという話から、あえて残雪の季節を

選んで登ったということになっているが、間違いなく嘘である。

新雪期のように雪に埋もれず、雪が固まり天気も安定する残雪期は、

登山道のない山を登るには一番登りやすい季節であり、

勝道上人は、男体山のあたりを狩場にしていたマタギから、

そういうアドバイスは当然受けていたはずである。

だから、残雪期を選んだ。

というか、そういうマタギに案内されて登ったのだろう。
新幹線はそのまま北へと走り、しばらくすると那須の山々が見えてくる。

ここも、高校生のとき登った冬山。

昨年、冬山の講習を受けていた高校生達が雪崩に遭い遭難した事故もあった。

積雪量はそんなに多くないのだが、風の強い冬山である。

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  那須連山

那須の山なみは甲子に続き、東北へ入る。

福島の手前で見えてくるのは吾妻の山なみ。

安達太良から吾妻に続くあたりは福島の火山地帯。

あの辺のスカイラインは車で走るとちょっと日本的でない風景の広がるところである。

若い頃、雪の山を歩いた。

深く沈む雪を掻き分けて頂きを目指すのは、新鮮な喜びであり登高の喜びに満ちていた。

東北のたおやかな雪山も、スキーにシールをつけて自由に歩き回ることのできる

白い別世界だった。

雪山を見ると、そういう若い頃を思い出す。

そんなことを思いながら歌会の会場の福島に向かった。

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  福島の手前、雲に半分隠れた吾妻連峰

歌会

ホームグラウンドの横浜歌会。

1月は忙しくて歌会に出られなかったので、今年初めての歌会である。

今回は選者の真中さんと松村さんが参加。

例によって気になった歌。

誌面発表前なのでここには出せないが、

生ゴムのような口を開けて水音ひとつ立てない冬の鯉。

そんな歌意の歌。

初句の「生ゴムのような」という比喩に惹かれた。

水面にほかりと開いた鯉の口、

「生ゴム」の質感が確かに言い得ている気がする。

歌会では、この比喩に惹かれた、下の方は普通の歌ですね、みたいな批評をしたのだが、

選者の真中さんは、下の方の表現をもう少し工夫した方がいいという意見。

なるほど、そう言われれば確かに「水音ひとつ」の「ひとつ」とかは不要かもしれないし、

もう少し違う形に出来るかもしれない。

その辺で自分の指摘不足を感じた。
そういう自分の指摘不足、批評力不足を今回の歌会では随分感じさせられた。

今回の歌会、いい歌が多かったのである。

瑕のある歌の批評はしやすいが、いい歌の批評は難しい気がする。

「いい歌ですよね、この歌はこれでいいんじゃないでしょうか」

そういう批評になってしまうことが結構あるわけだが、

ふたりの選者がそういう歌でもしっかりとした批評をしているのを聞いて、

自分の力不足を痛感したわけである。例えば、

「いい歌だと思います。ただ、いい歌なんだけど、それで終わってしまうような」。

それは批評ではなく、感想である。

なぜ、「いい歌なんだけど、それで終わってしまうような」感じがするのか、

それをもっと歌に執着して考えないと、的確な批評は出来ないはずで、

自分にはそういう執着が足りないよなと感じたのである。

~ん、歌会での勉強が足りない...

歌会に出ても必ずしも作歌につながらない気がして、

一時は月に3回くらい出ていた歌会への出席を減らした。

しかし、やはり歌会に出ていないと歌を読むトレーニングが出来ない。
歌を読む力は、歌を詠む力につながるはずで、

今年はもう少し歌会に出るようにしようと思う。

ふたりの選者の批評力を見せつけられた、そういう歌会だった。

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  冬の椿

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