2017年12月

歌会

湘南で今年最後の歌会。

湘南の歌会に出るときはいつも午前中に鎌倉を歩く。

鎌倉駅を出て若宮大路を八幡へ、

八幡で手を合わせ雪の下の細い道を通って荏柄天神。

境内の梅を見上げると、幾つか花が開いている。

鎌倉で一番早く咲くと言われている荏柄天神の紅梅。

今年はいろいろあった。

仕事も忙しかったし、プライベートもいろいろ。

いささか振り回された感はあるが、

終わってみればいい一年だった気がする。

しばらくのんびりしたのち鎌倉駅に戻り江ノ電で藤沢に向かう。

昼食でビールを一杯ひっかけ戦闘態勢を整えて歌会へ。

例によって気になった歌。

誌面発表前なのでここには出せないが、

先生が五時におばさんになり六時に母親になって今日が暮れてゆく、

そんな歌意の歌。

この歌、一番得票の多かった歌で、

実は歌会に少し遅刻してきたので、この歌の批評は終わってしまっていたのだが、

歌会が終わってからいろいろ聞いてみると、

先生が勤務時間が終わって母親になる間におばさんが入るのが面白いと好評だった。

確かに面白い歌である。

で、作中主体はどういう立場なのかなと考えると、

やはり本人と読むのが一番自然なように思えた。

つまり、教師である自分が、
五時になって「先生」という立場から「おばさん」になり、
六時からは「母親」に変わる、

そういう自分のなかの気の持ちようの変化を面白く捉えている感じ。

しかし、聞くと作者はこの歌を自分のことではなく、

他人である「先生」を詠ったのだそうだ。

う~ん、他人だとすると、どうなのだろう?

作者が他人である「先生」を見ているのだとすると、

気の持ちようの変化を捉えているのではなく、

実際の先生の様子から「おばさん」へ「母親」へという変化を見ているということになるが、

作者の立ち位置は職員室?

五時になった途端に「先生」から「おばさん」に変れるほど先生というのは暇?

どうもそういう歌だとすると、想像で作った歌のような感じが出てしまう気がする。

歌というのは発表すれば作者の手を離れるわけで、

作者は他人である「先生」を詠ったのだとしても、

この歌は自分のことを詠った歌として鑑賞した方がいい歌である気がする。

そんなこんなで今年最後の歌会を終え、あとは飲み会。

飲みながらわいわい楽しく話す。

今年は歌会にあまり出られなかった。

来年はもっと歌会に出られるようにしようと思っている。

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  荏柄天神

今年の「つれづれ日記」は今日で終わりです。

今年一年ありがとうございます。

それでは良い年をお迎えください。

餅つき

通っているアーチェリーの射場の一年納めの納射会。

午前中は試合ではないので気の合った仲間と和気藹々とコースを回る。

お昼からはお餅つき。

近頃、餅つきってあまり経験できないわけで、

常連仲間の子供達もこの日は餅つき目当てで参加する。

ついた餅は雑煮にしたり、あんこや黄粉、大根おろしで食べる。

つきたての餅って柔らかくて美味い。

これを食べてしまうと、スーパーで売っている切り餅とか、

あまり食べたいと思わなくなってしまう。

それはそれとして、つきたての餅があまり美味いので食べ過ぎてしまうのが、

ちと問題ではある。

常連のSにいたっては15個も食って、「自分は食い意地が張っているんだ」と

言っていたが、食い意地以前によく腹に入るものだと感心する。

食べ終わってから腹ごなしにもう一度コースを回る。

ここしばらく天気がいい。

コースの銀杏も葉をだいぶ落として裸になった枝を青空にのばしている。

今年一年、この射場でいろいろ楽しんだ。

アーチェリーはもちろん、バーベキューしたり、

筍掘ったり、茗荷探したり、キノコ作ったり、今年にいたっては自然薯も加わった。

人間、仕事ばかりしているとおかしくなる。

いい仕事をしたければいい遊びをすることだ。

これ、信念(^^

来年もいろいろ楽しもうと思っている。

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  餅つき風景
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  餅つきしている向こうには無患子の黄色い実が青空に鮮やか

勉強会

税理士仲間の月に一回の勉強会。

税法は毎年変わるので、しっかり勉強していないと置いていかれる。

実際、置いていかれてしまった税理士さん、たまにいるわけで(^^;

そういう仲間入りをしたくないと思ったら、

税理士になっても勉強はかかせないわけである。

今回は、今年の4月以降始まった中小企業経営強化税制について

勉強会で質問させてもらった。

中小企業が機械等を取得した場合の特別償却・税額控除に関する税制だが、

適用を受けるにあたって、以前とは違って、工業会等が発行する証明書の他に、

経営力向上計画を主務大臣に提出し認定を受けなければならなくなった。

で、この経営力向上計画について、実際に扱ったことのある税理士がいれば、

計画の策定等について具体的なところを聞きたいと思って質問してみたのだが、

扱ったことのある税理士さんいなかった。

この税制、注意していないと怖いのである。

経営力向上計画を主務大臣に提出する前に工業会等の証明書が必要で、

それぞれにある程度の日にちがかかるのだが、

事業年度内に主務大臣の認定まで終わっていないといけない。

例えば3月決算の会社が決算で黒字が出そうなので、

その対策に決算前に急遽設備投資して機械を購入した場合、

この税制の適用を受けようとしても認定が331日までに間に合わない可能性がある。

つまり前もって準備していないと、

企業は本来受けられる税制上のメリットを失う。

当然、その前もっての準備については税理士がアドバイスできないといけないわけで、

うっかりはしていられないわけである。

ちなみに当日の勉強会では、この税制について今年4月に改正される以前の

古い税制のままの知識の税理士が何人かいた(^^;;

実務を通して知識や経験を交換し共有する勉強会は、

我々税理士にとっては大切なわけで、

今後もそういう実務の勉強を大切にしていきたいと思っている。

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    年末でアーチェリーの的を貼る畳の取り換え

奈良 下つ道3

泊まったホテルを出て再び下つ道を平城京へ北へと歩く。

田園風景の中の車道に沿って歩くのだが、

しばらく行くと向こうに稗田の環濠集落が見えてくる。

環濠集落というのは防衛のために集落の回りを濠が囲んだ集落で、

奈良盆地ではたまに見かける。

昨日通った番条町ももとは環濠集落で、その名残が残っているが、

稗田の集落は現代でもはっきりと集落を囲む環濠が残っている。

下つ道の案内をネットで見ていたとき、ここの売太神社は古事記の稗田の阿礼を祀って

いると書かれていて、なんで古事記が出てくるんだ? ぐらいでスルーしていたのだが、

濠沿いに神社の方に歩いていてふっと気付いた、「あっ...、稗田だ...」。

比類ない記憶力で古代の物語を記憶し、太安万侶らとともに古事記編纂に従事したという

稗田の阿礼はこの稗田の環濠集落の出身か?

売太神社は決して大きくはない環濠集落の一角にある、やはり決して大きくはない神社。

静かな本殿の前で手を合わせる。

神社の案内には、稗田の環濠集落の構造は古代中国の城の構造と一致していると書かれ

ていて、あるいは稗田の環濠集落は中世以前の古代からのものかなとも思うわけだが、

調べたことがないのでその辺のことは知らない。

古事記を読めば、その編纂に係った者達が類まれな知性の持ち主だったことが分かる。

そのひとり、阿礼が生まれ育ったのかもしれない地、

そう思うと稗田の環濠集落がちょっと違う感じで見えてくる。

そういう感慨とは無縁に、稗田の集落は晩秋の奈良の田園風景のなかに静かである。

そこを抜けてさらに下つ道を北上する。

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  稗田の環濠集落
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 売太神社
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 神社にあった案内板

道は佐保川に沿って北へ続き、このまま行けば平城京の南の端の羅城門の跡に出るはず。

途中、橋がかかっているところで工事をやっていて、

あとから分かったことだが、実は、この工事をやっていた所が羅城門の跡だった。

歩いているときは、工事車両が停まっていたりしたので、そのまま通ってしまったのだが、

仮に気付いたとしても案内板があるぐらいのもので、遺跡といえるようなものはない。

で、羅城門の跡はまだかと思いながら、さらに歩いていたら、

横から入ってきた川に遮られていきなり道が消えた。

秋篠川が佐保川に流れ込んでいて歩いてきた佐保川沿いの道は途絶えているのである。

えっ!?  下つ道どうしちゃったんだ?

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  佐保川 向こうに奈良の若草山が見える
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  平城宮跡資料館の平城京跡の航空写真
 朱雀大路と佐保川が重なっている。羅城門も川っぷちにあったはずはないので、
 たぶん古代の佐保川はもっと東を流れていたのだろう。
 写真の上の方が秋篠川と佐保川の合流点、道はそこで途絶える。

戸惑って横を見ると草のなかに踏み跡がある。それを辿ってみると近鉄の線路に出た。

たぶん、同じように下つ道を歩いてきた人が、川に遮られてここを歩いているのだろう。

ただ、線路を越えるわけにいかないので、少し戻って道を探し線路を越える。

しばらく行ったところに九条スポーツセンターがあったので、そこで道を聞き、

ついでに羅城門跡について聞いてみたが、見たことがないとのこと。

いずれにしろ現在地が分かったので、そこから秋篠川に出、川沿いに北へ歩く。

ちみなに、ここはもう下つ道ではない。

下つ道はそのまま平城京の朱雀大路になるわけだが、

羅城門から先は、家が建ったりしていて歩けない。

秋篠川沿いにしばらく行くと薬師寺が見えてくる。

薬師寺に立ち寄り、そこから唐招提寺へ。

紅葉は唐招提寺の方が綺麗な気がする。

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 秋篠川沿いの道
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 薬師寺
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 唐招提寺
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 唐招提寺の列柱
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 天平の甍

さらに秋篠川沿いに歩き最後に市街の方に入ると平城京跡の前に出る。

歴史公園の工事をやっていて、工事現場の向こうに復元された朱雀門が見える。

迂回して朱雀門へ。昨日から歩き始めてここまで32k

大極殿前の芝に座ってしばらく休み、平城宮跡資料館に立ち寄って

大和西大寺の駅から近鉄で京都へ。

天気も良く途中いろいろ面白いものを見ることが出来た二日間だった。

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 工事中、 復元された平城京の朱雀門
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 迂回して朱雀門へ 下つ道32k歩いてゴール
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 朱雀門から朱雀大路のあった方向 
この朱雀大路が下つ道、そして見瀬丸山古墳まで真っ直ぐつながっている。

奈良 下つ道2

藤原京の跡から下つ道に入るのだが、これがちょっと分かりにくい。

JRの畝傍駅のあたりで右に行ったり左に行ったりして、しばらく迷った末に下つ道に入る。

古代の下つ道は26mぐらいの幅があったらしいが、

現代の下つ道は、車がすれ違い出来るぐらいの幅の道で場所によってはもっと狭くなる。

しばらく行くと、下つ道とやはり古代の街道である横大路の交わるところに出る。

ここが、八木札の辻。ちなみに、横大路はその後の伊勢街道。

この辻に、「東の平田屋」という昔のままの旅籠の建物が建っている。

今は交流館として公開され。旅籠のなかを見ることが出来る。

なかに入ると、ボランティアらしいおばちゃんがいていろいろ説明してくれた。

ひと通り聞いて礼を言って再び歩き始める。
古代の下つ道の跡を歩いているのだが、この辺の街並みは中世の街道の趣きがある。

で、基本的にはひたすら北へ向かって歩けばいいのだが、

ところどころ分かりにくくなっているところもあり、下つ道を歩くのなら、

細かいルート案内のようなものをちゃんと用意していった方がいい。

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 下つ道と横大路の交わるところの「東の平田屋」

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 現代の「下つ道」

川沿いの道を歩いたりして、さらに北へ進む。

晩秋の奈良盆地の田園風景が美しい。

出発が遅かったので、このままだと今日泊まる大和郡山に着くまでに日が暮れてしまい

そうな気がしてきて、少し先を急いで歩いていると、行く手を西名阪自動車道が

横切っているのが見えた。

その手前の道の脇で遺跡の発掘をやっている。

人はいなかったが、案内板があって、

「インター建設に伴い遺跡調査をしています」みたいなことが書かれている。

掘り出されているのは、黒い平らな路面のような地面、端には側溝のような溝がある。

それが間隔をあけて三つつながっている。

夕方になってきていて先を急いでいたので、そのまま通り過ぎたのだが、

しばらく行ってから気付いた。

場所はまさに下つ道の推定地。

あれは、千数百年前の下つ道の「現物」ではなかったか?

ちなみに、翌日、平城宮跡資料館で見た下つ道の発掘写真が、

西名阪自動車道の手前で見た発掘現場のそれと良く似ていた。

やはり、下つ道の「現物」だったのであろう。

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 平城宮跡資料館の下つ道の発掘写真
 この写真と同じような平らな路面と側溝らしい溝があった

地中に埋まっている古代の街道の現物なんて、滅多に見られるものではないと思うが、

今回は橿原神宮の新嘗祭も見られたし、やはり日頃の行いがいいのだろう(^^;

しかし、日頃の行いは良くても日は確実に暮れてゆくもので、

だんだん薄暗くなってきた道を先へ急ぐ。

田園のなかの割りと太い車道沿いを歩き、この先、道の西側に入ったところに、

中世の環濠集落の趣きを残す番条町があるのだが、

既に暗くなってきていたので、せっかくの番条町もさっさと通り過ぎてしまう。

今回、近鉄の橿原神宮の駅から歩き始めたのが11時前くらいだったが、

やはり、日の短い季節はもう少し早く歩き始めないとちょっと厳しかったな...

西側の大きな道路沿いにいき今日泊まるスーパーホテル大和郡山へ。

ビジネスホテルだが温泉が付いていて一泊朝食付き6,200円はリーズナブルである。

今日歩いたのは21k。温泉で疲れを癒してビールを飲んでゆっくり寝た。

明日は奈良の平城京跡まで歩く予定。

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