奈良盆地の南、見瀬丸山古墳から発し、まっすぐ北上して藤原京と平城京を
つないでいたのが、古代の街道「下つ道」。
この古代の道を歩いてみようと思い、紅葉の奈良に出かけた。
新幹線で京都に行き近鉄に乗り換え、橿原神宮へ。
橿原神宮自体は明治になってから作られた歴史の浅い神社だが、
この場所は畝傍山の麓の神武天皇の宮があったとされる場所である。
神武天皇が実際にいたのかどうかは別として、
行ってみると何かやっている。
巫女さんに聞いてみると新嘗祭だという。
2年に一度しかやらず、しかも雨が降るとやらないそうで、初めて来て新嘗祭を
見られるなんて運がいいですねと言われた。
橿原神宮 新嘗祭
しばらく新嘗祭を見させてもらうが、広い境内の向こうの本殿でやっているので、
音曲は聞こえてくるが何をやっているのかはさっぱりわからぬ。
今日中に下つ道を大和郡山まで歩く予定なので、テキトーなところで外に出て、
橿原考古学研究所付属博物館に立ち寄ってから藤原京跡に向かう。
近鉄の線路をくぐり飛鳥川を越えたところに藤原京はあるはず。
住宅地を抜けると、大和三山のひとつ耳成山を背景にして田圃の向こうに藤原京跡の
オブジェが見えるので、そちらに向かって畦道を歩き、田圃のなかの広場に出た。
簡単に言ってしまえば、原っぱに藤原宮の柱をかたどった赤いオブジェが並んでいるという
感じで、向こうの方では仮設のステージが作られて祭りかなにかをやっている。
日本最古の大規模都城の跡としては、いまいちぱっとしないところではある(^^;
昨日、雨が降ったのだろうか、足元はかなりぐちょぐちょで靴が濡れてくる。
祭りのなかを通り抜けながらふと思った。「この土地、排水悪いのか...?」。
藤原京跡を通り抜けたところにある橿原市藤原京資料室に入り、
復元された藤原京の大きな都市模型を見ていたら、
案内のボランティアが話しかけてきたので聞いてみた。
「さっき藤原京の跡を歩いてきたんだけど、びちょびちょだよね。あそこ排水悪いの?」
「そうなんです。あそこは昔から雨が降るとしばらく水がはけないです」
「そういう排水の悪い土地に都を作ったわけ?」
「唐から帰ってきた留学生が古代中国の理想的な都の設計を伝えたんです。
三方に山がある平らな土地に都城を作り、その中央に宮殿を置く、そういう理想都市です」
「三方に山がある一番低くなっているところに都を作ったってことだよね。
大きな川はないし、排水は?」
「平安京や平城京と違って朱雀大路の両側に掘が作られ、そこを水が流れていました。
ただ、都の周囲の方が高いので、水は内裏の方向に流れました」
「えっ!? 都の中心に向かって排水が流れたわけ? そのあとその水は?」
「さあ...どこかに流したんでしょうね」
「それって、都市計画の失敗じゃないの? それで藤原京って短期間で平城京に移ったわけ?」
「悪臭が立ち込めて疫病も流行ったそうですから、それもあったでしょうね。
ただ、それだけが理由ではありません。政治的な理由とかいろいろ」
う~ん...。
唐からの留学帰りが、古代中国の理想都市を伝えたのかもしれんが
排水とかそういう現実から目を背けて都市を作ったってしょうがないよね。
誰か止めるヤツはいなかったのかね?
「こんな排水の悪い土地に都を作ったら大変なことになりますよ」って。
七世紀に造営された日本最古の大規模都城・藤原京、
実は日本の建築土木の歴史に残る巨大な失敗だったわけだ。
長くなるので続きはまたあとで。