2017年11月

奈良 下つ道

奈良盆地の南、見瀬丸山古墳から発し、まっすぐ北上して藤原京と平城京を
つないでいたのが、
古代の街道「下つ道」。

この古代の道を歩いてみようと思い、紅葉の奈良に出かけた。

新幹線で京都に行き近鉄に乗り換え、橿原神宮へ。

橿原神宮自体は明治になってから作られた歴史の浅い神社だが、

この場所は畝傍山の麓の神武天皇の宮があったとされる場所である。

神武天皇が実際にいたのかどうかは別として、

行ってみると何かやっている。

巫女さんに聞いてみると新嘗祭だという。

2年に一度しかやらず、しかも雨が降るとやらないそうで、初めて来て新嘗祭を

見られるなんて運がいいですねと言われた。

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 橿原神宮 新嘗祭

しばらく新嘗祭を見させてもらうが、広い境内の向こうの本殿でやっているので、

音曲は聞こえてくるが何をやっているのかはさっぱりわからぬ。

今日中に下つ道を大和郡山まで歩く予定なので、テキトーなところで外に出て、

橿原考古学研究所付属博物館に立ち寄ってから藤原京跡に向かう。

近鉄の線路をくぐり飛鳥川を越えたところに藤原京はあるはず。

住宅地を抜けると、大和三山のひとつ耳成山を背景にして田圃の向こうに藤原京跡の
オブジェが見えるので、
そちらに向かって畦道を歩き、田圃のなかの広場に出た。

簡単に言ってしまえば、原っぱに藤原宮の柱をかたどった赤いオブジェが並んでいるという
感じで、
向こうの方では仮設のステージが作られて祭りかなにかをやっている。

日本最古の大規模都城の跡としては、いまいちぱっとしないところではある(^^;

昨日、雨が降ったのだろうか、足元はかなりぐちょぐちょで靴が濡れてくる。

祭りのなかを通り抜けながらふと思った。「この土地、排水悪いのか...?」。

藤原京跡を通り抜けたところにある橿原市藤原京資料室に入り、

復元された藤原京の大きな都市模型を見ていたら、

案内のボランティアが話しかけてきたので聞いてみた。

「さっき藤原京の跡を歩いてきたんだけど、びちょびちょだよね。あそこ排水悪いの?」

「そうなんです。あそこは昔から雨が降るとしばらく水がはけないです」

「そういう排水の悪い土地に都を作ったわけ?

「唐から帰ってきた留学生が古代中国の理想的な都の設計を伝えたんです。

三方に山がある平らな土地に都城を作り、その中央に宮殿を置く、そういう理想都市です」

「三方に山がある一番低くなっているところに都を作ったってことだよね。

大きな川はないし、排水は?

「平安京や平城京と違って朱雀大路の両側に掘が作られ、そこを水が流れていました。

ただ、都の周囲の方が高いので、水は内裏の方向に流れました」

「えっ!?  都の中心に向かって排水が流れたわけ?  そのあとその水は?

「さあ...どこかに流したんでしょうね」

「それって、都市計画の失敗じゃないの? それで藤原京って短期間で平城京に移ったわけ?

「悪臭が立ち込めて疫病も流行ったそうですから、それもあったでしょうね。

ただ、それだけが理由ではありません。政治的な理由とかいろいろ」

う~ん...

唐からの留学帰りが、古代中国の理想都市を伝えたのかもしれんが

排水とかそういう現実から目を背けて都市を作ったってしょうがないよね。

誰か止めるヤツはいなかったのかね?

「こんな排水の悪い土地に都を作ったら大変なことになりますよ」って。

七世紀に造営された日本最古の大規模都城・藤原京、
実は日本の建築土木の歴史に残る巨大な失敗だったわけだ。

長くなるので続きはまたあとで。

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  藤原京跡のオブジェ 向こうに見えるのは大和三山のひとつ耳成山

自然薯

通っているアーチェリーの射場の畑に植えている自然薯。

植えて今年で二年、いよいよ試し掘りしてみた。

芋の場所の検討をつけて少し離れたところから掘り始める。

少し掘ると土の中から自然薯が見えてきた。

割と細いので、「やっぱり植えただけで放ったらかしだとダメなのかな」と思いつつ掘って
ゆくと、下の方にいくとだんだん太くなる。

自然薯って、下の方が栄養が溜まって太くなるのだろう、

知識としては自然薯の恰好は知っていても、実際掘ってみないとこういうことって
分からない。
射場の常連仲間と交代しながら掘る。

掘っていると性格が出るもんで、

常連のSは掘っている自然薯をあっさり切ってしまって、へらへら笑っているし、

常連のHは掘る目印になる自然薯の枯れた蔓をさっさと引っこ抜いてしまうし、

おまえらな~(^^;

わいわい言いながら掘っていくのだが、なぜか次々と自然薯が出てくる。

今日は試し掘りで、畑の隅に一列に植えたところの一番端から掘っているのだが、

掘っているあたり、苗は一本か二本しか植えていなかったはず。

ところが、大きくはないのだが自然薯が次々と出てくるのである。

たぶん、一年目の秋に零余子が落ちて、そこから新しい自然薯が生えてきているのだろう。

そういう一年目と思しき自然薯と、もう少し大きめの自然薯が掘れたところで、

これぐらいあれば食べられるだろうから、もう終わりにしようかと思ったら、

もう一本、土のなかに少し顔を出しているのが見えた。

掘ってみたら、これが大きかった。

なんとか掘り出そうとせっせと掘る。

自然薯を掘ってて、そのまま穴に埋まって死んでしまった人がいるそうだが、

実際、掘ってみると、作り話じゃないなと分かる。

掘り進んで、穴の中に頭を突っ込んで下にもう手が届かないところまで掘ってゆく。

人ひとり埋められそうなくらい掘ったところで、

どうも自然薯が土の中で向きを変えてる。

「まだ続いてんのかよ...

いい加減疲れて、「この辺で切ろうか」と言うと、やはり常連のAが交代して掘り始める。

自分は監督だとか言って最初は掘っていなかったのが、

最後は執念で掘って、ついに堀り上げた。

80cmくらいの自然薯、これもやはり下の方が太くなっていた。

1mいかない自然薯でこれだけ大変なのだから、自然薯堀りって、やはり相当大変である。

掘った自然薯は射場の休憩所で摺り下ろして磯辺上げにして皆で食べた。

もちもちとして美味しい。

自然薯ってこんなに美味しかったかなという気がする。
次はご飯を炊いて自然薯食べたくなる、それくらい美味しい。

ついでに常連仲間が昨日釣ってきた鯵も唐揚げにして食べる。これも美味い。

こんなふうに季節のなかで自然の恵みを味わえるのって楽しい(^^

来年もいろいろ射場で作ったり魚も釣ったりして楽しみたい。

それはそれとして、

今回は試し掘りである。

本堀りはどうしようか?

今回は植えたところの3分の1も掘ってない。

残りの自然薯掘り出すのって、

結構、覚悟がいる気がする(^^;;

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     一番大きかった自然薯
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  掘り上げた自然薯
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  今日の収穫、大きいのは2年もの、小さいのは1年もの
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  磯辺揚げにして食べる。美味しかった。
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  自然薯掘り終って、美味しい自然薯食べてからのアーチェリーの成績。
 皆疲れたにしては割りとスポットに入ってる。

愛さんのキムチ

子供が小さい頃、アトピーがあって、湿疹が少しでも良くなればと

アトピーに効くという温泉を探しては連れて行っていた時期があった。

ちなみに一番アトピーに効いたのは山梨の真木温泉だった。

新潟の六日町や塩沢の温泉も効果があった。

さりとて、年中泊りがけで温泉に行っているわけにもいかないので、

日帰りで行ける範囲の温泉も探してせっせと行っていたのだが、

そのなかのひとつが藤野のやまなみ温泉。

アトピーへの効果はあまり期待できない温泉だったが、

厚木の先から山越えをして相模湖近くの温泉に行く道は、特に紅葉の時期は綺麗だった。

で、この温泉に行く道の途中の山里に、愛ちゃんキムチ梨泰院という店があった。

道路の脇の平屋の店の屋根の上に大きな赤い唐辛子のオブジェが乗っかっていて、

最初見たとき、なんだこの店? と思って車を停め店に入ってみたのだった。

韓国から嫁にきた人が、キムチを作って売り始めた店なんたそうで、

店内には手作りの本場キムチと韓国から取り寄せた韓国海苔や

韓国の食品・酒・雑貨があってなかなか面白い店だった。

で、その韓国から嫁に来た人が、店の名前にもなっている、愛さん。

ちょっと背の高い日本語の達者な感じのいい女性である。

やまなみ温泉に行く度に店に立ち寄り、キムチと韓国海苔を買うのが我が家の習慣になり、

愛さんとも話をするようになったのだが、

子供も大きくなり、もうアトピーのために温泉に行くこともなくなって、

いつの間にか店に立ち寄ることもなくなった。

それから10年以上経っただろうか、

思い立って、やまなみ温泉に行ってみた。

圏央道が出来て行きやすくなったはず。紅葉の半日ドライブでちょっと出かけた。

かつては相模川沿いを延々と走り、途中から山越えしたのだが、

圏央道が出来て、山越えの道に入るまでは高速が使えるようになった。

東名から圏央道に入り、相模原で高速を出て山越えに入り、

車一台しか通れない牧馬峠を越えて、やまなみ温泉。

温泉は10年前のままだった。のんびり温泉に入り、帰りに紅葉の山里の昔のままの

屋根に大きな赤い唐辛子のオブジェが乗っている愛さんの店に立ち寄った。

店に入ると奥に愛さんがいて、

「紅葉が綺麗ですね~」とふいに話しかけてきた。

「この辺の紅葉はいつ頃が一番いいの?」

「今年は今です。でも、ちょっと葉が少ない、今年は夏に葉が落ちました」

愛さんは、私達親子を覚えていた。

10年振りにひょいとやってきた親子のことを覚えていてくれた。

しばらく話をし、昔のように手作りのキムチと韓国海苔と韓国の焼酎を買った。

「また来てくださいね」と言って見送ってくれる愛さんを後に、

再び紅葉の牧馬峠を越えて横浜に戻った。

異国の山里に嫁に来て母国のキムチを作って売っている愛さんのたくましさは、

ちょっと凄い。

それに加えて、10年も前にたまにやってきていただけの親子のことを覚えているとは、

驚きだった。向こうは覚えていてくれたのに10年も御無沙汰したのが申し訳ない

ような気分で、これからは紅葉や新緑の季節、半日のドライブがてら

本場のキムチを買いに行こうかと思っている。

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  山里の愛さんのお店、屋根の唐辛子のオブジェが目印

自然薯

通っているアーチェリーの射場、練習場の上にある畑で作る大根が美味しくて、

冬になるとアーチェリーの帰りに大きな大根を一本さげて帰ったりするのだが、

その畑の一角に、自然薯を植えさせてもらっている。

子供の頃に食べた零余子を食べたいなと思ったのが、きっかけなのだが、

植えて二年、零余子は収穫して酒のつまみや零余子ご飯にして楽しめたので、

そろそろ自然薯そのものを掘り出してみようという話になった。

ネットで調べてみると、二年目の秋、葉が落ちて蔓が枯れてからの

11月末から2月あたりが収穫の時期らしい。

ちょうどテレビで女優さんが自然薯の収穫に挑戦するという番組があったのだが、

見たらかなり深く掘っていた。

これは大変そうである...(^^;

まず、どれくらいに成長しているか試し堀りをしてみようと思うのだが、

その前に、畑の下の方で竹筒に土を入れたのに自然薯を植えて置いておいたものを

竹を割って、自然薯がどうなっているか見てみた。

自然薯の収穫は大変なので、ならば、竹の節を抜いてそれに土を入れ、

そこに自然薯を植えて置いておけば、あるいは竹筒のなかで自然薯が成長して

簡単に収穫できるのではないかと目論んで、畑に植えた自然薯とは別に竹筒に入れて

置いておいたのだが、やはり狭い竹筒のなかでは栄養も水分も足らなかったのだろう、

地面に立てた竹筒の上から自然薯の蔓と葉は出ていたが零余子も数えるほどしか

生らなくて、この方法はだめだな、もう枯れているかなという感じだった。

竹を割ってみた結果は写真の通り。

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自然薯は出来てはいたが、植えた種芋よりもむしろ小さい5㎝くらいの自然薯。

射場の常連曰く「可哀想にね~、もっと成長したかったんだろうにな~」。

やはり竹筒のなかでは栄養も水分も足りなかったね...(^^;;

それでも、枯れているかと思っていたのが曲りなりにも自然薯が出来ていたのは

ちょっと驚きだった。自然薯ってやはり生命力強いのだろう。

この竹筒で曲りなりにも自然薯が出来ていたのなら、畑に植えた自然薯はもうちょっと

自然薯らしく育っていそうな気がする。

で、今月の末、いよいよ畑の自然薯の試し掘りをしてみようということになった。

竹筒から取り出した栄養の足りなかった可哀想な自然薯は、試し掘りをしたあとに

再び種芋として植えてやろう。

さてさて、どんな自然薯が出てくることやら。

 

歌会

久しぶりに横浜での歌会。

ホームグランドにしている歌会だが、

今年はこれで3回目。

最近、歌会に出る回数が減ってしまって、少し反省している。

仕事やらなんやらいろいろあるのだが、

やはりもう少し歌会に出ないと、歌を読む力は落ちる気がする。

で、例によって気になった歌。

誌面発表前なのでここには出せないが、

腹は空いていないけど何かを満たすため帰宅ラッシュのコンビニに立ち寄る、

みたいな歌意の歌。

好評な歌だったのだが、

私はちょっとひっかかりがあった。

まず、「帰宅ラッシュのコンビニ」という表現は、伝えたいことは分かるが、

ちょっと省略がきついようでどうなのだろうと思ったのだが、

歌会が終わって再度読み返してみて、許容範囲なのかなという気もしている。

どうなんだろ?

それ以上に気になったのが、上句、「腹は空いてないけど何かを満たすため・・・」。

この部分が、現代のコンビニをよく表現しているということで評価されていた。

確かにそうだと思う。

しかし、同時に、なにかこう、ステレオタイプのようなものを感じたのである。

「腹は空いていない」、しかし、「何かを満たすため」。

とりあえずの問題はない、しかし、何か満たされないものがあって...

この辺に、若者のある種のステレオタイプ、そんなものを感じたのである。

ちなみに、歌会では「若者の」という部分を外して批評した。

なんとなく「若者」ということで括ってしまうことにも抵抗を感じたので
省略して
コメントしたのだが、
若者が社会のなかで漠然と感じている「満たされない感」。

これ自体が、若者を表現するときのある種のステレオタイプであるような、

なにかそんな気がするのである。

そういう感じがしてしまうと、歌に微かな安易さが漂ってしまうような...

どうなんだろ?
で、ならば、どう変えればいいかという話になると、それはそれでまた難しそうで、
その辺は作者に考えてもらうしかない(^^;
ちなみに、この歌の作者、案の定という言い方も変だが若い人だった。

当日の出席者は17人。横浜らしい活発な意見交換があって、

やはり歌会は楽しいと思いつつ、歌会終了後は軽く飲んで帰った。

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  東京駅の待ち合わせスポット「銀の鈴」

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